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夢心地の苦しさ
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夢心地の中、疲れているのか本当に精気を吸われてしまったのかわからないが、体が重くて仕方ない。あまりの重さに息苦しさまで感じてきた。
しかし優しい香りとおいしそうな香りとが混ざったような、何とも言えない空気に包まれて僕は目を覚ました。咲がテーブルへ料理を並べながらこっちを見る。
「あら、起きたのね。
調子はどうかしら?
多分相当疲れてるのだと思うけど、起き上がれるようなら食事にしましょ」
「うん、おなかが空いて起きた様な気がするな。
なんだがとてもいい匂いが夢の中まで入ってきてたからね」
「まあ大げさね。
いったいどんな夢を見ていたのかしら」
僕はまさか咲に包まれてる夢だったなんて言えずに笑ってごまかしておいた。珍しく咲もそれ以上突っ込んでは来なかった。
いつの間にか夕飯の用意が終わって今すぐにでも食べられるようになっている。ソファの上でだらしなく寝転がっている僕の知らないところで咲は料理の続きをしていたのだろう。
「手伝ってたつもりが結局寝ちゃって…… ごめんよ」
「いいのよ、さっき手伝ってくれたので十分だったわ。
他に作ったのはお肉の仕上げとソースだけだから。
スープはトマトの冷製だけど口に合うかしら」
「冷製って冷たい奴か。
食べたことないけどトマトは好きだからきっと平気さ。
ちょっと顔洗ってきていいかな?」
咲はもちろん、と答えてから一緒に洗面所まで来てタオルを出してくれた。僕が顔を洗い始めると咲はリビングへ戻ったが、洗い終わった顔を拭くときにはふんわりとしたタオルから咲の香りが感じられる。
いやいや、これじゃまるで変質者かなにかみたいじゃないか。僕は思わず首を振りながら正気へ戻るように自分へ言い聞かせた。しかしその横に振った顔には咲の香りがまとわりついて離れてくれない。
こうなったら荒療治だと言わんばかりに、僕は開き直ってタオルに顔を押し付け大きく息を吸い込み、簡単に畳んでから洗濯かごへ放り込んだ。
昨日どさくさで言っちゃったけど、やっぱり僕は咲の事が好きだし、その想いは日に日に強くなっていく。それなのにこんなに密度の高い週末を過ごしているのだから平常心でいられるわけがないのだ。
でも今日の咲は少し雰囲気が違っている。なんというかいつもより距離が近いというか、やたら体をくっつけてくるように感じていた。今だってタオルを出すというのはわかるけど、わざわざ手を引いて洗面所まで一緒に来たし、寝てしまう前にも強く抱きしめてくれた。
でも…… 僕は少し足りない気持ちを抱えていたのだ。
せっかく寝起きを覚ますために顔を洗ったのだし、気持ちを入れ替え夕飯をいただくことにしよう。僕が勝手に感じている不足感がなにかはわかっているが、それを咲に強要するわけにはいかないのだから。
リビングへ入ると、すっかり用意が終わって手持無沙汰だった様子の咲が大げさに出迎えてくれた。やっぱり今日は何かが少し違う気がする。
こちらへ両腕を伸ばして僕の両手を優しく握る。いつもの席はほんのすぐそこなのにわざわざ椅子を引いて座らせてくれた。
僕は思い切って聞いてみようと思ったが、目の前に並べられた料理を見てそんなことは一瞬で忘れてしまった。
目の前には、大きな塊肉を分厚く切ってクロースと一緒に皿へ盛り付けられたものと、鮮やかな緑色の刻みパセリを散らした真っ赤なトマトスープがあった。立ち上る湯気はいい香りで食欲を刺激する。
「すごいね!
これはなんだろう?
ちゃ、ろ、ローストビーフ?」
「今、叉焼って言おうとしたでしょ。
まあ焼き物には変わりないけれど、どちらかと言えばローストビーフに近いわね。
でもこれはザウワーブラーテンって言うのよ」
「ザウワーブラーテン? 初めて聞くなあ。
やっぱりドイツの料理なの?」
「ええそうよ。
仕込みに時間がかかるので特別な日にピッタリなの」
「特別な日?
