上 下
1 / 23

おじさんの説教は長くて陰湿だ1

しおりを挟む
「マッチは要りませんか?」

 その日も私はマッチを売っていた。
 物乞いと間違えられて小銭を受け取っただけで、今日は一つも売れていない。
(そりゃそうよね)
 マッチなんて、売れるはずがないのだ。
 しかも年の瀬にマッチを切らしている家なんてそうそうあるはずがない。
「マッチは要りませんか? 黄燐おうりんの使われていない安全なマッチですよ。擦り損じがありません!」
 声を張り上げても、誰も足を止めない。
 それでもマッチ売りとして在庫を抱えているうちは、私は間違いなくマッチ売りだ。
 私と同じようにマッチの在庫を抱えた娘たちは、今はせっせと春を売って稼いでいる。
 哀れそうに売れば春の値段がつりあがるのよ、と自慢げに言っていた。
 体の小さい私には、まだ売れるのはマッチだけ。それに、売れたとしても春を売るのはまだ怖い。
 あの手この手で売り文句を考えては、必死にマッチを売り込んでいた。だというのに、ポケットの中には、さっき老紳士にほどこされた小銭しか手持ちがない。
 早くマッチを手放してしまいたいのに、さっきの老紳士はマッチは要らないと言って手ぶらで去って行った。
 マッチは売れないのだ。もし売る物を選べるなら別の物がいい。

 今日はもう夜露をしのぐ場所もない。
 空き家だと思って他の少女たちと身を寄せ合って寒さをしのいでいた廃屋あばらやも、今朝がた家主と名乗る者がやってきて追い払われたところだ。

 今日が終われば新しい年が明ける。
 雪が降らないだけまだましだが、夕方になって風が強くなって酷く冷える。
 乾いた冷風がしもやけとあかぎれだらけの体を痛めつけるけれど、ぐっと空腹の腹に力を入れて耐える以外にすべがない。
 しもやけで赤黒くなった頬のせいで、子どもでも買うような変態ですらすら私に声をかけない。
(――ああ、唇さえ凍りそう)
 休暇に入っているので外を出歩く人も少ない。
 私を視界に入れないようにして、人々は外套の前を押さえて足早に通り過ぎていく。

 日が暮れる頃、身なりの良い髭面の紳士が目の前を通りかかった。これで最後にしようと、明るい声を作ってマッチを売り込む。

「旦那様、マッチは入り用ではありませんか? 高級な暖炉にライターで火を入れるのは味気ないと思われませんか? マッチなら箱の絵柄も旦那様のような方のお屋敷の暖炉にぴったりです。しかも、このマッチは湿気しけもしませんし、擦り損じがございません。黄燐は使っておりませんから大変安全ですよ」
 行く手に立ちふさがり、満面の笑みで売り込むが、男は髭を絞るように撫でて不機嫌そうに鼻を鳴らす。目にかぶって表情を隠している前髪から、いぶかし気に青い目がこちらを睨んでいる。
「間に合っている。こんな所で物を売るな。人攫ひとさらいにあうぞ。年の瀬だ、子どもは家に帰れ」
「おじさんがマッチを買ってくれたならすぐにでも」
「こんな街のはずれではなくて駅前へ行け。あそこなら人通りも多い」
「でも……」
 駅前は別のマッチ売りの縄張りなのだ。私が顔を出せば制裁を受ける。まぁ、そんなことをこのおじさんに説明しても無駄なのだが。
「昼間はそうでもないが、日が暮れるとこの辺りも物騒だ、早く行け」
 おじさんはコートから取り出したくしゃくしゃに丸めた紙幣を私に押し付けると、足早に去って行った。

 私は押し付けられた紙幣を丁寧にひろげて、それを眺めた。

(ああ……死のう)

 おじさんが私に手渡した紙幣は、私の一月分の稼ぎよりも、うんと多かった。
 年を越せたからなんだ。私がどんなに頑張っても金持ちのポケットのゴミにも敵わない。

 細い細い、生きる気力がプツリと音を立てて切れた。

 限界だ。今日でマッチ売りはお終いにしよう。
 年を越したところで、マッチ売りが花売りに変わるだけだ。マッチも嫌だが、春を売るのはもっと嫌だ。
 もう、何もかもが嫌だ。
 この金で酒を買って、橋から身を投げてしまおう。
 酔っ払って飛べば、きっとたいして怖くはないはずだ。
 それはとてもいい思い付きだと思った。
 マッチを放り出して、お使いの振りをして酒屋に入り、一番高い酒を買ってきた。
 飲んだことはないけれど、すごく高い酒だったから、ふらふらに酔えるだろう。

 その前にこの忌々しいマッチを燃やし尽くしてしまわなくては。
 マッチなんか持っているから私はいつまでもマッチ売りなのだ。

「ちくしょう、マッチなんか、マッチなんか、マッチなんか……」
 私は暗くなってきた道端で自分の人生を呪いながらマッチを一本擦った。

 火薬のけむい香りとともに明るい炎がともり、束の間の熱を感じる。
 本当に糞みたいな人生だった。

 ――親に折檻されて逃げ出した。

 またマッチを擦る。

 ――修道院に逃げ込んだらシスターに襲われそうになった。

 またマッチを擦る。

 ――街で靴磨きをしてやっと貯めた金で、騙されてマッチを買わされた。一文無しで手元に残ったのはマッチだけ。これを売らないと金にならない。

 マッチを擦りまくる。

(このマッチがある限り、私の糞みたいな人生は終わらないんだ……)

 擦ったマッチの火に箱ごと売れ残りを放り込む。
「燃えろ、燃えろ! 燃えちまえ!」
 私は高らかに笑いながらマッチをべ続ける。
 ジュッ、ジュッと小気味よい音を立てながら、箱の中のマッチは次から次へと炎をリレーする。
 冬の乾燥した風に煽られてマッチは勢いよく燃えた。
 (ああ、これでもう私はマッチ売りじゃない。マッチの火が消えたら、私の命も終わるの……)

 満足して私は炎をじっと見る。
 マッチの火はますます勢いよく燃えた。凍えていたのに、そこに立っているのも熱いくらい。
 勢いが強すぎて高く高く火柱が立つ。

(マッチが消えたら――)

 高くあがった火の粉が風に飛ばされて、近くの畑の積み藁に火をつけた。

(――き、消えたら……)

 あっという間に火柱を上げた積み藁の火は、風に乗って隣の屋敷の馬小屋に飛んでいった。
 乾燥した冬の強風に、乾燥した敷き藁のつまった馬小屋……。
 
 よく燃えた。

「あ、あれぇ?! き……え? 消えない! 
 やだ! 馬屋が、うまやがぁー!!
 馬、逃げてー!! 誰か! うまー! 馬がぁ!!」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

処理中です...