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第十章 睦月(一月)

242.一月五日 午後 甘い密謀

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 日本の中で人が住んでいる場所にまだこんな秘境が残っていたのか、これは八畑村の集落を抜け八家の住まう山頂へ向かう者ならだれでも抱く感想である。雪の積もった細い山道は舗装されておらずぬかるんでわだちができており、所々せり出した山肌が道の反対側、つまり谷側へ押しやろうと隙を伺っている。

 そんな荒れた道を片手でハンドルを握り平常心で運転する板倉と、よほど機嫌がいいらしく助手席で笑顔を絶やさない八早月の二人はいつもと変わらぬ様子だ。だがその後ろ姿を見ながら青ざめている二人の中年男性と、最後部座席で背もたれにしがみつき無言で踏ん張っている飛雄は生きた心地がしていない。

「すいやせんねえ、昨晩雪が降ったんで路面がぬかるんでいて滑るんですよ。
 まあ今まで一度も崖下に落ちたことは無いのでご安心を」

「そうですよ、板倉さんはとても運転が上手なので怖がらないで下さい。
 いざという時はきちんと治療しますから大丈夫ですよ?」

 何が大丈夫なのかわからずとりあえず激しく頷いてみたものの、大型の高級車ミニバンが尻を振って山道を駆けあがって行く様は、小舟で大時化しけに出会った時のように恐ろしいと感じている三人だった。

 荒れ狂う車の中央座席に座っている中年男性二人、片方は言うまでもなく飛雄の父である高岳雄二郎で、もう一人はその兄である本家当主の高岳磯吉である。三人は八早月が申し出た婚約の件で櫛田家へとやって来たのだ。

 一行がようやく櫛田家へと到着すると、客人たちはぐったりしながら車から降りたった。玄関先には下女が出迎え家に上がる準備を始める。

「あれまあ随分とお疲れのようで、長旅ご苦労様でした、こちらへどうぞ。
 ささ、若旦那様も湯で足を濯ぎますからお掛けくださいませい」

「いやいやそんなこと、車に乗っていて汚れてないので大丈夫です。
 それより水を一杯もらえますか? もう喉がカラカラで……」

 房枝は笑いながら一旦奥へ入り、水差しと湯呑を持って来た。三人へ白湯を出してからお茶の支度をすると言い残し再び土間へ戻って行く。

「叔父さま方、悪路でご苦労お掛けして申し訳ございませんでした。
 お部屋を用意してありますからまずはゆっくりとくつろいでくださいませ。
 さ、飛雄さん、こちらへどうぞ」

 八早月はそう言って飛雄を部屋へと案内し、その後に父親と叔父が続く。廊下を進むと大広間奥に部屋が用意されていたが、斜向かいが八早月の部屋だったため飛雄の心はなんだかざわついてしまった。

 八早月が廊下へ膝をつき襖を開けると、十畳ほどの部屋がきれいに整えられておりかすかにい草・・の香りが漂う。床の間には生け花の代わりだろうか、浅い花器には細かな白い花の付いた枝が寝かされている。

「こちらに部屋着を用意していますのでどうぞ着替えておくつろぎください。
 着付けが必要なら先ほどの房枝さんが手伝ってくれますから遠慮なく申し付けてくださいね」

「こ、これはどうも、お気遣い感謝いたします。
 それにしても山深いところですね、想像以上でした」

「田舎で何もなく恥ずかしい限りです、でも案外いいところなのですよ?
 叔父さまたちのような都会人には暮らしにくいかもしれませんが―― いえ、なんでも」

 と言われても、高岳家一族の住む白波町も大概田舎である。それでも八早月からすれば十分に栄えた場所であり、飛雄や零愛を初めとする高岳家の人間を都会人だと思い込んでいる節がある。

 部屋の案内を終えた八早月が部屋を出ると、入れ替わりで茶の用意をして来た房枝がやってきた。三人にほうじ茶を淹れてから笑顔を作ると、有無を言わさず凄い勢いで飛雄を脱がしにかかる。

 飛雄は抵抗する間もなくあっという間に着物に着替えさせられてしまった。その後はもちろん雄二郎たちの番となり、逆らうこともできないまま着替えを終えた。

「お嬢様は夕飯の前におやつを食べながらお話するとおっしゃってました。
 甘いものは苦手でないですかね? あんみつかところてん好きなほうをご用意します」

「えっと、オレはあんみつをお願いします、こっちの二人はところてんで。
 それであの…… この着物はなにか意味があったりしますか?
 なんというか凄く高そうな感じがするんですけど……」

「お値段は存じませんが正絹しょうけんなので悪いものではねえはずです。
 お嬢様が若旦那様用に仕立てを頼んだ物なのでお気になさらずに。
 こちらの部屋も若旦那様のお部屋ですから、足りねえものがあったらお申し付けくださいませ」

