くら。くら。

砂山一座

文字の大きさ
上 下
6 / 11

6 火曜日 焼き肉食べた

しおりを挟む
 倉持は朝からちゃんとご飯を食べて、ラフな格好で仕事に出かけていく。
 帰ってこないんじゃないかと心配していた昨日とは違う。
 それでも何となく落ち着かなくて、今日はリモートで働いた。
 
 夕方になって、学生たちが門から出ていくのを眺めていると、学生とそれほど変わらない風貌で歩いてくる倉持を見つけた。
 女子大生が後ろから追いかけてきて、倉持に一生懸命に何かを話しかけている。
 優しい笑顔を浮かべて、丁寧に対応している倉持は、私の知らない人だ。

(あ、あれじゃ確かに、仕事たいへんそう……)

 学生さんから見たら、今の倉持は、かっこいい助教だ。恋愛対象として、十分すぎるスペックだといえる。七三スーツは、仕事の余計な負担を減らす為。私の出勤メイクと同じ意味だった。
 女子大生から解放された倉持を、テイクアウトにしたラテを片手に尾行する。
 小道に入って、忍び寄り、後ろからどんと倉持の背を叩いた。
 
「お疲れ!」
 
 驚いた顔をしているけれど、それほど邪険にする雰囲気ではなさそうだ。
 さっきの優しい笑顔を引っ込めて、通常モードになった倉持と並んで歩き出す。

「倉持と一緒に帰ろうかと思ってさ」
「会社、別の方向だろ?」
「倉持の初出勤が心配だったから、リモートにして、カフェで仕事してたんだ」
「……過保護だろうが」
 
 前髪を払いながら、困ったような顔をする。今日の倉持は、急なイメージチェンジで、学生たちの注目を集めたはずだ。
 
「倉持が生まれたてのヤギみたいになってるのに、一人にしておけないよ」
「なってない。草食動物は、生まれてからすぐに立ち上がる部類だ」
「じゃあ、生まれたての……なんだろ? 馬もすぐ立ち上がるし、ひよこもすぐご飯食べるんだよね? そうそう、カンガルーの赤ちゃんはすっごく小さいんだ。みたことある?」

 生まれたての倉持科倉持属のクラモチが、足をフルフルさせて立とうとしているところを思い浮かべて、大きく育てよと心の中で祈る。
 
「はぁ、厨川の話は、いつも唐突に脱線して、よくわからなくなるな」
「そう? ね、ごはん食べてから帰ろうよ、おなかすいちゃった」

 勢いで腕を組みそうになるのを我慢して、ぎゅっと自分の背中で手を組む。今朝、出がけに、スキンシップが多すぎると叱られたんだっけ。
 
「何食べる?」
「……肉かな」
「彼女への当てつけなら、やだよ」
「じゃあ寿司」
「レトロなお店知ってたりする?」
「いや、プリンがあるとこ」
「いいね。あたしは、ポテト食べよっと」

 徒歩圏内のお寿司屋さんを考えながら進むと、駅前のほうから、やけに大きな人影がやってくる。
 あの大きさには見覚えがある。
 こんなところで会うなんて、と思ったが、そういえばここは駅からスポーツバーへの通り道だ。気がつかないふりをして、さっさと通り過ぎよう。
 
「カナ」
 
 呼び止められてしまったので、わざとゆっくり、機嫌良く振り向く。
 
「あれ、リョウ? 久しぶり! これから観戦? いってら~」
 
 仕事で客を迎える時の一番いい笑顔で、ひらひらと手を振って、そのまま立ち去ろうとしたら、手首を掴まれた。
 
「待ってくれ」
 
 大きな手に引き上げられて、吊るされそうになるのを見て、倉持がギョッとしている。
 
「ええと、何か用?」
 
 リョウは私が逃げると思っているのか、なかなか手を離さない。
 
「それがさ、俺、アイと別れてさ」
「へー、そうなんだ。それよりさ、手、離してくれる? 加減忘れてない?」

 掴む力が弛んで、手を取り戻して、背中に隠してしまう。もうリョウに触れられるのは嫌なのだ。
 リョウは、そこでやっと倉持の存在に気がついて、体を屈めて倉持を覗き込む。
 
「あ、もしかして彼氏だった?」
「ううん、友達。高校の同級生だったんだ。ほら、倉持、こちら、元カレのリョウだよ」
 
 倉持は一瞬、目を見開いて困惑した顔を私に見せたが、取り繕ってお辞儀をした。
 
「初めまして、倉持です」
「ははっ、初めましてだって!」
 
 リョウはわざとらしい人懐っこい笑みを、すぐに引っ込めて、私の前に立つ。
 
「あのさ、こんなとこでする話じゃないんだけど、カナ、俺たちやり直さないか? 俺たちが別れるように、アイがあの時、なんかやったんだろ?」

 カチンとくる。
「なんか」でまとめるには、とんでもないことをされたのだけど。
 あの時、アイだけじゃなくて、リョウも本当に酷かった。
 
「うん、そうだね。でも、そういうの、今更じゃん」

 リョウはバツが悪そうに、刈り上げた後頭部をかく。

「だって、お前が浮気してるって、アイが言ってきたんだよ」
「あはは、あたし、そんなこと言われてたんだ」
 
 スポーツバーで知り合って、私の親友を自称していたアイは、その実、私の彼氏が欲しかった。
 すごく嫌な思いはしたけれど、あまりにもあからさまな裏切りで、傷心する暇がなかったくらい。今はまだ、そのことについて深く考えたくない。
 
