上 下
38 / 55

心当たりがないのか?

しおりを挟む

 いつもは忙しく、一所に留まることのないニコラが、今日は執務室で何種類もの図面を開いて何やら書き付けている。リリアムと話をするまで、逃げることしかできなかったが、自分の状況に名前が付いたことで、ミアは平静を取り戻した。
 ニコラと二人きりで仕事をしていても、その場から走り去りたいようなそんな気持ちにはならなくなって安心した。
 
 ミアは頼まれた仕事をしながら、真剣にペンを走らせるニコラを観察していた。
 改めて見ると、ニコラは彫刻のような美しさだ。初めて会った時は騎士は皆ニコラのように豪奢な容姿の者がなるのだと勘違いしていたが、実際はニコラほど絵に描いたような騎士はいない。
 仕事とはいえ、あの頬に触ったり、あの唇で愛撫を受けたのかと思うと、むず痒い気持ちになる。
 ニコラの指はとても器用で、一度触れられると何度でもミアを絶頂に導いて、そこからなかなか降ろしてくれない。口の中を這い回る舌も、自分と同じ生き物であるのが不思議なくらい、ミアの快感ばかりを舐め上げるのだ。
 当たり前になっていた挨拶程度のキスも避けていて、避けているのはミア自身なのに口寂しさを感じた。腹の奥が思い出した快感で戦慄くのを感じる。

(これか……)

 リリアムがいうというのはわかる気がした。

 しかし、わからないのは性的な欲を感じていない時でさえ、ニコラに呼ばれるだけで焦燥感を感じることだ。

(叱られているわけじゃないのに)

「ミア?」

 急に呼ばれて、どくりと胸が鳴る。
 また逃げ出したいような、近づきたいような、相反する気持ちが渦巻く。さっき自覚したムラムラと混ざり合って収拾がつかない。

「はい、ニコラ様」

 ミアはなんだか後ろめたくて、視線を下げた。

「また数日留守にする。先日、アガット姫が来ただろう? 今度は我が国の番で、十五歳になるリウイ王子が挨拶に出向く事になっている」
「はい。お留守はお任せください」
「あー、私が同行せずとも別の近衛が同行すれば良いのだが、アガット王女に是非にと招かれてなっ」

 ニコラは、不自然に声を張ってアガットからの招待であることを告げた。
 ミアは何を言っていいかわからずに、こくりと頷いた。

「その……今回は母上がミアをアディアール家で預かると仰っているから、そちらから通うといい」
「わかりました」
「……」

 ニコラは何かを見つけ出そうと肘をついて組んだ手に顎を乗せ、じっとミアを見ている。
 なんだろう、何か不備があっただろうかと緊張してニコラの次の言葉を待つ。

「わ、私がいなくて寂しいと思うが……」
「いえ、大丈夫です。アディアールのお屋敷にまいりますので」

 心配させてはいけないとミアが即座に答えると、ニコラは動揺して載せていた顎を上げる。

「アガット王女に招かれているのだが?」
「え?」

 もちろんそれを聞いて胸が痛んだ。しかし、ミアはそうなる理由の答えを得ている。
 ニコラも同じ病でこのように自分のようにどこか痛むのならば、さぞかし辛いだろうと同情する。

「私と離れるのが辛いとか、別の者に私が傅くのは嫌だとか、そう思うなら遠慮なく聞かせて欲しいのだが……」

 ニコラは期待に満ちた目でミアの反応を観察している。
 見られることも商売の一つだと言っても、こうも真剣に見つめられると困る。
 ニコラの視線を避けるように散乱したハーティア国の地図や関連書を種類ごとに並べていく。

「お……お互いにこんな状態では大変ですね。大丈夫ですよ。もう少しの辛抱ですから」
「ん?」

 ニコラは予想と違う答えが返ってきて、首を傾げた。

「わかったのですけれど、この動悸や痛みは、騎士熱というらしいですね」

 みるみる顔色が変わり、ニコラは椅子から腰を浮かせた。

「ミア、ミア、ミア、ちょっと待て。なんだその騎士熱というのは?」
「リリアム様が言うには、もっと娘の頃にかかるらしいのですが、わたしのいた地区では、騎士様があまりいませんでしたので、遅くきたのではないかと……」
「ま、またか。いや、違う、違うだろ……」

