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第六章
第35話 「ざわつく心を落ち着かせるにはブン殴るのが一番」
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夜が明けてからそろそろ二時(四時間)は経とうというのに、右近らは未だ姿を現さなかった。
暗い内からアトリが物見に出ているが、本隊が帰還したとの報告はまだ来ない。
緊張が絶え間なく続いたせいか、静馬の胃と頭には鈍い痛みが生じている。
ただ待つことに焦れた静馬は、言わずもがなの文句を量産していた。
「クソッ……何をしてやがるんだ」
「そう急くでない。戦場では思惑通りに事が運ばないのが当然だと思え」
孫三郎が、実体験に由来すると思われる教訓を語ってくる。
静馬もそれはわかっている――つもりだ。
しかし右近との直接対決を間近に控えて逸る心は、先程から武者震いを止まらなくさせている。
「のう、静馬よ」
「ん、どうし――だぶっ!」
振り向いた静馬の頬に、ユキが無言で拳を突き入れてきた。
「痛ぇ! なっ、何だっ? 唐突に?」
「いや、ざわつく心を落ち着かせるにはブン殴るのが一番、といつぞや誰だかに聞いたような気がしなくもなかったのでな」
「そんな曖昧な記憶を頼りに殴ってくるな! 大体、こういう場合は平手打ちだろう!」
「刺激が強い方が、効き目もあるかと思ったのじゃ」
「一体どういう――」
理屈なのだ、と抗議を続けようとした静馬だが、いつの間にか震えが収まっているのに気付いた。
礼を言うのも何だか癪だった静馬は、ユキに背を向けると朝から何度目になるかわからない銃の調整を始めた。
単独行動は危ないと判断され、孫三郎の補助役に徹することとなった弥衛門は、銃に素早く弾薬を装填する練習を黙々と繰り返す。
空は青く風は穏やかで、高くから鳶が鳴く声だけが聞こえる。
間もなく修羅場となる山砦には、奇妙なまでの静謐があった。
「いい天気だの」
「……ああ」
孫三郎に釣られて、静馬は空を見上げる。
疎らに雲の白が散った青色を眺めている内に、何でこんな日に殺し合いなんだろう、と根本的な部分への疑問まで湧いてしまった。
なので静馬は、強引に思考を断ち切って手の中の銃に意識を戻す。
これに命を預け、これが命を奪う。
仇を探して何千里と旅する自分のために、海の向こうから何万里を旅してきた武器。
その長い長い旅も、あと半日もすれば終わる。
「願わくば、終わりではなく――」
「うん? 何じゃ?」
静馬の独り言にユキが反応しようとするが、そこで開け放した城門の向こうからアトリが駆けて来るのが見えた。
四人は立ち上がり、決まりきった事実を確認するだけでしかない報告を待つ。
「来ました。総勢は五十から五十五、騎馬が八。見た所、武装と錬度は夜中に倒した連中よりも数段は上になるかと。異変には気付いていない様子で、移動速度はのんびりしたものです」
アトリの告げた内容は想定に近いものだったが、こちらの十倍の人数を相手にすることが確定し、一瞬にして空気は張り詰める。
「そうか。では皆、手筈通りの配置に」
不安や弱気が生じる隙を作らせないよう、静馬が即座に反応する。
「うむ」
「承知じゃ」
「おーよ」
「はい」
四種類の返事が出揃い、全員が動き出す。
孫三郎と弥衛門、そしてアトリが城門の左右に分かれて伏せる。
静馬とユキは、城門から見て正面上部の二番目の曲輪、半日ほど前に留守居の大将を討った辺りに陣取る。
そこに捕らえておいた三人の賊を引っ立て、並んで正座させる。
三人の捕虜は大人しくしているが、これは単に猿轡を噛まされて何も喋れず、手足をキツく縛られて身動きが取れないからだ。
「いよいよ、じゃな」
予備用に砦の武器庫から持ち出したらしい弓、その弦を弾いて調子を確かめながらユキが言う。
「そう……だな」
答える静馬の声は、いつになく擦れたものになった。
家族の、幼馴染の、村人達の殺害を命じた元凶との、二年ぶりの対面。
心中には複雑極まりない感情が渦巻き、静馬を落ち着かなくさせている。
「もしや、妾の鉄拳がもう一発必要か?」
「いや、いらん……大丈夫、だと思う」
肌の粟立ちに気付いたらしく、ユキが袖を捲って提案してくるが静馬は拒絶する。
するとユキの握り拳は、静馬の頬ではなく右の肩をやんわりと叩いた。
「成否の鍵は、そなたの演技次第じゃ。頼んだぞ、静馬」
「ああ、一世一代の猿芝居を御覧に入れよう」
「それは上手いのか下手なのか、どっちじゃ」
孫三郎の無駄口に悪影響を受けつつあるな、と自覚し静馬は苦笑を漏らす。
程なくして、大勢の人間が移動する雑多な音が接近してくる。
隣にいるユキからも笑顔が消え、城門の先を鋭く見据えていた。
まず馬に乗った男の姿が見えたが、開け放たれた城門に気付くと、慌てて引き返していった。
それから蹄の音や金属音が高まって行き、一矢万矢の面々が現れる。
中心にいる騎馬武者は、追い続けてきた真行寺右近。
その隣で騎乗している男も、村が燃えている最中に目にした覚えがある――あれが弟の久四郎か。
真行寺兄弟の姿を直接に見据え、激しく波打っていた静馬の心は不思議と凪ぐ。
もう余計なことは、考えなくても良い。
