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第五章 葉月(八月)
113.八月二十五日 午後 浪西高校
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山本夢路はとにかく恋愛話が大好きである。自宅には大量の少女マンガがあり、そのほとんどが恋愛ものなのだ。もちろんマンガだけではなく現実の恋愛話も大好きなので、少しでもそんなそぶりを見せようものなら容赦ない質問攻めにあう。
「だからさ、重要なのはなんでわざわざ見に行くのかってことなのよ。
誘われたからって言うのは理由とは言わないの、それじゃただの断れない女だよ。
誘われたことに対してどう感じたかが大切ってことなんだからね!」
「わ、わかったわ、夢路さんが興奮するほどのことだと言うのは理解できたわ。
でもそんな大げさな話かしら? 昨日の朝に少し触らせてもらって今日も持ったのよね」
「なっ!? なにを触らせてもらったの!?」
「野球の道具よ、なんと言ったかしら、あの手に持って振る棍棒みたいなの。
―― ああそうそう、バットね、アレは良い鍛練になりそうだと感じたわ」
夢路の隣では美晴が大笑いし、興奮していた夢路は背もたれへ背中を預けながら天を仰いでいる。上辺は社交的だが他人とは距離を置きがちな綾乃はあまり興味がない様子だが、それでも八早月に詰め寄る夢路の様子は楽しく眺めていた。
「もういい、私が八早月ちゃんに甘い恋バナを期待したのが悪かったのよ。
自分の過ちを素直に認めることにするわ」
「夢はホント恋愛脳だなぁ。アタシらにはまだ早いって。
所詮は田舎の中学生だもん、マンガみたいな出会いや恋愛なんて無いっての」
「でもおかしいわね、こうしてステキな女子とは簡単に出会えたのに。
そんな男子がいてもおかしくは無いはずでしょう?
でもクラスの男子は、未だに顔と名前が一致しない子までいるのよねぇ」
「これは八早月ちゃん手厳しい、でも案外と的を射てると思うなぁ。
きっとクラスの男子が冴えないのばっかなのがいけないんだよ」
車には八早月たち四人の女子たちと、八早月の母手繰に下女の北条房枝、玉枝姉妹の昔女子だった三名、そしてこの集団を乗せたワゴン車を運転しているのが唯一の男性である板倉だ。
四十になったばかりの板倉は自分が考えているより世間的には若くないことを理解している。そんなオジサンが女子中学生を大勢乗せているのはさぞかし居心地が悪いだろうと思われるのだが、そこは少女たちも立派な女性であるから本能的にわきまえている様子だ。
「板倉さんくらい素敵な男子がいればいいんだけどね。
やっぱりスラッとしててカッコいいし、落ち着きがあってやさしいもんね」
「わかるー、でもそれってやっぱり大人の男性だから出せる雰囲気なんじゃない?
余裕があるって言うの? いちいち女子の目なんて気にしないでしょ。
若い男の先生もその辺りはダメだよね、おどおどしててさ」
「みんな結構言うねー、私は恋愛も男子も興味全然ないからわからないや。
でもやっぱり優しい男性はステキだね、八早月ちゃんが羨ましくなるよ」
「そうなのよ、板倉さんはとてもステキなんだけど独身なのがもったいないわ。
結婚が全てではないけれど、このまま私を乗せるだけの毎日では悪いもの。
どこかに釣りあうようないい女性がいたらいいのだけどね」
「あらあら、ちいさなおせっかいさんに人気で板倉君も大変ね。
でも八早月ちゃんの言うことにも一理あるわ、お見合いしてみればいいのに。
いくら勧めても断られるって寄時が言ってたわよ?」
板倉にとっては災難もいいところだ。子供にいじられるだけなら微笑ましいと流せるが、ちゃっかりと手繰が話に加わっている。さすがに雇い主に本気で勧められたら断るのに難儀するかもしれない。
「お母さま、そんな上の立場の人間から言われてしまうと断りにくいでしょう?
