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マーキングにご注意
しおりを挟む朝起きて、恐る恐る書斎を覗けば、猫の獣人は消えていた。
食べ物も果物以外はきれいに完食してあった。
(出て行ったのか……)
ほっとして開いたままの窓から外を見ると、真っ黒な毛の背の「長い」男が、ズボンの前を寛がせて、私の育てている花壇に水を遣ろうとしている。
――いや、待て。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 何してくれてんのよ!!」
私の声は、ほとんど悲鳴だ。
「え? なにってナニしてんだけど」
完全に私に見せつけるような手つきで陰部をゆっくりと露出させ、扱くようにして花壇の端に放尿する。
「立ちションて言え!! そして、会話にエロを入れるな!」
私とがっちりと目を合わせたまま、放尿を続ける。
恍惚とした表情が変態性を際立たせる。
「立ちションじゃないよ、マーキングだし」
いや、立ちションだ。
「玄関先に尿をかけるのは立派な犯罪です!」
ガミガミと叱りつける。
こんな時、犬だったら尻尾を巻いてクーンとかいうだろう。
だが猫はこうだ。
「だって、犬とか入ってきたら嫌じゃんか」
言いながらブンと亀頭の先をこちらに向けるな。
「猫の本能を否定するのは獣人愛護の精神に反しない? ねえ、ご主人?」
「ご主人じゃない! 今すぐ敷地内から出て行って」
門の外を指差すと、ゆっくりと目を逸らす。
「無理、ここはもう俺のテリトリーでーす。俺、本能に従っているだけなんで」
「本能でここで用をたすっていうの?」
「そう。本能だから諦めて」
まだ陰茎をぶらぶらさせている。
「……去勢、去勢してやる!!」
思わず手元にあった本を投げつけたが、猫獣人には届かなかった。
仕方なくサンダルをつっかけて、害獣を追い出しにかかる。
「ひゃぁぁ!」
出したことのないような悲鳴が出る。
花壇に近づくと、被害はもっと大きかったことが分かった。
花壇の端に立てておいたポールも濡れてる……。
明らかに高い位置を狙ってヤッている。
「バカ猫、バカ猫!」
洗い流した。洗い流しまくった。
すぐにでも水回りの魔法道具を買わなければ!
洗濯の為じゃない、猫に水をかけて追い払う為だ。
「あー、いけないんだ、そんなこと言ってー。獣人愛護法違反で通報案件ですよー」
猫の獣人はやっと陰部をしまって、一つ伸びをする。
「はぁ? 通報……なんでよ。私が被害者でしょ」
通報という言葉に怯む。
一軒家に引っ越してきてから、ご近所付き合いは大事だと痛感している。
近所に通報されるようなことをしたら、割と痛手だ。悪事千里を走るだし。
「拾った獣人は飼うか、里親をみつけなければならないのをご存じないと?」
猫獣人は目を糸のように細めて笑った。
獣人は飼い主やテリトリーに執着が強い。だから、拾って飼わなかった時のトラブルが尋常ではないのだ。
拾った獣人を飼わないと、社会に迷惑をかける。
飼い主に執着するタイプだと、飼い主に近づいた人が嫉妬で噛まれたりする。テリトリーに執着するタイプだと、この状態だ。
無理に追い出そうとするとマーキングされる。
縄張りの範囲が広がれば、近所迷惑になるのは目に見えている。
「拾ったんじゃないわよ、怪我してるって言うから一時的に保護してあげただけじゃない!