「やり直したいんだ。今度、会ってくれないか?」
「ごめん、リョウの連絡先、消しちゃったんだよね」
 
 リョウは慌ててスマホを取り出す。大きな手のひらには不似合いな小さな機種だ。
 
「じゃあ、もう一度、連絡先教えるから。今、何処に住んでるんだ?」
「え、いいよ、いいよ。引っ越しまでした意味ないじゃん。そうだ、チームの追っかけしてるシズって子が連絡欲しいって言ってたから、誰かに連絡先を聞くといいよ」
「違う、俺は、お前じゃなきゃ駄目なんだ」

 リョウとの思い出に、反芻したいエピソードは無い。古いレシートみたいにゴミ籠に捨てちゃうのがちょうどいい。リョウとの付き合いで増えた人間関係も、誰一人残らなかった。
 
「あー、ごめんね? リョウといて楽しかったような気はするけど、忘れちゃった!」
「悪かったって。本当に誤解だったんだ」
「今は彼氏とかより、友達とごはん食べたりする方が楽しいんだ。じゃあね! 見かけても、もう声かけないでね」

 倉持の肘をつかんで歩き出せば、倉持が、本当にいいのかと顔だけで問う。

「おい、待てよ。こっちが下手に出てれば……」

 リョウが追いかけてくる気配がする。もう話すことはないし、このまま逃げ切りたい。
 リョウが追い付く前に、倉持は振り返って背を伸ばす。

「すみません、事情は分かりませんが、厨川が嫌がっているようなので、私達はこれで失礼します。厨川、ちゃんと挨拶したのか?」
 
 倉持が人当たりよくリョウに向かってお辞儀するのと同時に、私の頭を押して下げさせる。

「もう好きにはなりませんので、悪しからず。さようなら」

 そう告げれば、リョウのこめかみに血管が浮くのが見えた。リョウはこういう煽りにはめっぽう弱い。

「お友達さん、この馬鹿女に関わるとろくなことにならないですよ。進学校行ったのに、進学もしないで、コネで入社するような要領だけは良いお嬢さんなんで。頭が軽くて、話し合わないと思いますよ」
 
 負け犬の遠吠えの台詞も、何かの使いまわしで、痛々しいったらない。
 無視して歩き出すと、倉持がぴたりと止まったままだ。つまずきそうになって振り返ると、リョウを見上げる倉持がいた。
 
「頭、軽くないですよ」
「は?」
「彼氏だったくせに、ご存知ないのかも知れませんけど、高校で厨川の成績はずっと上位で、いくつも有名大学に受かっています。友人の目から見ても、頭の軽いと言われるような学力ではありません。侮辱にあたります」

 倉持は静かだけれど、怒りのこもった声でリョウに告げる。
 私は驚いて、手で口元を覆いながら、倉持の腕を引く。
 不謹慎なほどに、笑いが抑えられない。
 
「ふ、ふふ……倉持、いいの、いいの! リョウ、本当にバイバイ、元気でね!」

 スキップするように倉持を引きずって、坂道を登る。
 言いたりなかったのか、倉持は後ろを威嚇しながら、渋々ついてくる。
 
「厨川、嫌なこと言われて、あんなにあっさりでいいのか! 少しは怒れよ」

 夕方の光が、怒っている倉持の影をモンスターみたいに伸ばしている。
 こんなモンスターなら、リョウなんて一足でぺちゃんこだ。

「リョウってさ、運動の世界の人でしょ? あんまり私の私生活に興味ないっていうか、そもそも、社会とか会社とかよくわかってなくて。高卒の理由も会社のことも、私の仕事も、興味なかったんじゃないかな。パーティーとか飲み会にはよく同伴させられたけど」

 見た目が好きだったんだろな、と結論は出ている。

「なんでだよ! 厨川は合格を全部蹴って留学したんだぞ!」
「いいの、いいの」

 そんなの、もうどうでもよくなってしまった。
 リョウに出会ってしまったことよりも、倉持と居るだけで、もっと面白いことが起きてる。
 口に手を当てて耐えていたけれど、こらえきれなくなって噴き出した。

「あはは、くらもちー、友人だって! 友達じゃないとか言ってたのに、ついに友人って言ったね!」
「それは……」
 
 赤面する倉持を動画で残しておきたい気持ちでいっぱいだけど、面白くて、お腹がすいてきた。
 
「あんなの雑にしとけばいいの。あんなやつのために時間を使ってやらない! 倉持、予定変更、肉食いに行くぞ!」

 夕日を背にして、ガシッと肩を組んで歩くシルエットは、ラスボスくらいの大きさで、モンスターらしく高く脚を上げてみる。

「馬鹿、お前、スカート短いんだから……」
「大丈夫、大丈夫、倉持にしか見えないって!」

 お肉を食べながら倉持に説教されたけど、今日もご飯が美味しかった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ことりの台所

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:21

大賢者様の聖図書館

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:967pt お気に入り:38

継母の心得

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:25,249pt お気に入り:24,782

【完結】真実の愛を見つけてしまいました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:127pt お気に入り:163

異世界でフローライフを 〜誤って召喚されたんだけど!〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,533pt お気に入り:276

異世界街道爆走中〜転生したのでやりたい仕事を探します。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,750pt お気に入り:18

処理中です...