くら。くら。

砂山一座

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2 金曜日 22時45分 倉持を拾う

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 マンションに辿り着く頃には、倉持はだいぶ静かになっていた。
 口数が減った倉持に反比例して、私の頭の中の独り言がどんどん増える。
 今頃になって、じわじわと、倉持に彼女がいたことに驚き始めている。
 枯れてるなと思っていた同じ開発部の子が、営業部の花形と恋人だと聞いた時だって、こんなに驚かなった。

 (倉持が誰かと恋愛するなんて、そんなことあるんだ……)

 身勝手な驚きだけれど、あの頃の倉持は学問と結婚しそうな、そういうタイプだとカテゴライズしていた。
 
「――ほら、着いたよ、お水飲みな」
 
 倉持を客室のベッドに投げ捨てて、疲労した背中や腰を伸ばす。ヨレヨレのスーツの下の、頑丈な筋肉は重くて、上着を脱がしてやるのも手間がかかりそうだ。
 寝かしつけていると、倉持が頭をあげた。
 
厨川くりやがわ……」
「何?」

 ぼんやりとしたまま、縋るように私に手を伸ばしている。こんな弱りきった倉持を無下にはできない。

「どした? 握手?」

 労わろうと思って握り返した手を、倉持は跳ねのけた。どうやら手を握って欲しかったのではないようだ。表情を取り戻すと、一度は私に向かって伸ばした手を拳に変えて、ドンと自分の膝に打ちつける。
 
「くそ、なんで厨川に……」
「それはほんとに、ごしゅうしょうさまです。うんうん、こんな格好悪いとこ、私に見られるなんてね」

 恩着せがましくしたいわけじゃないけれど、こんなふうに手を振り払われたら、嫌味の一つも言いたくなる。
 鋭い反射角で繰り出される反論をまっていたのに、倉持は私を睨みつけるばかりだ。そうしているうちに視線が下がり、倉持は怒りを滲ませる口調で顔を歪めた。
 
「――これもそれも、厨川のせいだ。俺は、今でもが夢に出る」

 なんだろう、何かしてしまったのだろうか?
 怒らせるようなことはよくしていたと思うので、一つに絞り切れない。

「それって、倉持が落ちた大学に、私が受かっちゃったこと?」
「違う! 冬休み前のことだ」
「ああ、あれか――」

 私は、自分でも思い起こすのが億劫な事件を、思い浮かべた。

 そう――あれは、高校三年の冬休み前。

 受験勉強に本腰を入れていて、極力遊び歩かないようにしていた頃だ。
 遊びたいのを我慢して勉強していたけれど、新しくできたショッピングモールに、巨大なクリスマスツリーが飾られると聞いて、居てもたってもいられなくなった。
 これは無理してでも見なければと、過密な受験勉強の合間に、おでかけの計画を立てたのだ。
 みんなもそれぞれ忙しそうにしてるから、誘いづらい。だから、ほとんど進路の決まっていた倉持を連れていこうと考えた。
 すっかり予定が立って、倉持を誘いに行ったのに、暇なはずの倉持は、親友の誘いをバッサリと切り捨てたのだ。

『その日は無理』

 土器や、鏃の写真が載っている分厚い本に目を向けながら、日程だけを聞いて断った倉持は、すごくそっけなかった。視線を上げて私を見ることもしない。
 その態度に、自分勝手に決めた予定だったにもかかわらず、「面白くないないな」と思ったのだ。
 倉持には、もうすぐ離れ離れになる親友よりも、大切なものがある。
 それは重々承知していたはずなのに、その日は引く気になれなかった。
 せっかく日程を調節したのだ、少しぐらい無理を言ってでも倉持を連れていきたい。
 そう思ったら、よく考えず喋ってしまう悪い癖が発動した。
 自分が何を言い出したのか、言い切ったときには自分でもよくわかっていなかった。 

『発掘に行かないで、私と一緒に買い物行ってくれるなら、おっぱい揉ませてあげようか?』

 本当に、なんであんなことを言ってしまったんだろう。
 今思い出しても、頭を抱えて転がりたい。
 私だって、倉持がおっぱいにつられると本気で思っていたわけじゃない。発掘に勝てる強力な手札をとっさに思いつかなかっただけだ。それにしても、ひどい選択肢だった。

