変態騎士ニコラ・モーウェルと愛され娼婦(仕事はさせてもらえない)

砂山一座

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そうだ、これは……

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 ニコラはリリアムを騎士に推薦した後処理に追われていた。やることが山のようにあり、会わねばならない人が沢山いる。
 真っ先にガーウィン家に顛末を報告に行ったが、リリアムの父ウィリアムは詳細を聞くと頭を抱えて寝込んでしまった。
 屈強な鬼教官であったウィリアムの弱り様から、リリアムが今までどれほどガーウィン家で好き放題振舞ってきたのかの鱗片を知る。
 騎士団に入れるという話までくると、肩をがくがくと揺すられて、
「君の責任でリリアムを騎士にしたのだから、騎士団で面倒見てくれるということだな」
 と、何度も念を押される。リリアムが行ったミアへの不適切な接触に対しては、何でもするから表沙汰にしないでくれと平伏され、気まずい思いをさせられた。

 その他にも国王に報告したり、義父に縁談騒ぎについて説明したりしなければならない。ニコラは、しばらく家には帰れないのだろうなと、覚悟した。

 事件の後、リリアムとのいざこざは国王の耳にも入り、その詳細を咎められることとなった。
 ニコラが思ったよりも国王の口調は穏やかでない。
 特に、リリアムの悪行を伏せるという話になってからは眉間にしわを寄せてニコラを威嚇する。

「ニコラはミアの所属が自分にあると主張したのに、ミアにとって信頼に足る良い家人ではないと見えるね。ウィリアムの娘がハチャメチャやる前にもっとうまくやると思っていたのだけど」

 人払いをしたとたんに、ちくりちくりとニコラの不手際を責め始める。

「誰に聞いても君とミアが恋人同士だとは言わない。そんなんだから、あのじゃじゃ馬が大暴れしたんじゃない?」
「事実、ミアとは恋仲ではありません」
「事実を押し通すことだけが美徳だと思ってる? 恋仲ではないからミアが憂き目にあっても構わないってことかい? 王族の守護の要である近衛がそれじゃねぇ……こりゃ、国王と恋仲ではありませんのでとか言って、私が賊に貞操を奪われるのを見守るつもり?」
「御言葉ですが……」

 発言を許さず、エイドリアンはニコラを半眼で睨む。こういう表情をすると、姪であるタリムにそっくりだ。

「――それに、ミアは騎士棟でかなりの量の仕事をこなしていたと聞くけど、君はミアをメイドとしてこき使っているのかな? 襲われて君に助けを求める事もしないなんて、さては信頼されていないどころか、嫌われてる?」

 実際はあれもこれもとミアが自ら願って仕事を増やしていったのだが、傍目から見ればニコラが普通以上の仕事量をミアに課しているように見える。

 ミアは確かにニコラに助けを求めなかった。ニコラでなくても周りは騎士ばかりだ。ちょっと叫べば誰でも助けに来る。
 信用が、信頼が、ということではない。ミアはきっと、何かいじらしいことを考えて、ぎりぎりまで助けを呼ばずにいたのだ。ミアにそうさせてしまった心の距離を悔いる。ニコラは国王の叱責を自罰的に受け入れた。 

 エイドリアンが感情的にニコラを責めるのには理由がある。それを想うと自分の不甲斐なさが増す。
 エイドリアンは従姉妹であるクリスタニア姫と兄妹のようにして育った。
 陥れられ、政略結婚が決まったクリスタニアは、粛々とそれを受け入れ、誰にも打ち明けずに隣国へ嫁いでいった。クリスタニアはそのまま帰らぬ人となり、エイドリアンは進められていた縁談をすべて断るようになった。
 幼いながら、クリスタニア姫を本気で慕っていたニコラには、エイドリアンの気持ちが痛いほどわかる。
 
