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第七章 神無月(十月)
153.十月十四日 未明 山火事騒動
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お役目のため楽しい時間を一人で切り上げた八早月は朝から不機嫌だった。別に一緒に見回るドロシーに八つ当たりするようなことはないのだが、ピリピリしたムードが醸し出されており、当主とは言え序列八番目である七草家の持つ力程度では簡単に気圧されてしまう。
『春凪殿、八早月様が不機嫌で申し訳ない。
昨晩まではご学友と楽しい時を過ごせていたのですが、お役目のため切り上げてきたことが原因かと……』
『いいえ真宵様、そういう事情があるなら仕方ありません。
主へはそれとなくお伝えしておきますゆえご心配なさらず。
それにしてもドロシー様は八早月様のことが苦手で仕方ないらしい』
『はあ、我が主は己にも周囲にも厳しいお人ですからな。
それでもここ最近は少し心変わりがあったようで、お父上への物腰が和らいでいるのですよ?』
『ほう、それはそれは吉報でございますな。
我々呼士にはお優しいのにお父上にはまっこと厳しく気を揉んでおります』
『先日の彼岸の時には――』
「真宵さん、見えてきましたね。ドロシーはちゃんと起きていますか?
まさか春凪の背で寝ているのではないでしょうね。
往復で疲れているとは思いますがもうひと踏ん張りですよ」
「は、はひぃ、もちろん起きてオリマスとも!
やはり本物の炎ではゴザラいませんよね?」
「はい、間違いなく妖の産み出した幻想です。
しかしあれだけの規模で事が行われると扉から他の妖が出て来てしまうでしょう。
早急な解決が必要ですよ!」
まだ少し距離があるが、四人の視線の先には小ぶりな里山が燃えさかっている光景が広がっていた。人には感知できない幻の炎ではあるが、山に住まう土着神への影響は少なからずあるし、ひと山を燃やすほどの幻術を産み出す力は相当なものだと考えられる。
「これだけの規模の炎を操るのは鬼火武者か行燈蜘蛛でしょう。
まずドリーは扉を探してください。私は妖の相手をします。
真宵さん、お願いしますね」
「はい、八早月様、ところでお寒くありませんか?
やはり綿入れも着てきた方がよろしかったのではないでしょうか。
この季節にしては薄着過ぎるかと」
「そうですね、真宵さんの背に乗っているときは寒さを感じませんけどね。
どういう仕組みなのかわかりませんが助かっていますよ?
確かに薄着では寒いですが風邪をひくこともありませんしね」
「それは無病息災を司る八岐大蛇様のご加護でございますから。
ですが寒い熱い痛い苦しいと言った苦痛は不快なものででしょう?
我慢するくらいなら着ぶくれした方がましですよ?」
「ぶくぶく着こむといかにも寒がっているようでみっともないではありませんか。
私はやはり何事も華麗に振舞いたいのです」
よくよく考えると毎年同じやり取りをしていると、八早月も真宵も昨年のことを思い出していた。だがそんなことを思い返している時間もそろそろ終いである。
「八早月様、まもなく会敵となりますので地上へどうぞ。
どうやら鬼火武者のようで細かな鬼火が森の中に散らばっているのが見えます」
「わかりました、それでは鬼火は私に任せてください。
武者は一人で平気ですか? 時間を稼げば聡明さんと麗明が到着します。
くれぐれも無理無茶のないようお願いしますね」
「かしこまりました、八早月様もご無理せぬようお願いします。
危ない時には藻殿や巳女殿のお手をお借り下さい。
私に遠慮は無用ですのでどうぞ躊躇わないよう」
八早月はその言葉を聞いて真宵の着物を強く握った。それは自分を気遣っている真宵への感謝の気持ちと、一人で戦いへ赴く真宵へ対する心配の気持ち、その両方が重なりうまく言葉にできなかった証であった。
そんな八早月の気持ちを理解しているからこそ、わずかでも危険な目にあって欲しくないと願っているし、心配を掛けぬよう危なげない立ち回りを見せる必要があると考える真宵だ。それはつまりお互いのことを気遣いすぎている関係と言えるだろう。
