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第八章 霜月(十一月)

197.十一月二十一日 放課後 書道室

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 いよいよ今週末は文化祭、とは言っても中等部はおまけみたいなもので、参加者らしいことと言えば学業関連の自由展示のみである。

 綾乃は例の騒動を元に『過去の未解決事件についての情報収集方法』と言う名目で、公民館にある過去の新聞を閲覧する設備の利用方法をまとめて掲示する予定で、目下鋭意作成中で追い込み中らしい。

 ちなみに美晴はなにも展示しないことにしたらしく、締切に追い立てられるクラスメートを尻目に余裕の構えを見せている。こんなことが許されているのも、運動部員は体育祭で余計に出場したための差し引きで免除されているからである。

 八早月はと言うと、自宅にあった古い掛け軸を持ってきて、そこに書いてある歌を現代文約したものを一緒に展示することにしたのだが、掛け軸が高価なものである可能性が高いと教員たちから指摘を受け、写真をプリントしたものへとスケールダウンさせられ不服そうだった。

 そして夢路は書道部なので当然のように書をしたため、昨日完成させた一枚が渾身の出来だと息巻いており、放課後わざわざ連れだって見に来たと言うわけだ。朝からとにかく休み時間の度に見せに行きたがって仕方がなかったが、綾乃の都合もあるので放課後となった。

「へ、へえ…… 夢って結構習字上手くなってたんだね。
 小学校の時は良く半紙からはみ出してた仲間だったのに意外だよ」

「う、うん、綺麗だし整ってる感じがあるよ、バランスがいいって言うのかな。
 ちゃんと書道に取り組んでるってわかるもん。先輩も褒めてたでしょ」

「なるほど、楷書はあまり見る機会が少ないのだけれど、力感があるわね。
 それになんと言っても文字選びが素晴らしい! 夢路さんでなければ選べない語句だわ」

 書道部部室の壁には展示用の台紙に張りつけられた書がいくつか展示してある。その中の一枚を真剣に見つめていた三人は、お世辞ではなく本心で褒めている。なんと言っても、ちゃんと書道部員が書いたと疑われることのなさそうな立派な書であることがまず意外だったのだ。

 そして力強く書かれたふた文字がまた意外と言うべきか、想定通りと言うべきか悩むところである。堂々と部室を見つめるその文字は、夢路が選んだにふさわしい意味ではあるが、語句選びに知的センスが滲み出ており意外性をも感じさせてくれる。

 しっかりとした和紙でできた緑色の台紙に真っ白な半紙、そこに黒々と輝く『尊貴そんき』のふた文字、なんだかこの書自体が尊いものに見えてきそうな雰囲気が醸し出されていると言うと褒め過ぎだろうか。夢路の誇らしげな態度を含め、それくらい堂々とした書だった。

「直臣のはまだ完成していないのかしら? どんなものを書くのか興味あるわ。
 切磋琢磨だとか質実剛健などと書きそうだけどね」

「ふた文字ならきっと堅物とかね。飛雄君なら純情や奥手が似合うだろうな。
 八早月ちゃんならなんて書く? アタシは昼寝とか甘味がいいなー」

「それは果たして書道と言えるの? 美晴さんなら邁進まいしん奮闘ふんとうではないかしら。
 何かに向かって突き進んでいる姿が容易に想像できるもの」

「えーいやだよ、画数が多くてとてもじゃないけど筆でなんて書けないもん」

 そう言いながら顔をそむけた美晴は、こんなことで顔を赤くしているところは絶対見られたくないと考えていた。しかし綾乃が目ざとく気が付き、微笑みながら無言で頭を撫でる。

「あら? もしかして怒ってしまったの? 大丈夫、書けなんて言わないわ。
 私も書道は得意でないから強要されたくはないもの」

「全然怒ってないよ、こっち側を見てただけだけど綾ちゃんがなんか急にね……
 そうやってすぐ子ども扱いするんだからさー」

「ふふ、そうだね、ハルちゃんって意外に可愛らしいところあるもんねー
 そうだ、八早月ちゃんにはきっとこれがピッタリだよ」

 綾乃はそう言いながら書道部室にあった二字熟語辞典をめくると『鈍感』を見つけて指さした。もちろん美晴と夢路は大笑いであるが、一人憮然としているのは言われた当人であるのは言うまでもない。

「私はそんなに鈍感な印象を与えているのかしら?
 どちらかと言うと感覚は鋭い方だし、どんなものの気配だって感知できるのよ?
 今だって教室を出て降りてくる直臣に気が付いているしね」

「あははー、確かに敏感でもあるけどね、そういうところ含めてって感じ。
 八早月ちゃんってホントかわいい! 私が――」

『ガラッ!』
「おはようございま――」

「跡継ぎ産めたらいいんだけどなー」

「失礼しました!」
『ガラッ、ピシャッ! タッタッタッタッ……』

「ちょっと綾ちゃん! 変なこと言ってたから先輩逃げてっちゃったよ?
 あーあーどうしようかなぁ、探しに行くか待ってるか悩ましい……」

「えー? 私もびっくりしたよ、きっとみんなで騒いでたからじゃないの?
 入る教室間違えたー的な?」

「廊下の端にあるんだからそんなわけないじゃん! 気まずかったに決まってるよ。
 綾ちゃんが跡継ぎ産むとか言ってたの聞いて照れちゃったんだってば」

「なんで四宮先輩が照れるわけ? 夢ちゃんなにか心当たりあるんでしょ?
 ねえ、正直に言いなさいね、普段私についてどんなこと言ってるのかな?」

 夢路はにじり寄ってくる綾乃に気圧されるように教室の端へと追い詰められていく。それを見て今度は自分の番だと八早月が笑っている。どちらも無関係な美晴もケラケラと笑っており書道室に日頃の静粛さは微塵も感じられない。

 そんな風にただでさえうるさい室内なのに、夢路を角まで追い詰めた綾乃が普段の所業を白状させようと横っ腹をくすぐり始めたのだからなおさらだ。もう完全に廊下まで響くほどの大声が書道室を飛び交っている。

「あははっははっ、わかった、ひぃひぃ、言うからー、ひぃー、もう勘弁だよー
 せ、先輩には、綾乃ちゃんと結婚したら、ひっひっき、きっと優秀な、ひふぅ。
 いい血統の子供が出来るんじゃないかって言ったことあるくらいだってば。
 普段からそんな話ができるような雰囲気じゃないんだから、本当だよー」

「もう、ホント勘弁してよね? 夢ちゃんって名は体を表すどころかそのまんま。
 勝手な夢に私を引っ張り出すのやめてよ、少なくとも口にはしないで!」

「でも綾ちゃんも八早月ちゃんと飛雄君の話してるとき目を輝かせてるじゃない?
 アタシからしたらどっちもどっちだけどなー、ね? 八早月ちゃん」

「そこで私に同意を求めてくる美晴さんの心境が理解できないわ。
 なぜ三人とも飛雄さんをそんなに意識するの? もしかして誰かが飛雄さんに恋をしていると言う事かしら!?」

 今の今まで笑い転げていた夢路は完全に真顔になり、美晴は大きく首を振っている。綾乃はがっくりとうなだれながら夢路の肩をポンポンと叩く。それを見た八早月はこの話題になると本当に不思議な空気になるのだなと、いつものように他人事としての感想を思い浮かべた。
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