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何があったんだ
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「は? なんだと?」
「私は学がありませんので、国の王子様が賠償金としていくら払えるのか見当がつきませんのでお尋ねしたところです。花街の者に意に沿わぬ仕事をさせると、物凄い額を要求されます。支配人の機嫌で釣り上ることもあるそうで……まぁ、いくらと言われてもお答えできませんが」
「ぶ、無礼だぞ!」
ミアにしてみれば単純な予算の確認であったが、王子にとっては明確な脅しであった。
「もちろんご実家を頼っていただいてもいいのですが、外聞があまりよろしくない話だと思いまして、先に王子にお尋ねしました」
トラヴィスは明らかに落ち着かない様子で、冷や汗をかき始めた。
「僕を脅す気か?」
「いえ、ご予算を確認しております。もし王子が成人したばかりで持ち合わせがないまま、それと知っていて仕事中の娼婦に割り込みで仕事をせよと仰るなら、先に賠償金のあてがあるか確認しなければと。ご自分で持ち合わせがないのでしたら、ご実家にお願いするように花街に申告しなくてはいけないので」
「な、んだと……」
「本当にわたしに仕事をさせるつもりで間違いありませんか? 花街との賠償の話が出るとなると、ニコラ様だけではなくて、陛下やリシル様にもお話が行くと思いますが、大丈夫ですか?」
「陛下にも……?」
もうすでに顔色が悪くなってきたトラヴィスは、剣の柄から手を離し、きょろきょろと目を動かしているばかりだ。
「それに、王子はすでに花街の娼婦に、そうだと知っていてよくない事をなさっております」
「してない、何もしていないからな!」
「わたし、今、扉の閉まった部屋にニコラ様以外の異性と二人きりでいます。連れ込まれたと報告しましたら王子の立場がよくありません」
トラヴィスはバタつきながらドアを開け放つ。
「は、早く出ていってくれ」
「そこを退いていただけないと出られません」
「僕のせいではない、僕は……」
「わたしの口を塞いで、部屋に引き摺り込みましたよね」
「やってない! 僕じゃない。僕は花街とは関係ない」
どうやら賠償金をとれる話にはならなさそうだと判断したミアは、王子の部屋から去ることにした。
「では、もう、構わないでいただけますか」
「ニコラには言うな!」
自分の都合よいことしか言わないトラヴィスに、ミアは大きなため息をついた。
「……考えておきます」
「僕のせいじゃない。ニコラが僕を叱るのが悪いんだ」
「わたしはニコラ様の部屋に洗濯物をとりに来ただけでしたのに」
トラヴィスは花瓶台の下の敷物を足でめくって、隠していたニコラの宿直室の鍵を取り出すとミアに投げて寄越す。無かったことにしてくれと言うことだろうか。
「出て行け」
トラヴィスはミアを突き飛ばすように部屋の外に押し出した。
(どうにか無傷で部屋から出られたわね)
ミアは宿直室の鍵を開ける。
無機質な居間の続きに、ドアで区切られた寝室がある。急いで出かけたはずだが、ニコラらしく洗濯物はきれいに畳まれて台に置かれていた。
どっと疲れを感じた。ニコラの不在がこんなにも寂しい。
留守番することは何度もあったが、ニコラの帰還を待ち遠しく思ったのは初めてだ。
寝台に腰かけて、持ち帰るニコラの服に顔を埋めてみると、懐かしいニコラの匂いがした。
「ニコラ様……」
さっきの緊張が解けて、ミアは泣きそうになった。
*
ミアがアディアール家からニコラの屋敷に戻ったのはその二日後のことだ。予定より一日遅い帰還だった。
今日も着替える間もなく帰ってきたのか、正装のニコラはミアの目に眩しく映る。
ミアは、ニコラが帰ってきて単純に嬉しかった。
