次期領主ビクター・ロズルは薔薇の檻から出られない

砂山一座

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 王都の屋敷に戻るたびにビクターは鬼薔薇に会いに行った。今やビクターは鬼薔薇の娼館の常連だ。
 今日はいつもより花街につくのが遅くなった。受付は、ビクターに明るく対応するが、何やら緊張した面持ちだ。

「ロズル様、ただいま鬼薔薇は席をはずしておりまして。お待ちいただいても、すぐにご案内できるかどうか――」
「ああ、大丈夫だよ。別に、鬼薔薇でなくともかまわないんだ。今日は誰か別の美姫を紹介してもらおうかな」

 うそぶけば、受付の女はほっとしたような顔で別の部屋へビクターを案内した。途中、鬼薔薇の部屋の前を通ると、くぐもった声がドアの外まで聞こえてきた。鬼薔薇の喘ぎ声だと分かったが、ビクターは聞こえないふりをして、そのまま真っ直ぐ足を進める。

(――鬼薔薇が抱かれているのか?)
 
 ビクターは案内されたドアを開けずに、人がいなくなった途端に踵を返した。
 鬼薔薇の部屋のドアからはまだ雄々しい喘ぎ声が聞こえる。鬼薔薇が誰かに抱かれている――そう思うと鼻の先がすうっと冷たくなるように感じた。その冷たさは肩に降り、臓腑に満ち、脚を震わせる。
 ひときわ感じ入ったような嬌声が響いて、静かになった後も、ビクターはそこから動けずにいた。

 しばらくして、部屋の中を人が歩き回る音が聞こえる。どうやら客は時間になって部屋から去っていくようだ。
 ビクターは自分がおかしな格好でドアに縋るようにして張り付いていたことに気がついて、廊下に飾られた大きな花かごの陰に身を潜めた。

 ドアが開いて、大きな二つの影が廊下に伸びる。髭を生やした逞しい男が、同じくらいに大きな体の鬼薔薇の腰に手を回して出てくるのが見えた。

「――また、すぐにでも来るから」
「ふふふ、いつもそう言って、あたしを待ちぼうけにするんですよ」

 鬼薔薇は客の髪のほつれを直しながら、しなだれかかる。
 恋人のように寄り添って、どちらからともなく口付けが始まった。
 
 口付けの濡れた音を聞き、鼓動が数えられないほどに速い。指先が凍えているのに、目の奥は熱くて、瞬きをするのが痛いくらいだ。
 口付けが済んで、客は一度も振り返ることなく、出口に向かって去っていく。ビクターはまだ動けずに蹲ったままだ。
 仕事を終えた鬼薔薇は、真顔に戻ると、まっすぐに花かごに向かってきた。
 鬼薔薇の大きな影に入りこんだビクターは、瞬きもせず鬼薔薇を見上げた。

「あらあら、ビクター様、泣いているのですか?」

 鬼薔薇は困った顔をして、ビクターの頬を撫でる。ビクターの為に爪を短く整えている手だ。
 
「あたしの部屋に来ますか? まだ片付いていませんから、よくよく考えて選んでくださいよ。あたしの仕事はなんで」
 
 鬼薔薇の表情は綺麗に造られ過ぎていて、本心がどこにあるのか分からない。

「僕は……」
「もう、家にお戻りなさい、ビクター・ロズル卿。遊びはおしまいになさいませ」
 
 鬼薔薇の声は柔らかく低い。言われたように手を離せば、そこで鬼薔薇との関係は終わってしまうのだろう。

「僕を――この部屋に入れてくれ」
 
 ビクターはまだ前の客の温もりの残る寝台で鬼薔薇に抱かれた。ぐちゃぐちゃの感情のまま、鬼薔薇を受け入れる。こんな時でも鬼薔薇がビクターを抱く手は丁寧だ。酷くされた方がいいのに、鬼薔薇はビクターを客としてもてなす。その優しさがビクターの心を引き裂いた。

「――鬼薔薇、もう、僕の他に客はとらないでくれ……」
「あらあら、まぁ、仕方のない方ですね」
「つらい……つらいんだ。こんな……こんなだと、知らなくて――」
 
 ビクターはこれまで誰かの恋人を奪っては抱くことを楽しみにしてきた。
 ためらいながらもビクターに身を任せる者たちを冷淡に見てきたし、奪われた者たちの目の曇りを嘲笑ってきた――
 
