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第八章 霜月(十一月)

194.十一月十六日 朝 快晴のどしゃ降り

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 冬になりキリっとひんやりした空気が心地よい朝、みくずは機嫌良く鍛錬に精を出す八早月を眺めながら不機嫌そうにうなだれていた。

「藻殿、そんなに悲観することはございませんよ。
 好評だろうと悪評だろうと名が挙がるのは今の世でも忘れられていない証。
 それに悪評と言うほどでもないと思うのですがいかがでしょう」

「それでもいい印象で語られてはおりませぬよ。
 人々は恵みと言うものをはき違えておるのではないかと感じます。
 五穀豊穣には恵みの雨が欠かせないと言うのに八早月様まであんな妄言を……」

「ですから謝ったではありませんか、そろそろ機嫌を直してくださいな。
 別に蔑んだわけでも非難したわけでもないのです、ただ単に一般的なこととして挙げたまでですからね?」

「そもそもなぜ狐なのでしょう、狸でもむじなでも良さそうなもの。
 大体空から落ちてくるのですから鳥で宜しいではございませぬか。
 そうです、今後はとんびの嫁入りと名を変えていただきましょう」

「何百年も使われている言葉を変えるのは容易ではないでしょう。
 本気でないことはわかりますが、それほど嫌なものですか?」

「主様にはわかりますまい、雨が降るたびに『櫛田の嫁入り』と言われることなぞ無いのですから……」

 藻のこの言葉に八早月は噴き出してしまった。それを見て、藻と共に濡れ縁へ腰かけている真宵は苦笑いするしかない。確かに藻の言うことも一理ある。空が晴れているのに雨が降るなんて『まるで狐に化かされているようだ』と言われて気分の良い狐がいるはずもない。

 かと言って狸ではなんだか間が抜けたように感じる。色々な昔話ではどちらかと言うと狸はどこか滑稽で抜けている存在として描かれていることが多い。反対に狐はカシコイを通り越してずるがしこく狡猾であるとされる。

 では貉はというとこれはアナグマのことなのだが、八早月を含めてこの辺りでは狸と一緒くたにされている程度の存在である。つまりはきちんと雨を降らせるほど化かすのが上手なのは狐くらいと思われて当然だろう。

「わかりました、藻さんの気分が良くないのであれば私も注意しましょう。
 きちんと天気雨と言えばよろしいのですよね?
 そう言えば私、その天気雨について前々から思っていたことがあるのですよ」

「主様? 随分と改まっていかがいたしましたか?
 なにか上手いこと言おうとも私は決して誤魔化されたりしませぬよ?」

「いえいえ狐とは無関係な事なので心配ありませんし大した話でもありません。
 天気雨は笑い泣き、つまり嬉し涙に似ているなあと常々思っているのですよ。
 そんなこともあって、天気雨の日はいい事がありそうだと期待してしまいます」

「八早月様には珍しく、随分と少女趣味的なことをおっしゃるのですね。
 それに産まれてこの方、涙を流したことが無いではございませんか」

「む、今朝はなんだか真宵さんまで厳しい物言いをしますね。
 確かに泣いたことがないと言うのはまことらしいので言い返せません……
 ですが少女趣味と言いますが、私はまだ少女なのですから当然です」

「これは失礼しました、そういう意味ではなく普段はまるで大人ですから。
 ご自身でも幼く見られて不本意だとおっしゃられておりますし……」

「真宵殿のおっしゃる通りでございます、まさかご自分が少女だと?
 生き神様ともあろうお方がなにをおっしゃっているのですか。
 もっとご自分の『格』を考えていただかなければなりませぬよ?」

「格と言われても実際に私はまだ十二歳だから少女でしょう?
 いくら藻さんと言えども事実を捻じ曲げることは出来ませんからね」

 これでもう誰も言い返せないだろうとの考えが表情に出ており、八早月は鼻の穴を大きくして得意げである。だがよほど機嫌が悪いのか、藻は引き下がらずに珍しく食って掛かった。

