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君だけが頼りなのだ

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 グリアは久しぶりに部室の静寂を感じて仕事をしていた。リリアムは王子たちの旅行に随行する女官の警護として、近衛や騎馬隊と一緒に出向している。三日は戻らないはずだ。
 部室の壁も窓も分厚い。植物の水やりを終えると、鳥の声さえ聞こえない静かな空間になる。


 静寂を打ち破ったのは、重いノックの音だった。
 今日は用件を聞きに走るリリアムもいない。自らドアを開けると、そこに立っていたのはリリアムの父、ウィリアム・ガーウィンだった。

「ガーウィン教官、どうなさいましたか?」

 ウィリアムを部屋の中に招き入れると、使い慣れていない様子で杖をぶらぶらさせながら、矍鑠かくしゃくとした足取りで来客用のソファに腰かける。

「グッドヘン君、今日はどうしても言いたいことがあって、技振部に寄ったのだ」

 ウィリアムは二年前まで騎士の教官として騎士団に君臨していた。過酷な訓練を課すので、ウィリアムによって多くの有望な若者が騎士を辞めた。今でも多くの騎士にとって、ガーウィンという名は不吉なものだ。
 グリアは部を立ち上げた頃から基礎訓練以外を免除されてきたので、ガーウィンの訓練はうけていない。
 だから、国境線で太陽を追いかけながら走る訓練や、素手で魔物と闘う訓練などを受けた他の騎士たちのように、ガーウィンの名を聞いただけで便所に駆け込んだり、神に祈ったりはしない。

 こういう時ばかりは貴族らしく振る舞った方が良いかと、背をしゃんと伸ばしてウィリアムに向き合う。
 杖を持て余したウィリアムは、白髪の混じる黒い口髭をひねると、どう切り出したものかと、言い淀んでいるようだった。

「君に世話になっている、うちの娘のことなのだが――」

 グリアはリリアムのことで何か注意を受けるのだろうと身構えた。もしかしたらリリアムの発散に付き合っていることがばれたのかもしれない。そうなれば、ニコラにも叱られそうだ。

「――最近、まともになった。君はいったいどんな魔法を使ったんだ」

「はぁ」

 グリアは肯定とも否定ともとれる相づちを打った。
 ウィリアムはそう言うが、リリアムがまともになったという言葉が、ちっともまともではない。
 この間は、この玩具で遊んでくださいと、魔石が埋められた棒のようなものを持ってきた。
 結局、読書の間にリリアムの自慰を見守ることになったが、やけに感謝されたのを思い出す。
 見守る行為が特に退屈だったというわけでもないが、あれがまともかと問われれば、やっぱりまともではない。

「あ奴め、最近、出勤前にいそいそと厨房で料理人に昼食を作らせておるのです。それどころか焼き菓子などは自分で焼いているくらいだ。君の為に作っているのだろう? こんなことを尋ねるのもなんだが、君は娘と良い仲なのだろうか? もしや、その先の望みはあるのだろうか、なぁ、グッドヘン君!」

 立ち上がったウィリアムにテーブル越しに肩をつかまれ、ガクガクと揺すられる。覚えのある馬鹿力だった。

「誤解です。私が食事をおろそかにしていることを部下として気にかけているだけでしょう。他意はありません」

 グリアは至極まともに反論した。
 リリアムはグリアにかまわれたいとは思っているだろうが、恋人になりたい、結婚したいと思っている様子は微塵も感じられない。単にリリアムの好奇心の延長だと認識している。

「いいや、アレは人の好き嫌いなどを気にかけるしおらしさなど持ち合わせてはいないのだ。他人の昼食のために、毎日あれこれ試行錯誤していることが異常だ。君は娘にとって何かしら特別な存在に違いない!」

 表情には出ないが、ウィリアムの圧のある語調にグリアは怯んだ。
 グリアよりは小柄なウィリアムだが、その筋力はいまだ健在だ。今度はグリア側のソファに移動してきて、手指の跡がつかんばかりにグリアの二の腕を掴んで揺さぶる。

「ニコラ・モーウェルと――いや、今はカルセルトでしたか――転属したときの約束で、部から追放されないように、大人しくしているだけだと思いますが」

 どうやら、リリアムの想い人だと勘違いされたようだが、必死に否定した所でウィリアムが引き下がるとは思えない。
 リリアムの奇行をウィリアムに訴えれば誤解は解けるかもしれないが、グリアも少々楽しんでしまっているところはある。方針がまとまるまで口を閉じていると、早合点したウィリアムが次の一手に出る。

「グッドヘン君、君はまだ独身であったな。婚約者もいないとか。グッドヘン家はうちの家格よりうんと上だが、もし妻を娶るとなったら、ガーウィン家の名を忘れないで欲しい。団員に対する理解はどの家よりあるつもりだ。だから、あの阿婆擦あばずれを、どうか見捨てないでくれ。君だけが頼りなのだ!」
 