 エイドリアンは一目見た時から儚くなった従妹の面影をミアに重ねている。自分の身を犠牲にしてまで助けを呼ばなかったミアに、ただならぬ同情をよせて哀れんでいるのだろう。
 そして如何様にも対策できる立場だったのにしくじったニコラに自分を重ねて苛立っている。

「リリアムのことも済んだし、ニコラが要らぬというのなら、騎士棟ではなくて、こちらに貰うよ。騎士として守ることも出来ぬというのなら、私が花街から身請けしてもかまわないだろ?」

 そう釘を刺され、もやもやとしたままに帰宅したら、ミアに菓子が届いたところだった。
 国王であるエイドリアンが望めば、ニコラからミアを取り上げるくらい容易いのだと言われているようで、ニコラは唇を嚙み締めた。



 ミアは休暇を与えられ、宿直続きのニコラに差し入れを持って来る以外は、家で待機している。
 ニコラが少し苦痛なのは、ミアの書いた礼状を国王に届けなければならない事だ。
 ミアの書く手紙は拙いなりに一生懸命書かれていて、エイドリアンを楽しませた。
 毎回、ニコラが届けに行くと、エイドリアンは目尻を下げて喜ぶ。三度目の手紙を届けに行くと、その隣に義父のリシルもいて、目尻を下げる大人がもう一人増えた。
 エイドリアンは隣にいたリシルに手紙を見せて何やらコソコソ話をしている。コソコソ話す癖に、ニコラに内容が聞こえるくらいの声量だ。ニコラに対する嫌がらせはまだ続くらしい。


「だから、ミアをアディアール家の養女にすればいいだろう? ニコラはモーウェル家に返せばいい。そんな騎士はポイだ、ポイ。リシルも聞いただろう? ウィリアムの娘を追い払えずに騎士団に取り込んだのだよ。まったく、ニコラは女性が絡むとポンコツだ。一生、王子の世話だけさせようか」

 なかなかに大人気ない意地悪が一国の王の口から聞こえてくる。

「まぁ、ミアが望むのでしたら、うちは構いません。妻もミアを気に入っておりますし」
「アディアール家の者となれば私との面会も融通がきくだろう。タリムも呼ぼう。両手に花も悪くない」
「タリム嬢は城に近づきたがりませんから、まず無理でしょうな」
「ロイ君に呼んで貰えばいいじゃない?」
「アレが許すわけないでしょう。うちにも来たがりません」
「なら、やはりこちらから出向くしかないなぁ。ロイ君は私の言うこと、なんでもきいてくれるんだがなぁ」

 悪だくみのために人払いまでして、ニコラにそれを聞かせることでニコラの気力を奪っていく。

「陛下、ミアは私の家人です。私が責任をもって世話を致しますから、陛下の手を煩わせるようなことは致しません」
「リシル、見てごらん、タリムにも気がある癖に、恋人でも愛妾でもない娘にあんなことを言っているよ。どうにも潔くないなぁ」
「陛下のように変に潔癖すぎるのも考えものです」

 エイドリアンは未だに妻を娶っていない。
 後継者争いから真っ先に手を引き、自分の血を引く王位継承者を次代に推す事はないと宣言している。
 そういう高潔さが好まれ、エイドリアンが治めるようになってからは王座のすげ替えは起きていない。
 
 とはいえ、永劫、妻を娶らないと宣言はしても、心の慰めとして愛妾を置くぐらいは許されるだろう。
 ミアにしても、一時でも国王の愛妾として過ごせば、その後、飢えるようなことは二度とない。ニコラのもとにいるよりも良い待遇が保証されている。 
 ミアの幸せを思えば、国王に寵愛されることは大出世であるはずだ。
 ニコラはじりっとした焦りを感じた。自分の欲していたものが両の手から滑り落ちていく、いつもの感覚だ。

(――いつもそうだ)

