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第十章 睦月(一月)

237.一月一日(十二月三十一日) 夜中 元旦慶事

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 夜明けには程遠い深夜、厳密にはまだ大晦日の夜なのだが、すでに八岐神社本殿へ向かう道には村民たちが列をなしていた。

 十二月三十一日、すなわち大晦日には一般的に除夜祭じょやさいが行われ、年が明ければ歳旦祭さいたんさいである。とは言っても現代では簡略化され、除夜祭と歳旦祭と言うよりは年明けとともに初詣へと、全て一緒くたにすることが多い。

 八岐神社は古来から続く神社ではあるが、大祓と呼ばれる穢れを払う儀式を主とする除夜祭は行っていない。なぜなら直前の十二月八日に供養祭として同様の儀式を終えてしまっているからである。

 そんなこともあって大々的に除夜祭をするわけではないのだが、当年最初の神事である歳旦祭となれば足の達者な村人のほぼ全員がやってくる。もちろんそのまま初詣となるので、普段は埃っぽい作業着を着た男衆おとこしやモンペ履きの女衆おなごしでも小奇麗な格好で現れ境内は華やかに染まって行く。

「私、来年は参列者になるよ、八早月ちゃんだって晴れ着着たいでしょ?
 去年までは初詣自体行ってなかったしさあ」

「晴れ着を着たいなら、私のかお母さまのがあるから後で着替えたらいいわよ。
 別に一日中巫女装束で神社に詰めていなければならないわけではないのよ?
 私は歳旦祭の後に仮眠をして昼ごろに起きて着替えてあいさつ回りを待つの。
 綾乃さんも同じでいいかしら? もしかしたら直臣も来るかもしれないわよ?」

「四宮先輩は関係ないでしょ! それより自分はどうなの?
 わざわざ行ってきたって言うのに飛雄さんもそれっきりなんでしょ?
 なんだかんだいっても旧家は大変なんだろうなあ」

「年明けにはこちらへ来ると言っていたけれどまだ連絡が来ないのよ。
 もしかしたらまた零愛さんや一族の方々にやり込められているのかもね」

「それにしたってメッセの一つくらい送ってくればいいのにさ。
 待ってる側はやきもきするじゃない? って、八早月ちゃんはそうでもないか」

 実はまったく連絡がないわけではなく、八早月が訪れた翌日の夜にはまた話がこじれているとの報告は来ていた。やはり問題は飛雄の頼りなさらしく、こればかりは家庭内での序列も影響しているため簡単にくつがえせるものではないようだ。

 高岳の一族としては、せめて胸を張って送り出せるような男でなければ恥であると言われ、飛雄は言い返せないでいるのだ。いくら勉学で零愛を勝っていてもあまり意味がなく、重要なのは一人の人間、長男として周囲から見た評価である。

 そんな高岳家の判断としてはともかく、八早月としては櫛田家へ婿養子に来て跡継ぎが作れることと、鍛冶師を継いで技術を習得すること、加えて最低限の礼儀作法が備わっていればそれで十分だ。当主筆頭が決めたことならば一族の誰も口を出すことは無いため、八早月の意思が一族の総意と言っていい。

 だがそんなうまい話があるわけがなく、婿に行ってみたら力不足を追及され後々に遺恨を残したり、高岳一族全体が被害をこうむるような神罰が下されるのではないかと勝手に畏れているのだと飛雄は八早月へ伝えていた。

 高岳家が受け継いできたのは小さな祠一つで、授かっている神通力もそれほど大きくはない。どうやらそのことで大昔から近隣の大社おおやしろの下に組み敷かれてきた歴史がトラウマになっているらしい。

 とまあこんなことをいくら親友でも能天気に話すわけにもいかず、八早月は悩み事を抱えることになっているのだ。一度連絡があって以降、飛雄からなにも言ってきていないことも不安を掻き立て八早月をイライラさせていた。


 そしてなぜ綾乃がここにいるのかと言うと、年末年始は毎年両親と共に父方の実家へ帰省していたのだが、今年はどうしても八岐神社へ初詣をすると言って言うことを聞かず、大晦日から八早月の家に転がり込んで来ている。