窓も開けといたから勝手に出て行ってってことよ」
「そうかなぁ? あんなに丁寧にグルーミングされて、ごはんを貰ったら、俺を家族にするんだな、と思うでしょうが」
縦に長い男が口を尖らしても可愛くなんかない。
「思わないわよ! ってか、あんた、昨日は寝たふりしてたの? すっごく重かったんだから!」
猫は目を細めて、ニヤリと笑う。
「ご主人に撫でられて、いい気分になっちゃって、起きるの億劫になっちゃってさ~」
私は愕然とする。あのグルグルはそういう意味だったのか。
「熱があったんじゃないの?」
「ご主人、猫の獣人がヒトより体温が高いのを知ってる?」
「んがぁっ!! じゃあ、怪我って擦り傷だけ? あああぁ、なんなのよ、放置しとけばよかった……」
私が頭を抱えるのを横目で見ながら、日の当たるガーデンセットの椅子に膝を抱えるようにして座り込み、尻尾をくるりと体に巻きつけて、動くつもりがないのを主張している。
「家も日当たりいいし、ご飯も貰ったし、イヤらしく撫でてくれるご主人のことも気に入ったので、俺は今日から飼い猫になります!」
右手をグーのまま太陽に掲げ、高らかに宣言する。
「ちょっと、ここは私の家なのよ。私に選択権はないわけ? 勝手にテリトリーにしないでちょうだい」
これでは猫に家を乗っ取られかねない。
「でもなー、俺、家の周りはあらかたマーキングしちゃったから、手遅れですな」
――マーキング。
最悪なことに、さっきの、恍惚の表情で陰部を持ち上げる様子がちらつく。
「あああぁ、どこでやらかしたのよ!?」
私は泣く泣く、応急処置として家の周りに柄杓で水をかけて回った。全然気休めにしかならなかった。最悪だ。
「というわけで、家に入れて」
「無理」
毅然とした態度で接しないと、本当にこの獣人に家を乗っ取られる。
「俺、清潔だよ。ノミも病気もないよ」
「無理」
急いで家の中に戻り、無言で窓を閉め、ドアの鍵もしっかりかける。
(お願いだから、そのまま何処かに行ってくれ)
願いも虚しく、ドアから不穏な引っ掻き音が聞こえてくる。
カリカリカリ
カリカリカリ
「にゃおーん。にゃおーん」
我慢我慢。哀れっぽくしたって絆されちゃダメだ。
カリカリカリ
カリカリカリ
「にゃおーん。あけてー」
開けない! 絶対開けない!
カリカリカリ
カリカリカリ
「ごしゅじーん。あけてよー」
ご主人じゃないし。近所迷惑だなー。
カリカリカリ
カリカリカリ
「かいねこのおれ、かえってきたよー」
飼ってないし! もう早くどっか行ってー
カリカリカリ
カリカリカリ
「……」
暫くすると諦めたのか外が静かになる。
「ちっ……花壇をトイレにするしかないか」
ドアに耳をつけて外をうかがっていると、ぶりっこをやめて地声に戻った猫獣人の凶悪なセリフが聞こえる。
慌ててドアを開ければ、花壇の方を向いて立つ猫獣人。
「ひっ……ざっけんなっ!!」
またもや前を寛がせようとしていた猫獣人の首根っこを掴んで、慌てて家に引き摺り込んだ。
「あー、爪が研ぎやすいドアだったなー」
爪から木屑を落としている。
木屑には赤い塗料がついている。
「ああっ! ドア、私のドアに傷が、傷がぁーー!」
ドアはいく筋も引っ掻き傷をつけられてしまっていた。
「爪は切ってあるからそんなに削れてないけど?」
こんなの、ひどい。
ドア、綺麗な彫刻が入っていて気に入ってたのに。
ガックリと肩を落とす。
いろいろな気力がごっそりと削れた。
「……もう、わかったわよ」
これは一筋縄ではいかないということがわかった。
「里親を見つけるから、それまではうちにいていいわ」
獣人ヤバい。
これ以上被害を被らない為に、好きなようにさせる他ないなんて。
「やった!」
黒猫は表情豊かに尻尾をピンと立てる。
「次の宿が見つかったら、とっとと出て行ってよね」
「はいはーい」
猫は油断して空返事をしているが、私は本気で追い出す! 追い出して見せる!
「庭にマーキングは絶対禁止! 出来ないなら去勢よ」
庭を指さして宣言したが、獣人は庭ではなくて私の指を見つめる。
ネコらしいそのしぐさが腹立たしくて、別の方向に指を向ければ、指先に吸いつけられるように指先を追って首を動かす。
「聞いてるの?」
イライラして問いただせば、少し縦に長い瞳孔が膨らんでいる。
こんな状況なのに、思い出したかのように手の甲を舐めて、ツンとそっぽを向く。
「別に、家の中をテリトリーにするなら、外はそんなに主張しなくてもいいし、もうやらないよ」
「じゃぁ、さっきはなぜやった!?」
頬をつねりあげれば、思った以上に皮膚が柔軟に伸びる。
「なぜって、ご主人に俺が本気だと見せつけようかと思ってさ」
「見せつけたのはナニだったじゃない!」
セクハラが効いたことが嬉しいのか、猫獣人は悪い笑顔を浮かべた。
にやつきながら口の端を引き上げると、尖った犬歯が見える。
「ナニも本気だよ! ご主人、よろしくね!」
猫獣人はゴロゴロと私に身を摺り寄せて尻尾を絡めた。
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