 自分の娘を阿婆擦れと呼ぶウィリアムは、リリアムから糞爺くそじじいとよばれている。
 グリアは二人を似た者同士だと思った。

「ガーウィン教官、実は私は少々身体的に問題がありまして、妻を娶れない体なのです。ですから、家督を姉に譲って、騎士として一生を捧げることにしております」

 グリアは、面倒なことを避けるために、長年断り文句としている台詞をウィリアムに伝える。
 嘘は言っていない。
 人より長大な男性器を持ち、性欲も弱い方ではない。普通の令嬢がグリアの妻になれば、抱き潰して離縁されるか、疲労で早逝させてしまうだろう。

「なぁに、それでいっこうに構わない! 跡継ぎ云々の話ではないのだ、あ奴が、リリアムが、ひと所にいるというのなら、それだけでいい! 平和と戦争の話なのだ」

 グリアは必死に訴えるウィリアムに答える言葉が見つからず沈黙する。
 実の娘の縁談に、先の見込みのない男を勧めるのもどうかと思ったし、猫の子を譲る時だってそんな言い方はしない。
 グリアはほんの少しリリアムが気の毒に思えた。
 ついでにリリアムとの結婚について考えてみる。グッドヘン家は荒れるだろうが、案外面白いことになるかもしれない。

「……」

(いや、そんなこともないか。グッドヘン家への嫌がらせのためにそこまでやってもな。それに、俺にだって選ぶ権利がある……)

 グリアは無意識に頭を振る。
 
「すぐにとは言わない。ぜひ考えてみてくれたまえ。ああ見えて器用な娘だ。剣の腕前もなかなかだが、淑女としての仕上がりも完璧なのだ。社交界でへまをするようなことはない。少し頭がおかしいだけで、いや、少しシモが緩いというか、理性を持ち合わせていないというか……悪い奴ではないのだ。最悪なだけで……」

 ウィリアムは、延々と娘を貶めながらも娘を妻にと薦めてくる。ウィリアムのリリアムに対する愛憎は複雑そうだ。
 グリアが生返事を繰り返しているうちに、何度も娘を頼むと訴えながら、ウィリアムは去っていった。中枢の会議に参加するのだそうだ。

「癖の強い親子だな……」

 グリアのつぶやきは、静かな部室にこだました。



 

 三日の仕事を終え、グリアのところに戻ってきたリリアムはグリアが残しておいた仕事を片っ端から片付けていく。グリアに休憩時間を作るつもりなのだ。

 何をしたくて休憩時間を作っているのかは分かっているが、グリアとしては残しておいた仕事が捗るのでリリアムのやる気を削ぐ気はない。

 リリアムは脳筋に見えて頭が回る。目もいいから図書館で上の方にある本もすぐ見つけてくる。多少無茶をしても頑丈だ。資料の整理も独自の価値観でさっさと済ませる。手足として、リリアムはあまりにも使い勝手が良かった。

 いつもなら携帯用粉末茶で休憩するところだが、リリアムが張り切って茶葉から入れている。茶器は客が来る時にしか出してこないので、薬品の実験にも使用されるガラス瓶で茶を入れて、飾り気のない茶碗に注ぐ。

「そういえば、ガーウィン教官が部室に来られた」

 香りよく入れたお茶をすすりながら、リリアムの留守中にウィリアムがやってきた話を伝えた。
 それを聞いて、それまで機嫌良くしていたリリアムが、親の仇を見るような形相でグリアの方を見る。生きている実の父親の話題だというのに、おだやかではない。

「あの糞爺クソジジイが、なんだってこんなところへ?」

 茶碗を置くと、ソファにどんと座って長い足を組み上げる。尊大な態度でグリアの説明を待っている。

「お前を娶れとさ」

 要約して伝えると、リリアムが顔をゆがませる。

「はっ、耄碌もうろくしてますね。先輩に迷惑かけるなんて、最低! 今度来たらリリアムは死にましたって伝えてください」

 グリアはリリアムの親子関係に口を挟む気は一切ないが、どうやってリリアムがウィリアムを討ち取ったのかについては少し興味があった。

「毎日家に帰ってくる娘が、死にましたも何もあるか。安心しろ、俺は不能だから結婚はできないと言っておいた」

 リリアムは、グリアの言ったことに反駁する。リリアムは自分が価値があると思ってるものを貶されるのが嫌いだ。

「え、先輩は不能じゃないですよ! 超有能じゃないですか!」
「何を基準に言っているんだ。不能でも有能でも俺に嫁ぐ娘は不憫だ。縁談は断ることにしている」
「それって、やっぱり、貫き殺されちゃうってことですか?」
「いや、俺には薬がある。滅多なことにはなるまい。それよりもグッドヘン家は姑と出戻りの叔母が極悪でな。小姑までいる。俺と結婚なんかしたら、妻が気を病んで身を投げるくらいの事件がおきるだろう。こちらが上の婚姻だ、実家に逃げ帰ることもできまい」

