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◯おまけ◯流星が来ているので、500円に両替してください。
しおりを挟む約束の日は、本日。
得意先に年末の挨拶に行った帰り、コンビニで必要もないのにガムを買う。
「お釣り、全部500円玉でもらえますか?」
「申し訳ありません。両替はちょっと……」
「ですよね」
俺はよくわからない恥ずかしさを抱えて、足早にコンビニを離れた。その500円玉をどうするんだ、と訊かれるはずもないのに。
会社への帰路を無力感を抱えて歩いていると、カプセルトイの店が目に入る。
両替機――あまりゲーセンにも行かなかったから、馴染みがない。操作方法を読みながら財布を開くと、背後から小さな舌打ちが聞こえた。
「おじさん、邪魔なんだけど」
「あ、ごめんね。これだけ」
小学生に頭を下げて、5千円札をジャラジャラと両替する。
おじさんじゃなくてお兄さんだけど、と言い訳はしなかった。小学生に蔑まれても仕方ない。俺は堂々と大人に文句を言うキッズ以下の臆病者だし。
石橋を叩いて渡ろうかと考えているうちに、次の局面を迎える人生だった。
危険は冒さず、誰にでも親切に、公平に平等に――そうやって揉め事もなく生きてきたのは、それが楽だったからで、別に誰かに優しくしたかったからじゃない。
学生の頃には、悩む姿が賢そうにみえると、好感を持たれた。
社会人になってからは、平和な家庭に向く人材だと求められた。
ありがたいけれど、俺が望んだわけじゃない。
ただ一人の愛しい人に好かれるほうが、ずっとずっと良かった。
そんな俺に、幸運が巡ってきている。
この願い星は一生に一度きり、次に来るのは何百年も後になる。今日が勝負なのは間違いない。
上手く次の約束を取り付けなければ、佐々木との関係は終わってしまう。
逢瀬のために俺はありったけの500円玉を用意した。
それだけでは十分じゃない気がして、手元の札を全て両替しようとしている。
愚かで幼稚なおまじないだ。願掛けのような、お守りのような、決意のような、いろんな感情を混ぜ合わせて小銭を集める。
(佐々木が、この遊びを続けるつもりでいるうちに、佐々木の全てを予約してしまわないと……)
金額が問題じゃないことぐらい、わかってる。
俺が小銭を積み上げるのを「狭山は馬鹿だね」と笑ってくれたらいい。
年末で、銀行には行列が出来ていて、今から並んだら会社に戻る時間に間に合いそうにない。
やけくそで、ジュース販売機に千円札を突っ込むと、ギュルルとそのまま戻ってきた。釣り切れのマークがでている。
「500円の神に見放されている……」
部に戻った俺は、自分の運の無さに、おもわず床に手をついた。
「ちょっと、狭山くん? どうしたの? 大丈夫?」
「いえ、大丈夫です。ホコリが落ちていただけで……」
俺は、会計のミヨコさんに、なんでもないと微笑みを返す。ミヨコさんのデスクに置かれたアクリルの簡易金庫に小銭がぎちぎちに並んでいるのが見えた。
(500円玉、たくさん入ってるな……でも、ミヨコさんにはーー)
入社して二年目の春だった。
食堂でパクパクとお昼を食べる佐々木を、こっそり眺めるのが幸せだ。
いつもの席に座って、華奢な佐々木が意外と豪快に食事するのを覗いていた。そうやってニヤけているところを、ミヨコさんに見つかった。
口説きにいかないのかと尋ねられて、愚かな俺は「佐々木が幸せそうにしているのを、見守っているだけで満足なんです」とかなんとか言って日和ったのだ。