こう言うことは公平な第三者へお願いすべきだと考えます。
板倉さんも困りますよね? お母さまに何を言われても正直に諾否を伝えてよいのですからね?」
「お嬢、お気遣いありがとうございます。
ま、私はこんなですから一人で構わないんですよ。
家族ならこんな大勢いますし、十分楽しくやらせていただいてますしね」
板倉はそんなことを言いながら、怪我の跡を示すようにハンチング帽のてっぺんを叩いた。この達観したような物言いと態度が未成熟な女子にとって光って見えるようで、夢路などは完全に憧れている様子で板倉の後姿を見つめている。
「おっと、お嬢、もうすぐそこが浪西高校です。
グラウンド側に回せばいいですかね?」
「そうですね、あまり近いと迷惑かもしれないので遠目に見学しましょう。
それにしても野球場と言うのは随分と広いのですね。
双眼鏡でもあればもっと良く見えたでしょうに残念です」
すると板倉がグローブボックスを開けて双眼鏡を取り出し八早月へと差し出してきた。何と用意のいいことかと驚いた八早月に向かって、板倉は右手を数回ひねりバイクに乗るゼスチャーを見せた。
「うふふ、そういう役立ち方もあるのですね。
でもありがとうございます、お借りしますね」
野球をやっているところを初めて見た八早月には、彼らが何をしているのか理解はできなかったが、ボールを投げたりバットを振ったり、走って滑りこんで泥だらけになっていることくらいは一目でわかる。これでは擦り傷くらいすぐできるだろうし、治る暇もないだろう。
一生懸命に練習を眺める八早月のことを、夢路は再びハートマークの瞳で見つめているし、美晴は陸上部の練習が休みなので最近走ってないなとうずうずしているようだ。全く興味のなさそうな綾乃は、いつの間にか寝息を立てていた。
八早月はこんな風にこっそりと眺めて黙って帰るつもりだったのだが、飛雄はさすがに気配に気が付いたようだ。八早月のところまで飛んできた金鵄は何か言いたそうにまとわりつく。
もう一度グラウンドへ目をやると、遠くで飛雄が両手を振っているのが見えた。周りの部員は笑いながらボールをぶつけたり砂を掛けたりしているが、アレは男子同士のじゃれ合いのようなものだろうか。
双眼鏡でのぞくと口をパクパクさせているが、遠すぎて何を言っているのかさっぱり聞こえない。でも真っ黒に日焼けした顔が太陽のように笑っているのだから、きっといいことを言っているのだろう。
最後にトンビの金鵄を撫でた八早月は、車の中から小さく手を振りながら板倉へ声をかけ帰路についた。
「だからさ、重要なのはなんでわざわざ見に行くのかってことなのよ。
誘われたからって言うのは理由とは言わないの、それじゃただの断れない女だよ。
誘われたことに対してどう感じたかが大切ってことなんだからね!」
「わ、わかったわ、夢路さんが興奮するほどのことだと言うのは理解できたわ。
でもそんな大げさな話かしら? 昨日の朝に少し触らせてもらって今日も持ったのよね」
「なっ!? なにを触らせてもらったの!?」
「野球の道具よ、なんと言ったかしら、あの手に持って振る棍棒みたいなの。
―― ああそうそう、バットね、アレは良い鍛練になりそうだと感じたわ」
夢路の隣では美晴が大笑いし、興奮していた夢路は背もたれへ背中を預けながら天を仰いでいる。上辺は社交的だが他人とは距離を置きがちな綾乃はあまり興味がない様子だが、それでも八早月に詰め寄る夢路の様子は楽しく眺めていた。
「もういい、私が八早月ちゃんに甘い恋バナを期待したのが悪かったのよ。
自分の過ちを素直に認めることにするわ」
「夢はホント恋愛脳だなぁ。アタシらにはまだ早いって。
所詮は田舎の中学生だもん、マンガみたいな出会いや恋愛なんて無いっての」
「でもおかしいわね、こうしてステキな女子とは簡単に出会えたのに。
そんな男子がいてもおかしくは無いはずでしょう?
でもクラスの男子は、未だに顔と名前が一致しない子までいるのよねぇ」
「これは八早月ちゃん手厳しい、でも案外と的を射てると思うなぁ。
きっとクラスの男子が冴えないのばっかなのがいけないんだよ」
車には八早月たち四人の女子たちと、八早月の母手繰に下女の北条房枝、玉枝姉妹の昔女子だった三名、そしてこの集団を乗せたワゴン車を運転しているのが唯一の男性である板倉だ。
四十になったばかりの板倉は自分が考えているより世間的には若くないことを理解している。そんなオジサンが女子中学生を大勢乗せているのはさぞかし居心地が悪いだろうと思われるのだが、そこは少女たちも立派な女性であるから本能的にわきまえている様子だ。
「板倉さんくらい素敵な男子がいればいいんだけどね。
やっぱりスラッとしててカッコいいし、落ち着きがあってやさしいもんね」
「わかるー、でもそれってやっぱり大人の男性だから出せる雰囲気なんじゃない?
