変態騎士ニコラ・モーウェルと愛され娼婦(仕事はさせてもらえない)

砂山一座

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素人も素人、ド下手だ

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 ぞろぞろと王子たちを連れて騎士棟の廊下を訓練場まで進む。あそこであれば王子たちに怪我をさせないで済むだろう。
 王子たちは武術に対して熱心ではない。狭い場所で抜いた剣で手を切って泣かれたりしたら目も当てられない。実家への事情の説明や謝罪も面倒だ。
 騒ぎを聞いたミアも群衆に交じって訓練場へ向かうのが見える。

「ニコラ様、これは……」
「ミア、危ないから遠くへ」
「いえ、わたしが引き起こした騒動です。わたしはここに」
 
 城のいろいろな場所からやじ馬が湧いて、訓練場に群がっている。
 この国は平和だ。騎士は余っているのに、ニコラの仕事はちっとも楽にならない。王子たちに勝っても負けてもそろそろ自分の進むべき道を正すとき時が来ているとニコラは思っていた。

(どうせ、この国に姫はいない)
 
 どこからでもかかってきたらいいと、ニコラは剣を構えもせずに王子に向かって剣をだらりと下げる。
 結局、剣を持ち出したのはトラヴィスだけだった。

「剣の鍛錬を真面目になさっていれば、お一人でも私を打ち負かすことができるはずです」

 ニコラが煽れば、トラヴィス王子は激昂して剣を抜く。
 それに対するニコラは、訓練用の模造刀で、軽々とトラヴィスの剣を受ける。
 何度打ち込んでも王子の稚拙な剣筋ではニコラをとらえられない。体力もないトラヴィスは両手で剣を振りかぶったまま、盛大に躓いた。
 振り下ろす力より躓いた力の方が大きかったのか、トラヴィスの手から剣が抜け落ち、後方めがけて弾き飛んだ。
 その軌道を見て、光ったなと頭のどこかで思った瞬間にニコラは走り出していた。
 剣は一直線にミアの頭上に高く舞い上がり、誰も軌道を追えていない。

(私は見える! ロイ・アデルアはあの時、暗殺者が繰り出す刃物を逃さなかった。あの速さが無ければ誰かを守ることなどできはしない)

 タリムが暗殺者に襲われた時、ニコラは身動きが取れなかった。ただ一人ロイだけが暗殺者に気が付きタリムの危機を救った。
 ロイとの実力の差を思い知らされてから、ニコラはギルドの研修に参加した。
 ロイが教官を務める研修に参加するのは屈辱だった。あまりにも大きな力の差に。しばらくは帰ってから打ちひしがれて泣くこともあったし、体力的にもボロボロだった。
 それでも自分の剣で主を守れない方が辛いと、身も心も削って訓練に参加し続けた。
 
 撥ねあがった剣がミアに向かって落ちてくる。
 弾いたり避けたりするのでは間に合わないと、ミアに覆いかぶさって、全ての筋肉を強張らせる。次の瞬間どんと背中につめたい衝撃が来て、息が詰まり目の前が真っ白になった。
 
 気が付けばミアの手首をつかみ、後頭部を手で保護していて、頭を打たせた様子はない。

「は……間に合った……か」

 遅れて背が脈打つのを感じるが、痛いのか痛くないのかすらわからない。
 わけがわらからないままにミアの無事を確かめていると、ひたりと肩を伝って顔に何かが垂れてくる。
 粘度のある液体がぽたりぽたりと頬を伝うのをみてミアがおびえた。

(背中がひどく熱い。じりじりと焼けるようだ)

「ニコラ様、離して! ニコラ様、手を離してください、すぐに手当てを……」

 ニコラは飛んできた剣を背で受けていた。王子を侮っていたので防具もつけていない。
 冷や汗が出て、指先が冷たい。かなり出血が多いようで耳も遠い。

(私にも、ミアを守るだけの力はあったということか……)

