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女房の差

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 マウンドから降りてベンチに向かう僕のところへチビベンが駆け寄ってきた。

「カズは今日も冴えてるな。
 俺も次の打順では何とか塁に出て好投に応えないといけないよ」

「みんなが点を取ってくれるまで頑張るさ。
 期待してるよ、チビベン」

 そう言ってからグラブ同士を軽くあわせた。

 二巡目最後となる六回の裏、チビベンにはああ言ったけど問題は僕の打順である。何とか塁に出て上位打線へ繋げていきたいところだ。

 しかし七番の木尾はあっさりと三振してしまった。続くハカセは粘りはしたものの内野フライに倒れてしまった。

「すまん、何とか塁に出たかったんだな。
 あの抜いた球だと思ったら早いのが来てしまった」

「いや、粘っただけ上出来だよ。
 それに配球の癖が見えてきたかもしれないし、まあ喰らいついてみるよ」

 僕は前回の打席とは違う、いつもと同じ軽めのバットを手にしてバッターボックスへ立った。頭の中にあるのはさっきハカセに言った、ピッチャーの癖ではなくキャッチャーの癖のことだ。

 矢島学園のキャッチャーは、緩めのボールを早いカウントで使いつつ、追い込んだら早い球と緩い球を交互に投げてくる。ただしコースはかなり散らしてくるように思える。

 本当はじっくり見ながら球数を増やしてやりたいところだけど、追い込まれるとちょっと打てそうにない。となるとやはり勝負所は早いカウントだ。

 軽めのバットをさらに短く持ち山尻勝実の球を待ち受ける。初球はストレートだ。僕はインコース寄りに来た遅めのストレートに向かって思い切りバットを振りぬいた。

 しかし、見事にボールの下を抜けて空振りだ。思っていたよりも早くて簡単には打てなさそうである。続く二球目もストレートであっけなく追い込まれた。

 ここまでインロー、インハイとストレート二球か。ん? これってさっき僕が勝実に向かって投げた配球と同じじゃないか? 練習試合だからと言ってまさかそんなことするのだろうか。

 もしかしたらさっき打ち取られたことを根に持って、対抗意識を燃やしているんじゃないだろうか。それなら三球目も同じ球、同じコースが来るかもしれない。

 僕はバットを長く持ち直して二度三度と素振りをした。よし、どうせ追い込まれたら打つ手なしだ。こうなったらヤマを張ってアウトサイドの変化球にかけてやる。

 もしかしたら勝実も僕と同じで例の球を投げられるのかもしれない。僕はグリップを握る手に力を篭めて、大きく深呼吸をした。

『大丈夫、キミならできるわ』

 勝実が振りかぶるほんの少し前、それは一瞬の事だった。頭の中に咲の声が聞こえる。いやおでこのすぐ目の前からかもしれない。

 どちらにせよ心強い援軍だ。なんだか急にリラックスできたように感じた僕は、ゆっくりと投げ下ろされる勝実の決め球を目で追った。

 ゆっくりと? それは本当にゆっくりと飛んでくる。やや高めのリリースポイントから放たれたボールは、予想通りの軌道で真ん中高めへ進んできた。ここからグッと変化してアウトサイドへ沈んでいくスライダーだろう。

 今度は打ち上げないようにおっつけて右へ流してやる。時間の流れが遅く感じてはいるものの、自分自身の動きは普段のままというのも面白い。

 ゆっくりとコースを変えていくボールに向かって素直にバットを押し付ける。流れに逆らわず、力を入れすぎないように流し打った。

 その瞬間、時間の流れが戻ってきて一気に流れ出す。打球は一二塁間のちょうど真ん中を抜けてきれいなライト前ヒットとなった。

「しゃああああ!!!」
「よくやったああああカズううううう!!」

 ベンチからはサヨナラ打を打ったような大声援で大騒ぎになっている。僕はそれに応えるように一塁ベース上でガッツポーズを取った。

 次は一番に返ってチビベンからの好打順だ。かといってまあツーアウトなので過剰な期待はできないけど、何も期待しないのは打者に対し失礼だろう。

 僕は一塁コーチのまこっちゃんに伝令を頼み、木戸へキャッチャーの癖を伝えだ。しかしベンチの木戸は一歩も動かずにこちらを見て親指を立てただけだった。

 そして結局そのままチビベンがバッターボックスへ入り、勝実が一球目を投げる。これが大きく高めに外れて初めてのボール先行だ。初ヒットがナナコーから出たので動揺しているのかもしれない。

 ここでベンチから盗塁のサインが出た。まあ僕は足にも自信があるし、ツーアウトじゃなけりゃ自分から行きたいくらいだ。例え盗塁阻止されたとしても一番からだし、木戸のサインは絶対なので文句はない。

 二球目、僕はスタートを切って二塁へ向かった。結果は変化球が外側に外れてツーボール、二塁への送球はなく当然のように盗塁成功だ。

 キャッチャーがマウンドへ向かい勝実と何やら話しているが、どうも雰囲気が良くないように感じる。ヒットを打たれた後、ボールが先行するのは確かによくある独りよがりの自爆だが、そこを何とかしてやるのがキャッチャーの役目でもあるはずだ。

 うつむいてマウンドを細かく蹴っている勝実にボールを渡し、戻っていくキャッチャー。二人は顔を合わせることもなく、お互いそっぽ向いたままでほんのわずか言葉を交わしただけのようだ。

 木戸にはいくら感謝しても足りないなと思いつつ、ここが勝負のポイントになると感じていた。

 試合再開となり、チビベンへの三球目もインコースへボール球を投げ、四球目はキャッチャーが立ち上がり勝負を避けた。次は、練習ではいい当たりをするものの、結果が出ていない嶋谷である。

 僕は頼むから打ち上げるのだけはやめてくれと、祈るような気持ちで勝負の行方を見守る。しかしそんな心配は無用だった。

 チビベンを歩かせた勝実は、突然立ち直り三球とも小気味良いストレートを投げ込んで、一年生の嶋谷をバッターボックスへ釘付けにした。

「すいません…… まったく手が出なくて……」

「まあ仕方ねえよ。
 なんてったってまだカズしかヒット打ってねえからな。
 あんま気にすんな」

 丸山が嶋谷の肩をポンポンと叩いてから外野へ走っていった。ああいう気の使い方ができるいい奴なんだけど、多分部外の、特に女子からはただデカくて怖い人って見られてるのかと思うとなんだかかわいそうである。

「おら、にやけてねえで最終回、行くぞ」

「オッケー、抑えてサヨナラに期待するよ」

 僕と木戸はハイタッチをしてからそれぞれの持ち場へ走っていった。
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