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ニコラの騎士道は汚れていた
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ニコラは五日たっても帰ってこなかった。
アディアール家からミアがニコラ宅に戻ってきた後も、まだ城から帰らない。
ミアは勉強をしたり手芸をしたりして過ごしていたが、手持ち無沙汰でニコラの部屋の掃除をすることにした。
掃除をする通いのメイドは、ニコラの自室の掃除はしない。
ニコラの部屋は良く整理されており、掃除をするような場所は見当たらない。
メイドが洗濯した服は皺一つなく美しく畳まれ、新しいシーツと一緒に置いてある。
ミアは、それを持ってニコラの部屋に向かった。
寝台の整え方なら花街の研修で習ったので自信がある。
寝台を整えたついでに洗濯物もしまっておこうと、ワードローブを開けてみる。
ニコラのワードローブは、煌びやかな彫刻や塗装がされていない代わりに、美しい落ち着いた色の木材でできている。無駄な隙間もなく、艶よく丁寧に作り込まれた逸品だ。
ミアにはそれがどれほどの価値なのかわからなかったが、自分が爪を伸ばすような高い娼婦でなくてよかったな、と思った。
どんなものでも、ニコラの家の中のものをうっかり傷つけてしまうのは嫌だった。
丁寧に真鍮の取っ手を引いてワードローブを開く。
下着やシャツを納められている引き出しに、他の衣類に倣って並べたが、ベルトを納める場所が見つからない。端から順番に開けて探さなければならないようだ。
一番左の観音開きの取っ手を引いた時だ、微かな蝶番の音と共に扉の中から色彩が漏れ出た。
見れば、ワードローブの背板に何枚も絵が飾られている。
どれも騎士と姫をモチーフに描かれたものだ。絵本の挿絵のようなものもある。
後付けの棚には何冊もの本が並ぶ。
清楚な姫と屈強な騎士の物語、騎士と姫の御伽噺、竜から姫を助け出す話――。
姫、姫、姫、姫、姫ばかりだ。
ミアはニコラのとんでもない秘密を覗いてしまったと思った。
(ニコラ様の騎士道は、これで大丈夫なのかしら?)
ミアは、そっと秘密の扉を閉め、花街の先輩たちに手紙を書く事にした。
✳︎
「ミア、これはいったい……」
ミアは、絵本の姫のような淡い色のドレスを着せられ、清楚さを際立たせるような薄化粧でニコラを出迎えた。
「ニコラ様が、姫と騎士の遊びがお好きだと聞きましましたので、色々と準備しておりました。 ですが、なにぶん卑しい出自の私や、娼館の仲間では想像が及ばす……ケイト様にお聞きしたら、このようなドレスまで……」
無機質で妖精のように見えた初対面の頃とは違い、薄く肉付いてきた体からは色香が漂っている。傅きたくなるほどの出来栄えだ。
「母上の仕業か……」
固く握った手を口元に当て、隅から隅までミアを検分する。
「……あの、お嫌でしたか?」
(――だめだ。完璧だ!)
ニコラは湧き上がる劣情を抑えるために頭を強く振った。
「確かに、あの頃、私はそういった遊びに興じていた。 それは事実であるし、世話になった娼館の者には感謝している――が、しかし、私が求めている姫とはそういうものではなかったのだ」
ニコラが欲しいのは、誰にでも傅かれるのを良しとする姫ではない。
たった一人、ニコラだけを騎士として侍らせてくれる姫、そんな妄想をこじらせて今まで生きてきた。
「私は妄想の姫に傅きたいのではない。私がお仕えする姫はそのような……」
ニコラは自分の口から出ている事が、単なる理想である事に気が付いて口を閉じた。
ニコラの欲した仕えるべき姫は、別の騎士のものだった。そこに割って入れる気概はもうない。
「……出過ぎた真似をいたしました。あの、着替えて参ります」
黙ってしまったニコラに、ミアはなす術もなく、退室しようとする。
「いや、待て。ちょっと待つんだ、ミア」
ニコラは思わずミアを呼び止めた。
「え?」
「別に着替える必要はない」
「でも、わたし、ニコラ様の騎士道を汚してしまいました」
「……そうではない」
ニコラは己の誘惑に弱い性質を恥じた。
恥じたは恥じたが、目の前の完璧な姫との邂逅をふいにするのが惜しかった。
剣を振りまわし、城に近づくのも嫌がる本物の姫は、世界がひっくり返ってもこの様な装いはしないだろうし、絶対に自分のものにはならない。
