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第一章
第2話 「妖術じゃなかろうか……」
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緊張した様子もなく店を出た少年の後に、三日月槍を担いだ山室と立会人を引き受けた髭面、そして顰めっ面の店主が続く。
少年と山室のやりとりを見ていた客が「人狩りだ」「仇討ちだ」と大声で触れ回ったせいで、結構な人数が集まって様子を窺っている。
暦通りの春はまだ遠く、店の前の通りには冷えて乾いた空気が澱んでいた。
少年の歳は十五か十六、見栄えの悪い出来損ないの髷の下には、各種感情を強引に捻じ伏せているような複雑な表情が浮かんでいる。
筒袖の服にカルサン袴、その上に道服を羽織り、足元は皮足袋に草鞋履き、そしてなめし皮を縫い合わせた背嚢を背負い、腰には大小の刀ではなく大脇差と銃身の短い銃。
調和を無視した出で立ちは、南蛮かぶれを拗らせた結果とも思えるが、その実は機能性や利便性を重視した結果だ。
早合(弾薬包)の束をたすき掛けにし、上帯からは様々な小袋や印籠を下げていて、歩けば騒々しい物音を立てそうな印象だったが、何か工夫がしてあるのか移動は不思議と静かだった。
少年と山室は作法に従い、十間(約十八メートル)程の距離をとって向き合う。
「……小僧、名は」
両手で持った槍を低く構えながら、山室が少年に問い掛ける。
「訊いてどうする?」
「名無しのままでは、墓を立てるのに困ろう」
「そいつは要らぬ心配だろうが、誰に討たれたのかわからんのでは、お主が冥土に行ってから説明に困るか。俺の名は静馬。玄――」
名乗りの半ばで、山室は体勢を低くして駆け出す。
相手の主な得物が銃であると見た山室は、射撃の体勢が整わぬ内の奇襲でカタを付けようと、立会人の合図を待たずに動き出す、形振り構わぬ戦法に出たのだった。
今でこそ流浪の身だが、かつては幾度も戦場に出ていた山室だ。
鉄砲の威力も弱点も、その記憶に深々と刻まれている。
最大の弱点は、発射までの手数の多さだ。
早合で多少の簡略化はできても、銃口から火薬と弾丸を入れ、槊杖でそれを突き固め、火蓋を開けて火皿に火薬を盛って火蓋を閉じ、火挟みに点火した火縄を挟み、狙いを定めてから火蓋を切って銃爪を引く、という行動が一射毎に必要となるのは変わらない。
「おい、待たぬかっ!」
立会人の制止を無視し、山室は走る。
どんな手を使おうが、相手を討ちさえすれば面倒事は全て片付く――そんな思いで。
五歩、六歩。
地面が蹴られ、その場を動かない静馬へと迫る。
山室の血走った目に、腰から寸詰まりの銃を抜く動作が映る。
「遅いわっ!」
九歩、十歩。
叫びながらも足は止めず、槍の柄を握った右腕を引く。
数十の首を刈り取ってきた鈍色の三日月が、また赤く濁る。
そんな光景を思い浮かべて冷笑を閃かせた山室に、静馬は無言で銃口を向ける。
火縄すら用意していないのに、一体どういうつもりなのか。
「ハッ! 何をして――」
やがる、と続ける前に大音量が響いた。
不意に景色が急転し、眼前に地面が迫る。
咄嗟に石突を地面に立てて転倒を避けた山室だが、右脚が熱く踏ん張りが利かない。
見れば袴が焦げ破れ、右の腿から血が噴き出している。
足に拡がった『熱さ』は、間を置かず『痛み』という正体を現した。
火縄も使わずに、どんなカラクリで。
奇襲を仕掛けたつもりが、これはどういう冗談だ。
状況を把握|《はあく》しようとするが、激痛が山室の思考を邪魔してくる。
「なっ――な――」
何が起きた?
どうしてこうなった?
