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本編
竜は鼻が効く
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帽子と手袋に色眼鏡までかけて、赤い目とぬばたまの爪をすっかり隠してしまったヒースは、慣れた様子で馬車に乗り込む。
私にはその出で立ちに違和感しか感じられない。
「付き合いのある店に行くのにもそんな重装備でいくの?」
変装に近いよ、その格好。
「今日は市場にもいくから。」
「食べ物を買うの?」
「見学みたいなものさ。この国にも慣れた方がいいだろ。」
「⋯⋯うん。ありがとう。」
今日もヒースは優しい。
ルミレスが一緒に行きたいとゴネていたが、呼び戻された叔父のジェームズさんが首根っこを掴んで引き摺って行った。
仕事が山積みらしい。
自己紹介する暇すらなかったので、相当忙しそうだ。
ハウザーとエミリアの騒動から一夜明け、私はヒースに連れられて、身の回りの物を買いに街へ出ることになった。
新品などは必要ないと固辞したが、受け入れられなかったのだ。
この国に慣れるまで生きているつもりが無かったが、結婚相手が決まるまでが長期戦になるようなら、当座の稼ぎも考えなければいけないだろう。
捨て鉢だった私は、ここに来る旅費しか持たずに飛び出して来た。
多少の蓄えはあったのだが、残してきた妹達の生活の維持費につかってしまった。
まぁ、死ぬ予定の私が活かせるお金なんてないわけで、必然的に今の生活費は全てバロッキー家に出してもらうことになってしまう。
仕方が無いとはいえ、気が咎める。
できることなら自分のものが買えるくらいの経済活動がしたいけれど、可能だろうか?
ついた先はエミリアの家だった。
なんだ、身内か……って、昨日の今日でエミリアの家か。
エミリアの家は宝石商としてバロッキーとの繋がりがある商家だという。
今はエミリアが事業を起こして服飾や化粧品なども扱うらしい。
エミリアが艶然と微笑んで出迎えてくれる。
「バロッキーに仕立て屋を喚ぶのは一苦労だから、うちに来てもらうことにしたの。」
「エミリア、よろしく頼むよ。でも、忙しいんじゃないのか?」
「父は、ね。本人は暇なものよ。ハウザーも忙しそうだし、丁度いい話し相手が来てくれたわ。」
「お手数をおかけ致します。」
「まずは服を仕立ててしまいましょう。」
艶やかに微笑むエミリアに誘導され、別室に移動して私の採寸が始まる。
服を新調するなんていつぶりだろう。
申し訳ない気持ちが先に来て、華やかな気持ちにはなれない。
手際よく採寸する針子達に囲まれてしばらくすると、席を外していたエミリアが軽く扉を叩いて顔を覗かせた。
「せっかくだから、今日はこの服を着て行って!うちの店で出す服なのよ。」
エミリアが豪奢な服を抱えて部屋に入ってきた。
採寸を終えて薄着の私にさっさと着せてしまう。
「まだ試作段階だから、誰かに実際に着てもらって後で着心地を教えて欲しいと思っていたのよ。」
膝下までたっぷりと上質の布を使ったひだの美しい服で、腰のあたりをリボンで結べるようになっている。
体に合わせて採寸して作る服に比べて動きやすいし、リボンを絞った時に現れる襞が美しい。
なるほど、良く考えられた服だ。
「リボンで調節するからサリのように細身でも着られるのよ。
売り出すまでに改良できる所は改良したいの。頼めるかしら。」
エミリアは私の境遇をたいそう憐れんでいたようだから、色々と気遣いしてくれたのだろう。
⋯⋯断りづらい。
「⋯⋯わかりました。」
「助かるわ!ついでに化粧も致しましょう。」
「え?」
「この服に似合う化粧をさせて欲しいの。色を合わせると素敵よ。」
有無を言わせぬ迫力に屈し、私はエミリアの着せ替え人形に成り果てた。
たちまち化粧道具を持った数人に囲まれ、エミリアの指示の元、着せ替え人形を飾り立てはじめた。
「サリ、お人形さんみたいよ!なんて愛らしいの!!」
エミリアの手掛けた私という作品は満足のいく出来だったようだ。
そりゃ、化粧っ気無しの所からのスタートだから、振り幅はあるのだろうけど。
「ヒース!ちょっと来て!はやく、はやく!」
******************
「エミリア……これから市場に行くつもりだったのに⋯⋯。」
俺は煌びやかに飾り立てられたサリを見てため息をついた。
これは目立つ。
いや、エミリアは広告に使うつもりだから正しいんだが。
「いいじゃない、服の宣伝にもなるわ。目立って結構よ!」
サリはうちに来てから一歩もバロッキー家から出ていない。
ラルゴの言う通り、色々なことが足りていない、物質的にも精神的にも。
もう少し気晴らしさせてやりたいと思っていた。
市場を楽しんでもらえるかどうかはわからないが、とにかく何かしてあげたかった。
「ヒースの上着がサリに合わないわね。
ちょっと待ってて、ヒースには別の上着を貸すわ。サイズが合うかしら。
可愛いサリの隣を歩くにはエスコートできる服じゃなきゃ!