以来、ミヨコさんの視線は生暖かい。
知っている。ミヨコさんに頼めば両替くらいあっという間に完了する。でも、あの恥ずかしいカッコつけを聞かせたミヨコさんに、今更どんな顔でこんな馬鹿な両替を頼めるというのだろう。
(ホコリっていうか、ゴミみたいな自尊心を拾ってどうするんだよ、俺――)
次の外出で、両替をすることにしよう。俺は、そそくさと次の会社に向かう準備を始めた。
*
雪の降ったあの日、幸運にも楽しい夜を過ごした。
それなのに、佐々木と俺の関係は、あの夜が幻だったみたいに何の変化もない。
会社にいても、目が合わない。いつものバーで飲んでいても、挨拶もない。約束通り、佐々木の中で、ただの情事として処理されたようだ。
今日こそ佐々木と話さなくてはと、タイミングを見計らっていた時、再び奇跡が起きた。
上の階からぺたりぺたりと佐々木が降りてきたことに、俺はすぐに気がついた。佐々木はヒールを履かない。
用事があるふりをして、佐々木を追って階下を目指す。
佐々木は階段下の休憩スペースでコーヒーを啜っていた。俺の席はまだ、斜め向かい。
この間の情事は軽い気持ちではなかったと、俺が言い出す前に、小ぶりな手のひらが差し出された。
「500円でどうです?」
頭の中で鐘が鳴った。
何度幸運が訪れても、俺は佐々木から遠いままだった。今度こそ失敗できない。
いったいどこから間違えたのだろうと、もらったノベルティを抱えて、歩きながら反芻する。
佐々木美耶は昔から付け入る隙がまるでない。
清廉で聡明で、常に高尚な事象に思いを馳せているような雰囲気があるから、おいそれと話しかけられない。
隙がないっていうのは、人を拒絶するのとは違う。
佐々木の心のドアは常に開いていて、丁寧に玄関へと通される。そこから先には行けなくて、部屋に上がる前に帰されてしまう。
次に出会ったら関係はリセットされていて、知らない人からやり直し。
俺が佐々木と知り合えたのは、名簿の順番という偶然だ。でも、佐々木、狭山と呼び合うようになったのは俺の猛烈な努力の賜物だと思う。俺は慎重に、慎重に、佐々木に近づいた。
話してみると、佐々木は普通の素朴な性格の女の子だった。
マイペースで、思い切りのいいことを言うくせに、少し抜けている佐々木。
好きなことに没頭して、目を輝かせている佐々木。
俺は本能に従って、盛大に恋に落ちた。
佐々木と話すのは、学級委員の仕事の合間が多かった。
あまり噂になったりしないように、人のいない時に話す。
「佐々木は、休日どんなことして過ごすわけ?」
「ゲームしてるよ。あとは絵を描いたり? まぁ、少しは勉強もね」
「へー」
思ったより普通だなと思った。
「狭山は?」
「俺は釣りにハマってる」
「釣りか。いいね。魚、面白いよね」
他の女子のように「私も釣りって、興味があったんだ。いっしょに連れて行ってよ! 日曜はどう?」とはならない。
佐々木は俺の趣味が釣りでも、気にならないと言っているだけで、この会話に発展性はない。生き物として魚に興味はあるようだが、あくまで魚に対する興味だ。
だから、佐々木の口から「今週末は、海に絵を描きに行こうと思ってたんだよね」と、続くとは夢にも思っていなかった。
俺は、週末の予定を全部投げ捨てる。
「俺も海釣りだよ。一緒にどう?」
「私は絵を描きに行くんだってば」
「だから、俺は海で釣りをするし、佐々木は海で絵を描けばいいだろ。俺さ、いかにも釣りしますって格好で行くから、行き帰りに喋る奴がいると電車の中で気まずくないんだよな」
いけ、俺のいじましい言い訳!