仇は目の前に揃っている――全員を撃ち倒せば、それでいい。
静馬は背を丸めながら強く息を吐き、続けて胸を反らしながら大きく息を吸い込んだ。
暗い内からアトリが物見に出ているが、本隊が帰還したとの報告はまだ来ない。
緊張が絶え間なく続いたせいか、静馬の胃と頭には鈍い痛みが生じている。
ただ待つことに焦れた静馬は、言わずもがなの文句を量産していた。
「クソッ……何をしてやがるんだ」
「そう急くでない。戦場では思惑通りに事が運ばないのが当然だと思え」
孫三郎が、実体験に由来すると思われる教訓を語ってくる。
静馬もそれはわかっている――つもりだ。
しかし右近との直接対決を間近に控えて逸る心は、先程から武者震いを止まらなくさせている。
「のう、静馬よ」
「ん、どうし――だぶっ!」
振り向いた静馬の頬に、ユキが無言で拳を突き入れてきた。
「痛ぇ! なっ、何だっ? 唐突に?」
「いや、ざわつく心を落ち着かせるにはブン殴るのが一番、といつぞや誰だかに聞いたような気がしなくもなかったのでな」
「そんな曖昧な記憶を頼りに殴ってくるな! 大体、こういう場合は平手打ちだろう!」
「刺激が強い方が、効き目もあるかと思ったのじゃ」
「一体どういう――」
理屈なのだ、と抗議を続けようとした静馬だが、いつの間にか震えが収まっているのに気付いた。
礼を言うのも何だか癪だった静馬は、ユキに背を向けると朝から何度目になるかわからない銃の調整を始めた。
単独行動は危ないと判断され、孫三郎の補助役に徹することとなった弥衛門は、銃に素早く弾薬を装填する練習を黙々と繰り返す。
空は青く風は穏やかで、高くから鳶が鳴く声だけが聞こえる。
間もなく修羅場となる山砦には、奇妙なまでの静謐があった。
「いい天気だの」
「……ああ」
孫三郎に釣られて、静馬は空を見上げる。
疎らに雲の白が散った青色を眺めている内に、何でこんな日に殺し合いなんだろう、と根本的な部分への疑問まで湧いてしまった。
なので静馬は、強引に思考を断ち切って手の中の銃に意識を戻す。
これに命を預け、これが命を奪う。
仇を探して何千里と旅する自分のために、海の向こうから何万里を旅してきた武器。
その長い長い旅も、あと半日もすれば終わる。
「願わくば、終わりではなく――」
「うん? 何じゃ?」
静馬の独り言にユキが反応しようとするが、そこで開け放した城門の向こうからアトリが駆けて来るのが見えた。
四人は立ち上がり、決まりきった事実を確認するだけでしかない報告を待つ。
「来ました。総勢は五十から五十五、騎馬が八。見た所、武装と錬度は夜中に倒した連中よりも数段は上になるかと。異変には気付いていない様子で、移動速度はのんびりしたものです」
アトリの告げた内容は想定に近いものだったが、こちらの十倍の人数を相手にすることが確定し、一瞬にして空気は張り詰める。
「そうか。では皆、手筈通りの配置に」
不安や弱気が生じる隙を作らせないよう、静馬が即座に反応する。
「うむ」
「承知じゃ」
「おーよ」
「はい」
四種類の返事が出揃い、全員が動き出す。
孫三郎と弥衛門、そしてアトリが城門の左右に分かれて伏せる。
静馬とユキは、城門から見て正面上部の二番目の曲輪、半日ほど前に留守居の大将を討った辺りに陣取る。
そこに捕らえておいた三人の賊を引っ立て、並んで正座させる。
三人の捕虜は大人しくしているが、これは単に猿轡を噛まされて何も喋れず、手足をキツく縛られて身動きが取れないからだ。
「いよいよ、じゃな」
予備用に砦の武器庫から持ち出したらしい弓、その弦を弾いて調子を確かめながらユキが言う。
「そう……だな」
答える静馬の声は、いつになく擦れたものになった。
家族の、幼馴染の、村人達の殺害を命じた元凶との、二年ぶりの対面。
心中には複雑極まりない感情が渦巻き、静馬を落ち着かなくさせている。
「もしや、妾の鉄拳がもう一発必要か?」
「いや、いらん……大丈夫、だと思う」
肌の粟立ちに気付いたらしく、ユキが袖を捲って提案してくるが静馬は拒絶する。
するとユキの握り拳は、静馬の頬ではなく右の肩をやんわりと叩いた。
「成否の鍵は、そなたの演技次第じゃ。頼んだぞ、静馬」
「ああ、一世一代の猿芝居を御覧に入れよう」
「それは上手いのか下手なのか、どっちじゃ」
孫三郎の無駄口に悪影響を受けつつあるな、と自覚し静馬は苦笑を漏らす。
程なくして、大勢の人間が移動する雑多な音が接近してくる。
隣にいるユキからも笑顔が消え、城門の先を鋭く見据えていた。
まず馬に乗った男の姿が見えたが、開け放たれた城門に気付くと、慌てて引き返していった。
それから蹄の音や金属音が高まって行き、一矢万矢の面々が現れる。
中心にいる騎馬武者は、追い続けてきた真行寺右近。
その隣で騎乗している男も、村が燃えている最中に目にした覚えがある――あれが弟の久四郎か。
真行寺兄弟の姿を直接に見据え、激しく波打っていた静馬の心は不思議と凪ぐ。
もう余計なことは、考えなくても良い。
仇は目の前に揃っている――全員を撃ち倒せば、それでいい。
静馬は背を丸めながら強く息を吐き、続けて胸を反らしながら大きく息を吸い込んだ。
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