変態騎士ニコラ・モーウェルと愛され娼婦(仕事はさせてもらえない)

砂山一座

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それは、騎士熱だね

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「素行が悪くて、別の部署にやられるらしいんだ」

 騎士棟の食堂のメニューは肉が多い。今日は羊肉を骨から滑り落ちるほどに煮込んだシチューだ。シンプルな味付けだが滋味深く、これも騎士たちに人気メニューの一つだ。
 リリアムは貴族女性であることが疑わしくなるほどの作法で、骨の髄を啜っている。

「はぁ、まあ、そうでしょうね」

 素行が悪いと言われる割に、リリアムは女性騎士として次々と用事を言いつけられる。部署を異動しても仕事が変わるわけではないだろうと、ミアは生返事を返す。

「ミアー、もう少し労ってくれても良くないか?」

 あらかた肉を食べ尽くして、おかわりしたあつものを吹いているリリアムは、肉の残りがないものかと厨房の奥に目を向けている。相変わらず食欲旺盛だ。

「それで、今度は何をやらかしたんです? ハーティアの女官の件ですか?」
「そっちは大丈夫だったんだ。それより、新人の尻を――あ、これは口外しちゃいけないんだっけ――もちろん同意の上だよ。今回の移動の原因は、団員の妹に手を出そうとしたことかな。ちょっと厄介なお嬢さんだったんだ」
「自業自得ですね」
「まあ、別に騎士を辞めさせられる訳じゃないから、部署は何処でもいいんだ」
「もう、リリアム様が行儀良くなさればいいだけでは?」
「えー、だって、ムラムラするじゃないか?」

 肉汁が付いた指を赤い舌で舐めとる様子は、性欲を持て余しているように見えなくもないが、本当は遊び足りない子どもに近い。

「よくわかりませんが、身近な所でそれを発散させようとするのが間違いなのでしょう」

 リリアムこそ花街で遊ぶべき人物だと思うが、身分を隠している今は花街へ行けと勧めることはできない。

「だって、こうでもしないとさ。普通の貴族の娘みたいに仮面舞踏会とか、まどろっこしいものに参加するのは面倒なんだ」

 ミアが分かりやすく眉を寄せたので怪しげな話題はしまいこんで、おとなしく汁を啜る。

「ことに、隊長とは仲良くやってる?」

 急にニコラの話題が出て、ミアは少し脈拍が速くなった。
 あれ以来ニコラのことを考えると、時々調子がおかしくなる。仕事がおろそかになる前に、医者にかかるべきなのか考え始めていたところだ。

「誤解なさっているんだと思うのですが、ニコラ様とわたしは恋人ではありませんよ。それに、わたし、もうすぐ実家に帰るので、そういうのは終わりです。ニコラ様は別の主人に仕えるのが相応しいと思いますし――」

 貴族の娘は行儀見習いの期間を務めれば実家に戻って結婚の準備をする。貴族の末席と偽ったミアも、そういう理由をつけて年季が明ける前に城を去ることになるだろう。

「いや、隊長に限って、そんなわけない。ミアはああいうヘキのヤバさをしらないの? ん……あれ? ちょっと待って、って言った? もしかしてオタクらの関係って主従? 主従なの?」

 リリアムは目を輝かして身を乗り出す。何を話してもろくなことにはなりそうにない。

「『騎士が仕える方』という意味の『主人』で、他意はありませんから」
「いーや、誤魔化されないよ。恋人じゃないとして、あんなに執着されるなら、もしかしてミアがご主人?」

 厄介なことになったと思って、ミアは黙って自分の昼食を食べ進める。ニコラの異常な情熱についてミアの口からリリアムに告げるべきことは無い。

「えー、えー、隊長いいなー! ミアに跪きたいのはわかるぅ。私もミアに剣を捧げますって誓ったら、遊んでくれる? はぁ、騎士になったら一度は夢見る遊びだよね」
「ちっとも懲りてませんね」

