変態騎士ニコラ・モーウェルと愛され娼婦(仕事はさせてもらえない)

砂山一座

文字の大きさ
上 下
31 / 55

想像以上の……

しおりを挟む
 人目のある食堂であれば咎められることはないと分かってから、リリアムは頻繁にミアを昼食に誘う。
 あれから、ミアとリリアムの関係は正常化した。リリアムに妙なちょっかいをかけられることはもう無い。ただし、リリアムはミアに会うたびに気の毒そうな顔をするし、ニコラには毛虫を見るような視線を向ける。

 リリアムは、食堂の真ん中の席で、油を吸いすぎた揚げ芋とヤンデレが心から苦手で、明るく軽快な性交こそ最上だから、交際は単純明快であるべきだ、とテーブルを叩いて大声で主張している。
 食堂は昼時だ。周りに座っていた騎士たちが咽せたり、咳払いをしたりした。
 ミアはリリアムの赤裸々な主張を聞き流して、猥談に頬を染めもしない。そういう所が、色々あってもリリアムがミアに寄って来る理由だ。

「疲れていますね。まだギルドに通っているのですか?」

 ミアがギルドの話題に触れると、リリアムは食卓に身を乗り出して愚痴を言い始める。

「ミアぁ、ギルドはひどいところだ。なんだあれは? 父上の訓練と比べ物にならないほどキツい。父上のは所詮根性論だった。体力はつくがそればかりだ」

 リリアムが父ウィリアムの事を話題にして、近くに座っていた騎士が数人席を立った。ウィリアムもまた騎士たちにトラウマを与えた者の一人だ。

「あのね、ミア、ロイ・アデルアという教官がいてね、最悪なんだ。肉体的にも精神的にも追い込まれて、吐くものがなくて胃液すら出ない。一緒に訓練に参加していたギルドの新人がアデルア教官を『悪魔のトロン』と陰で呼んでいるのを聞いたよ。その呼び名、完全に同意する」

 トロンは嘔吐剤の材料になる植物だ。毒はないがうっかり食べると胃にものを入れる度に吐くことになる。ひどいあだ名をつけられたものだ。
 ミアには吐くほどの特訓の想像はつかないが、うっかり野草に混じっていたトロンを食べて、吐くものが無くても嘔吐えずく辛さは経験済みだった。あれは辛い、なるほどと、頷いて見せた。

「へえ、ロイさんて、そんなお強いんですね」
「知っているのか?」
「まぁ……ニコラ様のお知り合いですので」

 ロイがニコラの義理の兄で、愛しい姫を奪われた恋敵だとは死んでも明かすことはできない。
 ニコラはロイ・アデルアのことになると途端に元気をなくす。ロイに完勝するような点が見当たらないのが原因だ。借金のことも気にしているに違いない。

(変態性だったらニコラ様の勝ちだけど、あまり喜ばないだろうな)

 と、少し気の毒に思った。

「じゃぁ、隊長もあの訓練を受けたの? だから隊長はあんな技を――納得だな。はぁ、それにしても嫌だなぁ。明日、行きたく無いんだ。サボりたい」

 リリアムが、イヤイヤと頭を振る。よくしゃべる割に食事を口に運ぶ手は休まない。

 騎士棟で働く者は誰でも自由に棟の食堂を利用できる事になっている。
 今日の昼食は鶏肉の半身揚げで、色よく揚がった肉にスパイスの効いたスープが添えられている。体を動かすことの多い騎士たちに人気のメニューだ。リリアムは既にお代わりをして一羽分を食べ尽くす勢いだ。
 ミアは、家政婦が用意しておいてくれる食事を無駄にできなくて、いつも残りを昼食として持参している。
 食堂の料理番はそれを知っていて、騎士たちに比べれば、ままごとほどの量で取り分けてミアの前に置く。
 チラチラと騎士たちから視線が集まるのは、真面目であまり笑わないミアが、ものを食べる時は満面の笑みを浮かべるという噂が広まったからだ。
 
「ロイさんもニコラ様と同じように、サボったり手を抜いたりすると、許してくれそうにありませんよ」

 ミアは酷薄そうな表情の割に面倒見の良いギルド職員を思い浮かべた。いつも怠そうにしている相棒のタリムの世話をする手つきは一日二日で培ったものではないだろう。
 アディアール家にまつわる男たちには、何か似通った偏執性を感じる。

「やだっ、執着の酷い人間は嫌なんだっ! あんな訓練を人にやらせるなんて、絶対性癖が曲がってるに違いない! 私は昨日の訓練だけで三回死んだよ。複雑な開錠の訓練で、一手順違えただけで弓矢が飛んでくるんだ。殺されかけて、あんなの短時間で解けるわけないよ。そりゃ、アデルア教官はやって見せてくれたけど、極限状況であんなに動くの異常だろ?! 誰もかれも、顔ばっかりの変態じゃないかっ」

