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早起きしすぎても三文の得

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 予定よりも寝るのが遅くなってしまったのでどうなることかと心配していたが、何の問題もなくいつも通りの時間に目覚ましが鳴り、すんなりと起きることができた。

 今日は今季初の練習試合だ。気合が入らないはずがない。事前に木戸から相談されていた通り、おそらくはベンチスタートになると思うが、ハカセと木尾には経験を積んでもらわないといけないのである。

 部屋を出て台所へ行きコーヒーメーカーをセットすると、まだ香りもたっていないのに父さんが起きてきた。ランニングへ行かずに早めに家を出るつもりだったからもう少しゆっくり寝てればよかったのに。

「おはよう、カズ。
 随分と速いな」

「そんなことないよ。
 朝のランニングにピッタリの時間さ。
 試合は午後からだけど、午前中に軽く練習するんだ」

「矢実だっけ?
 去年の公式戦ではうまいことやられちまってたな」

「うん、でも今日は練習試合だし気負わずにプレイしてくるよ。
 もちろん勝つつもりでやるけど、先発はぶっつけで新人が投げて僕は三番手の予定なんだ。
 そこまでにリードしてたら一点もやらないさ」

 苦しそうな音をたてはじめたコーヒーメーカーのスイッチを切りながら僕は答えた。

「俺はさ、知っての通り高校野球含めた運動部が勝利至上主義で日々過ごすことには大反対だ。
 でもナナコーは俺たちの後の時代から変わっていって今がある。
 ずっと見てきたけど、過去最高の環境だと思うよ。
 ただしそれが勝利につながる環境というわけじゃない。
 楽しむことと勝つことはイコールになるとは限らないからな」

「そうだね、それは十分わかってるよ。
 真弓先生は野球自体には詳しいけどプレイ経験があるわけじゃない。
 だけどそのせいか僕たちにすべて任せてくれるいい顧問だと思ってる。
 恩返しの意味でも、楽しみながらも勝って行かれるってところを証明して見せるさ、全国でね」

 僕は、マグへ入れたコーヒーを父さんの前に置いてからその向かいへ座った。淹れたてのコーヒーを子供みたいにフーフーしながらすする姿を見ていると、自分の親じゃなくてチームメイトのような親近感を覚えてくる。

 父さんや江夏さんに叩き込まれた野球論と技術が、全国へ通用するということも見せつけてやる。そう思ってはいたがあえて口には出さずにいた。

 勝利至上主義で野球漬けが悪いわけじゃない。選手の希望や都合を考えずに顧問や監督のコマとして生徒を利用している学校が多々あることは、かなり昔から比べれば改善してきている。

 それでも年に何名かは体のどこかを壊して野球人生を棒に振っているし、ついていかれずに辞めていくものはその何百倍も多いはずだ。

 今日の試合相手である矢島実業は、いまだ古い体制で運営されている野球部だ。スポーツ推薦と称して中学の有力選手を集めほぼ毎回全国争いをしている。

 僕や木戸、丸山にもスカウトやセレクションへの誘いはあったが、なぜか全員がそれぞれの理由で断っていて、不思議な縁でナナコーへ集まったのだ。

 そんなナナコー野球部で少しでも多くプレイしたい。ということは勝つことは必要になってくる。勝利のみを追求してはいないが、勝つことを投げ捨てているわけではないので、簡単に負けるわけにはいかない。

 その想いは木戸のあの言葉でより強くなっていた。

『俺はもうちょっとカズと一緒に野球やりてえのよ』

 あんなこと言われたら思わずボールを握る手にも力が入るってもんだ。僕はそのことを思い出しながらバナナを一本食べきな粉入り牛乳を飲み干した。

「あら、二人とも早すぎるんじゃない?
 おはよう、急いでおにぎり作るね」

 後から起きてきた母さんが父さんへキスをした。まったくいい歳して未だにそんな…… と同時に、今まではそれほど気にならなかったその行為に対して心がざわつくのを感じた。

 早く咲のところへ行きたい。

 今はまもなく七時になるくらいで家を出るには早すぎる。学校での待ち合わせは九時だから、余裕を持っても八時半に出れば十分である。

 その前に咲の家に寄る約束をしているからにはなるべく早く家を出たい。こうしている時間がもどかしくて僕はどうやらそわそわしているようだった。

「どうしたのカズ?
 なんだか落ち着きがないみたいだけど、緊張してるのかな?
 練習試合なんだからもっと気楽になさいよ」」

 そういって母さんがチョコレートを一粒差し出した。これは昔から母さんが良く食べているやつで、リラックス効果があるらしい。実際にはそんな成分が入っているわけではなく、大会前に緊張していたときに食べてから競技に臨んだらたまたま調子が良かったことから手放さなくなったと聞いている。