 ミアが取り合わないでいると、リリアムは気安い調子を引っ込めて、目を細めて美しい所作でミアの顎を掬う。
 ミアは、城で働くうちに、貴族の世界にも表裏があって、皆それを使い分けて自分の家を守っているらしいと気が付いた。リリアムの貴族としての顔を見るたびに、リリアムはリリアムなりに窮屈な生活を強いられてきたのかもしれないなと、少し同情的に思うようになっていた。

「懲りてないのはミアの方だよ。隊長から逃げ切るつもりでいるならご愁傷さまだ。百戦錬磨の私が言うんだから間違いない。隊長はヤバい。なかなか振り切れまいよ。どうだい、恐ろしいなら私と遠くに駆け落ちしようか」

 言っていることはめちゃくちゃだが、こういった強引さが好きな令嬢は多いようで、物陰に消えていくリリアムを何度か見ている。
 あれだけ手あたり次第であるにもかかわらず、女性からの苦情は少ないどころか、最近ではうっすらと人気が出てきているのだから不思議だ。

「リリアム様、骨付きの肉を食べたら手を拭いてください。いいですか、ニコラ様のあれは熱病のようなものです。心配なさらずとも、私が実家に戻ればいずれ冷めます」

 リリアムは手拭きを受け取ると、口を尖らせて渋々手を拭った。

「そうかなぁ。私、けっこう勘はいい方なんだ。お姫様が来た時だって、なんか不機嫌だったし、隊長がミアから手を引くとは思えないよ」
「王女様と比べるなんて畏れ多いですよ。案外、本物のお姫様にお仕え出来て、楽しんでいらっしゃったのかもしれません」

 ニコラのことを考えると調子が悪くなるので、なるべく平坦に言ったつもりだったが、ミアは脇腹の辺りがちくりと痛むのを感じた。

「まさか! ミアは隊長を侮っているね。ニコラ様は騎士棟でいちばん騎士なんだよ! 弱きを助け悪を挫く、騎士道の見本みたいな。うちの戦闘馬鹿の筋肉爺とは全然違うし、結婚相手見つける為の腰かけ騎士とも違う。どう本物かわかるかい?」

 リリアムは目をキラキラさせてニコラを語る。あれだけ叱られてもニコラの騎士道を尊敬しているのだから、リリアムの騎士に対する情熱だけは本当なのだと思える。

「誰にでも親切でにこやかで、悪を挫き、弱きを助ける。あれこそが騎士だよ。騎士っていうのはね、仕えるのが喜びなんだ。うちには王女はいないし、本物の王女様のお世話ができるとなったら、相当に喜ばしい事だろ。それがどうだい、この間のお姫様に対しては、少し席を外した途端に不満が駄々洩れでさ。仕事が終わったらさっさと帰っていくし、どうしちゃったんだろうって」

 リリアムはかなり偏った騎士論を振りかざして力説した。ニコラの騎士ぶりを誰かの口から聞くのは少し疎外感がある。初めての感情に振り回されて、ミアは少し疲れを感じた。

「ニコラ様に限って、機嫌云々でお仕事を疎かになさることはありません」
「そりゃね。隊長、仕事はちゃんとやってたさ。それこそ完璧にね。女官たちはニコラ様のやりようを見て、顔を引きつらせていたよ。一人の騎士に仕事を丸っと奪われたんだから。あのヒト、何でもできるんだな。正直言って、気持ち悪いレベルだよね」

 それに関しては何の反論も出来ない。ニコラは食事の世話どころか、肌の手入れや、寝台でのあれこれまで想定して準備しているのだから。

「つまりね、隊長がそんな様子だったのも、君らが主従なら説明がつくなって思うのさ」
「お姫様らしいお姫様でなかったのでご不満だったのでしょうか」
「もちろんそれはあっただろうけど、ニコラ様の理想はアディアール騎士だろう? わざわざ養子になったくらいだし。つまりさ、ニコラ・モーウェルという騎士は、アディアール騎士がクリスタニア王女以外を主としなかったように、自分の仕える主人以外に傅くつもりはないのだと推察できる。では、本当のお姫様が来てもちっとも嬉しそうじゃないのはなぜか? もうお分かりだね。すでにお仕えする主人がいるからだと結論付けられるわけだよ、ミア君」
「そんな……」