まぁ、サリの可愛らしさに目が行くから、ヒースの変装なんか霞んでしまうとおもうけれど。
こそこそ行くよりかえって楽しめるのではなくって?馬車もうちのを使ってちょうだい。」
未来の義姉は昔から押しが強い。
俺に対して血族でもないのに普通に接してくれる稀有な存在だ。
小さい頃からバロッキー家に出入りしているので、俺たちのかなり控えめな社交性を憂いては発破をかけてくる。
「それよりどうかしら?サリの可愛らしさについての感想はないの?」
エミリアは含みのある語調で、にんまりと笑う。
勘のいい人だから、バロッキーにとってのサリの特異性に気がついているのだろう。
不躾に直接見詰めるのは気が引けて、鏡越しにサリを見る。
良く化粧映えしているし、服も似合っていると思うが、そんなのはもう俺には関係が無いことだ。
「これで家に帰るとルミレスあたりが煩くすると思う。」
竜の血は美醜に素直に反応する。
相対評価ではなく竜の血による絶対評価なので個人的な好みとは別の話だ。
対称性や比率に関係しているようだ。
それ故にバロッキー家の扱う商品は美術品や建築、装飾品が多い。
「あの子はバロッキーの血に忠実だものねぇ。
ルミレスが本気になったらヒースでも容赦しないかもしれないわよ。」
ルミレスは美醜に関しては特に鋭く、女性を愛でるのも趣味だ。
「ルミレスがそうなるなら仕方が無いだろ。サリのこと気に入っている様子だったし。」
「杞憂だわ。」
そうだろうか。
うちの誰がサリを望んでもおかしくない。
左右対称に整った顔、無駄のない肉の付き方、美しい肌、長く繊細な指、バロッキーの誰もが好ましいと思う見た目だろう。
……いい匂いもするし。
きつく編み込んでいた髪は解かれ、ゆるく結われた一筋以外は服に沿って揺れている。
編まれていた時は落ち着いた栗色に見えたが、毛質が細く、光に当たるとよく磨いた銅に近い色だ。
「髪、長いな。」
鏡越しに声を掛けると、髪と同じ銅色の目が緩やかにこちらを向く。
瞬きをして見上げる眼を飾る睫毛はくるりと整えられ芸術品の域だが、俺にはその奥の意思の強そうな瞳の方に心がざわめく。
「そうね。いざとなったら鬘にして売ろうと思ってたから。」
笑って冗談のように言うが、おそらく本当にそう思っていたのだろう。
意に沿わぬ相手からの求婚もあったと言っていたのを思い出し、口の中が苦くなる。
「それは⋯⋯さぞ高く売れただろうけどな。」
「そうでもないわよ。髪だけだったら、珍しい色でもないし。
でも、髪と一緒に乙女を売るくらいのことをすればそこそこの儲けになったかもね。」
平然と言ってのける少女に胸が痛む。
どれほど過酷な毎日を過ごして来たのだろうか。
少なくとも見ず知らず異国の地で、知らぬ誰かに嫁ぐことを選ぶほどに差し迫った状況だった。
サリは、この細い腕で何を守ってきたのだろう。
「その口振りは、もう少しでその取引も有り得たってことか?」
「そうね、ギリギリだったかも。
契約書を見つけられて本当についてたわ。安売りしないで済んだもの。」
紅が引かれた唇が微笑みの形に結ばれるのを、食い入るように見つめていたのを気付かれぬように、目を伏せる。
化粧の匂いがサリの柔らかな香りを邪魔して腹立たしいが、視覚的には絶対的にサリは美しい。
俺にとって、サリの服とか化粧とか、美醜すら初めて触れられた時からどうでもいいものになってしまっていた。
紅など差さなくてもサリの唇は花弁のように淡い透き通った美しい色だったし、肌も白粉など不要なほど滑らかだった。
温かかったし。
誰に嫁ぐのでも構わない、バロッキーの屋敷にこれからもずっとサリがいると思うだけでふわふわした気持ちになる。
俺にとってサリの皮がとろけて見た目が分からなくなったとしてもサリがサリならそれだけで歓喜できる。
あっという間に、それくらいに絶対的な位置を占めてしまったのだ。
俺の物にはならないのに。
俺は暴れ出しそうな竜の血を押し殺して生活しなければならなくなるのだろう。
私にはその出で立ちに違和感しか感じられない。
「付き合いのある店に行くのにもそんな重装備でいくの?」
変装に近いよ、その格好。
「今日は市場にもいくから。」
「食べ物を買うの?」
「見学みたいなものさ。この国にも慣れた方がいいだろ。」
「⋯⋯うん。ありがとう。」
