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わたしは娼婦なのです
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ニコラの提案が、その場を切り抜ける為の適当な言い訳であることなどすぐにわかった。ミアはニコラに雇われているとはいえ、花街に属する娼婦だ。一人で外を自由に歩き回る自由はない。
「ニコラ様の目の届かないところで仕事をするとなると、花街以外にありますか? 昼間の仕事とおっしゃいますが、誰がわたしに付き添うのです? ニコラ様がお城にいる間に、わたしをご実家に預けるのとは違うのですから」
「そ、そうなのか? ではやはり、却下だな。花街で仕事なんて、そんなのは駄目だ」
ニコラは首を振る。ニコラはいつもこうだ。ミアを宝物のように箱に入れて大事にしまっておきたいようなのだ。
「お忘れかもしれませんが、私は娼婦なのです」
ニコラは、ミアが自分は娼婦だと主張しても、いっこうにその事実を認めようとしない。ミアの言い分とニコラの言い分は、噛み合ったためしがなかった。
「いや、花街はいかんだろう。不特定多数の男がミアに触れるということだぞ!」
ニコラの焦りは本物のように見える。
外聞がどうとかではなく、本当にミアを外に出したくないのだろう。
「……それは、そうですけど、それが花街の仕事です」
「そんなことを言わないでくれ」
(ニコラ様には伝わらないのかな。ニコラ様の中のミアと、このわたしって別人みたい……)
ミアの中で不安がふくれあがる。
ニコラはぶつぶつと何かを考えているようだが、ミアの主張を受け入れる方向には向かっていないようだった。
「駄目だ。私が耐えられないんだ」
ニコラが難しい顔で頭を振る。
不条理な事ばかり言うニコラに辟易しながら、しばらく考えてミアは、打開策を思いついた。
「まってください、条件によってはギルドなら、あるいは……」
ギルドにはミアの後見人がいる。
(彼ならもしかしたらわたしの働ける場所を提供してくれるかもしれない――)
ニコラが仕えるドルカトル王国は、国の支配よりもギルドの力の強い珍しい国だ。
今や、王族や貴族に残るのは血統の高貴さのみで、実質的な力は無く、国防すらギルドが担っている有様だ。王族を守る騎士も単なる名誉職にすぎず、ニコラのように騎士道を突き進む騎士は珍しい。
ミアが所属する花街の管理もギルドの裁量によるものが多く、娼婦が花街の外に出るときは花街かギルドの警護をつけるのが一般的だ。
一人で自由に外に行くことが出来ないのは窮屈そうに見えるが、厳しい制限を付けることで、花街は中で働く娼婦たちを守っているのだ。
ギルドには、ニコラの家で愛妾として働くミアの状況を、花街に報告する役目の職員がいる。それがニコラの義理の兄、ロイ・アデルアだ。
ミアはロイがギルドの中でも発言力がある人物なのだろうと思っている。花街を統括する管理者と名前で呼び合ったり、正式には告げられていないが騎士の名家、アディアール家の子息であるらしいことからの推測だ。
ロイ・アデルアの働くギルドでなら日銭を稼げるのではと、思い付きを口にしてみた。
「いや、ギルドは適当ではないだろう」
ニコラは、厳しい顔でミアの提案を即座に退けた。
(姫にわたしを近づけたくないということかしら?)
ミアは咄嗟にニコラの心酔する「姫」タリムの顔が浮かんだ。
亡き王女の高貴な血を引いていながら、剣を振るい、王女として生きることを選ばないタリムを、ニコラは敬愛している。
(真面目なニコラ様のことだから、愛妾を囲っているような男は姫の求婚者としてふさわしくないとか思ってそうだもの……)
ミアは、こっそりため息をついた。
「ギルドに君を預ける気はない」
拗らせた姫への愛をニコラの頭から叩き出せたらどれほど痛快だろう。
ミアは、今まで半年分溜め込んだ鬱憤の風船が、今まさに爆発しそうなのを感じていた。
「……それはニコラ様の姫が、ギルドにいらっしゃるからですか?」
思ってはいたが、核心を突くような疑問を、言葉に出してみたのは初めてだった。
「ち、違う」
今夜のミアは、その話題から逃げたいニコラの意向を酌んで、話を逸らしたりしない。
「ではロイさんですか?」
「……」
ニコラは分かりやすく、ロイの名を聞いて萎れた。
くだらないことで萎れていても、愁いを帯びた姿勢と表情は麗しく、多くの女性を虜にするだろう。
ミアは万民が賞賛するその姿を見ても、もはや「仕方のない人だな」としか思えなくなっていた。ときめく気配すらない。
「ニコラ様がロイさんに劣るのは、剣の腕前くらいです。ニコラ様の方が誠実そうに見えますし、お器用です。意識しすぎではありませんか?」
(騎士のプライドというやつかしら? そんなものではお腹は膨れないのに……)
ミアは絵に描いた餅は紙で、紙は食べられなくもないが、栄養にはならないし、腹を下すのだとよくわかっていた。
「国王陛下から頻繁に直接お声をかけて頂いたり、若いお嬢様方から毎夜誘われたり、お若いのに騎士団を率いていたり……使用人の誰に聞いても、ニコラ様の素晴らしさしか申しませんよ」
誠実そうに見えるが、見えるだけだとか、器用だけど器用すぎて気持ち悪いとか、女性に誘われても断って帰ることに疑惑を持たれているのでは? などという心の声は今日もそっと胸にしまっておく。ミアがもいくら持ち上げても、ニコラの表情は晴れない。