「主様、よろしいですか? ご存知ないのかわざととぼけているのかわかりませんが、神格に年齢などと言う概念はございませんからね?」

「ですから私はただの人間だと何度も申し上げているではありませんか。
 ようやくみいさんもわかってくれたと言うのに藻さんがそれでは困ります」

 段々と八早月の語気が強くなり始めたこともあり、藻はそろそろ潮時と引き下がり大人しくなった。いい加減気が晴れたのか、それとも八早月からの雷を恐れたのか定かではないが、庭に面している濡れ縁から常世へと戻って行った。

「まったく藻さんときたらいったいどうしたと言うのでしょうか。
 あんな一言くらいでそんなに機嫌を損ねなくてもよろしいと思うのですけれどね」

「確かに今日は様子がおかしかったかもしれません。
 いくらなんでも八早月様へあれほど食って掛かるとは無礼が過ぎます。
 後で良く言い聞かせておきますのでご勘弁願えますでしょうか」

「別に私は怒っているわけではないのです、藻さんにしては珍しいなと。
 私は真宵さんたちがこちらにいない時どんな話をしているのか知りません。
 その辺りが関係しているのかもしれないとは思うのですがいかがですか?」

「いいえ…… 思い当たることがあるとすれば、申し上げにくいのですが……
 巳女殿は八早月様がすでに神格であると確信している様子でございます。
 これはもしかすると八岐大蛇様がなにか伝えているのかもしれません。
 とは言え藻殿の不機嫌とは繋がりませんが……」

「まったくこれだから神格の方々は勝手だと言うのです……
 八岐大蛇様へは、巳さんに滅多なことを吹きこまないようお願いしましょうかね」


 そんな出来事のあった朝でも鍛錬はしっかりと重ね、同じくらいしっかりと朝食とった八早月はいつものように登校した。髪の毛がもっさりと膨らむため雨の日には機嫌が悪くなりがちなのだが、以前に比べるとその度合いは弱くなっていた。

 不機嫌になる理由の大半は、八早月の髪質が母のように艶がありサラッとしたものではなく、父に似て太目かつ総量も多めだからである。雨になると膨らんでしまうのも当然機嫌を悪くする要因なのだが、父に似ていると言うのが一番の理由であることは間違いない。

 だがそれも、ここ最近は考え方を改めつつあり態度も軟化しているため、雨の日の機嫌にも影響が出ている。これには周囲の人間すべてがありがたさを感じているが、なぜ急にそうなったのかは誰にもわからなかった。


 そしてこれまたいつものように学校の側で車を降りた八早月は、駅からやってくる綾乃と合流し、学園へ向かう途中の交差点で美晴、夢路と合流しおしゃべりを続ける。

「今朝は急に雨が降ったけどすぐにやんでよかったよ。
 大分濡れて片付けに手間取っちゃった遅刻するかもって焦っちゃった」

「ああ、確かに地面が濡れてたから降ってたんだなって思ってた。
 ハルったら随分早起きしてたんだね、しかも出かけてたの?」

「えっと、うん、部活じゃ足りなくて早起きできた時は少し走ってるんだよ。
 気温が下がったから走りやすくていい感じだからね。
 ま、いつも寝坊ばっかの夜更かし夢にはわからないだろうけどさ」

「すごいねハルちゃん、私なんて寒くなってきて朝の散歩が辛くなってきたよ。
 布団から出るまでがとにかく大変でさあ……」

『まったく、俺が起こしてやらなきゃ毎日二度寝だぜ』

 美晴と夢路には聞こえていないが、どうやらモコに起こしてもらっているらしい。それを聞いた八早月はこっそりと笑みを浮かべたが、綾乃には気づかれてしまったようで口の前に人差し指を立てて笑う。

「そう言えば、その雨のことでママとケンカしちゃって私も遅刻しそうだったよ。
 朝は忙しいんだから余計なこと言わないでもらいたいもんだよねえ。
 八早月ちゃんならきっとわかってくれると思うんだけどさ、今朝って天気雨だったでしょ?」

 八早月はもうこれだけで嫌な予感がしたのだが、まさにその通り的中し学園までの道のりがとてつもなく遠く感じるのだった。
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