今日もヒースは優しい。
ルミレスが一緒に行きたいとゴネていたが、呼び戻された叔父のジェームズさんが首根っこを掴んで引き摺って行った。
仕事が山積みらしい。
自己紹介する暇すらなかったので、相当忙しそうだ。
ハウザーとエミリアの騒動から一夜明け、私はヒースに連れられて、身の回りの物を買いに街へ出ることになった。
新品などは必要ないと固辞したが、受け入れられなかったのだ。
この国に慣れるまで生きているつもりが無かったが、結婚相手が決まるまでが長期戦になるようなら、当座の稼ぎも考えなければいけないだろう。
捨て鉢だった私は、ここに来る旅費しか持たずに飛び出して来た。
多少の蓄えはあったのだが、残してきた妹達の生活の維持費につかってしまった。
まぁ、死ぬ予定の私が活かせるお金なんてないわけで、必然的に今の生活費は全てバロッキー家に出してもらうことになってしまう。
仕方が無いとはいえ、気が咎める。
できることなら自分のものが買えるくらいの経済活動がしたいけれど、可能だろうか?
ついた先はエミリアの家だった。
なんだ、身内か……って、昨日の今日でエミリアの家か。
エミリアの家は宝石商としてバロッキーとの繋がりがある商家だという。
今はエミリアが事業を起こして服飾や化粧品なども扱うらしい。
エミリアが艶然と微笑んで出迎えてくれる。
「バロッキーに仕立て屋を喚ぶのは一苦労だから、うちに来てもらうことにしたの。」
「エミリア、よろしく頼むよ。でも、忙しいんじゃないのか?」
「父は、ね。本人は暇なものよ。ハウザーも忙しそうだし、丁度いい話し相手が来てくれたわ。」
「お手数をおかけ致します。」
「まずは服を仕立ててしまいましょう。」
艶やかに微笑むエミリアに誘導され、別室に移動して私の採寸が始まる。
服を新調するなんていつぶりだろう。
申し訳ない気持ちが先に来て、華やかな気持ちにはなれない。
手際よく採寸する針子達に囲まれてしばらくすると、席を外していたエミリアが軽く扉を叩いて顔を覗かせた。
「せっかくだから、今日はこの服を着て行って!うちの店で出す服なのよ。」
エミリアが豪奢な服を抱えて部屋に入ってきた。
採寸を終えて薄着の私にさっさと着せてしまう。
「まだ試作段階だから、誰かに実際に着てもらって後で着心地を教えて欲しいと思っていたのよ。」
膝下までたっぷりと上質の布を使ったひだの美しい服で、腰のあたりをリボンで結べるようになっている。
体に合わせて採寸して作る服に比べて動きやすいし、リボンを絞った時に現れる襞が美しい。
なるほど、良く考えられた服だ。
「リボンで調節するからサリのように細身でも着られるのよ。
売り出すまでに改良できる所は改良したいの。頼めるかしら。」
エミリアは私の境遇をたいそう憐れんでいたようだから、色々と気遣いしてくれたのだろう。
⋯⋯断りづらい。
「⋯⋯わかりました。」
「助かるわ!ついでに化粧も致しましょう。」
「え?」
「この服に似合う化粧をさせて欲しいの。色を合わせると素敵よ。」
有無を言わせぬ迫力に屈し、私はエミリアの着せ替え人形に成り果てた。
たちまち化粧道具を持った数人に囲まれ、エミリアの指示の元、着せ替え人形を飾り立てはじめた。
「サリ、お人形さんみたいよ!なんて愛らしいの!!」
エミリアの手掛けた私という作品は満足のいく出来だったようだ。
そりゃ、化粧っ気無しの所からのスタートだから、振り幅はあるのだろうけど。
「ヒース!ちょっと来て!はやく、はやく!」
******************
「エミリア……これから市場に行くつもりだったのに⋯⋯。」
俺は煌びやかに飾り立てられたサリを見てため息をついた。
これは目立つ。
いや、エミリアは広告に使うつもりだから正しいんだが。
「いいじゃない、服の宣伝にもなるわ。目立って結構よ!」
サリはうちに来てから一歩もバロッキー家から出ていない。
ラルゴの言う通り、色々なことが足りていない、物質的にも精神的にも。
もう少し気晴らしさせてやりたいと思っていた。
市場を楽しんでもらえるかどうかはわからないが、とにかく何かしてあげたかった。
「ヒースの上着がサリに合わないわね。
ちょっと待ってて、ヒースには別の上着を貸すわ。サイズが合うかしら。
可愛いサリの隣を歩くにはエスコートできる服じゃなきゃ!