ミアはニコラが買い取った娼婦だ。この状態のミアを眺めて尊ぶことが誰かの迷惑になるという事はない。
元より、ニコラの騎士道は汚れていた。
アディアール家からミアがニコラ宅に戻ってきた後も、まだ城から帰らない。
ミアは勉強をしたり手芸をしたりして過ごしていたが、手持ち無沙汰でニコラの部屋の掃除をすることにした。
掃除をする通いのメイドは、ニコラの自室の掃除はしない。
ニコラの部屋は良く整理されており、掃除をするような場所は見当たらない。
メイドが洗濯した服は皺一つなく美しく畳まれ、新しいシーツと一緒に置いてある。
ミアは、それを持ってニコラの部屋に向かった。
寝台の整え方なら花街の研修で習ったので自信がある。
寝台を整えたついでに洗濯物もしまっておこうと、ワードローブを開けてみる。
ニコラのワードローブは、煌びやかな彫刻や塗装がされていない代わりに、美しい落ち着いた色の木材でできている。無駄な隙間もなく、艶よく丁寧に作り込まれた逸品だ。
ミアにはそれがどれほどの価値なのかわからなかったが、自分が爪を伸ばすような高い娼婦でなくてよかったな、と思った。
どんなものでも、ニコラの家の中のものをうっかり傷つけてしまうのは嫌だった。
丁寧に真鍮の取っ手を引いてワードローブを開く。
下着やシャツを納められている引き出しに、他の衣類に倣って並べたが、ベルトを納める場所が見つからない。端から順番に開けて探さなければならないようだ。
一番左の観音開きの取っ手を引いた時だ、微かな蝶番の音と共に扉の中から色彩が漏れ出た。
見れば、ワードローブの背板に何枚も絵が飾られている。
どれも騎士と姫をモチーフに描かれたものだ。絵本の挿絵のようなものもある。
後付けの棚には何冊もの本が並ぶ。
清楚な姫と屈強な騎士の物語、騎士と姫の御伽噺、竜から姫を助け出す話――。
姫、姫、姫、姫、姫ばかりだ。
ミアはニコラのとんでもない秘密を覗いてしまったと思った。
(ニコラ様の騎士道は、これで大丈夫なのかしら?)
ミアは、そっと秘密の扉を閉め、花街の先輩たちに手紙を書く事にした。
✳︎
「ミア、これはいったい……」
ミアは、絵本の姫のような淡い色のドレスを着せられ、清楚さを際立たせるような薄化粧でニコラを出迎えた。
「ニコラ様が、姫と騎士の遊びがお好きだと聞きましましたので、色々と準備しておりました。 ですが、なにぶん卑しい出自の私や、娼館の仲間では想像が及ばす……ケイト様にお聞きしたら、このようなドレスまで……」
無機質で妖精のように見えた初対面の頃とは違い、薄く肉付いてきた体からは色香が漂っている。傅きたくなるほどの出来栄えだ。
「母上の仕業か……」
固く握った手を口元に当て、隅から隅までミアを検分する。
「……あの、お嫌でしたか?」
(――だめだ。完璧だ!)
ニコラは湧き上がる劣情を抑えるために頭を強く振った。
「確かに、あの頃、私はそういった遊びに興じていた。 それは事実であるし、世話になった娼館の者には感謝している――が、しかし、私が求めている姫とはそういうものではなかったのだ」
ニコラが欲しいのは、誰にでも傅かれるのを良しとする姫ではない。
たった一人、ニコラだけを騎士として侍らせてくれる姫、そんな妄想をこじらせて今まで生きてきた。
「私は妄想の姫に傅きたいのではない。私がお仕えする姫はそのような……」
ニコラは自分の口から出ている事が、単なる理想である事に気が付いて口を閉じた。
ニコラの欲した仕えるべき姫は、別の騎士のものだった。そこに割って入れる気概はもうない。
「……出過ぎた真似をいたしました。あの、着替えて参ります」
黙ってしまったニコラに、ミアはなす術もなく、退室しようとする。
「いや、待て。ちょっと待つんだ、ミア」
ニコラは思わずミアを呼び止めた。
「え?」
「別に着替える必要はない」
「でも、わたし、ニコラ様の騎士道を汚してしまいました」
「……そうではない」
ニコラは己の誘惑に弱い性質を恥じた。
恥じたは恥じたが、目の前の完璧な姫との邂逅をふいにするのが惜しかった。
剣を振りまわし、城に近づくのも嫌がる本物の姫は、世界がひっくり返ってもこの様な装いはしないだろうし、絶対に自分のものにはならない。
ミアはニコラが買い取った娼婦だ。この状態のミアを眺めて尊ぶことが誰かの迷惑になるという事はない。
元より、ニコラの騎士道は汚れていた。
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