表裏一体とも言えそうなその関係性は、櫛田家の初代にもなかった巫と呼士の強固な絆であり、二人の強さに繋がる要因の一つなのである。
その二人がいったん地上へと降り立ちそれぞれ分かれて行動を始めた。鬼火武者はもう目と鼻の先である。その姿は、およそ常人の倍ほどの体躯を持ち、周囲に鬼火を纏わせたがらんどうの武者鎧であり傍から見て思考や感情を持っているようには見えない。
発生経緯は不明だが、戦国の世に合戦等で亡くなり亡骸が放置された物に悪意が憑りついて妖となったものであると言われている。妖となる前に対処しようと考えてもさすがにその時代から五、六百年ほど経っているため先回りしての供養は難しく、こうして発生するたびに退治するしかないのが現状だ。
とは言っても分類としては大妖に片手を掛けるほどの存在である。そう度々現れるわけではなく、今回も六年ぶりくらいらしい。と言うことは八早月や真宵は対峙するのがはじめてなため未知の相手だった。
それでも臆することなく向かっていかれるのは常日頃から過去の記録や文献に目を通し、武術だけでなく知識に関する研鑽も怠っていないことが大きい。そのため学校の勉強がおろそかになりがちなのは仕方ないと言うのは、普段の八早月の弁である。
もちろんそれだけではなく、相手の持つ潜在的な力量を量る能力を八早月が持っているためでもあった。これは八早月に限らず八岐贄なら誰にでも備わって行くものであり、まだ未熟で普段からしごかれている直臣や楓も持っている力だ。
ただし知ることができるのは神通力に相当する能力に限られるため、武術を初めとするような肉体的な能力を量ることは出来ない。だがそれは剣や拳を交わせばわかること、今は大きな問題ではない。
現状で鬼火武者と八早月の能力差は三対八程度で八早月が上なのだが、これはあくまで神通力の差であるし、その全てが真宵の力に換算できるわけでもない。とは言え圧倒的に有利なのは間違いない。
しかし直接剣を交えるからにはそう単純な話でもなく、体格差が倍以上あるので直撃を貰ったら致命傷になりかねないだろう。それにあの頑丈そうな鎧で真宵の斬撃がどのくらい軽減されてしまうのかも考えねばならない。
初めて遭遇した強大な妖を前にして、そんな緊迫した空気が辺りを包み始めていた。
『春凪殿、八早月様が不機嫌で申し訳ない。
昨晩まではご学友と楽しい時を過ごせていたのですが、お役目のため切り上げてきたことが原因かと……』
『いいえ真宵様、そういう事情があるなら仕方ありません。
主へはそれとなくお伝えしておきますゆえご心配なさらず。
それにしてもドロシー様は八早月様のことが苦手で仕方ないらしい』
『はあ、我が主は己にも周囲にも厳しいお人ですからな。
それでもここ最近は少し心変わりがあったようで、お父上への物腰が和らいでいるのですよ?』
『ほう、それはそれは吉報でございますな。
我々呼士にはお優しいのにお父上にはまっこと厳しく気を揉んでおります』
『先日の彼岸の時には――』
「真宵さん、見えてきましたね。ドロシーはちゃんと起きていますか?
まさか春凪の背で寝ているのではないでしょうね。
往復で疲れているとは思いますがもうひと踏ん張りですよ」
「は、はひぃ、もちろん起きてオリマスとも!
やはり本物の炎ではゴザラいませんよね?」
「はい、間違いなく妖の産み出した幻想です。
しかしあれだけの規模で事が行われると扉から他の妖が出て来てしまうでしょう。
早急な解決が必要ですよ!」
まだ少し距離があるが、四人の視線の先には小ぶりな里山が燃えさかっている光景が広がっていた。人には感知できない幻の炎ではあるが、山に住まう土着神への影響は少なからずあるし、ひと山を燃やすほどの幻術を産み出す力は相当なものだと考えられる。
「これだけの規模の炎を操るのは鬼火武者か行燈蜘蛛でしょう。
まずドリーは扉を探してください。私は妖の相手をします。
真宵さん、お願いしますね」
「はい、八早月様、ところでお寒くありませんか?