まぁ、サリの可愛らしさに目が行くから、ヒースの変装なんか霞んでしまうとおもうけれど。
こそこそ行くよりかえって楽しめるのではなくって?馬車もうちのを使ってちょうだい。」
未来の義姉は昔から押しが強い。
俺に対して血族でもないのに普通に接してくれる稀有な存在だ。
小さい頃からバロッキー家に出入りしているので、俺たちのかなり控えめな社交性を憂いては発破をかけてくる。
「それよりどうかしら?サリの可愛らしさについての感想はないの?」
エミリアは含みのある語調で、にんまりと笑う。
勘のいい人だから、バロッキーにとってのサリの特異性に気がついているのだろう。
不躾に直接見詰めるのは気が引けて、鏡越しにサリを見る。
良く化粧映えしているし、服も似合っていると思うが、そんなのはもう俺には関係が無いことだ。
「これで家に帰るとルミレスあたりが煩くすると思う。」
竜の血は美醜に素直に反応する。
相対評価ではなく竜の血による絶対評価なので個人的な好みとは別の話だ。
対称性や比率に関係しているようだ。
それ故にバロッキー家の扱う商品は美術品や建築、装飾品が多い。
「あの子はバロッキーの血に忠実だものねぇ。
ルミレスが本気になったらヒースでも容赦しないかもしれないわよ。」
ルミレスは美醜に関しては特に鋭く、女性を愛でるのも趣味だ。
「ルミレスがそうなるなら仕方が無いだろ。サリのこと気に入っている様子だったし。」
「杞憂だわ。」
そうだろうか。
うちの誰がサリを望んでもおかしくない。
左右対称に整った顔、無駄のない肉の付き方、美しい肌、長く繊細な指、バロッキーの誰もが好ましいと思う見た目だろう。
……いい匂いもするし。
きつく編み込んでいた髪は解かれ、ゆるく結われた一筋以外は服に沿って揺れている。
編まれていた時は落ち着いた栗色に見えたが、毛質が細く、光に当たるとよく磨いた銅に近い色だ。
「髪、長いな。」
鏡越しに声を掛けると、髪と同じ銅色の目が緩やかにこちらを向く。
瞬きをして見上げる眼を飾る睫毛はくるりと整えられ芸術品の域だが、俺にはその奥の意思の強そうな瞳の方に心がざわめく。
「そうね。いざとなったら鬘にして売ろうと思ってたから。」
笑って冗談のように言うが、おそらく本当にそう思っていたのだろう。
意に沿わぬ相手からの求婚もあったと言っていたのを思い出し、口の中が苦くなる。
「それは⋯⋯さぞ高く売れただろうけどな。」
「そうでもないわよ。髪だけだったら、珍しい色でもないし。
でも、髪と一緒に乙女を売るくらいのことをすればそこそこの儲けになったかもね。」
平然と言ってのける少女に胸が痛む。
どれほど過酷な毎日を過ごして来たのだろうか。
少なくとも見ず知らず異国の地で、知らぬ誰かに嫁ぐことを選ぶほどに差し迫った状況だった。
サリは、この細い腕で何を守ってきたのだろう。
「その口振りは、もう少しでその取引も有り得たってことか?」
「そうね、ギリギリだったかも。
契約書を見つけられて本当についてたわ。安売りしないで済んだもの。」
紅が引かれた唇が微笑みの形に結ばれるのを、食い入るように見つめていたのを気付かれぬように、目を伏せる。
化粧の匂いがサリの柔らかな香りを邪魔して腹立たしいが、視覚的には絶対的にサリは美しい。
俺にとって、サリの服とか化粧とか、美醜すら初めて触れられた時からどうでもいいものになってしまっていた。
紅など差さなくてもサリの唇は花弁のように淡い透き通った美しい色だったし、肌も白粉など不要なほど滑らかだった。
温かかったし。
誰に嫁ぐのでも構わない、バロッキーの屋敷にこれからもずっとサリがいると思うだけでふわふわした気持ちになる。
俺にとってサリの皮がとろけて見た目が分からなくなったとしてもサリがサリならそれだけで歓喜できる。
あっという間に、それくらいに絶対的な位置を占めてしまったのだ。
俺の物にはならないのに。
俺は暴れ出しそうな竜の血を押し殺して生活しなければならなくなるのだろう。
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