「そんな緊張しているように見える?
 でも貰っとくよ、ありがとう」

 銀紙を開いてチョコレートを口に入れる。砂糖が入っていないのでほろ苦いどころかかなり苦い。それにしても、こうやっていつも僕を見てくれている両親には感謝している。

 チョコレートを食べた後、玄関に出て用具の確認をする。しばらくすると母さんが後ろからやってきておにぎりを渡してくれた。

「くれぐれも怪我の無いよう、無理をしないようにね。
 無事が一番だからね」

「うん、わかってる。
 楽しんでくるよ、そして勝ってくるね」

 後から玄関に出てきた父さんも一緒になってハイタッチをする。パチンといい音を立ててから僕は玄関を開けた。

 まてよ? 勢いで家を出てしまったけど、いくらなんでもまだ早すぎる。玄関先でスマートフォンを取り出し時間を見るとまだ七時半だった。

 このまま咲のところへ行っても平気だろうか。まだ寝ているんじゃないだろうか。そう考えながらも足は学校と反対に進んでしまい、咲の家の門扉を通ってから玄関前まで来てしまっていた。

 呼び鈴を押すべきかどうか…… すると玄関が静かに開き咲がこちらへ手を伸ばしているのが見える。僕の胸は一気に高鳴り、その手の方向へ吸い込まれるように家の中へ入っていった。

「おはよう、
 窓から見ていたんだけど、今朝は走りにいかないなんて知らなかったわ」

 咲でもわからないことなんてあるのか。そう言おうとしたけど僕はそれを飲み込んでから口を開く。

「おはよう、朝から練習だからね。
 試合前にへばるわけにもいかないさ」

「うふふ、なんだか今日のキミったら力がみなぎっているのね。
 昨晩のことがいい方向へ働いたのかしら」

 そう言われて、僕は寝る前の事を思い出してしまい恥ずかしくなってしまった。

 翌日の試合の事だけじゃなく、亜美や康子と会ったこと、そのあと咲とメールしたことなどが重なったせいかなかなか寝付けなかったのだ。

 気持ちの高ぶりが身体を熱くたぎらせる。横になってから数十分ほどの間、僕は布団の中で悶えていたが、頭の中は咲の事であふれかえっていくばかりだった。

 その気持ちを収めるために僕は…… でも仕方なかったんだ……

 僕が玄関先で立ち尽くしながらうつむくと咲はこういった。

「いいのよ、それでいいの。
 人の体調や感情には波があるわ。
 一番必要なところでその波が高いところに来ていればきっとうまく行く。
 だから気にしてはダメ、もちろん他の子の事を考えるのはもっとダメよ?」

 僕は恥ずかしさと申し訳なさとが入り混じった複雑な気持ちで顔を上げる。そこへ咲が飛び込んでくるように近づき、僕のおでこにキスをした。

 目をパチクリしている僕に咲がもう一度話しかける。

「今日のキミは本当にみなぎっているわ。
 このまま食べてしまいたいくらいよ」

「た、食べるって!?
 これから試合だしダメだよそんなの!」

 いったい僕は何を言っているんだ。そんなの何かの比喩表現に決まっている。バカ正直に受け取って何を考えているんだろうか。

「うふふ、そうね。
 それは明日まで我慢しておくわ。
 今日は出かけてしまうからまた明日の朝会いましょう」

「明日・・・・・・ 今日は一日出かけるの?」

 今日は休みだしどこかへ出かけるのも当然だろうが、僕はその行き先と相手がどうしても気になってしまう。一体誰とどこへ行くのだろう。

「今日はデートと夕食に誘われてるの。
 行ったことの無いところだから楽しみにしているのよ」

「で、で、デート!?
 だ、だ、誰と!?」

 唐突な咲の言葉に僕は上手く舌が回らない。そんな、僕以外の誰かとデートだなんて聞かされたら、とても平常心ではいられない。

「そんなに驚かなくてもいいじゃない。
 小町に、一緒に養護園へ行こうって誘われてるのよ。
 そのまま夕飯をごちそうになる予定なの」

 なんだ…… 相手は小町だったのか。僕は強張っていた肩の力が一気に抜けるのを感じた。

「小町とはすっかり仲良くなったみたいだね。
 僕は苦手だけど、噂されているような悪い奴じゃないんでしょ?」

「私はその噂自体を知らないけど、あの子を包んでいるのはとても優しくて暖かいものよ。
 でも人との付き合い方が上手じゃないんでしょうね」

「そっか、咲がそう言うならきっと本当なんだろうな。
 となると、小町のわからない所は、おかしな噂されても否定しないところと、木戸や僕を激しく嫌ってるとこだなあ」

 あれは本当にわからない。僕は小町とそれほど話をしたこともないし、一二年でクラスは同じだけど席が近くなったことすらないのだ。木戸も毛嫌いされている理由はさっぱりわからないと言っていたし、やつの言う通り、体育会系が嫌いなだけなのかもしれない。

「そこは私もわからないわね。
 何かわかったらキミにも教えてあげようか?」

「そんなのべつにいいさ。
 あんまり勘ぐるのは悪いし、わざわざ聞き出すのも失礼だろ?」

「ふふ、キミってやっぱりいい男ね。
 ご褒美あげるわ」

 そう言ってから咲は、また僕のおでこに唇を寄せた。
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