アディアール家にいて孤独だった訳ではないが、やっぱりニコラがいるニコラの家がミアの居場所だ。
(たしかに、正装しているニコラ様には何か落ち着かなくなるものがあるわね)
リリアムが言うところのムラムラなのかドキドキなのかミアにはわからなかったが、許されるなら飛びついてその胸に抱きつきたい衝動にかられて赤面する。
ニコラはミアの視線に気がついたのか、急いで騎士服を脱ぎ捨て、セットしてあった髪を指で乱す。
そのまま腕組みをして、何か考えていたが、思い立ったように腕を開いて控え目に「ただいま」と言うので、ミアはたまらずその腕に飛び込んだ。
「……なんだ、私の取り越し苦労か……」
いつものように浴びるほどキスが降って、ミアはその度に痺れるような甘い衝撃を受ける。
移り香がしたが、今日はあまり気にならない。ミアはニコラがどこで誰に会おうとも、ニコラを見失うことはもうないだろうと思った。
「ミア……この前の話の続きだが」
ニコラがミアの薄い耳たぶを甘噛みしながら話を切り出す。
どんどん甘さを増すニコラの愛撫に流されそうになりながら、言わなければならないことを思い出して散り散りになりそうな意識を掻き集める。
トラヴィス王子の事はニコラに話したい内容ではない。
言えばきっと、ニコラは王子がミアにしたことに腹を立てて、また王子と対立することになるだろう。
しかし、ミアもニコラといて学んだ。些細な隠し事でも、後から暴かれる時には大事になるものだと。
「あの、ニコラ様、先に聞いていただきたいことが――事後報告なのですが、ニコラ様が留守の時に、トラヴィス王子に、持ち合わせが如何程かを聞かなければならない場面がありました。娼婦なら当然のことですが、メイドとしては相当な無礼を致しましたので、城の仕事を辞めさせられるかもしれません……あっ、あのっ……」
耳を弄んでいたニコラは、ミアの報告を聞きながらおもわず歯に少し力をこめた。
咎めるように舐っては甘く噛み、噛んでは舐る。
「それで……今度は、何があったんだ……」
「私は学がありませんので、国の王子様が賠償金としていくら払えるのか見当がつきませんのでお尋ねしたところです。花街の者に意に沿わぬ仕事をさせると、物凄い額を要求されます。支配人の機嫌で釣り上ることもあるそうで……まぁ、いくらと言われてもお答えできませんが」
「ぶ、無礼だぞ!」
ミアにしてみれば単純な予算の確認であったが、王子にとっては明確な脅しであった。
「もちろんご実家を頼っていただいてもいいのですが、外聞があまりよろしくない話だと思いまして、先に王子にお尋ねしました」
トラヴィスは明らかに落ち着かない様子で、冷や汗をかき始めた。
「僕を脅す気か?」
「いえ、ご予算を確認しております。もし王子が成人したばかりで持ち合わせがないまま、それと知っていて仕事中の娼婦に割り込みで仕事をせよと仰るなら、先に賠償金のあてがあるか確認しなければと。ご自分で持ち合わせがないのでしたら、ご実家にお願いするように花街に申告しなくてはいけないので」
「な、んだと……」
「本当にわたしに仕事をさせるつもりで間違いありませんか? 花街との賠償の話が出るとなると、ニコラ様だけではなくて、陛下やリシル様にもお話が行くと思いますが、大丈夫ですか?」
「陛下にも……?」
もうすでに顔色が悪くなってきたトラヴィスは、剣の柄から手を離し、きょろきょろと目を動かしているばかりだ。
「それに、王子はすでに花街の娼婦に、そうだと知っていてよくない事をなさっております」
「してない、何もしていないからな!」
「わたし、今、扉の閉まった部屋にニコラ様以外の異性と二人きりでいます。連れ込まれたと報告しましたら王子の立場がよくありません」
トラヴィスはバタつきながらドアを開け放つ。
「は、早く出ていってくれ」
「そこを退いていただけないと出られません」
「僕のせいではない、僕は……」