 達成感に満たされて、ニコラはこのままいろいろなことを投げ出すのもいいかもしれないと思い始めていた。

「ミア、いいんだ。私は、もういっそ、このまま死ねたら本望なのだ……」
「馬鹿なこと言ってないで、誰か! 誰か、早く手当を! お医者様を呼んでください! 誰かぁ!!」

 ニコラはミアを守ったままの姿勢から少しも動かずにいた。盾になることを決めた時の訓練が体に染みついている。

「ニコラ様、手を放して! どうして離してくれないんですか、手当てをさせて下さい、お願い……」
「いいんだ。主の盾となるのが騎士だ、ミア……これで私の愛を証明できただろうか……」

 ミアが怒っている。
 ニコラはぼんやりとミアに惹かれる理由を考えていた。きっと最初の出会いから決まっていた。ニコラの心の欠けていた満たされない部分に誂えたようにぴったりと嵌った。幸せにしたい、命を捧げてもいいと思えるのは、想像上の人物ではなくて、たった一人で強く生きていこうとする娼婦の娘だった。

「姫……」
「なにを言っているの! ニコラ、今すぐ手を離しなさい! 死ぬことは許しません!」
「このままあなたの盾となることをお許しください。それが私の幸せなのですから」
「馬鹿ぁぁぁっ!!!」

(ミアの悲鳴が遠いな……)

 ニコラはゆっくりと目を閉じた。

 相当の失血で意識を失ってもニコラはなおミアを離さなかった。医療班がやって来て、気を失ったニコラの手をミアから離すまでに数人がかりだった。


 *


 ミアは城の救護室に数日置かれることになったニコラに付きっ切りで世話をしている。
 急な貧血で意識を失ったニコラが目を覚ました時に、今度は気が抜けたミアが倒れこんで、そのまま救護室に留め置かれた。
 剣の先が刺さったわけではなく、広い刃の部分が背に当たったので、勢いで皮膚がはじけたが傷は深くなかったのが幸いした。縫い合わせた傷は長いけれど、重症というほどではない。
 貧血が重いので、増血剤を飲んで気分が悪いと言っている以外はベッドで寝て過ごすだけだ。

「……生き残ってしまったな」
「なんてことおっしゃるんですか。娼婦の為に死ぬなんて、正気じゃありません!」

 ミアは軽口が叩けるようになったニコラを睨みつける。

「そういう愚かしさを愛とか恋だとか称すると弁えているが、ミアはまだこれが娼婦熱だと言うのか?」

 ベッドで寝ている以外にやることがないのか、ニコラは眠っている他は、熱心にミアを口説いてくる。
 血を失って青白くなったニコラを見ていたミアは、こんな恐ろしいことがあるのかと、ニコラが目を覚ますまでずっと震えていた。

「責任を感じるというのなら、私をあなたの騎士として生かしてほしい。ミアという主人がいなければ、私の生は輝かない」

 すらすらと歯の浮くようなセリフが出てくるニコラにため息をつくが、死にそうな顔を見ているよりはずっといい。

「ニコラ様にはこれからどんな立場の姫様でも望めば得られるはずです。異国の王女はひとりではありません。どこへでも探しに行けばいいではありませんか」

 そろそろ定型文になってきた断りの文言を述べると、ニコラは少し黙って次の言葉を選んでいるようだった。

「……違うんだ。私は姫に仕えたくて生きてきたと思っていたけれど、そうじゃなかった。全てを捧げられるような相手に出会いたかっただけなんだ」
「それがわたしだなんてあんまりです。それに、わたしニコラ様の命なんかいりません」

 ミアはニコラが目を覚ますまでの時間を自分の命が脅かされる以上の恐怖で過ごした。
 ニコラの命が自分の命よりもずっと重くなっていたことにミアは気が付いてしまった。

「そうか? ミアは死ぬのが怖いだろ? 私がそれをすべて退けてあげようと言っている」
「死ぬのは……怖いです。でも、ニコラ様に死なれるのはもっと怖い」

 ニコラの命が社会的に価値のある物で、それを損なって責任を取らされる恐怖とは別に、ただニコラを失ったら生きていけないと思う気持ちがあるのを知ってしまった。

「怖がらせて悪かった。幸か不幸か、私は生きている。そういえば、王子の剣ごときでどうにかなるほど柔じゃなかった。ミア、心配ならここへおいで、心音を聞けば納得するだろう?」