戸惑う山室は、ただただ言葉を詰まらせる。
「卑怯な真似をして返り討ちとは……いかにもお尋ね者らしい無様さだな、山室」
山室に冷えた眼を向けながら、淡々とした調子で静馬は言い放つ。
「やっ、喧しいわ小僧っ! ブッ殺してやる! すぐに殺してやるからな!」
痛みと焦りで混乱する山室は、反論の余地もない指摘に感情だけで対応する。
心を挫いてくる痛みを堪え、流れる血もそのままに槍を構え直す。
相手は妙な銃を使うらしいが、今からでは弾込めの余裕はあるまい。
そんな計算と静馬への殺意が、深傷を負った山室を動かす。
撃たれながらも戦意を失わない山室の姿に、見物人から驚嘆のどよめきが上がった。
「らがぁあああああっ!」
己を鼓舞するための雄叫びを上げ、山室が再び動き出す。
対する静馬は手馴れた様子で早合を操り、銃口ではなく銃身の後部から弾薬を込める。
そんな動作に違和感を覚える山室だったが、何がどうなろうが首を飛ばせばこちらの勝ち、という単純な思考で迷いを霧散させた。
「もらったぁあああ――ぁぶけぇ!」
至近距離からの銃撃を右肩に受け、体を半回転させられた山室は顔から地面に崩れる。
暗くなった目の前に星が飛び散り、口には土と血の味が広がってゆく。
山室は苦痛の中で混乱の極みにあった。
発砲音に静まり返った見物人だったが、今この場で展開されていた物事が理解できず、次第に騒がしくなり始めた。
「おいおいおい、ありゃ何だ? どういうシロモノなんだ?」
「馬上筒ってやつだろ。前にどこぞの侍が使ってるのを見た」
「それより、火縄はどこだ?」
「妖術じゃなかろうか……」
「そんな馬鹿な。あの格好だし、南蛮渡来の技じゃないか」
人々の口にする言葉は、大部分が銃に関しての疑問だった。
周囲の声を無視し、静馬はポツリと呟く。
「遅い」
「お前さんの方は、逆に早過ぎるの。それに火縄は使っとらんわ、妙な場所から弾を込めるわで、その銃はどうなっとるんだ?」
周囲のざわめきを集約したような立会人の問いに、静馬は微笑か苦笑か判別しづらい表情だけを返す。
そして銃を腰に収めると、日光に灼かれた地虫の如く血を流してのたうっている、山室の傍へ歩み寄っていった。
少年と山室のやりとりを見ていた客が「人狩りだ」「仇討ちだ」と大声で触れ回ったせいで、結構な人数が集まって様子を窺っている。
暦通りの春はまだ遠く、店の前の通りには冷えて乾いた空気が澱んでいた。
少年の歳は十五か十六、見栄えの悪い出来損ないの髷の下には、各種感情を強引に捻じ伏せているような複雑な表情が浮かんでいる。
筒袖の服にカルサン袴、その上に道服を羽織り、足元は皮足袋に草鞋履き、そしてなめし皮を縫い合わせた背嚢を背負い、腰には大小の刀ではなく大脇差と銃身の短い銃。
調和を無視した出で立ちは、南蛮かぶれを拗らせた結果とも思えるが、その実は機能性や利便性を重視した結果だ。
早合(弾薬包)の束をたすき掛けにし、上帯からは様々な小袋や印籠を下げていて、歩けば騒々しい物音を立てそうな印象だったが、何か工夫がしてあるのか移動は不思議と静かだった。
少年と山室は作法に従い、十間(約十八メートル)程の距離をとって向き合う。
「……小僧、名は」
両手で持った槍を低く構えながら、山室が少年に問い掛ける。
「訊いてどうする?」
「名無しのままでは、墓を立てるのに困ろう」
「そいつは要らぬ心配だろうが、誰に討たれたのかわからんのでは、お主が冥土に行ってから説明に困るか。俺の名は静馬。玄――」
名乗りの半ばで、山室は体勢を低くして駆け出す。
相手の主な得物が銃であると見た山室は、射撃の体勢が整わぬ内の奇襲でカタを付けようと、立会人の合図を待たずに動き出す、形振り構わぬ戦法に出たのだった。
今でこそ流浪の身だが、かつては幾度も戦場に出ていた山室だ。
鉄砲の威力も弱点も、その記憶に深々と刻まれている。