「まぁ、それなら」
俺はちっとも気がついていなかったけれど、一緒に海に行けた時こそ、千載一遇のチャンスだったのだ。
海に着くと、佐々木は絵を描くポイントを探して俺から離れた。俺が佐々木を振り返る回数なんて知りもしないで、流木に腰掛けて水平線を睨んでいる。
夏の日差しは角度を増してきているのに、さっきから佐々木の横に置いてあるペットボトルがちっとも減ってないのが気にかかる。
現地解散だなんて変な意地を張らずに、佐々木が絵を描く横で釣りを始めればよかった。
下心を悟られるわけにいかないと思っていた俺は、話しかけに行くにしても、釣果を持たずには行けなかった。
(釣れろ! ちょっと派手な魚、釣れろ! カワハギじゃなくていい、派手な色のベラがいい)
怨念を込めて針を垂らす。綺麗な魚なら、話も弾むはずだ。
はやく佐々木の所に行きたい。
やっと一匹釣り上げて、佐々木のところに走った。
「佐々木、ちょっと集中しすぎだろ。水飲めよ」
「……ああ、忘れてた」
本当に忘れていたようで、慌ててペットボトルの蓋を開けて、半分ほど一気に呷る。
「どう、釣れた?」
「外道だった」
髪を押さえながら、バケツの中を覗き込む。柄もないTシャツとジーンズなのに、佐々木は可愛い。
バケツの中には、カラフルなベラが、どうぞ話題にしてくださいと泳いでいる。
「外道って?」
「狙いとは違うのが釣れたってこと」
俺の狙いは佐々木だから、ベラで正解なんだけど。
「ベラ、知ってる。関西では食べるんだってね……どんな味かな」
「これ食うの?」
「キャッチアンドリリースするよりは、ちゃんと食べた方が良くない? 食べられない魚、釣る意味ある?」
「その発言、多くの釣り人を敵に回したぞ」
佐々木はニコニコ笑いながら、自分の絵に戻っていく。
「じゃぁ、狙いのが釣れるまで、狭山もがんばってね」
俺は狙いに狙って、釣りまくった。
そして、魚よりも佐々木のほうが手強かったことを知った。
その後、塾通いをして保っていた俺の成績が、佐々木の希望校の偏差値に届かないと知って、一度目の挫折を味わう。そこからは坂道を転がるように俺の運は底をついた。
高校に入った佐々木が運動部の先輩と付き合ったと風の噂で聞いた。
その時だって俺は、傷ついたのに、じっとしていたのだ。
チャンスがあったかどうかなんてわからない。ただ、俺はその時「何もしなかった人」だった。
俺の学生生活は順調そうに見えて、色を欠いていた。
入社式で佐々木の名前を見た時は目を疑った。
理系の大学に入った佐々木は、研究とか開発とかに生涯を捧げるんだろうと勝手に思ってた。
薄化粧に黒縁の眼鏡をかけて、地味なスーツに髪を引っ詰めた佐々木が同じ会社にいる。
うっすら笑みを浮かべながら、よく分からない器具を抱えて白衣でバタバタと歩いたり、真剣な顔でパソコンに向かう佐々木は、昔とあまり変わらない。佐々木は純粋に仕事を愛していた。
会社では互いに声をかけることも無いのに、バーで顔を合わせる時は、普通に話してくれる。
どうやら会社では知らない者同士でいたいらしい。佐々木が営業部の華やかな女性たちと関わり合いを持ちたくないのだろうということは簡単に想像できる。
飲みに誘うことも、長年の気持ちを打ち明けることも出来たはずなのに、またもや俺は「何もしなかった人」をした。
こうやって何年もかけて俺たちはすっかり他人になっていった。
*
街ゆく人たちが着るコートの色が、いつもよりも明るい。
夕方を待って、イルミネーションが明るさを増す。
今日も営業先で佐々木の開発した商品を売り込んできた。佐々木はすごいけど、俺は、こんな立ち位置で佐々木に関わりたいわけじゃない。
俺はこれから約束通り、佐々木とバーで待ち合わせて、そしてーー。
釣りの日も、入社した日も、雪の日も、チャンスはあったのに、俺はこの気持ちを佐々木に告げたりしなかった。
願い星が幾筋も流れていってしまうのを、棒立ちで見送った俺とは訣別したい。
佐々木に踏み込む覚悟はできた。
結果、「無残に砕け散った人」になっても構わない。
小銭入れはまだ軽い。俺は会社に向かって走り出した。「行動を起こした人」になってからじゃないと、とても佐々木と会える気がしない。
会社は退社時間で、部に帰ってみれば、既に照明が消されて、人がいない。
「しまった、遅すぎた――」
俺の独り言を聞いたのか、物音がして、給湯室のほうから、ミヨコさんが出てきた。
しっかりと化粧をして、よそゆきの格好をしている。これから誰かと待ち合わせなのかもしれない。
「あ、ミヨコさん! よかった、まだいた」
「狭山くんどうしたの? 何かトラブル? 走ってきたよね?」
