犬より猫が好きな理由

砂山一座

文字の大きさ
上 下
3 / 10

マーキングにご注意

しおりを挟む

 朝起きて、恐る恐る書斎を覗けば、猫の獣人は消えていた。
 食べ物も果物以外はきれいに完食してあった。
(出て行ったのか……)
 ほっとして開いたままの窓から外を見ると、真っ黒な毛の背の「長い」男が、ズボンの前を寛がせて、私の育てている花壇に水を遣ろうとしている。

 ――いや、待て。

「ちょ、ちょっと待ちなさい! 何してくれてんのよ!!」
 私の声は、ほとんど悲鳴だ。
「え? なにってナニしてんだけど」
 完全に私に見せつけるような手つきで陰部をゆっくりと露出させ、扱くようにして花壇の端に放尿する。

「立ちションて言え!! そして、会話にエロを入れるな!」
 私とがっちりと目を合わせたまま、放尿を続ける。
 恍惚とした表情が変態性を際立たせる。
「立ちションじゃないよ、マーキングだし」
 いや、立ちションだ。
「玄関先に尿をかけるのは立派な犯罪です!」
 ガミガミと叱りつける。
 こんな時、犬だったら尻尾を巻いてクーンとかいうだろう。
 だが猫はこうだ。
「だって、犬とか入ってきたら嫌じゃんか」
 言いながらブンと亀頭の先をこちらに向けるな。
「猫の本能を否定するのは獣人愛護の精神に反しない? ねえ、ご主人?」
「ご主人じゃない! 今すぐ敷地内から出て行って」
 門の外を指差すと、ゆっくりと目を逸らす。
「無理、ここはもう俺のテリトリーでーす。俺、本能に従っているだけなんで」
「本能でここで用をたすっていうの?」
「そう。本能だから諦めて」
 まだ陰茎をぶらぶらさせている。
「……去勢、去勢してやる!!」
 思わず手元にあった本を投げつけたが、猫獣人には届かなかった。
 仕方なくサンダルをつっかけて、害獣を追い出しにかかる。

「ひゃぁぁ!」
 出したことのないような悲鳴が出る。
 花壇に近づくと、被害はもっと大きかったことが分かった。
 花壇の端に立てておいたポールも濡れてる……。
 明らかに高い位置を狙ってヤッている。
「バカ猫、バカ猫!」
 洗い流した。洗い流しまくった。
 すぐにでも水回りの魔法道具を買わなければ!
 洗濯の為じゃない、猫に水をかけて追い払う為だ。

「あー、いけないんだ、そんなこと言ってー。獣人愛護法違反で通報案件ですよー」
 猫の獣人はやっと陰部をしまって、一つ伸びをする。
「はぁ? 通報……なんでよ。私が被害者でしょ」
 通報という言葉に怯む。
 一軒家に引っ越してきてから、ご近所付き合いは大事だと痛感している。
 近所に通報されるようなことをしたら、割と痛手だ。悪事千里を走るだし。
「拾った獣人は飼うか、里親をみつけなければならないのをご存じないと?」
 猫獣人は目を糸のように細めて笑った。

 獣人は飼い主やテリトリーに執着が強い。だから、拾って飼わなかった時のトラブルが尋常ではないのだ。
 拾った獣人を飼わないと、社会に迷惑をかける。
 飼い主に執着するタイプだと、飼い主に近づいた人が嫉妬で噛まれたりする。テリトリーに執着するタイプだと、この状態だ。
 無理に追い出そうとするとマーキングされる。
 縄張りの範囲が広がれば、近所迷惑になるのは目に見えている。

「拾ったんじゃないわよ、怪我してるって言うから一時的に保護してあげただけじゃない! 
 窓も開けといたから勝手に出て行ってってことよ」
「そうかなぁ? あんなに丁寧にグルーミングされて、ごはんを貰ったら、俺を家族にするんだな、と思うでしょうが」
 縦に長い男が口を尖らしても可愛くなんかない。
「思わないわよ! ってか、あんた、昨日は寝たふりしてたの? すっごく重かったんだから!」
 猫は目を細めて、ニヤリと笑う。
「ご主人に撫でられて、いい気分になっちゃって、起きるの億劫になっちゃってさ~」
 私は愕然とする。あのグルグルはそういう意味だったのか。
「熱があったんじゃないの?」
「ご主人、猫の獣人がヒトより体温が高いのを知ってる?」
「んがぁっ!! じゃあ、怪我って擦り傷だけ? あああぁ、なんなのよ、放置しとけばよかった……」
 私が頭を抱えるのを横目で見ながら、日の当たるガーデンセットの椅子に膝を抱えるようにして座り込み、尻尾をくるりと体に巻きつけて、動くつもりがないのを主張している。

「家も日当たりいいし、ご飯も貰ったし、イヤらしく撫でてくれるご主人のことも気に入ったので、俺は今日から飼い猫になります!」
 右手をグーのまま太陽に掲げ、高らかに宣言する。
「ちょっと、ここは私の家なのよ。私に選択権はないわけ? 勝手にテリトリーにしないでちょうだい」
 これでは猫に家を乗っ取られかねない。
「でもなー、俺、家の周りはあらかたマーキングしちゃったから、手遅れですな」
 ――マーキング。
 最悪なことに、さっきの、恍惚の表情で陰部を持ち上げる様子がちらつく。
「あああぁ、どこでやらかしたのよ!?」

