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クッキーの性格

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 湯船に浸かっていると風呂で体が温まっているのか、体が火照っているのかわからなくなる。

「咲……」

 僕は思わず咲の名をつぶやいてしまった。ついさっきキスをしたばかりなのに、物足りなさで胸がはちきれそうだ。

 そして同じくついさっきやったばかりの英語はまったく頭に残っていない。今まで九割以上は野球の事しか考えていなかったはずが、いつの間にか咲に心奪われて逆転しそうに感じている。

 でも咲はどう思っているんだろう。どうもその辺がはっきりしなくてもやもやするのは確かだ。今の状況が付き合ってるということだとして、それを周囲に秘密にしないといけないというのも解せない。

 まったくわからないことだらけで頭が痛くなってくる。僕は湯船に頭を沈めて、頭の中をからっぽにするようにブクブクと息を吐き出した。

「ちょっとカズ、お風呂長いけど寝てるんじゃないでしょうね?
 お風呂で溺れる事故って結構あるんだから心配かけないでよ?」

 脱衣所から母さんが声をかけてきた。僕は現実に引き戻されすぐに出ると返事をする。現実は現実で楽しいんだけど、夢心地の楽しさには及ばないな、なんてことを考えながら寝間着代わりのジャージに着替えた。

 部屋に戻ると、机の上に置いたままのかわいらしい包みが二つ目に入る。昨日亜美に貰ったクッキーと今日咲がくれたクッキーだった。

 咲の家から帰る直前に手渡してくるなんて意外だったし、こんな風にわざわざラッピングするなんてどういう風の吹き回しだろう。

 勉強の後にお茶してたんだからそこで出しても良かったはずなのに、ホント女子の行動は読めないことばかりで理解不能だ。

 まあ女子からこうやってお菓子とかもらうのは珍しいことじゃない。でも、今まではただただ野球の邪魔位に思ってたけど、好意を持たれること自体は悪い気分じゃないということが最近わかってきた。

 僕は一息ついてから、透明なビニールを縛っているリボンをほどいてクッキーを一つ取り出し口へ放り込んだ。

 ドライフルーツが入っているからか口の中にまとわりつくが、それが若菜亜美の性格を表しているようで思わず笑ってしまう。焼き加減はサクサクとしており、ほどよい甘さでこれはなかなかおいしい。

 さてと、もう一つは茶色いストライプの入った半透明の包みだ。こっちは咲が帰りに渡してきたもので、どうやらチョコレート系みたいだ。

 僕は包みを開けてから一つ取り出してまじまじと眺めてみた。チョコレート色のクッキーで間にイチゴか何かのジャムが挟んである随分凝った作りだ。

 チョコとイチゴの組み合わせは咲が好きな味なのかもしれないな、そんなことを考えながら口の中へ放り込み良く味わう様に噛みしめた。

 チョコのほろ苦味とイチゴの甘さが…… イチゴの甘さが…… 甘さが…… 

「うわっ、なんだこれ!?
 めちゃくちゃ辛い!」

 僕はハーハー言いながらたまらず部屋を出て台所へ向かった。台所ではいつの間にか帰ってきていた父さんが缶ビールを飲んでいる。

「おうカズ、起きてたのか。
 声かけたのに無反応だったから寝てるかと思ったぜ。
 急ぎはしないけど話があるんだよ」

「うん、おかえり
 でも今はそれどころじゃないからちょっと待ってて」

 そう言いながら急いで冷蔵庫を開けて牛乳を取り出す。グラスへなみなみと注いだ牛乳を僕は一気飲みし、ようやく口の中を消火することができた。

「はあはあ……
 大変な目にあった……」

「どうしたの?
 突然駆け下りて来て何事かと思ったわよ」

 何事かと思ったのは僕の方だ。まさか咲に限って失敗して激辛クッキーになったわけがない。アレは絶対わざとそう言う味にしているはずだ。

 もしかしたら向こうでは定番のお菓子なのかもしれないけど、だったら一言言ってくれたらよかったのに……

「貰い物のクッ、お菓子を食べてみたら激辛だったんだ。
 想像してなかったからびっくりしちゃってさ。
 はあ、口の中がまだひりひりする」

「あらあら、そんなのくれるなんて随分アツイファンなのね。
 なんだか青春って感じで羨ましいわあ」

「もう、他人事だと思って茶化さないでよ。
 こっちはめちゃくちゃびっくりしたんだからさ」

 アツイファンって…… もしかして見た目は甘そうだけど中身は辛口っていう、咲らしいジョークのつもりだったのだろうか。亜美のクッキーとは大違いだったが、いったいどんな意図があってあんな激辛クッキーをくれたのかが気になる。

 そんな風に考え込む僕を尻目に、父さんも母さんもケラケラと笑っている。結局僕も釣られて笑い出してしまった。

「父さん、話ってなに?
 そう言えば、僕からも話があると言えばあるんだった」

「お、そうか?
 もしかしたら同じようなことかもしれねえな。
 今日よ、江夏のところにお前の事で電話がかかって来たんだよ」

「やっぱりそうか。
 まずは江夏さんへお礼を言わないといけないや。
 久しぶりのプロ野球、すごく楽しかったよ」

 きちんとお礼を言うのもそうだけど、あの日の出来事を言っておかなかったのは失敗だった。野林監督は江夏さんへ連絡すると言っていたので先に伝えておくべきだった。

「まあそりゃいいさ。
 チケットが無駄にならなくて済んだんだしな。
 んで、電話の主と内容が本題だ」

「うん、かけてきたのは野林監督か広報の植村さんでしょ?」

「お前、どうやらひと騒動起こしたらしいな。
 チーターズというか野林さんと江夏は昔いろいろあってよ。
 話せば長くなるからそれはまあ置いとくとして、とにかく電話があったわけだ」

 父さんはなんだか勿体つけるように話をしている。お酒も入っているので気分よく語っているって感じかもしれない。

「そんでよ? 来月の後半に隣の県の県立木馬球場でデーゲームがあるんだと。
 それが終わったら飯でも食いに行こうって申し出があったのよ。
 もちろんお前も呼ばれてるし、あの彼女も一緒にってことだ」

「だから彼女じゃないんだってば。
 今日だってそんな風じゃなかったよね? 母さん?」

「さあどうでしょうかー
 お人形さんみたいにかわいらしくていい子だったわね」

「俺も一緒に飯食いたかったけどなあ。
 なんてったって奥手なカズの嫁候補だからな。
 仕事が忙しくて今週は早く帰ってこられそうになくて残念だよ」

 まったくこの人たちはすぐにそういう話をしたがるんだから…… 僕は慌てて話を戻しにかかった。

「その話はもういいから。
 そんなことよりも、来月は食事だけじゃなくて試合も見られるのかな!

「まったく相変わらずお堅い野球バカだねえ。
 当日の事はまだはっきりわからないけどチケットは貰えるんじゃないか?
 まあ俺には関係ない話だ」

「父さんたちは行かないの?」

「どうだろうな。
 俺は野林さんと面識ないんだよ。
 江夏は今も親交続いてるらしいけどな」

 どんな事情があったかはいつか江夏さんから聞いてみたいと思う。でも今はそれよりも、また咲と一緒に野球を見に行かれるかもしれないという嬉しさが頭の中の大部分を占めており、それは布団に入ってからもしばらく続いていた。

 もっと咲と一緒にいたい。そんな気持ちは幸せなのか苦しいのか、よくわからない感情を抱きつつそのまま深い眠りについた。
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