ミヨコさんは驚いて、俺の息が整うのを待っている。
俺は一瞬怯んで、勢いで自分の財布を取り出した。
「ミヨコさんあの、これ……全部500円玉に替えてもらえませんか?」
くしゃくしゃになった万札をミヨコさんのデスクに置く。
「りょ、両替? 全部500円にするの? 別にいいけど、どういう理由で?」
どんな理由で俺は、こんな両替に必死になっているんだろう。
無為だった学生時代や、ただの観察者だった入社してからの日々が重くのしかかる。今から頑張ったって、何も届かないかもしれない。
「……別にいう必要ないけどさ。狭山君がそんな必死な顔してるの、初めて見た」
そう言いながら、ミヨコさんは俯く俺に、鮮やかな手つきで500円玉を用立ててくれる。
上手く説明できない。それでも何か、ミヨコさんに説明する必要があると思って口を開く。
「――あの、今、流星が来てるので。これを逃したら、もう次はないっていうか――」
必死に説明しようとしている俺を見て、ミヨコさんは苦笑いをした。
「いいね、狭山君、今、最高にイケメン台無しって顔してる。やっとストーカー卒業かな?」
見透かされていた。ストーカーじゃないと言いたいけど、反論のしようがない。
「――いいんです。格好つかなくても」
「大丈夫、大丈夫。頑張る姿は尊いよ」
深く深く頭を下げて、重くなった小銭入れを握りしめる。
「ありがとうございました」
「先に出るわね。おつかれ。忘年会と新年会、欠席でいいよね。振られちゃったら連絡して」
「……頑張ります」
俺は、生まれ変わった気持ちになって、バーへと急いだ。
*
両替した500円玉は大いに役に立った。
夜も更けて、日付をまたいで、新しい日が始まる。
「あのさ、佐々木、今日って何の日だかわかってる?」
「クリスマスイブなのは百も承知だよ」
「よかった。何も言わないからクリスマス不要論の人かと」
「私を何だと思ってるの?」
からかいながら、俺は鞄から小さな手提げ袋を取り出す。
「一応、指輪とか用意してきたんだけど、この流れじゃ重すぎる?」
「私も一応クリスマスだし、手袋を用意してあるよ?」
プレゼントの重さの違いが、今の恋心の重さの違いなんだろう。俺の心は天秤に乗せたら、相当重いはずだ。
「まあ、2回目の逢瀬では、佐々木のチョイスが妥当か。また今度、ちゃんとプロポーズするから、その時に渡そうか」
「そっか」
佐々木はくすぐったそうに笑う。
「――逃げるなら、今かもよ」
習慣のように口をついて、冷や汗が出た。
佐々木に自由意志を持たせるようなふりをして、俺はまた予防線を張っている。
この最高に幸せな瞬間でさえ、佐々木の心変わりが死ぬほど怖い。
俺はまだまだ重い小銭入れの500円を想って、首を振る。
「やっぱり今、受け取って。今がいい。今じゃないと後悔しそう」
俺はさっさと包みを破って、リングピローに並んだ二つのリングの片方を自分の薬指に通す。
逃げられないうちにと、もう一つの小ぶりなリングを佐々木の細い指に嵌めていく。目測で買ったから、少しゆるい。
薬指に銀色の指輪をつけられた佐々木は、自分の手首をにぎって、心臓より高くあげてかたまっている。
強引すぎただろうか。
ずっと固まっている佐々木の様子がおかしい。
「………狭山、この金属、健康効果でもある? ど、どうしよう、動悸がする」
「止血方法を試してるみたいだけど、効果ないと思うよ」
難しい顔をして、耳の端を赤く染めていく佐々木の照れ方は、可愛い。いちいち可愛い。
「それ、呪いの指輪だから」
「うん。わかった。呪われとく。こんど釣り竿でもプレゼントするよ」
俺はギリギリで三振を免れた。
蓋が取れてしまったら、まるで紳士的になんか振舞えなかった。
めちゃくちゃに、嫉妬したり、後悔したり。
ずっと独占したかった気持ちが暴走する。
「狭山、ちゃんとしてるから、なんか私、申し訳ないよ」
佐々木はまだ左手を掲げて、指輪を眺めている。
「俺、全然ちゃんとしてない。物分かりがいいわけでもないし、たぶん重い。佐々木が思うより嫉妬も束縛もしちゃうかも」
「嫌だったら、いうね」
「……うん」
「でも、何があっても狭山とだったら、酷いことにはならないような気がするんだよね」
回り道をしたことを後悔した。
この幸せを手に入れるのに、何の躊躇も必要なかったはずなのに。
祈るように佐々木の手を握り込む。俺は世の中全てに感謝を捧げたい気持ちでいっぱいだ。
願い星は俺の所に留まった。
「俺ね、佐々木のことが大好きだよ」
俺は誓いを込めて、佐々木に口付けた。
☆彡happy end☆彡
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