 ニコラはバタバタと執務机から立ち上がると、ミアの方へ歩み寄る。

「わぁっ、あまり近くにいらっしゃらないでください」

 急な動きで心の準備ができていなかったミアが、バタバタと手を前に出してニコラから距離を取りながら後ろに下がる。

「近づかなければ何もできない」

 じりじりと追い詰められ、ミアは壁際まで来てしまう。もう逃げる場所はない。

「これ以上娼婦熱を悪化させて、騎士として悪い方向へ行ってしまうよりは、今からでも本式に仕える方を探されたほうがいいと思うのです」
「まだそんなことを言うのか?」

 逃げられないように壁に手をつき、囲い込んでミアの鼻先まで近づく。

「年季明けまでの仕事をしなかった分は働いて返しますから、もう偽の姫に心を傾ける遊びはおやめ下さい」

 ニコラは一人に剣を捧げたら、もう他には見向きもしないだろうと言われたことが、重くのしかかってきていた。手遅れになる前にこの遊びをやめさせないと、ニコラは仕えるべき者も持たず一生夢だけを追い続けることになってしまうのではないかとミアは心配した。

「遊びではないと、何度言ったら分かってくれるのだ……」

 ニコラはミアを必死の形相で抱きすくめると唇を奪う。
 そうされると、ミアは春に咲き乱れた花を見た時のような、長く続いた空腹のあとにありついた食事のような、強烈な多幸感で目が眩むようになる。

(もっと……)

 もっとの続きは途切れたままに、ニコラに貪られていく。すぐに幸福感だけではなくて、腹の底に熱い熱が灯り始める。

(もっと、ニコラ様が……)

 何かが浮かびそうになったかと思うと、ニコラはぴたりと動きを止め、ゆるゆると甘えるようにミアの舌にニコラの舌を擦り付けてくる。
 誘われるままに舌を絡めて愛撫すれば、ニコラはミアを更にきつく抱く。

 夢中になってニコラの長く肉厚な舌を味わって、やっと離れた時には、収まりがつかないくらい二人の息はあがっていた。

「近づくなと言うのに……こうされてなぜ逃げない。心当たりがないのか?」

(ニコラ様はさっきから何か期待する答えがあってこのように訊くのだろうけど)

 ミアはぼんやりと溶かされた頭で思うままにそれに答える。 

「……ニコラ様にこうされるのが、好きなのです」
「ふ、はっ……なんだ、それは」

 ニコラはミアの返答に、赤面しておかしな息を吐く。
 ミアも久しぶりのニコラの体温から離れがたくて、鼓動が速いままニコラの良く引き締まった胴に手をまわす。 

「……それみろ、やっぱり」

 ニコラはミアの名を何度も呼びながら、ぐりぐりと抱き込んだミアに頬擦りする。

「――性癖の一致というものだそうですね。まさか自分が騎士様に劣情を抱く性癖を持っているとは思いませんでした」

 ニコラの動きが一瞬で凍る。

「ちっがぁうっ!!」


 ニコラの叫びと同時にノックもなくドアが開く。

「隊長、異動の挨拶に参りましたー! あらぁ、お取り込み中で?」

 リリアムはまだニコラの腕の中にいるミアを認めて、意味ありげににやりと笑う。

「ガーウィン、今度はいったいミアに何を言った?」
「えー、なんだろ、ミア、どうしたの? あ、そうだ、挨拶はついでなのです。トラヴィス王子が花街と揉めて大変だから隊長を呼べって伝令です」

 ニコラは天を仰いで額に手を当てる。

「なぜこのタイミングで花街と揉めた……」
「花街で評判悪いですもんね、王子」

 リリアムは腕を組んで、訳知り顔で何度も頷く。

「ミア、今日帰ったら話をする。私は断じてそういう性癖だからミアを愛しているのではないのだ」
「あ、それかぁ……」

 リリアムがしまったと舌打ちをすると、聞き咎めたニコラがすごい形相でリリアムを睨む。

「ガーウィン、またお前が元凶か?」
「あ、隊長急ぎましょう! トラヴィス王子の部屋になんかすごい迫力の人が来てますよ」

 リリアムにぐいぐいと背中を押されて、ニコラは執務室を出ていく。

「ミア……」

 ニコラは執務室を出て行ったままその日は帰らなかった。その後、短い手紙がミアに残され、家に一度も帰ることなくハーティアへ旅立つことになった。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる

奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。 両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。 それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。 夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

獣人専門弁護士の憂鬱

豆丸
恋愛
獣人と弁護士、よくある番ものの話。  ムーンライト様で日刊総合2位になりました。

処理中です...