 ――だとしたら大ごとだ。これ以上ニコラが元の生活に戻れなくなったら困る。
 遊びですまなくなったら、ニコラの人生を狂わせかねない。ミアは嫌な汗をかくことになった。

「それで、ミアは隊長のどこがいいわけ?」
「ですから、私たちは別に恋人同士というわけじゃ……」

 ミアは心配事が増えて語尾が小さくなった。
 リリアムは腹が膨れて眠くなったのか、食器を片付けると、食卓に突っ伏して向かいに座るミアを見上げる。
 午前中に訓練として行われた勝ち抜き戦で、ずっと勝ち残っていたはずだが、それほど疲れているようには見えない。リリアムの持久力は頭抜けている。昼食後に少し休めば、また午後も同じように活動的に過ごせる。

「恋人かどうかなんてナンセンスだよ。ムラムラしたらヤる、それで良くない? 性癖が一致したからこそ、楽しく成立していたんでしょ?」

 リリアムの貞操観念は低い。面倒がなさそうなら誰にでも手を出すスタイルは強い信念すら感じる。

「せ、性癖が一致?」
「簡単に言えば、隊長のどういうところにムラッとくるのかってことさ」
「は? はぁ?」

 ミアは思わず周りの席を見渡した。
 リリアムが座った時点で厄介ごとを避けたい者はそそくさと席を外していて、二人の周りには人がいない。

「ええと……」

 リリアムに話していいのかどうか迷いに迷ったが、花街に相談しに行く時間もない。そもそも色恋には関係なくて、単に病気なのかもしれない。

「……この間、ニコラ様が騎士の正装をされていた時に、どうにもおかしなことがあって……」
「うんうん、いいね、いいね、そういうのを聞きたいんだよ」
「こう、いつもなら何でもない事に、胸が苦しくなったり、お腹が痛くなったり……」

 リリアムはだらしない姿勢で、年相応の天真爛漫な笑みを浮かべる。

「隊長の正装、美しかったものね」
「それはいつも立派な格好をされていますけど、その時はまるで別人のように感じて……」
「わかる! いつもの騎士服も汗臭い感じでいいけど、正装の豪華さとか、キラキラしたマントの刺繍とか、紋章の縫い取りとか! ドキドキするよね。 あー、私も早くアレ着たい! 着て、誰かを押し倒したい!」

 リリアムの妄想は明後日の方向へ暴走しているが、ミアも「ドキドキする」という表現に違和感はなかった。

「気恥ずかしいような気がして、近くに寄られると辛いというか……」
「ミアは、もしかして、自分の感情に疎いタイプなの? そんなのどうしたって……」
「今まで、リリアム様もご存じのような事があっても何ともなかったんですよ。そんな急にどうにかなるなんてことがありますか?」

 リリアムはミアの腹につけられた病的な執着の痕を思い出してげんなりした。ああまでされて動かなかった心が、いきなり動き出したのなら、理由は何だろうと頭の上を探るように目玉を動かして考える。

 しかし、眠い。
 考えているふりはしているが、すごく眠い。

「ははぁ、それは、騎士熱だね。ちまたの女の子が一度はかかるヤマイだよ」
「きしねつ?」
「そうそう、騎士っぽい格好とか仕草に劣情を催すアレね」

 病と聞いて、ミアはなるほどと思った。
 ニコラの娼婦熱の様子を知っているから余計に病だと言われてしっくりときてしまう。

「そんなのがあるんですね」
「そうさ。誰でも一度は物語の騎士様に恋をするでしょ? まあ、私は行きすぎて自分もなりたくなっちゃったんだけど。ミアも騎士がるタイプかぁ。隊長と需要と供給が合致したんだね」

 リリアムの口は達者に動いているが、体は眠りにむかっている。


「隊長がキラキラした騎士だから、ミアはムラムラしたってわけだね。うんうん、納得、納得」

 リリアムは満腹だし、眠いしで、適当なことを口にした。

「そうか……わたし、ニコラ様の騎士姿に欲を感じていたんですね」

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