今日はなにか特別な日だったっけ?」
そう言ったところでしまった、と思いおそるおそる咲の方を見た。すると不機嫌になっているとの予想に反してニコニコご機嫌と言った様子の笑顔が目に入る。
「ふふ、いいの、今日は特別な日なのよ。
私とキミにとっての特別な日ね」
僕は思わず考え込んでしまった。しかしその答えがわからないまま咲は僕を置いてけぼりにしようとする。
「いいから食べましょうよ。
グレービーソースの出来も完璧だからきっと気に入ってくれるわ。
もちろんクロースにもあうわよ」」
また知らない名前が出てきたが、ソースと言っているので肉にかかっているクリームっぽい奴の事だろう。とにかくそのボリューム感に圧倒されてしまう。
よく見ると僕の皿は咲のよりも大分大きくて、肉は倍以上盛られているしクロースも二つ乗っていた。これは食べ応えがありそうだ。
「すごい量だなあ。
食べきれるか心配だよ」
咲はそれを聞いて笑っている。その笑みは料理に負けない魅力があって、このテーブルを中心とした空間にいる僕は、今世界で一番幸せなんじゃないかと感じていた。
向かい合っていただきますと言ってから食べ始める。初めて食べるザウワーブラーテンなる肉料理は柔らかくて旨みがぎっしりと閉じ込められていた。噛むごとに味が染み出て来て、あっという間に二切れ食べ、僕はその間終始無言だった。
さらにソースをたっぷりとつけてから切ったクロースと一緒に口へ放り込む。じゃがいもと肉は元々よく合う組み合わせだと思ってるけど、そこへこの食感が合わさってさらに旨い。
ソースの味付けも独特で、しっかりとした酸味がついているのにも関わらずほんのりと甘みもあって爽やかな風味だ。
僕は黙々と食べ続けていたが、半分ほど食べたところでふと顔を上げた。するといつから見ていたのかわからないが、僕が夢中で食べているのを見つめていたらしい咲が急に顔をそらした。
「えっ!? なに?
なにかおかしいことしてた?」
もしかして行儀悪かったかな?」
「なんでもないわよ。
そんなに黙々と食べるなんて、気に入ってもらえてるみたいで良かったわ」
なんだか慌てているように見えた咲は、普段は真っ白な頬を少しだけ紅色に染めている。覗き見してたのがばれて恥ずかしいのだろうか、まさか怒ってるわけじゃないとは思うけど心配だ。
僕は級にうつむいた咲が愛らしくてたまらず、落ち着いてはいられない。かといって何を言えばいいかわからなくて料理の味を褒めるくらいしかできなかった。
「初めて食べたけど、このザウワーブラーテンってすごく旨いよ!
ソースがまた不思議な味だけど酸味と旨みがすごい強いね。
これなら軽く食べきれちゃうな」
自分でもバカみたいな言い方してると思ったが、とにかく旨いものは旨いとしか表現できない。しかもやけに興奮気味で語ったせいか咲が口を押えて肩を震わせている。どうやら
「あまり食べすぎると動けなくなっちゃうわよ?
