変態騎士ニコラ・モーウェルと愛され娼婦(仕事はさせてもらえない)

砂山一座

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ティアラとストッキングがまだよ

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 切羽詰まった状態で、ミアは一瞬、自分が娼婦であることなどすっかり忘れてしまっていた。 
 肌を露出した状態でニコラを呼べば、陥落する足掛かりに出来るかも――などということすら考えつかない。 

 ミアは何も持っていない。  
 技術も学も力も身の証を立てるものも、家族も住処もない。 
 ここを追い出されて、娼館にも戻れなかったとしたら、後は血と肉を売るくらいだ。 尤も売れるほどの血肉もない。ニコラに損害を出したとしても、贖うものがなかった。
 ニコラを呼んだときも、ニコラの母に着せられた高価な服を傷つけては大変だと、そればかりだ。

 この家のものは全てがニコラのもので、そこにはミア自身も含まれる。 
 ミアを太らせたのはニコラの用意する食事で、肌を美しく保つ化粧品も、髪の手入れに使う油もすべて主人の物だ。毛の一筋さえニコラの許しなしに傷つける自由は無い。もちろん服だってそうだ。 

 不真面目な仕事で命を落とす者を多く見てきたミアには、地道さが命を繋ぐという哲学が出来上がっていた。 

 孤児たちの中で、盗みがうまい子どもがいた。腹を満たす事が他の者より多かったけれど、盗んだ物を食べている最中に追われて井戸の中に落ちて命を失った。 
 一枚の銅貨で、一本の酒瓶で、一切れのパンで、ひとひらの言葉で……人は対価に見合わないそんなことで死んでいく。 それが恐ろしい。 
 ニコラの母から借り受けた服を傷つけることは、ミアにとって自分の命を脅かすことであった。 

「ニコラ様……」 

 ニコラは困り顔でミアを見下ろしている。 

「こういう服は、一人では脱ぎ着できないものなのだよ、ミア」 

 ニコラはそういうと、引いていいやら押していいやら分からずにいた服をあっさり元の状態に戻した。 

「お呼びして申し訳ありませんでした。その……どうしても服を傷つけたくなくて……」 

 主人を呼びつけて何かさせるなど、本来許されないことだ。 ミアは、恥じ入って下を向く。 
  
「私に任せておけばいい」 

 ニコラは淡々と順にミアの装いを解いていく。  
 ニコラは何をしても器用だ。 決められた手順があるのか、複雑怪奇な衣装に怯む様子がない。 

 緩められたコルセットがストンと落ちて、上半身が生まれたままの姿になる。 
 混乱していたミアは、自分が娼婦としてニコラを惑わさなければならない事など忘れて、ニコラの視線を避け、思わず手で覆って胸を隠す。 

 コルセットの窮屈さと、高価な服の重圧から解放されて、ミアはやっと大きく息を吸うことができた。 
 急拵えの衣装にはミアに合うコルセットが揃わず、浮かないように何枚か柔らかい布をコルセットの下にかませてあったのだが、それが少しきつかったのだ。 

「ニコラ様、このティアラもどうやって外したらいいのか……」 

 これもミアにとっては素手で触るのもはばかられる代物だった。 
 見たこともないような高価なものにミアは恐ろしさしか感じられない。 

(ニコラ様を呼んで正解だった。こんなもの、どこをどう触っていいのかわからないもの) 

 後ろを振り返ると、ニコラが目を見開いて固まっている。 

「ニコラ様?」 

 気がついてみれば、ミアの格好は、下穿きにガーターで吊った繊細なストッキングとティアラだけだ。 
 ミアは、急に自分の仕事を思い出した。 

(……ひょっとして、この格好がお気に召したのかしら?) 
  
 それとなく胸を覆っていた手を解いて、胸を張り頭を高く持ち上げる。 
  
(ケイト様の着替えに居合わせたことがあったけど、ケイト様は裸体を当たり前のようにメイドに預けて世話をさせていたのよね……)  

 アディアール家でのケイトリンの様子を思い出して、より高く頭を吊り上げる。
 ニコラのことをケイトリンに尋ねると、仕事をさせてもらえない事など一言も話していないのに、まるで全てを知っているような口ぶりで、こまごまとした指導までしてくれた。 
 娼館の先輩たちも同情的で、あれやこれやの手管を授けてもらっているのだ。 
 機会を活かさねば。 

(仕事をしないと、私はいつか井戸に落ちて死ぬ――これは、仕事をする絶好の機会かもしれないわ) 

 ミアは、覚悟を決めた。 

「……ニコラ、ティアラとストッキングがまだよ。 夜着に着替えさせてちょうだい」 

 ツンとするのを忘れずにそう言い切ってみたものの、自分の口から出た言葉にのたうち回りそうになる。 

(失敗したら、不敬なんてもんじゃないわ。 コレであってるの? どうなの? ニコラ様は本当に続きをご所望なのかしら?) 

 ニコラの出方を待つ間のなんと長く感じられることだろう。外気に触れて、ミアのまろびでた胸がふるりと震える。 

「――姫様、恐れながら、化粧も落としませんと……しばしお待ちを。全て私にお任せいただけませんか?」 

 ニコラは眉間を揉んで葛藤を見せたが、本日二度目ともなれば理性のたがは緩んでいるとみえ、ついにミアを姫と呼び始めた。  

 そこからニコラは、百年前から決められていたのだと思わせるほど無駄の無い動きをみせた。 
 姫に傅く遊びの続行を決めたニコラは、鼻歌交じりで部屋から部屋を飛び回っている。 
 どこにあったのか、化粧を落とすための香油や、柔らかな海綿まで持ち出してきた。 風呂に熱石を放り込む事も忘れない。 

 準備を整えたニコラはティアラには手をつけずに、ストッキングから脱がしにかかる。 
 目を伏せて恭しく事務的に手を動かすので、変態的作業をしているのにそう思わせないのが不思議だ。 
 下穿きだけを残して薄く破けそうなストッキングを取り去り、流れるような自然さで香油と柔らかな布で薄い化粧を落としていく。 
 ミアはあられもない格好でニコラに身を任せているのを極力意識しないようにして、姫の演技に専念する。 

(姫は恥ずかしがらない! 姫は恥ずかしがらない!) 