最大の弱点は、発射までの手数の多さだ。
早合で多少の簡略化はできても、銃口から火薬と弾丸を入れ、槊杖でそれを突き固め、火蓋を開けて火皿に火薬を盛って火蓋を閉じ、火挟みに点火した火縄を挟み、狙いを定めてから火蓋を切って銃爪を引く、という行動が一射毎に必要となるのは変わらない。
「おい、待たぬかっ!」
立会人の制止を無視し、山室は走る。
どんな手を使おうが、相手を討ちさえすれば面倒事は全て片付く――そんな思いで。
五歩、六歩。
地面が蹴られ、その場を動かない静馬へと迫る。
山室の血走った目に、腰から寸詰まりの銃を抜く動作が映る。
「遅いわっ!」
九歩、十歩。
叫びながらも足は止めず、槍の柄を握った右腕を引く。
数十の首を刈り取ってきた鈍色の三日月が、また赤く濁る。
そんな光景を思い浮かべて冷笑を閃かせた山室に、静馬は無言で銃口を向ける。
火縄すら用意していないのに、一体どういうつもりなのか。
「ハッ! 何をして――」
やがる、と続ける前に大音量が響いた。
不意に景色が急転し、眼前に地面が迫る。
咄嗟に石突を地面に立てて転倒を避けた山室だが、右脚が熱く踏ん張りが利かない。
見れば袴が焦げ破れ、右の腿から血が噴き出している。
足に拡がった『熱さ』は、間を置かず『痛み』という正体を現した。
火縄も使わずに、どんなカラクリで。
奇襲を仕掛けたつもりが、これはどういう冗談だ。
状況を把握|《はあく》しようとするが、激痛が山室の思考を邪魔してくる。
「なっ――な――」
何が起きた?
どうしてこうなった?
戸惑う山室は、ただただ言葉を詰まらせる。
「卑怯な真似をして返り討ちとは……いかにもお尋ね者らしい無様さだな、山室」
山室に冷えた眼を向けながら、淡々とした調子で静馬は言い放つ。
「やっ、喧しいわ小僧っ! ブッ殺してやる! すぐに殺してやるからな!」
痛みと焦りで混乱する山室は、反論の余地もない指摘に感情だけで対応する。
心を挫いてくる痛みを堪え、流れる血もそのままに槍を構え直す。
相手は妙な銃を使うらしいが、今からでは弾込めの余裕はあるまい。
そんな計算と静馬への殺意が、深傷を負った山室を動かす。
撃たれながらも戦意を失わない山室の姿に、見物人から驚嘆のどよめきが上がった。
「らがぁあああああっ!」
己を鼓舞するための雄叫びを上げ、山室が再び動き出す。
対する静馬は手馴れた様子で早合を操り、銃口ではなく銃身の後部から弾薬を込める。
そんな動作に違和感を覚える山室だったが、何がどうなろうが首を飛ばせばこちらの勝ち、という単純な思考で迷いを霧散させた。
「もらったぁあああ――ぁぶけぇ!」
至近距離からの銃撃を右肩に受け、体を半回転させられた山室は顔から地面に崩れる。
暗くなった目の前に星が飛び散り、口には土と血の味が広がってゆく。
山室は苦痛の中で混乱の極みにあった。
発砲音に静まり返った見物人だったが、今この場で展開されていた物事が理解できず、次第に騒がしくなり始めた。
「おいおいおい、ありゃ何だ? どういうシロモノなんだ?」
「馬上筒ってやつだろ。前にどこぞの侍が使ってるのを見た」
「それより、火縄はどこだ?」
「妖術じゃなかろうか……」
「そんな馬鹿な。あの格好だし、南蛮渡来の技じゃないか」
人々の口にする言葉は、大部分が銃に関しての疑問だった。
周囲の声を無視し、静馬はポツリと呟く。
「遅い」
「お前さんの方は、逆に早過ぎるの。それに火縄は使っとらんわ、妙な場所から弾を込めるわで、その銃はどうなっとるんだ?」
周囲のざわめきを集約したような立会人の問いに、静馬は微笑か苦笑か判別しづらい表情だけを返す。
そして銃を腰に収めると、日光に灼かれた地虫の如く血を流してのたうっている、山室の傍へ歩み寄っていった。
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