それとも今日も泊まっていくかしら?」
今日も! そうだった。昨日は結局床で寝てしまったんだった。しかも咲に抱きしめられたままで……
正直失態だと思うし、高校生にあるまじき行為だっただろう。といっても今更言い訳するつもりはないが、いくらなんでも二日連続でそんなことをするわけにはいかない。
「いやいや、明日は朝のランニングも学校もあるからね。
床で寝落ちするなんて恥ずかしいまねはしないさ」
「別に恥ずかしいことではないでしょ。
キミと一緒にいる時間が長いこと、私は嬉しいわよ」
「そりゃ僕だって嬉しいさ。
でもまずいよ…… やっぱりさ……」
「キミが変なこと考えなければいい話よ。
私は何もしないって約束しないけどね」
約束しないって、そう言えば昨日の夕飯前に僕が裸で寝ていた理由がわからないままだった。しかしそれを確認することは怖くてとてもできない。いったい僕は何をしていたんだろうか。
そんなことを思い出しつい黙りこくってしまった。すると咲が言う。
「色々難しく考えなくてもいいのよ。
キミは私の言うことを聞いてくれたらそれでいいの。
かと言って命令をしているつもりはないわよ」
「そりゃいくら僕が咲の事、あの…… 信頼してるからって奴隷じゃないんだからね。
自分の行動くらい自分で決めるさ」
「ええ、それでいいのよ。
だから寝るときはせめて床で寝ないでね。
さ、食事の続きしましょう。
もう冷めてきちゃったわよ」
確かにせっかくの料理が冷めてしまって味が落ちたらもったいない。こうしてまた食べ始めたが、少し冷めてしまった料理は味が落ちているなんて全く感じずに、結局すべて平らげてしまった。
僕が最後の一切れを食べるころ、すでに咲は食べ終わってこっちを眺めていた。見られながら食べるなんてめったにないことだから恥ずかしさはあったが、こんな状況も幸せの一つと考えれば悪くない。さっきは目を逸らしたように感じたけど、たまたま視線を逸らすタイミングだったのだろうか。
結局食べる前に心配していた通り完全に食べ過ぎで動くのが難しいくらいだが、そうさせたのは咲の料理がおいしいせいだ。でもこの週末、何となく感じていた疲労感が大分軽くなってきた気がする。
金曜までは調子よく過ごして来たのに昨日のあの出来事から一気に疲れてしまった。本気の勝負はやっぱり疲れるからなのか、それともストーカーまがいのことをされたからなのかはわからない。
食べ終わって動けずにいる僕へ咲が悪魔のささやきをしてきた。
「無理しないでソファへ行ったら?
動けないなら手を貸すわよ?」
いやこれは咲の罠だ。今ソファへもたれかかったらそのまま寝てしまうだろう。時間は八時過ぎ、そのまま朝まで寝てしまってもおかしくはない。
「いや、ひと休みしたらそろそろ帰らないといけないからさ。
明日の準備もしないと朝練に遅刻したら大変だしね」
「でも凄く苦しそう。
まさか全部食べ切るなんて思わなかったわよ。
寝ないように一緒にいてあげるから少し楽にしたほうがいいわ」
どうやら咲は本気で心配してくれているのか。それを変な見方をしてしまいなんだか悪いことをした気持ちになる。
それでも渋っている僕の前に歩いてきた咲は優しく抱きしめてくれる。ああ、この柔らかさはまずい。非常にまずい……
「今ハーブティー淹れてきてあげる。
お腹にやさしいから楽になると思うわ」
「うん、ありがとう。
やっぱり食べ過ぎたみたいだ。
これも、咲の料理が旨すぎるからだよ」
「うふふ、お上手ね。
じゃあソファへかけて待っていてね」
そう言うと食べ終わった食器を乗せたワゴンとともにキッチンへ行ってしまった。ここまで尽くしてくれたら断れない。僕はゆっくりとソファへ向かい、その柔らかさへ体を預けた。
気を抜くとうとうとしてしまうのが自分でもよくわかる。気をしっかり持たなければいけない。そう考えれば考えるほど眠くなってくるのが困りものだ。
何とか目を開けたままでいる間に咲が戻ってきて、淹れたての紅茶を目の前のテーブルへ置いた。
「淹れたてで熱いけど飲めるかしら?