「わたしの口を塞いで、部屋に引き摺り込みましたよね」
「やってない! 僕じゃない。僕は花街とは関係ない」
どうやら賠償金をとれる話にはならなさそうだと判断したミアは、王子の部屋から去ることにした。
「では、もう、構わないでいただけますか」
「ニコラには言うな!」
自分の都合よいことしか言わないトラヴィスに、ミアは大きなため息をついた。
「……考えておきます」
「僕のせいじゃない。ニコラが僕を叱るのが悪いんだ」
「わたしはニコラ様の部屋に洗濯物をとりに来ただけでしたのに」
トラヴィスは花瓶台の下の敷物を足でめくって、隠していたニコラの宿直室の鍵を取り出すとミアに投げて寄越す。無かったことにしてくれと言うことだろうか。
「出て行け」
トラヴィスはミアを突き飛ばすように部屋の外に押し出した。
(どうにか無傷で部屋から出られたわね)
ミアは宿直室の鍵を開ける。
無機質な居間の続きに、ドアで区切られた寝室がある。急いで出かけたはずだが、ニコラらしく洗濯物はきれいに畳まれて台に置かれていた。
どっと疲れを感じた。ニコラの不在がこんなにも寂しい。
留守番することは何度もあったが、ニコラの帰還を待ち遠しく思ったのは初めてだ。
寝台に腰かけて、持ち帰るニコラの服に顔を埋めてみると、懐かしいニコラの匂いがした。
「ニコラ様……」
さっきの緊張が解けて、ミアは泣きそうになった。
*
ミアがアディアール家からニコラの屋敷に戻ったのはその二日後のことだ。予定より一日遅い帰還だった。
今日も着替える間もなく帰ってきたのか、正装のニコラはミアの目に眩しく映る。
ミアは、ニコラが帰ってきて単純に嬉しかった。
アディアール家にいて孤独だった訳ではないが、やっぱりニコラがいるニコラの家がミアの居場所だ。
(たしかに、正装しているニコラ様には何か落ち着かなくなるものがあるわね)
リリアムが言うところのムラムラなのかドキドキなのかミアにはわからなかったが、許されるなら飛びついてその胸に抱きつきたい衝動にかられて赤面する。
ニコラはミアの視線に気がついたのか、急いで騎士服を脱ぎ捨て、セットしてあった髪を指で乱す。
そのまま腕組みをして、何か考えていたが、思い立ったように腕を開いて控え目に「ただいま」と言うので、ミアはたまらずその腕に飛び込んだ。
「……なんだ、私の取り越し苦労か……」
いつものように浴びるほどキスが降って、ミアはその度に痺れるような甘い衝撃を受ける。
移り香がしたが、今日はあまり気にならない。ミアはニコラがどこで誰に会おうとも、ニコラを見失うことはもうないだろうと思った。
「ミア……この前の話の続きだが」
ニコラがミアの薄い耳たぶを甘噛みしながら話を切り出す。
どんどん甘さを増すニコラの愛撫に流されそうになりながら、言わなければならないことを思い出して散り散りになりそうな意識を掻き集める。
トラヴィス王子の事はニコラに話したい内容ではない。
言えばきっと、ニコラは王子がミアにしたことに腹を立てて、また王子と対立することになるだろう。
しかし、ミアもニコラといて学んだ。些細な隠し事でも、後から暴かれる時には大事になるものだと。
「あの、ニコラ様、先に聞いていただきたいことが――事後報告なのですが、ニコラ様が留守の時に、トラヴィス王子に、持ち合わせが如何程かを聞かなければならない場面がありました。娼婦なら当然のことですが、メイドとしては相当な無礼を致しましたので、城の仕事を辞めさせられるかもしれません……あっ、あのっ……」
耳を弄んでいたニコラは、ミアの報告を聞きながらおもわず歯に少し力をこめた。
咎めるように舐っては甘く噛み、噛んでは舐る。
「それで……今度は、何があったんだ……」
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