 行くとも、行かないとも答えず、驚いた顔で停止した倉持は、再び動き出すと私のブラウスの胸元まで手を伸ばした。そのままキッチリ1センチ浮かせたところで止まって、難しい顔をしている。
 
 倉持が何かしらの答えを出す前に、私は自分が作り出した、おかしな状況に気がついた。
 既に手おくれの雰囲気の中、笑って誤魔化す以外に、親友との変な空間から脱出する手があったとは思えない。

『あはは、冗談、冗談! 発掘に行った方がいいって。有名な教授が呼んでくれたんでしょ? それに、私の胸揉んだって、倉持は幸せになるタイプじゃないって! 彼女できるまでは、がまん、がまん!』

 結局、鏃や土器に敗北した私は、一人でクリスマスツリーを見に行った。
 あの時のモヤモヤは、まだ心に残っている。
 どうやらあの時のモヤモヤが心に残っているのは私だけではなかったようだ。
 大人になった倉持は、アルコールで焦点が合わなくなった視界をどうにかするために、瞬きを繰り返して、眉をぎゅっと寄せて憤っている。

「そっちはただ、からかっただけなんだろうけど、俺にしてみれば、トラウマだ!」

 倉持は、呂律を怪しくして、私に指を突き付ける。

「別にからかったわけじゃないよ」

 倉持の大切な学問と、男子高校生の性欲を天秤にかけさせてしまったのはよくなかった。だからと言って、からかってごめんと謝るのは違う気がした。
 倉持はますます暗い顔だ。

「だってさ、私、倉持とツリーが見たかったんだよ」
「ほら、たちが悪い。せめて完全なる悪意であれよ!」
 
 火に油を注いだようで、倉持は両手を戦慄かせ、「これだから厨川は」と頭を抱えた。
 あのことに関しては、これ以上、何を言ったらいいか分からない。

「恋人でもない男に、そういうこと言うの、良くないからな。わかってるのか?」
「それは私もそう思うし、倉持にしかしてないよ」
「だから、そういう所!」

 倉持はアルコールですっかりダメになった頭で、ぶんぶんと首を振る。
 こっちだって青天の霹靂だ。あれがトラウマと呼ばれる程のことになっているとは思っていなかった。

「……もしかして、彼女と上手く行かなかったの、私のせい?」
「そんなわけあるか! あいつと別れることになったのは、全面的に相手の男のせいだ」
「じゃぁ、私のせいでってなによ?――女性恐怖症? まさかEDとか?」

 思い至ってハッとする。私が変なことを言ったせいで、女性不信になってしまったのではないだろうか。そして、女性不信が、体にも影響してしまった?
 倉持は彼女と性的な繋がりを築けなかったと言っていた。もしそういうことなら辻褄が合う。
 おそるおそる倉持の下半身に目をやると、布団を引き寄せて隠す。

「違う!」
「違うの? じゃあ、どうしちゃった?」
「そんなの、言えるか……」

 倉持は語尾を濁して、そのまま黙りこんだ。

「だって、私のせいなんでしょ?」
「そうだよ。だから……もう、俺にかまうなよ」

 私のせいだと言ったり、なのにかまうなと言ったり、倉持の言い分もなんだか矛盾しているけれど、今指摘するのはよくない気がする。

「もしかしてだけど、倉持って、私のこと嫌ってた?」
「は?」
 
 倉持はさっきから怒っているけれど、きっと今が一番怒っている。
 表情が消えた怒り顔で私の肩を掴むけれど、酔っぱらっていて、その握力は弱い。

「いいか、あのあと、俺は……」

 私を睨みつけながら、倉持はふらふらと頭を揺らす。ちょっと目の焦点があってない。
 唇を歪ませて、何かを言い終える前に、倉持は崩れるように布団に沈んだ。
 何か地雷を踏んでしまったらしいことはわかった。

「おーい、倉持?」
 
 倉持はピーとかスーとか、鼻音を立てて眠り込んでいる。
 急性アルコール中毒、ってことはないだろうけど、あまり安らかな寝顔ではない。
 それにしても、倉持が自分のことを厭わしく思っていたかもしれないなんて、考えたことがなかった。

「どうしよう……私、倉持に嫌われてたのかも」

 考えもしなかった視点を得て、私はしょんぼりと客室を出た。
 
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