一口でも飲むと落ち着くかもしれないわよ」
そう言いながら僕の隣へ腰かける。少し体を起こして紅茶を一口すすった僕は思わず熱いと声に出してしまった。熱いって今言われたばかりなのに何をしてるんだ、子供か、僕は。
おいしいものをたらふく食べて、紅茶を淹れてもらってゆっくりと過ごし、隣には好きな子が座っている。なんて幸せな場面なんだろうか。
今度は慎重にほんの少しだけ紅茶を口にする。確かにさっぱりとして楽になっていくような気がする。というかなんでも咲の言う通りにするといい具合に物事が進むような気がするけど、これは精神的な効果でそうなってるのかもしれない。
いつもならこの後は…… でも咲に期待するような動きはない。カップを置いた後咲の方を向くと咲もカップをテーブルへ戻した。
そして僕の首の後ろへ手を回すと、僕の顔を自分の胸に押し付けるように引き寄せてくる。僕はその腕に抗うことができずされるがまま、咲のその柔らかい部分へうずもれていた。
「気持ちいい?
でも寝てしまわないようにね」
そう言いながら僕の頭を小さな子供の様になでてくる。完全に子ども扱いだけど、これってどこかで見た様な光景だ。
「うん、大丈夫だよ。
起きてる起きてる……」
ああ、これって父さんが酔っぱらって帰ってきて母さんに怒られた後、甘えてるときと同じ光景なんだと思い出した。でも僕はそんな情けない姿は見せないぞ。しっかり記憶もあるし、ちょっと眠いだけで別に酔っぱらってるわけじゃないんだから。
「そうね、いい子よ」
うん、そうだよ。咲と同い年だから別に子供なわけじゃないけど、悪い子じゃないのは確かだ。
ただ少し疲れてるから目を閉じたいだけさ・・・・・・
「好きだ……
咲・・・・・・ 大好きだよ……」
「ふふ、いい子ね。
疲れてるんだから甘えていいのよ。
愛しいキミ」
咲はいつもこうやって優しい言葉をかけてくれる、いつも…… それなのに今日は結局一度もキスをしてくれなかった。
なんだかとても苦しいや。なんでだろう。そう考えながら僕は柔らかな誘惑に負けてしまったのだった。
しかし優しい香りとおいしそうな香りとが混ざったような、何とも言えない空気に包まれて僕は目を覚ました。咲がテーブルへ料理を並べながらこっちを見る。
「あら、起きたのね。
調子はどうかしら?
多分相当疲れてるのだと思うけど、起き上がれるようなら食事にしましょ」
「うん、おなかが空いて起きた様な気がするな。
なんだがとてもいい匂いが夢の中まで入ってきてたからね」
「まあ大げさね。
いったいどんな夢を見ていたのかしら」
僕はまさか咲に包まれてる夢だったなんて言えずに笑ってごまかしておいた。珍しく咲もそれ以上突っ込んでは来なかった。
いつの間にか夕飯の用意が終わって今すぐにでも食べられるようになっている。ソファの上でだらしなく寝転がっている僕の知らないところで咲は料理の続きをしていたのだろう。
「手伝ってたつもりが結局寝ちゃって…… ごめんよ」
「いいのよ、さっき手伝ってくれたので十分だったわ。
他に作ったのはお肉の仕上げとソースだけだから。
スープはトマトの冷製だけど口に合うかしら」
「冷製って冷たい奴か。
食べたことないけどトマトは好きだからきっと平気さ。
ちょっと顔洗ってきていいかな?」
咲はもちろん、と答えてから一緒に洗面所まで来てタオルを出してくれた。僕が顔を洗い始めると咲はリビングへ戻ったが、洗い終わった顔を拭くときにはふんわりとしたタオルから咲の香りが感じられる。
いやいや、これじゃまるで変質者かなにかみたいじゃないか。僕は思わず首を振りながら正気へ戻るように自分へ言い聞かせた。しかしその横に振った顔には咲の香りがまとわりついて離れてくれない。
こうなったら荒療治だと言わんばかりに、僕は開き直ってタオルに顔を押し付け大きく息を吸い込み、簡単に畳んでから洗濯かごへ放り込んだ。
