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ダイニングカフェの看板犬

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「おきてよ。散歩に行こうよ」
 生き物の気配がする。
 眠い。
 そして、重い。
「朝ごはんは?」
 獣の毛が鼻をくすぐる。
 ロンの耳か?
「……ああ、ロン?」
 痺れを切らしたロンが俺に跨り俺の頬を舐め始める。
「んぁっ、今起きるから……」
 ……口を舐めるな、俺はロンの母親じゃない。
 そのまま布団の上から下半身を擦り付けてくる。
 ああ……これは、マウンティングか?
 眠い……。
 良い飼い主は犬にマウンティングさせてはだめだよな……。
 ……いや、俺が飼ってるわけでも、ロンが小さい犬なわけでもないからいいのか……。
 それを言うなら、犬をベッドにあげるのも駄目じゃなかったか?
 指揮系統がぐちゃくちゃになって人の言うことを聞かなくなるって犬の躾の本に……あれ?
 信頼関係ができている犬ならいいんだっけか?
 ……いや、獣人にそんなの関係ないか……。
 ロンが重い……ずっと微睡んでいたいようなぬくもりだ。
 
 眠気混じりに、ぼんやりと昨日のことを思い出す。
 帰ってきたのは深夜を回っていたから、もう今朝のことだ。
 ロンはあれから、泣き顔の姉に送り出されて俺の家に帰り、ガツガツとミルク粥を食べて俺のベッドで寝た。
 当たり前のように俺の寝床に滑り込んだロンを、俺は当たり前のように受け入れた。
 家族ってこんな感じだろうな。
「おはよう、ロン。お腹すいたね」
 体を起こすのに押しのけられて不満そうにしているロンを、わしゃわしゃと撫でる。

 ロンを家人としてうちに置く事にして、俺はロンの未来まで考えなければならなくなった。
 俺が最期を看取ればいいのとは違う、別の責任を抱えた緊張感がある。
 ロンの番についても真剣に考えなければならない。
 お互い食欲も戻り、向かい合って朝食をとりながら話をする。

「ロン、番って出会えばわかるものなの?」
「わかるよ」
 ロンは何でもないように応えたが、ヒトには理解し難いことだ。
「どうやって?」
「匂いとか? 好きな匂いじゃなければ違うなってすぐわかる」
 ロンはなんだか険しい顔をしている。

「それで匂いが好きでも、性格とか見た目が好みに合わなかったらどうするの?」
「まあ、なんとかなるだろ」
 何とかなるのか? 少し考える。
「いやいや、なんとかならないだろ?」
 匂いだけでそんな大切なことが決まるわけない。
「俺たちは何とでもなるんだよ。受け入れてもらえない事に比べれば、些細な問題だろ」
「いや、大問題だよ! 見た目はともかく、いい匂いだからってロンを虐待したり、犯罪を犯したりする人じゃないってどうやってわかるんだよ」
「それこそ、あんたには永遠にわからないよ。ヒトと獣人とは違う」
 それを言われたら何とも言えないが、何となくモヤっとする話だ。
 そんな事で番うなら、ロンの幸せは相手の出方次第だ。

「それじゃ、やっぱり、ああやって道で検問みたいにしているので正しいのかな?」
 病院の前で群れになって、たむろしていた犬獣人たちを思い出す。
 道行く、気になった匂いの人に声をかけて「拾って」もらうのか……?
 ロンはそんなことをしていて大丈夫なのか?
 俺なんか、長く付き合っても友人一人も選べもしないのに、ロンは匂いだけで一生の番を決めるのか?
 凄く心配になる。

「あんた、なんか余計な事しようとしてるだろ?」
 昨日作ったスープの野菜はクタクタに煮えていて、疲れている俺とロンには丁度いい優しい味だ。
「いや、うちを番探しの拠点にするのはいいとして、何処で番探しが出来るかなって考えていたんだ」
 とにかく、道行く人を手当たり次第になんて無謀だ。
 俺がロンに安全な出会いを提供できるとしたらどこだろう?
 俺の友好関係は狭いから、シーナや姉さんのように知り合いを紹介してやることはできない。
 俺にはロンを正式に保護した者として、番に出会えるまで色々な人に出会えるところに連れて行く責任がある。

「はっ、余計なお世話なんだけど」
 ロンは不貞腐れた顔をする。
 ロンがどういう出会い方をして、最初の保護者の所に転がり込んだのかもわからないし、そこから姉の所に渡った詳細も謎だ。
 ロンは自分のことあまり話そうとしない。
 ロンだけに任せていては、またリボンのついた服ばかりを着せていかがわしいことをしようとする奴につかまってしまうかもしれない。

「じゃあ、ロンは今までみたいに、家で留守番するのと、俺の仕事について来るのと、どっちがいい?」
 俺に出来ることといったら、人のたくさん集う安全なところにロンを連れて行ってやることだ。
 なるべく俺の目の届く範囲で。
「え? 仕事について行ってもいいの?」
 ロンはここに帰ってきてから少し分離不安気味で、俺について歩くことを喜んだ。
 トイレにまでついてこようとするから、引き剥がすのが大変だった。
「今日仕事に行ったら君を連れて行っていいか、オーナーに聞いてみるよ」


 その日のうちに店のオーナーに事情を話して、ロンを店に連れて来る許可をもらった。
 オーナーの好奇心によるものだろうが、そう簡単に獣人同伴の許可を出すとは思わなかった。
 そう言うと「俺は昔、犬を飼っていてな。けっこう犬が好きなんだ!」
 という獣人の事情とはかけ離れた犬好きの主張が飛び出した。
 髭を揺らして豪快に笑う店長は、人との関係性が薄い俺にしては、長く近くにいる人かもしれない。

 それから、平日は夕方になるとロンと一緒に店に行くようになった。
 店は昼間はカフェをしていて、夕方からは酒場として営業している。
 カフェはオーナーの奥さんが切り盛りしていて、夕方からはオーナーが店に出る。
 
 ロンはしばらく店の隅で静かにしている日が続いたが、慣れて来ると忙しい時は店を手伝うようになった。
 俺にあんな気難しい所を見せておいて、その実、ロンの社交術は舌を巻くほどだった。
 ウェイターとしては確実に俺より上手く接客出来る。

 唸ったり噛んだりしないロンは愛らしいから、客から可愛がられて、あっという間に店の看板犬のようになっていった。
 顔見知りになってくれば尻尾も揺らす。
 年齢のいっている客には孫のように撫でられる。
 料理を運べばチップを貰らい、酒を飲んでいる人の話に相槌を打てば肉を奢ってもらうこともあった。
 若い女性に撫でてもらう事もあったが、それには警戒するように尻尾を垂らすばかりだ。
 獣人愛護法があるので基本的に誰も獣人を邪険にしないが、ロンを自宅に連れて帰るという者はまだ現れない。

 俺はロンが当たり前のように周囲との関係性を深めていく事を、嬉しいような寂しいような気持ちで見ていた。
 ロンはきっといつか、こうやってうちから出ていく。
 この前、気持ちの整理がつかないまま姉の所にロンを行かせた時とは違う。
 今のロンは、番を見つけて俺の家から出て行っても、きっと家族を連れて俺を見舞ってくれるだろう。
 それは、すごく良いことのように思えた。
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