 まだ背中を下にして眠れないので、ニコラの隣には寝やすいように抱き枕が置いてある。それをずらしてニコラがミアを招く。
 ミアは言われるままにニコラの懐へ潜り込んで胸に耳をつけた。
 力強く脈打つ心音に、苦しいくらいに安堵する。

「結婚してくれないか。私はミアの為なら命も惜しくない。それは証明できたはずだ」
「そんなの……絶対にお断りです」
「そういわれても、私は諦めないが」

 救護室に担ぎ込まれてからニコラは少し馬鹿になったように思える。
 あんなことがあったのに王子たちの話をしないし、ミアに求婚してばかりいる。
 今まで、あんなにミアに世話されることを嫌がっていたのに、ミアに食事を口まで運ばれるのも受け入れている。

 様子がおかしいので、ミアも刺激が強そうな出来事はニコラに伝えていない。
 王子たちの世話をする適任の者がおらず、ギルドから職員が派遣されたことはまだニコラに話していない。
 まさか近衛の代わりをギルドに依頼するとは思っていなかったので皆驚いたが、オレンジ色の髪の男がけだるそうに王子の居住区の廊下を歩いて行くのを見て、最も驚いたのはミアだったに違いない。
 見間違えようがない。髪を染めたロイ・アデルアだった。
 
「ニコラ様、わたし、娼婦がダメなら辞めます。ニコラ様に死なれるくらいなら娼婦以外だって何でもできます。わたしニコラ様が思うよりもっと、したたかなんです。ニコラ様にご心配をかけないところに――どなたかの後妻でも、奉公で置いてくれる所でもなんでも、ニコラ様が心配しない場所を探します。だから、もう、わたしを妻にとおっしゃるのはやめてください……」

 ニコラは心臓から耳を離そうとしないミアの小ぶりな頭を撫でる。

「なら、ミアが奉公に行ったところに求婚に行く。好きではない男の妻になるというのなら、横槍をいれに行く。教会で大声で『異議あり』と叫ぶつもりだから覚悟しておくといい」
「じゃあどうすればいいんですか。よその国にでも行けばいいんですか?」
「そんな事が私にとって障害になると思ったら大間違いだ。私がその程度で諦めるとでも? 私をみくびってはいけない」

 ニコラは何でもできる男だ。やると言ったらやるのだろうし、決めたら覆すのは難儀だ。

「だから、ニコラ様とは一緒に居られないっていってるんです!」
「そんなはずがあるか」

 ニコラは、雑にミアの唇を塞ぐ。今までで一番適当な口付けだった。
 そんな適当さでも、ニコラとミアは同じような振り幅で胸が苦しくなる。

「どんな顔をしているか教えてやろうか?」
「え、演技です。娼婦なのでそのくらいできます」

 ニコラはむっとしたようでミアの鼻を嚙んだ。

「とんだ頑固者だ。いいか、ミアはそれほど上手い娼婦ではない。むしろ技術無しで、客など付かないほどだ。素人も素人、ド下手だ。客に恋をした演技ができるほどだったらたいしたものだがな」

 これにはミアもにカチンときて、今度はミアの眉辺りの肉を啜っているニコラの顎を押し返す。

「じゃぁ、単に欲情しているだけです! 男の人だってそういって娼婦を買うでしょう?」

 年季の明けるギリギリでこんな気持ちになるなんて最悪だと、ミアは歯を食いしばった。
 一生懸命口を閉じたのに、ニコラにあっという間に主導権を握られて、息が苦しくなるほど舌を喉奥まで挿し入れられる。
 ニコラは昏い目をしてミアが泣くまで口を犯し続けた。高めるばかりで絶頂まで連れて行ってもらえなくて苦しいと、真っ赤になって震えるミアに、ニコラはいつになく妖艶な笑みを向ける。

「もういい。どうしても本心を言わないのなら、最後の手段をとるまでだ」
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