変態騎士ニコラ・モーウェルと愛され娼婦(仕事はさせてもらえない)

砂山一座

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心当たりがないのか?

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 いつもは忙しく、一所に留まることのないニコラが、今日は執務室で何種類もの図面を開いて何やら書き付けている。リリアムと話をするまで、逃げることしかできなかったが、自分の状況に名前が付いたことで、ミアは平静を取り戻した。
 ニコラと二人きりで仕事をしていても、その場から走り去りたいようなそんな気持ちにはならなくなって安心した。
 
 ミアは頼まれた仕事をしながら、真剣にペンを走らせるニコラを観察していた。
 改めて見ると、ニコラは彫刻のような美しさだ。初めて会った時は騎士は皆ニコラのように豪奢な容姿の者がなるのだと勘違いしていたが、実際はニコラほど絵に描いたような騎士はいない。
 仕事とはいえ、あの頬に触ったり、あの唇で愛撫を受けたのかと思うと、むず痒い気持ちになる。
 ニコラの指はとても器用で、一度触れられると何度でもミアを絶頂に導いて、そこからなかなか降ろしてくれない。口の中を這い回る舌も、自分と同じ生き物であるのが不思議なくらい、ミアの快感ばかりを舐め上げるのだ。
 当たり前になっていた挨拶程度のキスも避けていて、避けているのはミア自身なのに口寂しさを感じた。腹の奥が思い出した快感で戦慄くのを感じる。

(これか……)

 リリアムがいうというのはわかる気がした。

 しかし、わからないのは性的な欲を感じていない時でさえ、ニコラに呼ばれるだけで焦燥感を感じることだ。

(叱られているわけじゃないのに)

「ミア?」

 急に呼ばれて、どくりと胸が鳴る。
 また逃げ出したいような、近づきたいような、相反する気持ちが渦巻く。さっき自覚したムラムラと混ざり合って収拾がつかない。

「はい、ニコラ様」

 ミアはなんだか後ろめたくて、視線を下げた。

「また数日留守にする。先日、アガット姫が来ただろう? 今度は我が国の番で、十五歳になるリウイ王子が挨拶に出向く事になっている」
「はい。お留守はお任せください」
「あー、私が同行せずとも別の近衛が同行すれば良いのだが、アガット王女に是非にと招かれてなっ」

 ニコラは、不自然に声を張ってアガットからの招待であることを告げた。
 ミアは何を言っていいかわからずに、こくりと頷いた。

「その……今回は母上がミアをアディアール家で預かると仰っているから、そちらから通うといい」
「わかりました」
「……」

 ニコラは何かを見つけ出そうと肘をついて組んだ手に顎を乗せ、じっとミアを見ている。
 なんだろう、何か不備があっただろうかと緊張してニコラの次の言葉を待つ。

「わ、私がいなくて寂しいと思うが……」
「いえ、大丈夫です。アディアールのお屋敷にまいりますので」

 心配させてはいけないとミアが即座に答えると、ニコラは動揺して載せていた顎を上げる。

「アガット王女に招かれているのだが?」
「え?」

 もちろんそれを聞いて胸が痛んだ。しかし、ミアはそうなる理由の答えを得ている。
 ニコラも同じ病でこのように自分のようにどこか痛むのならば、さぞかし辛いだろうと同情する。

「私と離れるのが辛いとか、別の者に私が傅くのは嫌だとか、そう思うなら遠慮なく聞かせて欲しいのだが……」

 ニコラは期待に満ちた目でミアの反応を観察している。
 見られることも商売の一つだと言っても、こうも真剣に見つめられると困る。
 ニコラの視線を避けるように散乱したハーティア国の地図や関連書を種類ごとに並べていく。

「お……お互いにこんな状態では大変ですね。大丈夫ですよ。もう少しの辛抱ですから」
「ん?」

 ニコラは予想と違う答えが返ってきて、首を傾げた。

「わかったのですけれど、この動悸や痛みは、騎士熱というらしいですね」

 みるみる顔色が変わり、ニコラは椅子から腰を浮かせた。

「ミア、ミア、ミア、ちょっと待て。なんだその騎士熱というのは?」
「リリアム様が言うには、もっと娘の頃にかかるらしいのですが、わたしのいた地区では、騎士様があまりいませんでしたので、遅くきたのではないかと……」
「ま、またか。いや、違う、違うだろ……」