 リリアムだってその変態の一味であることは棚にあげて、ニコラとロイをこき下ろす。
 ついには、リリアムは鼻水を啜り上げ、袖で涙を拭った。貴族の娘らしい迫力のある美人が、喧嘩に負けた悪童のようなしぐさをするので、ミアの中の貴族像はぐちゃぐちゃになりつつある。 

(ロイさんに変態性でも勝てないかもしれないとニコラ様が知ったら、がっかりするかしら……) 

「ほんと……どうなってるんですかね」





 ニコラの娼婦熱はまだ続いているようだった。
 宿直が続いて、夜遅くに帰宅したニコラを先に帰ったミアが出迎える。
 一度室内に足を踏み入れたくせに、ニコラは神妙な顔をして「もう一度、出迎えてみてくれないか?」とドアを閉めて表へ出た。

 ――今日も様子がおかしい。
 
「ニコラ様、おかえりなさいませ」

 ミアが言われたように出迎えると、ニコラが真面目な顔で訂正する。

「いや、その……と」

 ミアは極力頭を使わないようにして、再び開けられた玄関扉に向かい、ニコラの要求に応える。

「旦那様、おかえりなさいませ」

 ただいまという言葉が聞こえないと思って視線をあげると、ニコラは口を押えて悶えている。
 赤面しながら「ふぁ」とか、「んぐっ」とか「想像以上の破壊力だ」とか言ってるのは聞こえないふりをした。きっと娼婦熱の一端なのだなと、なかなか改善しないニコラの病を心配した。

「いや、やっぱりこれはやめておこう。少し調子に乗り過ぎたようだ」
「なんだかよくわかりませんが、おかえりなさいませ。……その、帰宅の挨拶をなさらないのですか?」

 いつものように手を広げて待つと、ニコラが思った以上の勢いで飛びついてくる。

「はあ、やっと我が家だ……ただいま、ミア、会いたかった……ミア……ミア……」

 そう言って顔中にキスを降らせる。

(城で働いている人が今のニコラ様を見たら、さすがにリリアム様と同じ顔をするわよね……)

 ミアの心配をよそに、ニコラはミアの手にも口付ける。

「け、結婚してくれないか?」

 顔を合わせればそういうのが習慣になっているのだろうか。あれからニコラは気軽にミアに求婚を繰り返している。

「お断りしました。着替えていらっしゃる間に夕食を温めておきますね」
「ありがとう。ならば、今日は私が片付けだな」

 求婚を断られたことに萎れることもなく、颯爽と自室へ向かっていくニコラを不思議な気持ちで見送る。

 ニコラが家にいると暖かく感じる。
 今日のようにニコラが帰ってくるときには部屋を暖めておくのだが、その暖かさとは違うような気がする。
 路上で子供同士身を寄せ合っていた時だって人の体温を感じることはあったが、それもまた違うなと首をひねる。

 ニコラと囲む晩餐は楽しいものだ。
 昼間リリアムがギルドの訓練をいかに嫌がっていたか話して聞かせれば、ニコラは柄にもなく腹を抱えて笑った。
 食堂で食べた新しいメニューや、別の部署を訪れた時に目にした見慣れない薬草畑のこと、リシルが通りかかって菓子をくれたことなどをミアが報告すれば、ニコラも王子たちの困った素行を皮肉たっぷりに打ち明ける。
 暖炉の薪が弾けて炭になるまで、腹を満たして、話をして、眠る時はふかふかのベッドが待っているのだ。
 夜中に酔っぱらいに見つかって追いかけられたり、人攫いが小さな子を端から連れ去るかもしれないと怯えなくてもいい。
 ミアにはこの瞬間、何も望むものが無い。

「――おやすみなさいませ」
「部屋まで送ろう」

 部屋までついてきたニコラは、機嫌良くミアに幾重にも柔らかな布団を掛け、額におやすみのキスをする。
 なかなか出て行こうとしないので、夜伽を申し出たが、断られた。この辺のニコラの匙加減がミアにはよくわからない。
 好きだと言うなら好きに貪れば良さそうなものだが、理性が負けてこないとニコラはミアに仕事をさせてくれない。

「ミアが眠るまで見ていてもいいだろうか?」
「ご自由に。でもニコラ様も早くお休みくださいよ」

 正直、落ち着かないなとは思ったが、ニコラがそうしたいのなら断る理由がない。

「わかっている。せっかく明日は休みだし、好きな事をしたい」

 ミアが寝入るのを見守ることがニコラの「好きな事」なのは何か妙ちくりんな気はしたが、ニコラが椅子を持ち出してきて、部屋に居座るようだとわかって、それならばと目を閉じる。
 ニコラの手が髪を撫でたり、こめかみあたりに温かな唇が押し当てられるのを感じながら、ミアはゆるゆると眠りに落ちる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

処理中です...