「――それなのに、僕は」

 ビクターは両手で顔を覆って、泣き顔を隠した。

「困りましたねぇ。それじゃ、ビクター様もあたしを抱きますか? 少しは気が晴れるかも知れませんよ」
「いや、駄目だ。僕は抱かれる方がいい」
「おかしな方ですね。私のこちらは飾りですのに」

 鬼薔薇は力を失ってもなお、雄々しく垂れ下がる陽根を揺らす。

「もう誰かの物にならないでくれ」
「あらいやだ。あたしは、とっくに花街のものですよぅ」
「身請けするから、もうやめてくれ」

 ビクターは鬼薔薇のたくましい胴に手をまわして縋り付く。鬼薔薇は柔らかく抱き留めてビクターのつむじに唇を寄せた。

「あたしには花街の仕事が性に合ってましてね。ここに骨を埋めてもいいと思っているんです。ビクター様は大切なお客様の一人ですけれど――」

 鬼薔薇の口ぶりは、ビクターの願いを叶えてくれそうにない。

「金なら用意する――」
「金でこの仕事をしているわけじゃないので」
「なら――僕はロズル家の跡取りだ! だから……」
 
 ビクターは惨めになりながら、家名を口にした。効果が無いのは重々承知している。鬼薔薇はビクターの家名を尊重するそぶりは見せるが、家名を恐れたりひれ伏す様子を見せたことはない。

 鬼薔薇は、長いまつ毛を二、三度瞬かせて、眉を寄せる。
 
「大きな権力を受け継ぐのは、お辛いですね。あなた様の肩にどれだけの命が乗っているのか――ギルドの世の中になっても、貴族の苦しさはどうにもならないものです」
「貴族の義務なんか知ったことか! 僕は、権力も国も、何もかも捨てて鬼薔薇といる。ロズル家など糞食らえだ!」

 駄々をこねるビクターに、鬼薔薇は一瞬喉を詰まらせたようになって、言葉を飲みこんだ。

「ビクター様、そこまであたしを必要としてくれているんでしたら、家名を捨てては駄目ですよ。家名なんて、利用してなんぼのもんです」



 
 それをきっかけに、ビクターは嫌がっていた後継者としての仕事に精を出すようになった。
 だからといって鬼薔薇に抱かれるのをやめたわけではない。鬼薔薇が別の客を取るたびに泣くのは、相変わらずだ。

 ビクターは鬼薔薇を身請けすることを諦めなかった。ロズル家の名を掲げて、花街の支配人に掛け合ってみたが一蹴された。ロズル家の力が花街に与える影響が微々たるものだと知り、ビクターは、より大きな権力を欲するようになっていった。
 一刻も早く、力を。鬼薔薇が誰かの手に堕ちる前に。

 そうしてがむしゃらに次期領主として仕事をするうちに、いつの間にか、ビクターは信用を回復していた。女遊びもせず、ひたすら領の利益を求める姿は人が変わったようにさえ見えた。国を支配するギルドの覚えもめでたく、発言力も徐々にあがってきている。
 その間も、何度も鬼薔薇の身請けを頼みこみ、根負けした支配人が鬼薔薇の了解があれば、と言い出すまでになっていた。


 ビクターは最後の勝負を仕掛けていた。あとは鬼薔薇が頷くだけでいい。

「いよいよ年季が明けるね。ロズル家はギルドの決定に口出しできるくらいには力をつけてきている。そろそろ諦めて僕に囲われてくれないか」

 ひどく甚振られて、寝台から起き上がれないままビクターは宣言する。今日の鬼薔薇はビクターが泣いて頼んでも快感から降ろしてくれなかった。ずっと喘いでいて疲労困憊だ。
 鬼薔薇は枕に突っ伏したビクターの髪を撫で、全て受け入れた献身を誉める。

「本当に、騎士様は悪い方だ。私に、ロズル家の御曹司を託すとは。なんと残酷な……」

 いつもと違う口調の鬼薔薇に驚いて顔をあげると、大きな手が愛しそうにビクターの頬を撫でる。

「鬼薔薇、今……」

  鬼薔薇は笑うと、ビクターの顎を掬い上げて、初めての口付けを交わした。


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