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第六章
第37話 「野良犬に吠えられ不愉快だとて、その犬に噛み付かんだろう」
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敵戦力を城門を使って分断し、突入してきた連中を壊滅させるまでが第一段階。
続いての第二段階となる城外の連中との戦闘は、態勢を十分に立て直した後で。
そう語っていた孫三郎の計画は、ここまで順調に推移していた。
門が破られるまで余裕があるだろうから、その間に矢傷の手当てをしておこう。
そう考えながら静馬が眼下の戦いを眺めていると、逃げようとしたか相手を変えようとしたか、アトリを囲んでいた連中が離れていった。
それを見たアトリは血に塗れた鉤爪を外して放り投げると、懐から妙な塊を取り出して点火した。
「あれは……まさか」
手にしているのは焙烙玉――しかも四個を一まとめにしてある。
団子になって逃げようとする連中を、一気に吹き飛ばすつもりだろうか。
「ちょっと待――」
静馬は慌てて暴挙を阻止しようとするが、一呼吸遅かった。
絶望的に不器用なアトリによって放られた火薬の詰まった球体は、賊の頭上を軽々と飛び越えて城門付近まで辿り着き、そこで盛大に炸裂した。
「あぁ、案の定なことを……」
「なぁにをやっとるのじゃあぁああああっ!」
静馬が天を仰ぎ、ユキが大声で怒鳴り、アトリが気まずそうに目を逸らす。
ここまではいつも通りの流れだが、今回は閂の壊れた城門を蹴破って武装した数十人が登場する、怒涛の濁流が待っていた。
まだ吹き飛んだ木片が降ってくる状況で、煙の中から右近の馬が姿を現す。
そして死屍累々の間を器用に駆け抜け、瞬く間に静馬の目の前まで到達する。
その手には、業物らしい抜き身の刀が鈍い光を放っている。
「やってくれたな、小僧……誰の差し金か」
「誰でもない、俺自身の意志だ。我が名は玄陽堂静馬――父母と妹の、岩多の皆の、仇を討たせて貰うぞ、右近」
「ふん、岩多村か」
銃口を向けても、右近に動揺した気配は微塵も見えない。
具足はつけておらず、小袖の上に仕立てのいい羽織、下は上等そうな袴に脛当。
腰には大小の他に、一尺(三十センチ)ほどの長さの筒が幾つも提げられていた。
外見こそ二年前と然程変わりない右近だが、何か根本的な部分が変質しているような、そんな得体の知れない圧力が静馬に伝わってくる。
「ほう……そちらはユキ姫か。久しいな」
「暫く会わぬ内に態度が大きくなったものじゃな、右近」
「そうは言うが、お前は既に主家の姫君でも何でもない。ただの小娘を敬える程、某は人格者ではなくてな」
「その主家を滅ぼしておいて、どの口が言うかっ――」
「となると、姫も仇討ちかね」
歯軋りしながら睨んでくるユキを前にしても、やはり右近は涼しい顔だ。
「しかし何だ。二人から仇として狙われているのでは、どちらかに討たれてしまえば不公平になるか」
「そういう下らん悩みなら、鉛弾か鏃が臓腑に食い込んでからにしてはどうだ?」
低い声でなされる静馬からの提案を無視し、右近は続ける。
「それに、某を仇として恨んでいる者は全国に何百何千といる。やはり、おいそれと死んでやれんな。代わりといっては何だが、お前等の憎しみを消し去ってやろう――ついでに魂魄も消え失せるがな」
右近の冷えた眼を正面から受け止め、銃把を握る静馬の掌に汗が滲んだ。
※※※
静馬とユキが右近と二年ぶりの対面を行っていた頃、その下の曲輪では果てしない混戦が繰り広げられていた。
アトリは圧倒的な数に押し切られ、城壁に転用された岩に登りながら、寄せてくる敵と鉈のように刃が厚い直刀で切り結んでいる。
孫三郎と弥衛門も、敵の多さに連続射撃の連携を崩されている。