 初恋だったクリスタニア姫に仕えていたのは義父のリシル・アディアールだった。ニコラは羨望の眼差しでそれを見ながら、手の届かない想いを騎士としての訓練にぶつけた。
 騎士になったというのに、王子ばかりに仕える失意の中、やっと出会えた本当の姫は義理の兄ロイ・アデルアのものだった。その上、うっかり娼婦を囲ってしまったことで、タリムに求婚する資格も失った。
 ニコラの姫への憧れにはいつも障壁がある。

 ミアは娼婦ではあるが、見た目から何から何まで、ニコラの思い描く完璧な姫を演じてくれる。
 仕えるべき主のいないニコラを、これ以上ないほど奮い立たせ、満たしてくれた。
 それがまやかしだと知りつつも、ニコラはまるで主を得たようなミアとの生活に、幸せを感じていた。

 だからこそミアに触れたリリアムが許せない。
 リリアムが易々とミアに触れる様を見て、怒りとともにくっきりと浮かび上がったのは、赤くて黒い自分の欲望だった。
 ミアに触れたい――ニコラは隠しようもないほどリリアムに嫉妬していた。
 
 足取り重く家に帰ってみたら、四度目の菓子箱が届いている。

「もしや陛下は……」

(本気でミアを傍に置くことを企んでいるのではないだろうか?)

 じりじりと何かが胸の奥で燻っている。
 ニコラはこの半年余りで、すっかりミアに心を注いでしまっていた事に気がついた。
 誰がミアに触れることも許せない。
 たとえ相手が国王であっても、ミアが自分以外を頼って生きていくのが辛い。
 菓子箱を押しつぶしそうになるほど、ニコラの理性は揺らいでした。






「ひゃっ、隊長、何ですか、そんな殺気をぶつけないでくださいよ。せっかく騎士になったのに死んじゃいます」

 リリアムは頭を抱えてニコラの斬撃を避ける。

「ミアの恩情によって罪人にならなかっただけのお前が騎士を名乗るのは早すぎる」

 遠慮なくミアに触れたリリアムのことを思い出すと、つい訓練にも私怨がこもる。
 家に帰っても、ミアに頼られなかった落胆と、ミアに触れたい欲が膨れ上がって、うまく話が出来ない。
 そんなだから、仕事を辞めさせられるのだとミアが勘違いして、また不安にさせてしまった。

(それもこれも、もとをただせば、このガーウィンのせいだ。いっそ、事故を装って引退させるというのはどうだろう……)

 騎士らしからぬ不穏なことが頭に浮かぶが、ニコラは持ち前の自制心でまた姿勢を正し訓練を再開する。

 リリアムは、へらっと笑って軽口を叩きながら、高く構えニコラに剣を打ち込む。

「そういえば、隊長とミア嬢って恋人じゃなかったんですねー。やっぱり私と結婚しておきましょうか? 結婚してくれる相手がいないのでしょう?」

 甲高いリリアムの声が神経に障る。腹立ちついでにリリアムの甘い打ち込みを、手が痺れるほどに撥ね退ける。

「真面目にやれ」
「真面目にやってますよ。えー、じゃぁもう少しミアちゃんを頂いておけばよかったな。あの子すっごいいい匂いで、すっごいすべすべだし、すっごい唇も柔らかくて、すっごく最高だっ……ぎぇっ」

 ニコラは容赦なく足払いをかけてリリアムを地面に転がす。

(いい香りなのは私が選んだ香油のせいで、すべすべなのは暇があれば私が手入れするからだし、唇は……ミアが愛する者だけに許される場所だったのに……)

 了見の狭い牽制が口をついて出ないように、転がしたリリアムの剣を訓練所の端まで蹴り飛ばす。

「下品な目でミアを見るな。恋人でなくともその身を守るのが庇護者たる私の務めだ」

 土だらけのリリアムは身軽に起き上がると、近くを歩いていた騎士が持っていた訓練用の剣を奪い、また構える。
 リリアムには天性の剣の素質がある。剣の腕前だけなら父を打ち負かしたというのもうなずける。

