くら。くら。

砂山一座

文字の大きさ
上 下
5 / 14

5 月曜 カレンダーでは休み。私は仕事

しおりを挟む
 世間はお休みだけど、私は仕事。
 休み明けは気合が入る。休日前に残してきた仕事を考えながらスーツに着替える。髪を巻いて、化粧は濃いめ、ヒールも高め、これが私の出社スタイルだ。
 倉持も昨日買った服を着て、出かける準備をしていた。
 乾かしただけの長い前髪には、ワックスが必要かもしれない。
 自分の髪につけてから、その手でわしゃわしゃと倉持の髪を揉んでやる。
 
「どこ行くの? 仕事?」
「仕事は明日から。部屋から仕事の荷物を持ち出してくる。引越し先が決まってからじゃないと、他のものは動かせないけど」
「仕事、フレックスにして、一緒に行ってあげようか?」
 
 急に胸がソワソワして、倉持を引き留める。
 倉持はあんなことがあったばかりで、重病人の病み上がりとかわらない。これ以上何かショックを受けるのはよくない。

「保護者かよ」

 スマホでニュースを読みながら、コーヒーを飲んでいる倉持は、見た目には落ち着いている。
 
「ほら、だって、気まずいじゃん」

 元カレの部屋に行ったら、別の女がいた時のことを思い出して、胃がきゅっとなる。
 ああいう気力の奪われる瞬間は、誰だってなるべく邂逅したくないはずだから。

「経験があるような言い方だな」
「あるから警告してんの! 夜に行きな。明かりがついてない時なら安全だから」
「安全も何も、彼女、今日は仕事だから」
 
 私の警告を軽く流して立ち上がる倉持を、両手で遮って引き留める。
 
「まてまて、コーヒーだけじゃダメ! 納豆があるから、朝ごはん、食べて! 空腹はダメだよ。なんかあった時に戦えない」
「もう戦いは終わってる。……母親かよ」
「ちがうよ、友達だよ!」
 
 倉持は照れていると解釈するにしては、ちょっと無理があるくらい嫌そうな顔をする。
 
「あのさ、厨川、そうやってなんでも自分に繋がりがあるみたいに言うの、良くない癖だよ。高校の時はさておき、今は別に、友達じゃないだろ」
「友達だし!」
「一緒におにぎり食べれば友達って、小学生じゃないんだから。酔っていた時に言ったことは、もう忘れてくれ。わかっているだろうけど、病的な意味でのトラウマじゃない。ただ思い出したくないだけなんだ。泊めてもらうのは有難いけど、俺の人生に、簡単に踏み込んでくるなよ」

 倉持は非難の滲む目を、ぐっと細めた。

「もう、出かけるから」
 
 倉持が可愛げのないことを言うのは、今に始まった事ではない。
 ずかずかと踏み込もうとする私と、嫌がるそぶりの倉持。
「高校の時はさておき」にデレ要素を見いだしてしまう私は、かなり倉持のことを理解していると思うんだけど。
 心の通い合った倉持の彼女なら、こういう時、どうしただろう。
 シリアスに考えようとしたけれど、全然想像がつかなかった。

「待て、倉持! これでもくらえ!」
 
 私は冷蔵庫からアルミパックのゼリー飲料を取り出して、乱暴に蓋を開けると、倉持の口に突っ込んでぎゅっと握る。
 倉持は私のお節介を振り払うことはなかった。
 大人しく最後まで飲み切って出かけていくのを、少しの満足で見送った。





 なんとなくソワソワと一日働いて、定時で会社を出る。
 覚えのある感覚だ。父が子犬を飼い始めた時の、あの感じ。
 うちに犬がいるって、夢だったんじゃないかって、疑いながらドアを開けたのを思い出す。
 
「ただいま~」
 
 真っ暗な部屋にむかって、祈るような気持ちでただいまを言う。
 明かりをつけながらリビングを通って、奥の客間をのぞくと、ベッドの上に小山ができていた。

「くらもち~?」

 暗がりで小山がもぞりとする。
 
 (よかった。まだいた)

 小山はまた、もぞりとした。
 
「ご飯食べた? ドーナッツ買ってきたよ。コーヒー入れようか?」
「……ん」
 
 くぐもった声は元気ではなかったけれど、動けないほどではなさそうだ。

「泣き終わったら、出ておいで」

 とんとんと小山を叩くと、ガバリと小山が起き上がった。
 
「泣いてない!」
「はいはい。泣いてない、泣いてない」

 どんな関係でも、長い付き合いの人と、お別れするのはつらい。
 いわんや彼女をや、だ。
 一人で納得してうんうんと頷いていると、倉持が少しだけ布団から顔を出す。
 気まずそうな沈黙がまた続いて、その後、咳払いが入る。
 またモゾモゾとしてから、「あ」と言って黙り込んで、最終的に絞り出すように何か言い始める。

「朝……友達じゃないなんて言って、悪かった。……朝食は買っておいたから」

 耳を疑って、瞬きをする。倉持ってば、謝った?