余裕があるって言うの? いちいち女子の目なんて気にしないでしょ。
若い男の先生もその辺りはダメだよね、おどおどしててさ」
「みんな結構言うねー、私は恋愛も男子も興味全然ないからわからないや。
でもやっぱり優しい男性はステキだね、八早月ちゃんが羨ましくなるよ」
「そうなのよ、板倉さんはとてもステキなんだけど独身なのがもったいないわ。
結婚が全てではないけれど、このまま私を乗せるだけの毎日では悪いもの。
どこかに釣りあうようないい女性がいたらいいのだけどね」
「あらあら、ちいさなおせっかいさんに人気で板倉君も大変ね。
でも八早月ちゃんの言うことにも一理あるわ、お見合いしてみればいいのに。
いくら勧めても断られるって寄時が言ってたわよ?」
板倉にとっては災難もいいところだ。子供にいじられるだけなら微笑ましいと流せるが、ちゃっかりと手繰が話に加わっている。さすがに雇い主に本気で勧められたら断るのに難儀するかもしれない。
「お母さま、そんな上の立場の人間から言われてしまうと断りにくいでしょう?
こう言うことは公平な第三者へお願いすべきだと考えます。
板倉さんも困りますよね? お母さまに何を言われても正直に諾否を伝えてよいのですからね?」
「お嬢、お気遣いありがとうございます。
ま、私はこんなですから一人で構わないんですよ。
家族ならこんな大勢いますし、十分楽しくやらせていただいてますしね」
板倉はそんなことを言いながら、怪我の跡を示すようにハンチング帽のてっぺんを叩いた。この達観したような物言いと態度が未成熟な女子にとって光って見えるようで、夢路などは完全に憧れている様子で板倉の後姿を見つめている。
「おっと、お嬢、もうすぐそこが浪西高校です。
グラウンド側に回せばいいですかね?」
「そうですね、あまり近いと迷惑かもしれないので遠目に見学しましょう。
それにしても野球場と言うのは随分と広いのですね。
双眼鏡でもあればもっと良く見えたでしょうに残念です」
すると板倉がグローブボックスを開けて双眼鏡を取り出し八早月へと差し出してきた。何と用意のいいことかと驚いた八早月に向かって、板倉は右手を数回ひねりバイクに乗るゼスチャーを見せた。
「うふふ、そういう役立ち方もあるのですね。
でもありがとうございます、お借りしますね」
野球をやっているところを初めて見た八早月には、彼らが何をしているのか理解はできなかったが、ボールを投げたりバットを振ったり、走って滑りこんで泥だらけになっていることくらいは一目でわかる。これでは擦り傷くらいすぐできるだろうし、治る暇もないだろう。
一生懸命に練習を眺める八早月のことを、夢路は再びハートマークの瞳で見つめているし、美晴は陸上部の練習が休みなので最近走ってないなとうずうずしているようだ。全く興味のなさそうな綾乃は、いつの間にか寝息を立てていた。
八早月はこんな風にこっそりと眺めて黙って帰るつもりだったのだが、飛雄はさすがに気配に気が付いたようだ。八早月のところまで飛んできた金鵄は何か言いたそうにまとわりつく。
もう一度グラウンドへ目をやると、遠くで飛雄が両手を振っているのが見えた。周りの部員は笑いながらボールをぶつけたり砂を掛けたりしているが、アレは男子同士のじゃれ合いのようなものだろうか。
双眼鏡でのぞくと口をパクパクさせているが、遠すぎて何を言っているのかさっぱり聞こえない。でも真っ黒に日焼けした顔が太陽のように笑っているのだから、きっといいことを言っているのだろう。
最後にトンビの金鵄を撫でた八早月は、車の中から小さく手を振りながら板倉へ声をかけ帰路についた。
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