抜刀した孫三郎が押し寄せる敵を防ぎ、弥衛門が背後から銃を撃って援護する形で抵抗しているが、ジリジリと後退を余儀なくされている。
「ユキ、お主はアトリの助太刀に行け」
「しかし――」
「十人相手に刀一本では、いくらアトリでも無理だ」
静馬が有無を言わさぬ調子で告げると、ユキはその場を離れてアトリの救援に向かう。
右近はそれを妨害しようともせずに、馬上からつまらなそうに見送っている。
「忍ごときに、慈悲深いことだ」
「お主と違って、仲間を使い捨てにはしてないのでな」
「仲間、かね」
声を上げずに唇を歪めただけの、癇に障る薄笑いだ。
激発しそうになる感情を抑え、静馬は無限に湧き出る悪罵を呑んで問う。
「……何が可笑しい」
「いや、わからぬなら良いのだ」
これもまた、引っかかる物言いだ。
凪いでいた心が、また波立ち始める。
静馬は思い煩うのを止め、手早く終わらせようと決めた。
そして銃を一旦収めると、努めて冷静に右近に告げる。
「真行寺右近、尋常に勝負を致せ」
「断る」
即答で、思いもよらない言葉が返ってきた。
不意に階段から足を踏み外したような気分に陥りつつ、静馬は訊く。
「断る、だと……武士が果し合いから逃げるか」
「逃げるのではない。武士だからこそ断るのだ」
右近の言葉に面食らってばかりの静馬だったが、やがて正解らしきものへ辿り着く。
「俺が地侍の子だから、か。武士もどきの百姓風情とは勝負する気にならんとでも?」
「違うな。生まれは関係ない……心根の問題だ。女子供や忍如きを仲間などと呼び、仇討ちのような下らん真似に労力を費やし、それを疑問に思わぬような魂の卑しき者と、対等な勝負などしてやれん。野良犬に吠えられ不愉快だとて、その犬に噛み付かんだろう」
「なっ……何なのだ! お主は……」
静馬には、右近という男がわからない。
語る内容もその論理も、是非はさて措いて理解はできる。
できるのだが――こいつの内側では、何かが決定的に壊れている。
人に似た別の生き物と言葉を交わしているような、言いようのない不安に囚われた静馬は、その感情が呼び込む悪寒を振り払おうと再び銃を抜いた。
続いての第二段階となる城外の連中との戦闘は、態勢を十分に立て直した後で。
そう語っていた孫三郎の計画は、ここまで順調に推移していた。
門が破られるまで余裕があるだろうから、その間に矢傷の手当てをしておこう。
そう考えながら静馬が眼下の戦いを眺めていると、逃げようとしたか相手を変えようとしたか、アトリを囲んでいた連中が離れていった。
それを見たアトリは血に塗れた鉤爪を外して放り投げると、懐から妙な塊を取り出して点火した。
「あれは……まさか」
手にしているのは焙烙玉――しかも四個を一まとめにしてある。
団子になって逃げようとする連中を、一気に吹き飛ばすつもりだろうか。
「ちょっと待――」
静馬は慌てて暴挙を阻止しようとするが、一呼吸遅かった。
絶望的に不器用なアトリによって放られた火薬の詰まった球体は、賊の頭上を軽々と飛び越えて城門付近まで辿り着き、そこで盛大に炸裂した。
「あぁ、案の定なことを……」
「なぁにをやっとるのじゃあぁああああっ!」
静馬が天を仰ぎ、ユキが大声で怒鳴り、アトリが気まずそうに目を逸らす。
ここまではいつも通りの流れだが、今回は閂の壊れた城門を蹴破って武装した数十人が登場する、怒涛の濁流が待っていた。
まだ吹き飛んだ木片が降ってくる状況で、煙の中から右近の馬が姿を現す。
そして死屍累々の間を器用に駆け抜け、瞬く間に静馬の目の前まで到達する。
その手には、業物らしい抜き身の刀が鈍い光を放っている。
「やってくれたな、小僧……誰の差し金か」
「誰でもない、俺自身の意志だ。我が名は玄陽堂静馬――父母と妹の、岩多の皆の、仇を討たせて貰うぞ、右近」
「ふん、岩多村か」
銃口を向けても、右近に動揺した気配は微塵も見えない。
具足はつけておらず、小袖の上に仕立てのいい羽織、下は上等そうな袴に脛当。