「え、倉持……そんなこと言えるようになったの? 大人になったね」
「……そこは、そうじゃないだろ」

 余計なことを言ってしまったようで、倉持はまた布団の中に戻っていった。
 でも、謝罪を言葉にされて、野良猫に懐かれたみたいな嬉しさがある。
 頑固なツンデレだった倉持を、伝えられる大人に変えたんだから、時間って尊い。

「倉持、あのさ、今のもう一回言ってみて。記念に動画に残してもいい?」

 スマホを向けている間、倉持は布団から出てこなかった。

 
 *
 
 泣いてないと言い張った倉持は、もそもそとドーナツを齧っている。
 冷蔵庫を開けたら、倉持の冷蔵庫から移動させてきたのだろう、大量のサラダチキンが入っていた。一つを開けてかじりながら、元気のない倉持の話を聞いてやる。
 
「男の私物が、縄張りを主張するみたいに、嫌味臭くリビングに置いてあったーー」

 そんなものを見たら確かに泣いちゃうかもしれない。これは全力で頑張ったことを褒め称えなければならない。

「そっか……彼女から連絡は?」
「着信拒否してる。話せることは何もない」
「浮気じゃなくて、無理やりとか、レイプだったって可能性は……ないのかぁ」

 倉持は力無く首をふる。倉持ははっきりとは言わないが、どうやら彼女と相手には性的な同意があったようなのだ。
 
「そもそも浮気じゃない。あれは本気。ユカリは、肉体的な繋がりに真の幸せを見つけたんだとさ。つまり、俺は、あいつらの恋の当て馬にされたってこと」

 怒ってるのは少し元気な証拠だ。何もやる気にならないよりはいい。

「その……彼女さんは、そもそもなんで性的な関係を望んでなかったわけ?」
「ユカリは、好きな人を諦めるために、精神的な繋がりを別の誰かと構築するつもりだったんだ。異性と性的なつきあいが出来ない俺と、お互いに目差すものが同じだった」
「え、倉持、やっぱりED?」
 
 私が人差し指を天井に向けて言ったので、倉持は嫌そうにその指を下げさせた。確かにちょっと下品だったかもしれない。
 
「俺の性的機能に問題はない。なんだったら婚前検査までしてある」
「じゃぁ、同性愛者とか?」
「婚前検査をしたっていっただろうが」

 同性愛を隠す為に偽装恋人をしていたというストーリーが浮かんできたけれど、おでこを指で弾かれて霧散した。そういえば、倉持の性的嗜好について考えたことはなかった。

「婚前検査って、ブライダルチェック? お、おう……それは、彼女と結婚する気があったってことだもんね」
「体外受精にするにしても、未来については考えていたんだ。お互いどういう働き方をしたらいいかとか、子を持つために考えることはたくさんあるだろ?」
「さすが倉持、メジャーは考古学なのに、思考は最先端だね」

 結婚も、子育ても視野に入れた付き合いだったことに動揺して、おかしな返しをしてしまった。そこまで考えていたのに、彼女の倉持に対する仕打ちは、あまりにも可哀想すぎないだろうか?
 倉持はもう一つドーナツを取り出して、ガツガツと齧り始める。
 全体的に見て倉持は大変不幸だ。しかも倉持の大きな不幸のどこかには「わたしのせい」なことが入っているのだ。
 後ろめたくて、残しておいた一番好きなドーナッツを倉持に譲ってあげた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

一夜の男

詩織
恋愛
ドラマとかの出来事かと思ってた。 まさか自分にもこんなことが起きるとは... そして相手の顔を見ることなく逃げたので、知ってる人かも全く知らない人かもわからない。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

一目惚れ、そして…

詩織
恋愛
完璧な一目惚れ。 綺麗な目、綺麗な顔に心を奪われてしまった。 一緒にいればいるほど離れたくなくなる。でも…

処理中です...