 心の中で唱えながら、肌に塗り伸ばした香油で浮かせた化粧をニコラに拭わせるために、椅子に腰掛けて目を閉じる。 

 目を閉じると、ニコラが動きを止めたのがわかる。 
 ティアラだけ纏った上半身を視線が撫でたかと思うと、髪に何本も埋め込まれたピンを外され髪が解かれる。 
 どうやらティアラは外すつもりがないようだ。 

 ミアは、自分の体に自信がない。 
 ふくよかで柔らかい胸部を持つ娼館の先輩達に比べたら、ミアの体は今でもまだ鶏ガラのようなものだ。 
 まな板からは脱したものの、こんなささやかな胸では満足にニコラを寝屋に誘えないだろうと思っている。 

 ニコラのため息がミアの肌にかかり髪が揺れた。 こそばゆく、身震いしそうだ。 

「お美しい……」 

 恍惚とした声で、体を観察されているのがわかる。 

(み、見ないで……) 

 ミアが、目を閉じているのをいいことに、薄い胸や骨が浮く背中を気配がなぞる。 

(……なにこれ?  こんな胸をどれだけご覧になるつもりなの?  変態、変態だと思っていたけど、こんなガリガリを好まれるなんて。ニコラ様は、本当の変態だわ!) 

「ふ、不敬よ、ニコラ!」 

 ミアは思わず、姫の演技として予め読んでいた本にあったのと同じ台詞を口にした。 
 騎士の不埒な行いをたしなめる言い方だったと理解していたが、思った以上に強い語調でミアの口から飛び出た。 

(な、何を言っているの、わたし?!  ニコラ様に向かって! 失敗だわ! 叱られる……) 

 失言に青ざめて目を開くと、そこにいたニコラは、顔を紅潮させチラチラとミアに視線をやったり逸らしたり、もじもじと動いている。 

「申し訳ありません、姫。その……あまりの神々しさに……つい……」 

(ひっ……笑っていらっしゃるの? これが正解だったの?) 
  
 咎められなかったことに安堵したが、それ以上にニコラの様子がおかしい。 
 はぁはぁと息を乱し、時折両手で頭を抱えている。 

(本当に、さっきの言い方で、お悦びになったの?) 

 暫くもぞもぞしていたが、何事もなかったかのように背筋を立て直し、途中だったミアの顔の香油を拭ききる。 

「失礼致しました。 姫、湯浴みの支度が出来ましたからこちらに」 
 
 ニコラはそう言って、ミアを横抱きにして浴室まで来ると、羞恥を感じさせない勢いで下穿きを取り去って浴槽におろす。 

 ミアは、そこから暫く天国のような地獄を味わうことになる。

  


(すごいところまで手入れされたぁ……。 口の中まで指を突っ込まれるとは思わなかったわ) 

 ミアには比較するすべがなかったが、実際ニコラの世話は一流のメイドでも舌を巻くほどだった。 
 娼館の研修でいろいろな場所を触られていたが、ニコラの手入れの範囲は自分でも触れたことのないようなところにまで及んだ。 
 うっかり前回のように性的に反応して濡らしてしまうかもと心配していたが、そんな用心はするだけ無駄であった。 
 ニコラの機械的な動きにうっとりとしているうちに、手入れはミアの爪の間や耳の中にまで及んだ。 
 髪はつやつや、肌の保湿まで抜かりなく、寝巻きに着替えさせられ、歯まで磨かれ布団の中だ。 

「お休みなさいませ。よい夢を」 

 布団をかけられて、冷気が入らないように首元を軽く抑え、上掛けを整える。 

「おやすみなさい、ニコラ」 

 ニコラは遊びを終えて、殊の外満足そうに笑っている。
 ミアは、主人に自分で立つこともままならないほどに翻弄される精神的な負担に耐えた。 
 よかった、少しはお役に立てたようだと安堵して、就寝のあいさつを交わす。 

 それではと、姿勢よく立ち上がったニコラの股間が寝台の真横にきて、ミアの視界にも入る。
 疲労感とともに寝台に沈み込みそうだったミアは、ニコラの下腹部に見慣れない異様な膨らみがあることに気が付いた。
 ニコラのニコラが恐ろしいほどに猛っている。 

「えっ……」 

「いや、これは……」 

 ニコラはミアに気付かれたのを知って、逃げるように踵を返すと一直線にドアの外に出る。 

「待ってください、ニコラ様!」 

 優しくドアの閉まる音とそのあとに金属のこすれる音が聞こえる。 

「あ……」 

 かしゃん、と錠の下りた音がする。 
 外から鍵をかけられた。 
 慌ててミアは、ばね仕掛けのように身を起こした。 

「ちょっ、ちょっと、ニコラ様! 鍵を開けてください!」 

 ドアに駆け寄り、ドアの向こうに消えたニコラに懇願する。 これでは、この間と同じだ。 
  
「ニコラ様、戻ってきてください!  またお一人でなさるつもりですね!  ミアがおりますのに。駄目ですよ! ダメですってば~!」

 それっきり返事もなく、乱暴にニコラの部屋の浴室のドアが閉じられた振動だけがミアの部屋にまで響いた。 
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