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第十章 二人の王子

44.失った女

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 女が目を覚ますと激しい頭痛に襲われた。痛む箇所に触れてみると治療の痕跡がある。どうやら怪我をしているようだ。いったいなぜ? どんな? ここはどこ? 私は…… 表情からは混乱が伺える。

「やあ、目が覚めたかね?
 まだ起き上がらない方がいい、頭をひどく打っているからねえ。
 ここに君の荷物が置いてあるから中身を改めておいてくれ。
 あ、中は見ていないよ、もちろんなにか取ったりもしないさ」

「あ、ありがとうございます……
 私どうしちゃったんでしょうか……」

「ああ、覚えていないんだね。
 ウチの馬車の横に飛び出してきてぶつかったんだよ。
 目撃者の話だと、誰かに追われているように後ろを向いて走ってたみたいだね。
 なにか覚えがあるかね?」

「いえ、まったく……
 ここはあなたのお宅ですか?
 馬車を持ってるなんて、まさかお貴族様!?」

「あはは、馬車は僕のではなくご主人様のものさ。
 僕はクレスト・ホグワンと言うんだ。
 アーゲンハイム伯爵家ご令孫の世話係の一人だよ。
 君の名は? どこから来たの?」

「私…… 覚えてないです……
 でもこのかばんは私のだと思うけど――
 ―― 名札にはドロシーって書いてありますね、これが私の名前ですか?」

「僕に聞かれてもわからないよ。
 でもきっとそうなんじゃないかな。
 まあしばらくゆっくりしてて、他の世話係ももうすぐ帰ってくるから」

 聞き覚えの無いドロシーと言う名を反芻しながら女は周囲を見回した。ベッドが四つ並んで置いてあり、他には机と椅子が一組に窓が一つ扉が一つ、天井が傾いていて納屋のようである。おそらくは世話係の集団住居なのだろうと目星を付ける。

 各ベッドへ畳んで置いてあったり粗雑に掛けてあったりする寝巻を見る限り女の部屋のようだ。しかし先ほどの男が平気で入ってきていた所を見ると男女共同の住まいかもしない。するとドロシーが使っているこのベッドは先ほどのクレストのものの可能性もある。そうこうしているうちに表で声がしてきた。

「おーや、ドロシー! 目が覚めたのかい?
 具合はどうだね、まだ痛むと思うから無理はしないんだよ?」

「あ、どうも…… 私の事知ってるんですか?
 今ドロシーって」

「いいや、クレストがそう言ってたの聞いたのさ。
 あたしはアン・マクレン、みんなからはアンおばさんって呼ばれてるよ。
 困ったことがあったら何でも言っておくれ」

「ごきげんよう、私はホウライ・フルシュよ。
 ホウライでいいわ、私もドロシーって呼ぶわね。
 得意なのは料理だけど今は幼児食ばかり作る毎日よ」

「ど、どうも、私は一体どうしたらいいんですか?
 いつまでもここでお世話になるわけにもいきませんし……」

「まあそれは後で係長が帰ってきたら相談してみようよ。
 行く宛てがなかったらここで働いてもいいしさ。
 実はついこの間一人やめてしまって困ってるんだ。
 小さな子供の面倒を見ると言ってもなかなかの重労働でね」

「そうなのよ、ある時書置きが置いてあってさ。
 田舎へ帰ります、だって、さすがのあたしもまいっちゃったわ」

 そう言いながらアンおばさんはお腹を揺すりながら笑った。今紹介された世話係はここにいない係長を入れて四人、この部屋のベッドは四つ、そんなことを考えながらドロシーが頭を振ると、アンは再び笑いながら大き目の声で話を続けた。

「あたしらと係長の他に女がもう二人、違った、もう一人と男が二人いるよ。
 今は交代で屋敷にいるのさ。
 係長が戻ってきたらあたしとクレストは屋敷へ行ってしまうからね。
 ホウライに手伝ってもらって係長へ相談するんだね、悪いようにはならないさ」

「は、はあ、あいがとうございます。
 お貴族の下で働いていると言うことは、ここは城下なんですか?
 私は一体どこから来たんでしょう」

「ここは城下ではなく王城の反対側にある貴族棟(きぞくむね)よ。
 主(あるじ)であるアーゲンハイム伯爵は議会貴族なんだから。
 知らないかもしれないけど、普通の貴族よりもずっと偉いからこちらにお住まいなの。
 あなたならまだ若いそうだから妾になれるかもしれないわね」

 お世辞にも美しいとは言えない骨ばった体系のホウライは、卑俗な話が好きそうで楽しそうに話をしている。ドロシーは自分がいくつなのかもわからなかったが、男女の関係性くらいは理解しているようで、話の内容は正常に理解できていた。

 つまりここにいれば普通よりも偉い貴族の下で働けて、伯爵の妾は無理でも貴族や金持ちと知り合うことくらいは出来るかもしれない。それならばせめて記憶が戻るまでは働くのも悪くない、そう考えていた矢先、どうやら係長が返ってきたらしい。入れ替わりでアンとクレストが出かけていく。

「係長おかえりなさい、例の子はもう起きてます。
 それが、どうやら自分のことを覚えて無いようなんですよ」

「なんですって!? そんなことあり得るわけ?
 まったくおかしなのを拾ってしまったわねえ
 それでアンはちゃんと買っておいたんでしょうね?」

「それは大丈夫です、私も一緒でしたし。
 とりあえず話を聞いてあげてくださいな」

 貴族家の世話係には到底見えない話し方をする『中年男』はダハルナ・コミと名乗った。そしてホウライの話が終わるとドロシーをまじまじと眺めて唐突に言った。

「あんたここで働きたいわけ? それとも嫌なわけ?
 アタシとしてはどっちでもいいけど人手が足りてないのは事実。
 働くなら食住は保証するわよ?
 でも凄く忙しいし、初めから贅沢は出来ないからね」

「は、はい! よろしくお願いします!
 名前はドロシーです!」

「そんなのもう知ってるわよ。
 さ、ご飯にしましょ、アンタ二日も寝てたんだからお腹空いてるでしょ?」

 そう言うと温かいシチューにパンが運ばれてきた。どうやら事前にドロシーの分も用意してくれていたようだ。物言いよりもずっとやさしそうなダハルナ係長に例を言ってから三人で食事を始めた。


「ちょっと! このパンじゃなくて干しブドウ入りにしてって言ったじゃないの!
 何が私も一緒だったから大丈夫よ!
 全然大丈夫じゃないじゃないの! もう! いっつもこうなんだから!」
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