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第三章 水無月(六月)

56.六月二十六日 午後 未知の呪術

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 到着して改めて確認した民家には何枚もの呪符的な物が貼られていた。八早月やよいには西洋の術式に関する知識が不足しており、描かれている紋様と文字を見て一目でどんなものか解読はできない。それでも札から発せられている悪しき気配と、目の前で起こっていることを考えればまともなものでないことは明らかだ。

 屋根の上には巨大なぬえが鎮座しており、やや半透明な姿から時間をかけて実体化する途中であると見られる。それはまるで『ねぶた』の山車灯篭のようだというのが素直な感想だった。とは言え実物は見たことが無いのだが。

 急ぎ対処が必要なことは明らかだとしても、呪術の解除手順がわからないままに手を出して鵺が暴走してしまうと大問題だ。ひとまずは札の写真を撮ってから八家当主へ送ると共に、若い感性に期待すべく継承者候補である八岐贄やまたにえたちへもメッセージを送った。

 そんな若い感性を持たない最年少・・・の八早月はすぐさま現地調査へと入る。鵺自体はまだ動き出してはいないが、念のため真宵まよいが監視していてくれるので任せておけばいいだろう。

 呪詛札だと思われるものはすべて同じ図柄と文字が書いてあり、コンパスで書いたようにきれいな多重円と複雑な意匠、そしてアルファベットのような西洋風の文字で描かれている。実際に何語なのかまではわからないが苦手の英語でないことくらいは理解できた。

 どうやら常世とこよからの扉は家の中に発生しているようで、もしかしたら屋根の上にいる鵺の真下かもしれない。ひとまずは家の中から探っていきたいが、他人の家に勝手に入るのは憚られる。いったいどうすればいいだろうか。

 脚が止まってしまった八早月の背後から誰かが近づいており、思わず振り向いて構えてみると、そこには見知った少年が今にも倒れそうな様子で近寄ってきた。

「な、なんで、お前が…… ここに……
 苦しい…… 中に爺ちゃんと婆ちゃんが……」

上中下ひとそろいさん? しっかり!
 ご祖父母が家の中にいるのですね? 肩を貸しますから中へ行きましょう」

 八早月はこれ幸いと少年と一緒に家の中へと入った。手近な部屋へと上中下少年を寝かし屋内を見て回ると居間には老父が倒れていた。呼吸はしているが危険な状態かもしれない。

 それも当然だ。呪術が行われている真っ只中にいるのだから、抵抗力を持たない一般人に害悪を跳ねのけることなぞ出来るはずもない。西洋のまじないに神道に準ずる術で抵抗できるかわからないが、簡易結界を張れば多少は軽減できるだろう。

 一縷の望みというほどではなく、ある程度成功すると確信しながら筆記具を取り出した。こういうときに筆ペンは便利である。八早月は白紙のメモ帳に術式を組むような文字を書いて簡易的な護符を作成した。

 それを畳の上に置いてから腕まくりをし、たなごころを併せてから八岐大蛇ヤマタノオロチ様へと祈りを捧げる。すると見る見るうちに八早月の腕には蛇が這った跡のようにいくつもの線が浮かび上がってきた。

 さらに祈祷を続けていくと、手の甲に鱗が浮かび上がり、見る見るうちに腕全てが鱗で覆われまるで蛇のような見た目になった。その時を待っていたと言わんばかりに両手を広げ、次に畳の上の護符へと掌を叩きつけた。

 その瞬間、八早月の両腕は白く輝き表面には白い蛇が浮かび上がっている。両腕に纏われた二匹の蛇がゆっくりと護符へと吸い込まれていくと、護符の周囲数メートルに光の円柱が発生した。

 どうやらうまく行ったと満足げな八早月は、先ほどの老父と少年を光の中へと引きずり入れた。もう一人、少年の祖母がいるはずなので探さなければならない。だが呪術が行われている空間内での結界発動は思っていたよりも体力を消耗し、足元がふらついてしまった。

『八早月様! お体に異変が! 大丈夫でございますか!?
 今そちらへ参ります、すぐにこの中から脱出なさってください!』

「心配いりませんよ真宵さん、結界を生成したので少し消耗しただけです。
 まだ家の中に人がいるはずなので探しますから迎えは無用。
 真宵さんは引き続き鵺の監視をお願いします」

 そう言って壁に手を付きながら家の中を探しはじめた八早月だが、平屋でごく普通の住居であったことが幸いし、老婆はすぐに見つかった。だが見つかっただけで問題が解決するなぞと言う甘い話ではなかったのである。

「うーん、まさかこんなことが出来るとは驚きです……
 首謀者についてはうすうす感づいていましたが、さてといかがいたしましょうか」

『八早月様、宿やどり様と須佐乃殿が駆けつけてくださいました!
 今助けに向かっていただきます、鵺は我々におまかせあれ!
 しかし鵺の実体化は間もなくと思われますのでお急ぎください!』

「わかりました、恐らくは解呪は間に合わないでしょう。
 呪術の解除は困難ですから、真宵さんは鵺と戦う心構えをお願いします。
 解決させてすぐに救急車を呼ばなければいけませんからもうひと頑張りですね」

『はっ! 須佐乃殿にも伝えておきます。
 まもなくさくらさまと弧浦こうら殿が到着するとのこと、八早月様、くれぐれも無理せぬようお願い申し上げます。』

「ああ、櫻さんが来てくれるのですね、助かりました。
 とりあえず扉を封じますから、不完全な鵺が解放されると思って下さい。
 くれぐれも逃がさないようこの場で仕留めるのです」

『承知しました、必ずや主命しゅめいに応えて見せます!』

 これで準備は整った。と言うわけでもないがそれでも急ぐしかない。目の前に横たわっている老婆はおそらく上中下少年の祖母で間違いないが、少年にはとても見せられないような姿なのだ。

 どこでどう知ったものか、自らの体へとあの呪符と同じ紋様を刻み込んでおり、そこから流れた血を以って床へいくつかのまじないを書き記し呪詛を刻んでいるようだ。何が書いてあるのかは読めないが、薄らと悪気あくけを放っている文字と、老婆の腹に刻まれている呪詛紋様が、家の周囲に貼った十三枚の呪符と繋がり効力を発揮する仕組みであろう。

「これはおそらく呪いの類でしょうなぁ。
 西洋のもので間違いありませんが、僕もそれほど詳しくなく……
 ですが筆頭の見立て通り、特定の妖を召喚するものではないようですね」

「宿おじさま、来てくれて嬉しいです。
 今から扉を閉じますので、暴走すると思われる鵺の対処をお願いします。
 それと儀式の後、私を運んでくださいませんか?」

「もちろんです、安心して力をお使いくださいませ。
 須佐乃もやる気満々で待機してますからご心配なく」

「ありがとうございます、それでは始めますね」

 八早月は再び掌を併せ祈祷を始めた。
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