 私は泣く泣く、応急処置として家の周りに柄杓で水をかけて回った。全然気休めにしかならなかった。最悪だ。

「というわけで、家に入れて」
「無理」
 毅然とした態度で接しないと、本当にこの獣人に家を乗っ取られる。
「俺、清潔だよ。ノミも病気もないよ」
「無理」
 急いで家の中に戻り、無言で窓を閉め、ドアの鍵もしっかりかける。
 (お願いだから、そのまま何処かに行ってくれ)
 願いも虚しく、ドアから不穏な引っ掻き音が聞こえてくる。

 カリカリカリ
 カリカリカリ
「にゃおーん。にゃおーん」

 我慢我慢。哀れっぽくしたって絆されちゃダメだ。


 カリカリカリ
 カリカリカリ
「にゃおーん。あけてー」

 開けない! 絶対開けない!


 カリカリカリ
 カリカリカリ
「ごしゅじーん。あけてよー」

 ご主人じゃないし。近所迷惑だなー。

 カリカリカリ
 カリカリカリ
「かいねこのおれ、かえってきたよー」

 飼ってないし! もう早くどっか行ってー

 カリカリカリ
 カリカリカリ

「……」
 暫くすると諦めたのか外が静かになる。
「ちっ……花壇をトイレにするしかないか」
 ドアに耳をつけて外をうかがっていると、ぶりっこをやめて地声に戻った猫獣人の凶悪なセリフが聞こえる。
 慌ててドアを開ければ、花壇の方を向いて立つ猫獣人。

「ひっ……ざっけんなっ!!」
 またもや前を寛がせようとしていた猫獣人の首根っこを掴んで、慌てて家に引き摺り込んだ。
「あー、爪が研ぎやすいドアだったなー」
 爪から木屑を落としている。
 木屑には赤い塗料がついている。
「ああっ! ドア、私のドアに傷が、傷がぁーー!」
 ドアはいく筋も引っ掻き傷をつけられてしまっていた。
「爪は切ってあるからそんなに削れてないけど?」
 こんなの、ひどい。
 ドア、綺麗な彫刻が入っていて気に入ってたのに。
 ガックリと肩を落とす。
 いろいろな気力がごっそりと削れた。

「……もう、わかったわよ」
 これは一筋縄ではいかないということがわかった。
「里親を見つけるから、それまではうちにいていいわ」
 獣人ヤバい。
 これ以上被害を被らない為に、好きなようにさせる他ないなんて。
「やった!」
 黒猫は表情豊かに尻尾をピンと立てる。
「次の宿が見つかったら、とっとと出て行ってよね」
「はいはーい」
 猫は油断して空返事をしているが、私は本気で追い出す! 追い出して見せる!
「庭にマーキングは絶対禁止! 出来ないなら去勢よ」
 庭を指さして宣言したが、獣人は庭ではなくて私の指を見つめる。
 ネコらしいそのしぐさが腹立たしくて、別の方向に指を向ければ、指先に吸いつけられるように指先を追って首を動かす。
「聞いてるの?」
 イライラして問いただせば、少し縦に長い瞳孔が膨らんでいる。
 こんな状況なのに、思い出したかのように手の甲を舐めて、ツンとそっぽを向く。
「別に、家の中をテリトリーにするなら、外はそんなに主張しなくてもいいし、もうやらないよ」
「じゃぁ、さっきはなぜやった!?」
 頬をつねりあげれば、思った以上に皮膚が柔軟に伸びる。
「なぜって、ご主人に俺が本気だと見せつけようかと思ってさ」
「見せつけたのはナニだったじゃない!」
 セクハラが効いたことが嬉しいのか、猫獣人は悪い笑顔を浮かべた。
 にやつきながら口の端を引き上げると、尖った犬歯が見える。
「ナニも本気だよ! ご主人、よろしくね!」
 猫獣人はゴロゴロと私に身を摺り寄せて尻尾を絡めた。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

パンツを拾わされた男の子の災難?

ミクリ21
恋愛
パンツを拾わされた男の子の話。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

マッサージ

えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。 背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。 僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

店長代理と世界一かわいい王子様 ~コーヒー一杯につき伝言一件承ります~

くる ひなた
恋愛
 代々コーヒー狂を輩出してきたフォルコ家の娘イヴは、王宮一階大階段脇にあるコーヒー専門店『カフェ・フォルコ』の店長代理を務めている。  さまざまな獣人の末裔が暮らす世界でコーヒーを提供する傍ら、彼女は優れた記憶力を活かして客から客への伝言も請け負う。  兄の幼馴染みで、強く頼もしく、そして〝世界一かわいい〟第一王子ウィリアムに見守られ助けられながら、常連客同士の仲を取り持ったり、時には修羅場に巻き込まれたり、と日々大忙し!

処理中です...