やはり綿入れも着てきた方がよろしかったのではないでしょうか。
この季節にしては薄着過ぎるかと」
「そうですね、真宵さんの背に乗っているときは寒さを感じませんけどね。
どういう仕組みなのかわかりませんが助かっていますよ?
確かに薄着では寒いですが風邪をひくこともありませんしね」
「それは無病息災を司る八岐大蛇様のご加護でございますから。
ですが寒い熱い痛い苦しいと言った苦痛は不快なものででしょう?
我慢するくらいなら着ぶくれした方がましですよ?」
「ぶくぶく着こむといかにも寒がっているようでみっともないではありませんか。
私はやはり何事も華麗に振舞いたいのです」
よくよく考えると毎年同じやり取りをしていると、八早月も真宵も昨年のことを思い出していた。だがそんなことを思い返している時間もそろそろ終いである。
「八早月様、まもなく会敵となりますので地上へどうぞ。
どうやら鬼火武者のようで細かな鬼火が森の中に散らばっているのが見えます」
「わかりました、それでは鬼火は私に任せてください。
武者は一人で平気ですか? 時間を稼げば聡明さんと麗明が到着します。
くれぐれも無理無茶のないようお願いしますね」
「かしこまりました、八早月様もご無理せぬようお願いします。
危ない時には藻殿や巳女殿のお手をお借り下さい。
私に遠慮は無用ですのでどうぞ躊躇わないよう」
八早月はその言葉を聞いて真宵の着物を強く握った。それは自分を気遣っている真宵への感謝の気持ちと、一人で戦いへ赴く真宵へ対する心配の気持ち、その両方が重なりうまく言葉にできなかった証であった。
そんな八早月の気持ちを理解しているからこそ、わずかでも危険な目にあって欲しくないと願っているし、心配を掛けぬよう危なげない立ち回りを見せる必要があると考える真宵だ。それはつまりお互いのことを気遣いすぎている関係と言えるだろう。
表裏一体とも言えそうなその関係性は、櫛田家の初代にもなかった巫と呼士の強固な絆であり、二人の強さに繋がる要因の一つなのである。
その二人がいったん地上へと降り立ちそれぞれ分かれて行動を始めた。鬼火武者はもう目と鼻の先である。その姿は、およそ常人の倍ほどの体躯を持ち、周囲に鬼火を纏わせたがらんどうの武者鎧であり傍から見て思考や感情を持っているようには見えない。
発生経緯は不明だが、戦国の世に合戦等で亡くなり亡骸が放置された物に悪意が憑りついて妖となったものであると言われている。妖となる前に対処しようと考えてもさすがにその時代から五、六百年ほど経っているため先回りしての供養は難しく、こうして発生するたびに退治するしかないのが現状だ。
とは言っても分類としては大妖に片手を掛けるほどの存在である。そう度々現れるわけではなく、今回も六年ぶりくらいらしい。と言うことは八早月や真宵は対峙するのがはじめてなため未知の相手だった。
それでも臆することなく向かっていかれるのは常日頃から過去の記録や文献に目を通し、武術だけでなく知識に関する研鑽も怠っていないことが大きい。そのため学校の勉強がおろそかになりがちなのは仕方ないと言うのは、普段の八早月の弁である。
もちろんそれだけではなく、相手の持つ潜在的な力量を量る能力を八早月が持っているためでもあった。これは八早月に限らず八岐贄なら誰にでも備わって行くものであり、まだ未熟で普段からしごかれている直臣や楓も持っている力だ。
ただし知ることができるのは神通力に相当する能力に限られるため、武術を初めとするような肉体的な能力を量ることは出来ない。だがそれは剣や拳を交わせばわかること、今は大きな問題ではない。
現状で鬼火武者と八早月の能力差は三対八程度で八早月が上なのだが、これはあくまで神通力の差であるし、その全てが真宵の力に換算できるわけでもない。とは言え圧倒的に有利なのは間違いない。
しかし直接剣を交えるからにはそう単純な話でもなく、体格差が倍以上あるので直撃を貰ったら致命傷になりかねないだろう。それにあの頑丈そうな鎧で真宵の斬撃がどのくらい軽減されてしまうのかも考えねばならない。
初めて遭遇した強大な妖を前にして、そんな緊迫した空気が辺りを包み始めていた。
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