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第二章 皐月(五月)

28.五月五日 午前 女の日

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 世間一般で子供の日や端午の節句と呼ばれているこの日、八畑村では菖蒲の日として菖蒲湯を焚き、菖蒲の束を玄関先へとぶら下げ枕の下へ入れて寝るという風習が伝わっている。

 そしてもう一つの呼び名を女の日と言うのだが、この時期に子供を作れば寒さが厳しい季節と悪阻つわりのきつい時期とが被らず、暖かくなってきた春に出産できるからという想いが込められている。

 その為に、女がやるのが当たり前だった風呂焚きを当主が行い、飯炊きを肩代わりするために神社が餅を用意して村中に配るのだ。その間に女は良い香りで床を迎えるために菖蒲湯で長風呂をし、枕に同じ香りをつけて主人の高揚感を誘うと言う子作りに関する風習なのである。

 これは八畑村に住む大人・・の女に受け継がれていく話なので誰でも知っていることだが、十二歳の八早月にはまだ少し早いと思われていた。

「お母さま、なんで世間では男の子の節句となっているのでしょうね。
 もしかしたらうちの村が少数派で、変わっているのかもしれませんが」

「そうねぇ、諸説あるらしいけど、ママは興味ないからわからないわ。
 宮司さんなら知っているかもしれないわね」

「私もそこまで興味がありませんから知らなくても構いません。
 そんなことよりも、その用意を当主が行うと決めた人を恨みたい気分です」

 その言葉の通り、当主である八早月やよいは昨晩遅くまで(といっても二十二時ごろ)祭事に関わり、帰ってきて寝たのが二十三時過ぎだったのに、朝早く起きて仕事をしなければならないことに不満を感じていた。

 まずは早朝の鍛錬を終えてから休む暇なく山を下り、中腹にある花畑まで菖蒲を刈り取りに行っていた。ここは当主がやると決められていない部分だが、真のお嬢様である手繰たぐりが手伝うことは難しい。だが、頼みの綱であった下女の北条房枝ふさえは八岐神社の餡作りに駆り出され、妹の玉枝たまえは昨晩ぎっくり腰で動けなくなり、朝から板倉によって病院へ運ばれていた。

 と言うわけで、八早月はせっせと当主の仕事をこなすべく、菖蒲の束を作り続けているのだ。普段からなにもしないし出来ない母は、もちろん今日も何もせずに八早月のそばで応援しているだけである。

「お母さま、そろそろ湯が沸いたころですからご準備を。
 先に菖蒲を入れてあるのできっといい香りがしますよ」

「あらあら、でも頑張ってる八早月ちゃんより先に入ったら悪いわよ。
 ママは二番風呂で充分だからお先に入りなさいな」

「そうは行きません、まだ菖蒲の束が足りていないのですからね。
 なんでうちにはこう扉が多いのでしょう……
 母屋以外にはなれと鍛練場もあるし、なんだか菖蒲も足りなくなりそうです」

 全ての出入り口に菖蒲の束を二つぶら下げる習わしに沿って、玄関や勝手口、厠に物置と納谷、そして客間である離の二棟にも玄関と勝手口、最後に鍛冶を行っている鍛練場には玄関と勝手口と搬入口があり、そこにも厠があるのだ。

「それじゃあ邪魔になると悪いし、ママはお風呂頂いちゃおうかしら。
 あとで肩を揉んであげるからがんばってね。
 夕方になったら房枝さんがあんこもちを持ってきてくれるわ」

「はい、それだけが楽しみです。
 塩豆餅を多く貰ってきてくれると嬉しいのですが。
 そういえば玉枝さんの容体はどうだったんですか?」

「そうそう、二、三日は安静にってことらしいわ。
 板倉君が帰りしな家に降ろしてくるから、後でご飯を持っていかないとね。
 でも夕ご飯は誰が作るんでしょうね、うふふ」

 いつもは玉枝が食事の用意をしてくれているのだが、こうなると頼りは房枝ということになる。しかし彼女は味付けが非常に濃い田舎料理しか作れない。自分も母もこういうときになんの役にも立たず情けない限りだと八早月はへこんでいた。

 今日のところは神社から配られる餅を食べるとして、明日の朝からすでに不自由が予想される。朝はしょっぱい味噌汁だけ我慢すれば干物や卵で何とかなる。問題は夕飯だが、思い切って学校の帰りにおかずを買ってくると言う方法もある。

 そんな心配をしていて気がまぎれたのか、八早月はいつの間にか菖蒲の束が全て出来上がったことに気が付いた。枕の下に敷く分も合わせてすべて出来上がりである。

 後はこれをぶら下げに行くだけなのだが、背の低い八早月にとってはなかなかの重労働である。菖蒲の束をいくつも抱えながら踏み台を持って敷地内を移動しているとあっという間に汗だくになってしまう。

 最後に全員の部屋を回って枕の下へ菖蒲の束を押し込んでいき、最後の最後に母屋の一番奥にある物置か仕置き部屋かと言うくらい小さな部屋へと入っていった。きれいに畳んであった布団の上にある枕カバーに菖蒲の束を無造作に突っ込んだ八早月は、少し考えてからその枕を布団の上に叩きつけて部屋を出る。

 それをこっそり見ていた中年の男性は、声を出さずにうずくまりながら泣いた。それはもう、若い娘に嫌われるのも当然だと誰もが思うくらい、顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた。
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