 グッドヘン家は名家だ。女系の強い家で、夫は早逝するか離縁されるかだ。
 そんな家に嫁に来るなんて死ぬ為に来るようなものだとグリアは言う。

「うわぁ、それは可哀想。嫁姑問題ですね!」
「俺だって、家が面倒でこうして寮で暮らしている」
「先輩も大変なんですね。さすがにお母上と叔母上じゃ、私が糞爺にしたみたいに半殺しの目に合わせて言うことをきかせるわけにはいかないか」

 不穏な言葉が出てきて、グリアの好奇心が動き出す。リリアムがウィリアムを倒した噂は本当だろうか。

「おまえ、教官にそんなことをしたのか?」

 気になって尋ねると、リリアムは嬉しそうに笑う。

「騎士にはしない、嫁に行けですよ、あったまにきちゃって。私はまっとうに勝負したんですよ。それなのに、あの爺、勝てないと分かると卑怯な手を使ってきて! 返り討ちにしてやりました……うふふ」

 小首をかしげて笑うが、相当険悪な喧嘩をしたのだろう。帰り際のウィリアムの力強い握手を思い出して、リリアムはアレを凌ぐのかと驚く。

「ガーウィン教官はかなりの腕前だったとおもうが?」
「私の方がすごいんですよ! 糞爺の得意技をつかって叩き潰したら、大人しくなっちゃって……へへへ」

 朗らかなリリアムの笑みは、残虐にもみえる。
 リリアムは屈託のない性格だが、勝利に対しての執着は強い。ウィリアムを打ち負かす為に、リリアムだって相当な手段をとったはずなのだ。

「そんなことより……三日も禁欲状態で、そっちの方が死にそうでした。むこうの王子が女の子呼んで酒盛りなんかしてて、うちの王子たちが参加しないように見張らなければならなくて。こっちはムラムラを発散出来ずにいるのに、王子たちは女の子と遊びたがるし、腹が立って当たり散らしちゃいましたよ。まあ、ニコラ隊長もそんな感じだったかな」
「最近のニコラは容赦ないからな」

 ニコラは、最近、大立ち回りの末、メイドのミアと結婚したばかりだ。
 新婚の妻が待つ家に早く帰るため、今まで甘く接していた王子たちへの当たりはかなり厳しくなった。
 リリアムは騎士の仕事をしているときは、女性の味方、無礼者の敵だ。王子たちが羽目を外すつもりならば率先してそれを諫めていく。それ故に女性からの信頼が厚い。王子たちの風紀は二人によって厳しく守られたのだろう。

「ねぇ、そろそろ試してみませんか?」
 リリアムはグリアの隣に座るとグリアの股間を撫で続ける。

「いや、今日は薬を飲んでいるので勃たない」
「出し惜しみしないで先輩の凄いところ見せてくださいよ! 薬を飲まなければ勃つんでしょ?」

 ウィリアムに娘を押し付けられそうになったにもかかわらず、グリアはリリアムとの遊びを止める選択肢を選ぼうとは思わなかった。何なら、もう少しだけこの関係を続けたいような気にさえなった。

「まぁ、お前なら後腐れがなさそうではあるな。一応、もう少し広げておくか」
「望むところです! がんばりますよ」
「喜ぶかと思って、さっきの茶葉を利尿作用の強いものにしておいた。タオルは多めに用意しろ」

 リリアムは、自分が飲んでいたお茶とグリアの顔を交互にみてから、残りを一気に呷り、グリアに飛びついた。

「ただいま、せんぱぁい!!」


 *

 持ちつ持たれつの関係は、今では良好と呼べるくらいだ。
 グリアはリリアムに武器の改良の意見なども尋ねるようになったし、一緒に出かけて調査などもするようになった。
 面倒な関係のないまま、性欲も発散できるし、お互いに相手から欲しい物だけを奪い合う健全な関係性を保っている。

 リリアムは朝から警備として王宮の深いところに配属されていた。近衛のいる場所から離れたところで、ずっと立っているだけの仕事は肩が凝る。
 昼頃に解放されたものの、食堂が込み合っていて席がなかったので、持ち出しの食事をもらって部室に帰ってきた。

「先輩、来客が帰ったから休憩取れたんですけど、一緒に食べません? あれ、いないの?」

 グリアは技術振興部の部屋にはいなかった。机を見ると、書きかけの手紙が置いてある。
 リリアムは自分への仕事の指示の手紙だと判断して、勝手に読んでみる。

「えー、なになに?『いつも一緒に働く貴女の明るさを好ましく思っています』……? は? なにこれ、ラブレター?!」

 変な汗をかきながら読み進める。

「『貴女の仕事ぶりは献身的で』……『貴女に求婚する権利を与えてほしい』……? え? え?」

 リリアムは立ち尽くした。
 今まで考えたこともなかったことが手紙からは読み取れた。

「うっそ、先輩、私のこと大好きじゃん?」

 リリアムは、軽い絶望感を感じて、そそくさとその場から離れた。
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