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第三章 水無月(六月)

45.六月十一日 日中 少し違う日常

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 この地方で六月初旬だと梅雨入りにはまだ早いが、それでも今日は雨模様だ。学校へ行くには車で送ってもらうので雨だからといってどうということはないが、それでも憂鬱であることに違いはない。

 なぜならば、すでに雨の中で当番の見回りをこなしてきたからだ。おかげで朝からシャワーを浴びる羽目になり、長い髪を乾かすのに大分時間を取られた。

 そもそも学校とお役目の両立が難しいのは間違いない。今までの当主たちは早くても三十代、歴史的には四十代での継承が多い。こんなことになったのも全て先代のせいなのだと思うといつもいつも血がたぎる気分である。

「板倉さん、今日はこの辺りで降ろしてくださいますか?
 美晴さんたちがこの路地からやって来るのを待ってみようと思います」

「お嬢、かしこまりました、傘はお持ちですか?
 なければ私の紳士物ならあるんですがねぇ」

「ありがとう、折りたたみ傘くらい忘れずに持ってきているから平気ですよ。
 準備はいつも万全に、心構えはしっかりと、視線と姿勢はきっちりと、です」

「承知、ではこの辺りで止めますね。
 そこそこ水たまりが出来ていますから足下お気を付けくださいね」

 そう言って車を止めた板倉は、すばやく運転席から降りると後部のスライドドアを開けて右手を差し出した。その手を取って八早月やよいが優雅に降り立つと、まるで――

「車から降りてくる姿は、まるで雨の中で可憐に咲く紫陽花のよう……
 なんちゃってね、おはよう八早月ちゃん」

「おはよう、夢路さん、あいにくのお天気ね。
 でも紫陽花に例えていただけるなら悪くないかもしれないわ。
 ところで美晴さんは? 寝坊かしら」

「ハルは今日お休みだって。
 なんか風邪ひいて熱があるみたいでさっき連絡あったの。
 最近は調子よかったんだけど、前から結構休みがちでね。
 意外かもしれないけどああ見えて実は体弱いんだよ」

「あら、それは大変です、酷くならないといいのですが。
 それにしても体弱いのは確かに意外ですね。
 学校が終わってからお見舞いに行きましょうか」

「そうね、きっと喜ぶと思うよ。
 給食のデザートが持って帰れるものだといいけど、今日はなんだったかなぁ」

「プリンかゼリーならちょうどいいわね。
 私の分も美晴さんへ持っていってあげたいわ」

「ハルっていやしいからきっと喜ぶね」

 あのいつも元気な美晴が病弱で欠席なのは意外で心配だったが、それもまた日常生活の中で一つのエッセンスと言ってしまえばそんなもの。タダの風邪なら深刻になることもないと、八早月と夢路は学園までの短い道のりを談笑しながら歩いた。

 こうして今日はいつもと少しだけ違う朝からはじまった。午前の授業を普通に終えると、希望通り給食にはフルーツゼリーが出たので持って帰るためにこっそりカバンへ入れておく。板倉へ迎えの時間はまた連絡すると伝えていると、少しだけ悪いことをしている気がしてワクワクドキドキするのだった。


 学校では特にいつもと変わらない時間が流れ、待ち焦がれていた放課後がやって来た。今日の授業で八早月が板書した美晴分のノートと給食のゼリーはバッチリカバンに入っている。それから書道部の部室へ行き夢路が部活を休むことを直臣へと伝えているのを眺めていた。

 やはり夢路は直臣のことが好きなのだろうか。まあそんなことがあったとしてもまだ中学生の拙い恋心だ、将来に繋がるなんて考えるのはまだ早い。直臣だって四宮家で嫁を取ることの重要性はわかっているだろうから軽はずみなことはしないと思うが、将来的に夢路が泣くようなことにならなければいいと考えていた。

 ただ八早月と違って、直臣は鍛冶師の道を進む気配はあるので、相手が風習や伝統、お役目やあやかしについて理解すれば済むだけまだマシかもしれない。恋愛でも見合いでも相手を探すだけなら困らないはずだ。

 八早月の場合は鍛冶師を継ぐ気が無いので、どこかの鍛冶師の次男坊や、新たに取り組む気のある婿を探さなければならない。現代の基準に当てはめれば時代錯誤であることは承知しているが、それでも守っていかなければ地域全体の安寧が失われることになるのだ。

 その点、ごく普通の一般家庭に生まれ育った美晴や夢路は悩みが少ないだろう。別に羨ましいとは思わないが、わずらわしいことが少ないに越したことはない。だからこそ夢路が八家に関わらないように、なんて考えてしまう八早月だった。
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