腰には大小の他に、一尺(三十センチ)ほどの長さの筒が幾つも提げられていた。
外見こそ二年前と然程変わりない右近だが、何か根本的な部分が変質しているような、そんな得体の知れない圧力が静馬に伝わってくる。
「ほう……そちらはユキ姫か。久しいな」
「暫く会わぬ内に態度が大きくなったものじゃな、右近」
「そうは言うが、お前は既に主家の姫君でも何でもない。ただの小娘を敬える程、某は人格者ではなくてな」
「その主家を滅ぼしておいて、どの口が言うかっ――」
「となると、姫も仇討ちかね」
歯軋りしながら睨んでくるユキを前にしても、やはり右近は涼しい顔だ。
「しかし何だ。二人から仇として狙われているのでは、どちらかに討たれてしまえば不公平になるか」
「そういう下らん悩みなら、鉛弾か鏃が臓腑に食い込んでからにしてはどうだ?」
低い声でなされる静馬からの提案を無視し、右近は続ける。
「それに、某を仇として恨んでいる者は全国に何百何千といる。やはり、おいそれと死んでやれんな。代わりといっては何だが、お前等の憎しみを消し去ってやろう――ついでに魂魄も消え失せるがな」
右近の冷えた眼を正面から受け止め、銃把を握る静馬の掌に汗が滲んだ。
※※※
静馬とユキが右近と二年ぶりの対面を行っていた頃、その下の曲輪では果てしない混戦が繰り広げられていた。
アトリは圧倒的な数に押し切られ、城壁に転用された岩に登りながら、寄せてくる敵と鉈のように刃が厚い直刀で切り結んでいる。
孫三郎と弥衛門も、敵の多さに連続射撃の連携を崩されている。
抜刀した孫三郎が押し寄せる敵を防ぎ、弥衛門が背後から銃を撃って援護する形で抵抗しているが、ジリジリと後退を余儀なくされている。
「ユキ、お主はアトリの助太刀に行け」
「しかし――」
「十人相手に刀一本では、いくらアトリでも無理だ」
静馬が有無を言わさぬ調子で告げると、ユキはその場を離れてアトリの救援に向かう。
右近はそれを妨害しようともせずに、馬上からつまらなそうに見送っている。
「忍ごときに、慈悲深いことだ」
「お主と違って、仲間を使い捨てにはしてないのでな」
「仲間、かね」
声を上げずに唇を歪めただけの、癇に障る薄笑いだ。
激発しそうになる感情を抑え、静馬は無限に湧き出る悪罵を呑んで問う。
「……何が可笑しい」
「いや、わからぬなら良いのだ」
これもまた、引っかかる物言いだ。
凪いでいた心が、また波立ち始める。
静馬は思い煩うのを止め、手早く終わらせようと決めた。
そして銃を一旦収めると、努めて冷静に右近に告げる。
「真行寺右近、尋常に勝負を致せ」
「断る」
即答で、思いもよらない言葉が返ってきた。
不意に階段から足を踏み外したような気分に陥りつつ、静馬は訊く。
「断る、だと……武士が果し合いから逃げるか」
「逃げるのではない。武士だからこそ断るのだ」
右近の言葉に面食らってばかりの静馬だったが、やがて正解らしきものへ辿り着く。
「俺が地侍の子だから、か。武士もどきの百姓風情とは勝負する気にならんとでも?」
「違うな。生まれは関係ない……心根の問題だ。女子供や忍如きを仲間などと呼び、仇討ちのような下らん真似に労力を費やし、それを疑問に思わぬような魂の卑しき者と、対等な勝負などしてやれん。野良犬に吠えられ不愉快だとて、その犬に噛み付かんだろう」
「なっ……何なのだ! お主は……」
静馬には、右近という男がわからない。
語る内容もその論理も、是非はさて措いて理解はできる。
できるのだが――こいつの内側では、何かが決定的に壊れている。
人に似た別の生き物と言葉を交わしているような、言いようのない不安に囚われた静馬は、その感情が呼び込む悪寒を振り払おうと再び銃を抜いた。
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