「隊長みたいな性的不能者にはわからないと思うんですけど、あの子、途中まで色々しても逃げなかったし、絶対わたしの愛撫にメロメロだったんだと思うんですよね!」
「懲りていないのか……」

 ニコラの目に剣呑な光が灯る。

「惜しかったなぁ。もしかして保護者である隊長の許可を得れば、正式にお付き合いが出来たりします?」

 リリアムは何を思い出してか、手を戦慄わななかせている。
 ニコラはその手の湾曲がミアの乳房の質量を思い出しているのだとすぐに察し、激昂した。

「ガーウィン、そこに直れ!!」



 *



 目が覚めたら、やけに頭がすっきりしている。
 不思議と目覚めの良い朝だった。
 いつも留めづらくて苦戦する騎士服の三番目のボタンも、今日は蝋で磨いたようにつるりと通る。

 ニコラは何かが変わったように感じて階段を降りる。
 この家を買った時には少しくすんで見えたベージュの手すりも、今朝は落ち着いた良い色だ。
 台所にはミアがいて、皿を並べ朝食を盛り、ニコラはお茶を入れてミアにふるまう。
 いつものパンも美味しく感じる、完璧な朝だ。城へ向かうのも今日は苦ではない。

(ミアが可愛くてつらい……)

 ぼんやりと昨日の事を思い出す。
 ニコラが奉仕するだけのつもりだったのに、ミアはニコラの口付けに応えて、快感に身悶えしたのだ。
 贖罪のつもりで、リリアムと同じことをして拒ませ、嫌われようと仕向けたのに、ミアは蜜をこぼしながらニコラに足を絡めて続きを強請った。

(それに、あんな……ミアが私をニコラと呼び捨てるのは、なんと甘美なことだろう)

 ミアに心を曝け出したことが恥ずかしくなり、頬を染める。
 
 ミアが送り出してくれる。
 出がけの抱擁で、襟ぐりから鎖骨の上につけた己の執着の印が見えて、たまらない気持ちになった。
 一箇所ではない。胸も腹もニコラの執着で酷い事になっているはずだ。花街の娼婦にそんなことをしたらたちまち出禁をくらう。

「行ってらっしゃいませ、ニコラ様」

 ミアはつま先立ってニコラに口付ける。
 うまく届かずに、顎のあたりに受け、別に頼んだわけでもないのに、と驚いた。

「……行ってくる」

 この場合どこに口付けを返すのが正解かわからなくなり、ニコラは真剣に悩んだ。
 昨日散々その小さな口を犯しつくしたというのに、今はそこに触れていいかどうかもわからない。
 心臓が喉辺りまで迫り上がってくるような動悸に襲われて、ようやくミアの透き通るような鼻先に小さく唇を押し当てると、そそくさと馬車に乗り込んだ。

 ニコラは一人馬車に乗る。
 馬車が走り出しても、よくわからない動悸はずっと続いている。

(そ、そうだ、これは……きっと恋だ!)

 ニコラは思い至って、走り出した馬車を止め、家に戻って駆け込む。
 急ぎすぎて、ドアに手足をぶつけながら、ミアを探すとキッチンの方からミアがやってくる。

「あら、ニコラ様、忘れ物ですか?」

 掃除を始めたところだったのだろう、濡れたぞうきんを絞った冷えた手を、両手で包み込みぎゅっと握る。

「ミア、好きだ!」

 突然の告白に、ミアは慌てもせずに、心底気の毒そうな顔をした。

「ニコラ様、お気の毒ですが、それは娼婦熱です。すぐに治りますから、お気になさらずお仕事にお出かけください。よくある一時的なものですよ」

「……なんだって?」 

 何を言われたのかよくわからないまま、ミアにぐいぐいと馬車に押し戻されて、馬車の扉を閉められる。
 ミアが御者に何かを伝え、馬車は城へ向かって走り出した。
 ニコラは自分に何が起きたのかわからないまま、城につくまで呆けていた。
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