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第二章 皐月(五月)

36.五月二十六日 午前 初めての外泊

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 八歳の時に当主を継いで八畑村に伝わるお役目をも引き継いでから四年以上が経った。中学生になって二カ月弱、八早月やよいは初めて当番の日を交代してもらいこの場にやってきている。

 クラスメートたちは数日前から大はしゃぎだったし、八畑村でも八早月が不在となることを喜ぶ者たちが少なくとも三名はいた。もちろん朝稽古が中止になるからなんて表には出さないが、まあそう言うことである。

 こうして日々の予定を変更してまで訪れる必要があったのは学校行事だからで、場所は隣県にある宿泊施設だった。何のためにこんなところまでやって来たのか理由は定かではないが、どうやら姉妹都市と言う仕組みが関係しているらしい。

 物流の発展した現代、海の無い我が領地にも当然のように魚は流通しており、そのほとんどはこちらの県からやってきていると習った。つまり八早月たちの生活とは切っても切れない関係と言えるのだろう。

 それでもこうやって大勢を引き連れてやってくると言うのは、少なからず大人の事情と言うものが絡んでいるのではないかと、ませた思考をしがちな八早月は勘ぐってしまう。帰ったら母へ言って学園の金の流れを調べた方がいいかもしれない。

 とは言えそれはそれ、これはこれと、来てしまったからには仕方がないと言うわけではないが、八早月も初めて見る景色に少なからず興奮していた。

「これが…… 話には聞いていたけど本当に大きいわね。
 しかも塩辛いだなんて、私が高血圧だったら近づくこともはばかられるわ」

「それって初めて海へやって来た中学生女子の台詞じゃないわね。
 でも海に来るなら夏にしてほしかったなぁ。
 こんな遠いところ、自分たちだけじゃ来られないもんね」

「ハルはそうかもしれないけど、泳げない私からしたら季節外れで助かったわ。
 八早月ちゃんは泳げるの? 授業にプールはないし近所に泳げる川とかある?」

「八畑村の近隣には渓流しかないから泳ぎは馴染みがないわね。
 試したことはないけど、きっと泳げないと思う。
 水が怖いってことはないけど、泳ぎってそんな簡単な物じゃないでしょう?」

「実はアタシも大して泳げないんだよね。
 夏に隣町のプールへ連れて行ってもらう程度しか泳いだことないし。
 去年なんて夏休みに夢の家族と一緒に行ったのが最初で最後だよ?」

「それって七月に入ってすぐじゃなかったっけ?
 八月にも町内会の旅行で海行ったじゃないの」

「アタシはあの時お腹壊して海入らなかったもん。
 民宿で集団食中毒騒ぎがあったでしょ?」

「そんなことがあったの? それは災難だったわね。
 被害にあったのは美晴さんだけで、夢路さんは何ともなかったってことかしら」

「うんうん、夢だけじゃなくて半分くらいは平気だったんだよね。
 だから食中毒じゃなくて、食べ慣れない生ものに当たったってことになったのよ。
 どちらにせよ旅行中は寝込んでたから全然楽しくなかったわ」

「あー思い出したよ、私は平気だったから忘れてたけどハルは大変だったね。
 そうそう、その時好きだった橋乃鷹はしのたか君とトイレの順番でケンカしてたよね。
 あれで幻滅してハルの初恋は終わってしまったのですー」

「ちょっと!? 今それ言うの? 夢ってばひどいなぁ。
 こういう意地の悪いとこあるって四宮先輩に言いつけちゃってよ!」

「そんなことされても私はへっちゃらだからね?
 先輩にはちょっと憧れてるってだけで別に好きなわけじゃないもの」

「夢路さんが別に直臣のことを好きではないなら良かったわ。
 最近かなりしごいているから夢路さんに恨まれたらどうしようと思っていたの」

「それはそれで普通にかわいそうかもしれない……
 ところで、鍛冶師の家系って朝早くから稽古することなんてあるの?
 話を聞いていると武道家みたいに聞こえるんだけど?」

 八早月は思いがけない質問にどう答えるか悩みながらも、その指摘はもっともだと感心していた。確かに鍛冶職人になるための修行に早朝の鍛錬がなぜ必要なのか疑問を感じて当然である。今まで誰もそのことに気が付いていなかったとは、自分を含めて一族ひっくるめて抜けているとしか言いようがないと感じていた。

「そうね、確かに言われてみればその通りだわ。
 でもこれも伝統って言われてやって来ているから疑問は感じてないのよ。
 山奥で暮らすために体が資本で間違いないからかしら」

「なるほどねぇ、そんなに山奥らしいけど想像もつかないわ。
 でも熊が出るくらいだからきっと自然も厳しいんでしょうね」

「分校まではうちが一番近い方なんだけど、歩いて三十分くらいかしら。
 麓から通ってた子なんて一時間以上かかるから車で送ってもらっていたわ。
 一年生の頃はこのまま遭難するかもしれないなんて感じたこともあったわね。
 二年生になるころにはなんとも思わなくなっていたけれど」

「それは確かにきついわね。
 金井町は田舎でヤダなんて考えてたのは贅沢な悩みってことかぁ。
 でもいつか八早月ちゃんの家に遊び行きたいな」

「そうね、いい経験は出来ると思うわよ?
 休みの日にでも遊びに来て頂戴、歓迎するから遠慮なくどうぞ。
 朝の鍛錬もぜひ体験してもらいたいわね」

 自分で遊びに行きたいと言いだしておいて、美晴は夢路と顔を突き合わせて悲鳴を上げるような仕草をする。それと同時に八早月は何かを察したように再び表に視線を移していた。その八早月の隣には、いつの間にか真宵まよいがやって来てあるじめいを待っている。

 それがこの日、観光バスで目的地へ向かいながらの出来事だった。
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