 キョトンとする三人を尻目に房枝は部屋を去って行った。若旦那と呼ばれている飛雄はもちろん、この扱いを目の当たりにした保護者達も状況をいまいち把握しきれず戸惑っている。

「トビ? どういうことなのか説明しろて。まるでもう婿に来たみてえだねか。
 いきなり進めるでなくにと家を出てくる前に散々話し合ったろがい」

「いや、オレも全然聞いてないんだよ、連絡もしてなかったしさ。
 一族の代表で親と叔父と行くとは言ったけど内容はなにも言ってねえっての」

「んじゃなんでオメは正装みたいなカッコさせられてんだ?
 これであちらさんが正装で現れたらどう見ても結納の場でねえかい。
 いくら旧家で名家だって言ってもこんな性急なことすんは無礼でないか?」

「そんなつもりはねえと思うんだが…… ただ八早月はまだ十二だしなあ。
 自分の考えで推し進めてもおかしくはねえかもしれねえ」

「オレたちも反対してるわけじゃねえ、オメがしっかりしてりゃ心配せんよ。
 だがまだ高校生のガキじゃねえか、手放しに送り出すことは出来ねえさ」

 今まで散々繰り返してきた話し合いをここに来てまで繰り返すのかと飛雄はうんざり気味で聞いていたが、逆にここで八早月が軽はずみな行動に出れば押し切って話を終えられるかもとも考えていた。

 とは言え、そんな他力本願な考え方は情けない。やはり自分がしっかりしていると認められたうえで、約束を果たすべきであることも理解している。おそらく八早月は飛雄の現能力がどうであるかは気にしていないだろう。婿として八畑村へ移住することと鍛冶師になることが絶対条件なだけである。

 そのことを何度説明しても納得してくれない石頭どもと話が付かず、高岳家としては礼を欠かないよう早めにと、代表者含めた一行で櫛田家へ挨拶に来ることにしたのだ。以前会ったことのある飛雄の父はともかく、その兄で高岳家当主の磯吉は戸惑いを隠せない。

 先方が中学生だとは聞いていたが、あまりにも幼いその姿はとても一族の当主には見えないからだ。しかし高岳家も神職の一族であるから時に非常識で非現実的なことを目の当たりにすることもある。そう考えれば不思議ではないと自身へ言い聞かせることも出来よう。

「オレたちには神通力がねえからあの娘さんの力量はわからねえ。
 だからオメらの言い分を信じるしかねえんだが、あんな小さな娘が本当にヤバいのか?」

「ヤバいってことはねえけどさ、少なくとも俺も姉ちゃんも太刀打ちできんさ。
 とは言っても別に敵対することなんて無いんだから気にすることねえだろ?
 力関係で言えば個人でも家でも到底敵わねえさ」

「それじゃやっぱり少しでも粗相があれば簡単につぶされちまうな。
 まかり間違ってもオレらの代で潰すわけにいかねえぞ? 先祖が泣くだろがい」

「先祖なんてもうとっくに死んでるんだから泣きゃしないし、潰されることなんてねえよ、叔父さんはホント心配性だなあ」

「なに言ってんだ、雄二郎だってそう思うだろ? 一族の危機だかんな。
 今まで大社おおやしろにすらへりくだらんかったんだぞ?
 何度嫁を寄こせ婿を寄こせと言われてきたと思ってんだがよ?」

「いや聞いたことないからそんなん知らんがよ。
 その大社ってのは隣の山海神社のことだろ? あそこは規模でけえからな。
 近隣からいくらでも迎えられそうなもんなのにうちに声かけてんのか?」

「まあ神通力を増したいんもあるだろうし、地域への影響力も然り。
 だが言いなりにはならねえと拒んで来たわけさ、ほとんど付き合いもねえしな」

 子供だからと重要なことは知らされていなかったのだろうが、その扱いが結局は自分の子供たちを軽んじる一因ではなかろうか。口には出せなかったが飛雄はそう考えるのだった。もしかしたら幼いころから番度ばんたび全てを伝えられていたら、八早月のような達観した子供になっていたかもしれない。それがいいか悪いかは別にして。

 話がまとまらない中、飛雄がそんなことを考えていると、廊下から房枝が声をかけてきた。どうやらおやつの時間らしい。三人はいそいそと部屋を出て広間へと向かった。

 その部屋中央の座卓にはすでにあんみつやところてんが並べられており、客人との談笑をする準備が整えられているように見える。

 しかし――

「ささ、飛雄さんも叔父さま方もお座りになってくださいな。
 長旅でお疲れでしょうからおやつにしましょう」

 にこやかに笑顔でおやつを勧める八早月は、雪輪紋様ゆきわもんように雪柳を重ねた可愛らしい着物で三人を出迎えたのだが、その横には一目で八早月の母親であるとわかる女性も正装で鎮座していた。
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