 おかげで巫女として神事に駆り出される羽目になったのだが、一応村人しかいない参列者の中に紛れると言う選択肢も与えられていた。しかしさすがに気まずいと思い、突然泊めてくれと押しかけた手前手伝いもすべきだろうと考えた結果、今ここへやって来て巫女装束を着ていると言うわけだ。

 八岐神社本殿の正面には宮司である八畑由布鉄ゆうてつが待機しており、その前にある階段には常勤の一般巫女たちが並んでいる。八早月と綾乃は宮司のすぐ後ろに待機しており、他の巫女とは違う扱いであることを示しているのは明白である。


 そしていよいよ年が開け新年を迎えた。正確な時間を知ることができなかった時代ならともかく、現代では誰でも簡単に時間を知ることができる。その時刻を知るべき一人である宮司の耳へ、こっそり聞いていた時報が届くと共に祝詞のりとが始められた。

 それが終わると巫女たちが参拝道に沿って置かれている篝火かかりびへ火を灯していく。周囲が一気に明るくなると参拝の開始である。別に一番乗りだからと言って特別なことは何もないわりに並びたがる人はいるもので、今年の一番乗りは麓で農家をやっている一家だ。

 宮司が再び祝詞を唱えながら大幣おおぬさを振るう。その下には綾乃が塩の入った小樽を抱えている。参拝者がその前へやって来て本殿へ向い腰を落として祈りを捧ぐと、その頭上へ八早月がごく少量の塩を撒いていくのだ。頭に塩を撒かれた参拝者は一礼してから参拝を終えるのが一連の流れとなる。

 それが約五十人分ほど繰り返され八岐神社の初詣は一段落だ。その後は八家筆頭による新年のあいさつが行われた。もちろん八早月のことであり、参拝者の中でも下から数えて何番目というほど幼いのだが、誰も疑問を抱くことはない。

 この八畑村に住むものであれば、神職の最上位にしているのが八家の筆頭であることは常識なのだ。ただし新年のあいさつと言っても大したものではない。五穀豊穣無病息災だとか厄が付かないようにとか心穏やかな日々が送れるようにだとか当たり前のことばかりである。

 そんな当たり前の言葉であってもありがたいと感激する者が多いのは、宗教的に統一された思考を持つ者ばかりで構成された村であることの証と言えるだろう。それでも決して八家の人間を神格化してはいけないと育てられた村人たちは、八早月に対しても尊敬はすれどあがめることはしない。

 やがて八早月のあいさつが済むと歳旦祭も終盤に入る。最後は昨年生まれた子供を筆頭が抱きかかえて祝辞を贈るのだ。だが少子化の波は田舎の村にも影響を与えており、昨年度の新生児はわずかに二人だけ。しかも一人は里帰りしてきているだけなので厳密に言えば新たな八畑村の住民は一人増えただけだった。

「今年も子供は少ないですね、まあ若い人も少ないので仕方ありませんか。
 同じような村でも近名井村は遥かに多くの人が住んでいるらしいというのに」

「近名井も相当不便そうだったけどバスが普通に走ってるからね。
 八畑村は麓の役場までしか来てないでしょ? やっぱ住むには大変なとこだよ」

「あら綾乃さん? 一般村民はバスの終点にある集落までしか住んでいないわ。
 それより上には八家と八畑家しかないけれど、そこに住むつもりがあるの?」

「八早月ちゃんてばまたそうやって! もう知らない!
 そう言えば分家の人たちは初詣に来てなかったね、なにか理由があるの?」

「理由と言うか、周辺の警護と見回りをしているから忙しいのよ。
 人が多く集まっているところに妖がやってきたら大変だもの。
 当主以外の家族は混雑を避けて人が減ってからお参りをするのが慣例ね。
 これで神社での慶事は終わりよ、新年会までひと眠りしましょうか、ふあああ。
 宮司さんたちもお疲れさまでした、今年もよろしくお願いしますね」

 神社に住んでいる八畑夫妻も、通いでやって来ている巫女たちもこれから帰ってひと眠りするのだろう。さすがに眠くなってきた綾乃がスマホを取り出して時間を確認すると、まだ二時を少し回ったところだった。
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