「……あ、貯蓄ですか?」
びくりと震えたニコラをみて、ミアは図星をさしてしまったことを悔いた。
ニコラが払ったミアの年季代の半分は、義理の兄であるロイからの借金だった。
「ニコラ様の目の届かないところで仕事をするとなると、花街以外にありますか? 昼間の仕事とおっしゃいますが、誰がわたしに付き添うのです? ニコラ様がお城にいる間に、わたしをご実家に預けるのとは違うのですから」
「そ、そうなのか? ではやはり、却下だな。花街で仕事なんて、そんなのは駄目だ」
ニコラは首を振る。ニコラはいつもこうだ。ミアを宝物のように箱に入れて大事にしまっておきたいようなのだ。
「お忘れかもしれませんが、私は娼婦なのです」
ニコラは、ミアが自分は娼婦だと主張しても、いっこうにその事実を認めようとしない。ミアの言い分とニコラの言い分は、噛み合ったためしがなかった。
「いや、花街はいかんだろう。不特定多数の男がミアに触れるということだぞ!」
ニコラの焦りは本物のように見える。
外聞がどうとかではなく、本当にミアを外に出したくないのだろう。
「……それは、そうですけど、それが花街の仕事です」
「そんなことを言わないでくれ」
(ニコラ様には伝わらないのかな。ニコラ様の中のミアと、このわたしって別人みたい……)
ミアの中で不安がふくれあがる。
ニコラはぶつぶつと何かを考えているようだが、ミアの主張を受け入れる方向には向かっていないようだった。
「駄目だ。私が耐えられないんだ」
ニコラが難しい顔で頭を振る。
不条理な事ばかり言うニコラに辟易しながら、しばらく考えてミアは、打開策を思いついた。
「まってください、条件によってはギルドなら、あるいは……」
ギルドにはミアの後見人がいる。
(彼ならもしかしたらわたしの働ける場所を提供してくれるかもしれない――)
ニコラが仕えるドルカトル王国は、国の支配よりもギルドの力の強い珍しい国だ。
今や、王族や貴族に残るのは血統の高貴さのみで、実質的な力は無く、国防すらギルドが担っている有様だ。王族を守る騎士も単なる名誉職にすぎず、ニコラのように騎士道を突き進む騎士は珍しい。
ミアが所属する花街の管理もギルドの裁量によるものが多く、娼婦が花街の外に出るときは花街かギルドの警護をつけるのが一般的だ。
一人で自由に外に行くことが出来ないのは窮屈そうに見えるが、厳しい制限を付けることで、花街は中で働く娼婦たちを守っているのだ。
ギルドには、ニコラの家で愛妾として働くミアの状況を、花街に報告する役目の職員がいる。それがニコラの義理の兄、ロイ・アデルアだ。
ミアはロイがギルドの中でも発言力がある人物なのだろうと思っている。花街を統括する管理者と名前で呼び合ったり、正式には告げられていないが騎士の名家、アディアール家の子息であるらしいことからの推測だ。
ロイ・アデルアの働くギルドでなら日銭を稼げるのではと、思い付きを口にしてみた。
「いや、ギルドは適当ではないだろう」
ニコラは、厳しい顔でミアの提案を即座に退けた。
(姫にわたしを近づけたくないということかしら?)
ミアは咄嗟にニコラの心酔する「姫」タリムの顔が浮かんだ。
亡き王女の高貴な血を引いていながら、剣を振るい、王女として生きることを選ばないタリムを、ニコラは敬愛している。
(真面目なニコラ様のことだから、愛妾を囲っているような男は姫の求婚者としてふさわしくないとか思ってそうだもの……)
ミアは、こっそりため息をついた。
「ギルドに君を預ける気はない」
拗らせた姫への愛をニコラの頭から叩き出せたらどれほど痛快だろう。
ミアは、今まで半年分溜め込んだ鬱憤の風船が、今まさに爆発しそうなのを感じていた。
「……それはニコラ様の姫が、ギルドにいらっしゃるからですか?」
思ってはいたが、核心を突くような疑問を、言葉に出してみたのは初めてだった。
「ち、違う」
今夜のミアは、その話題から逃げたいニコラの意向を酌んで、話を逸らしたりしない。
「ではロイさんですか?」
「……」
ニコラは分かりやすく、ロイの名を聞いて萎れた。
くだらないことで萎れていても、愁いを帯びた姿勢と表情は麗しく、多くの女性を虜にするだろう。
ミアは万民が賞賛するその姿を見ても、もはや「仕方のない人だな」としか思えなくなっていた。ときめく気配すらない。
「ニコラ様がロイさんに劣るのは、剣の腕前くらいです。ニコラ様の方が誠実そうに見えますし、お器用です。意識しすぎではありませんか?」
(騎士のプライドというやつかしら? そんなものではお腹は膨れないのに……)
ミアは絵に描いた餅は紙で、紙は食べられなくもないが、栄養にはならないし、腹を下すのだとよくわかっていた。
「国王陛下から頻繁に直接お声をかけて頂いたり、若いお嬢様方から毎夜誘われたり、お若いのに騎士団を率いていたり……使用人の誰に聞いても、ニコラ様の素晴らしさしか申しませんよ」
誠実そうに見えるが、見えるだけだとか、器用だけど器用すぎて気持ち悪いとか、女性に誘われても断って帰ることに疑惑を持たれているのでは? などという心の声は今日もそっと胸にしまっておく。ミアがもいくら持ち上げても、ニコラの表情は晴れない。
「……あ、貯蓄ですか?」
びくりと震えたニコラをみて、ミアは図星をさしてしまったことを悔いた。
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