 ニコラはバタバタと執務机から立ち上がると、ミアの方へ歩み寄る。

「わぁっ、あまり近くにいらっしゃらないでください」

 急な動きで心の準備ができていなかったミアが、バタバタと手を前に出してニコラから距離を取りながら後ろに下がる。

「近づかなければ何もできない」

 じりじりと追い詰められ、ミアは壁際まで来てしまう。もう逃げる場所はない。

「これ以上娼婦熱を悪化させて、騎士として悪い方向へ行ってしまうよりは、今からでも本式に仕える方を探されたほうがいいと思うのです」
「まだそんなことを言うのか?」

 逃げられないように壁に手をつき、囲い込んでミアの鼻先まで近づく。

「年季明けまでの仕事をしなかった分は働いて返しますから、もう偽の姫に心を傾ける遊びはおやめ下さい」

 ニコラは一人に剣を捧げたら、もう他には見向きもしないだろうと言われたことが、重くのしかかってきていた。手遅れになる前にこの遊びをやめさせないと、ニコラは仕えるべき者も持たず一生夢だけを追い続けることになってしまうのではないかとミアは心配した。

「遊びではないと、何度言ったら分かってくれるのだ……」

 ニコラはミアを必死の形相で抱きすくめると唇を奪う。
 そうされると、ミアは春に咲き乱れた花を見た時のような、長く続いた空腹のあとにありついた食事のような、強烈な多幸感で目が眩むようになる。

(もっと……)

 もっとの続きは途切れたままに、ニコラに貪られていく。すぐに幸福感だけではなくて、腹の底に熱い熱が灯り始める。

(もっと、ニコラ様が……)

 何かが浮かびそうになったかと思うと、ニコラはぴたりと動きを止め、ゆるゆると甘えるようにミアの舌にニコラの舌を擦り付けてくる。
 誘われるままに舌を絡めて愛撫すれば、ニコラはミアを更にきつく抱く。

 夢中になってニコラの長く肉厚な舌を味わって、やっと離れた時には、収まりがつかないくらい二人の息はあがっていた。

「近づくなと言うのに……こうされてなぜ逃げない。心当たりがないのか?」

(ニコラ様はさっきから何か期待する答えがあってこのように訊くのだろうけど)

 ミアはぼんやりと溶かされた頭で思うままにそれに答える。 

「……ニコラ様にこうされるのが、好きなのです」
「ふ、はっ……なんだ、それは」

 ニコラはミアの返答に、赤面しておかしな息を吐く。
 ミアも久しぶりのニコラの体温から離れがたくて、鼓動が速いままニコラの良く引き締まった胴に手をまわす。 

「……それみろ、やっぱり」

 ニコラはミアの名を何度も呼びながら、ぐりぐりと抱き込んだミアに頬擦りする。

「――性癖の一致というものだそうですね。まさか自分が騎士様に劣情を抱く性癖を持っているとは思いませんでした」

 ニコラの動きが一瞬で凍る。

「ちっがぁうっ!!」


 ニコラの叫びと同時にノックもなくドアが開く。

「隊長、異動の挨拶に参りましたー! あらぁ、お取り込み中で?」

 リリアムはまだニコラの腕の中にいるミアを認めて、意味ありげににやりと笑う。

「ガーウィン、今度はいったいミアに何を言った?」
「えー、なんだろ、ミア、どうしたの? あ、そうだ、挨拶はついでなのです。トラヴィス王子が花街と揉めて大変だから隊長を呼べって伝令です」

 ニコラは天を仰いで額に手を当てる。

「なぜこのタイミングで花街と揉めた……」
「花街で評判悪いですもんね、王子」

 リリアムは腕を組んで、訳知り顔で何度も頷く。

「ミア、今日帰ったら話をする。私は断じてそういう性癖だからミアを愛しているのではないのだ」
「あ、それかぁ……」

 リリアムがしまったと舌打ちをすると、聞き咎めたニコラがすごい形相でリリアムを睨む。

「ガーウィン、またお前が元凶か?」
「あ、隊長急ぎましょう! トラヴィス王子の部屋になんかすごい迫力の人が来てますよ」

 リリアムにぐいぐいと背中を押されて、ニコラは執務室を出ていく。

「ミア……」

 ニコラは執務室を出て行ったままその日は帰らなかった。その後、短い手紙がミアに残され、家に一度も帰ることなくハーティアへ旅立つことになった。
 
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