昨日どさくさで言っちゃったけど、やっぱり僕は咲の事が好きだし、その想いは日に日に強くなっていく。それなのにこんなに密度の高い週末を過ごしているのだから平常心でいられるわけがないのだ。
でも今日の咲は少し雰囲気が違っている。なんというかいつもより距離が近いというか、やたら体をくっつけてくるように感じていた。今だってタオルを出すというのはわかるけど、わざわざ手を引いて洗面所まで一緒に来たし、寝てしまう前にも強く抱きしめてくれた。
でも…… 僕は少し足りない気持ちを抱えていたのだ。
せっかく寝起きを覚ますために顔を洗ったのだし、気持ちを入れ替え夕飯をいただくことにしよう。僕が勝手に感じている不足感がなにかはわかっているが、それを咲に強要するわけにはいかないのだから。
リビングへ入ると、すっかり用意が終わって手持無沙汰だった様子の咲が大げさに出迎えてくれた。やっぱり今日は何かが少し違う気がする。
こちらへ両腕を伸ばして僕の両手を優しく握る。いつもの席はほんのすぐそこなのにわざわざ椅子を引いて座らせてくれた。
僕は思い切って聞いてみようと思ったが、目の前に並べられた料理を見てそんなことは一瞬で忘れてしまった。
目の前には、大きな塊肉を分厚く切ってクロースと一緒に皿へ盛り付けられたものと、鮮やかな緑色の刻みパセリを散らした真っ赤なトマトスープがあった。立ち上る湯気はいい香りで食欲を刺激する。
「すごいね!
これはなんだろう?
ちゃ、ろ、ローストビーフ?」
「今、叉焼って言おうとしたでしょ。
まあ焼き物には変わりないけれど、どちらかと言えばローストビーフに近いわね。
でもこれはザウワーブラーテンって言うのよ」
「ザウワーブラーテン? 初めて聞くなあ。
やっぱりドイツの料理なの?」
「ええそうよ。
仕込みに時間がかかるので特別な日にピッタリなの」
「特別な日?
今日はなにか特別な日だったっけ?」
そう言ったところでしまった、と思いおそるおそる咲の方を見た。すると不機嫌になっているとの予想に反してニコニコご機嫌と言った様子の笑顔が目に入る。
「ふふ、いいの、今日は特別な日なのよ。
私とキミにとっての特別な日ね」
僕は思わず考え込んでしまった。しかしその答えがわからないまま咲は僕を置いてけぼりにしようとする。
「いいから食べましょうよ。
グレービーソースの出来も完璧だからきっと気に入ってくれるわ。
もちろんクロースにもあうわよ」」
また知らない名前が出てきたが、ソースと言っているので肉にかかっているクリームっぽい奴の事だろう。とにかくそのボリューム感に圧倒されてしまう。
よく見ると僕の皿は咲のよりも大分大きくて、肉は倍以上盛られているしクロースも二つ乗っていた。これは食べ応えがありそうだ。
「すごい量だなあ。
食べきれるか心配だよ」
咲はそれを聞いて笑っている。その笑みは料理に負けない魅力があって、このテーブルを中心とした空間にいる僕は、今世界で一番幸せなんじゃないかと感じていた。
向かい合っていただきますと言ってから食べ始める。初めて食べるザウワーブラーテンなる肉料理は柔らかくて旨みがぎっしりと閉じ込められていた。噛むごとに味が染み出て来て、あっという間に二切れ食べ、僕はその間終始無言だった。
さらにソースをたっぷりとつけてから切ったクロースと一緒に口へ放り込む。じゃがいもと肉は元々よく合う組み合わせだと思ってるけど、そこへこの食感が合わさってさらに旨い。
ソースの味付けも独特で、しっかりとした酸味がついているのにも関わらずほんのりと甘みもあって爽やかな風味だ。
僕は黙々と食べ続けていたが、半分ほど食べたところでふと顔を上げた。するといつから見ていたのかわからないが、僕が夢中で食べているのを見つめていたらしい咲が急に顔をそらした。
「えっ!? なに?
なにかおかしいことしてた?」
もしかして行儀悪かったかな?」
「なんでもないわよ。
そんなに黙々と食べるなんて、気に入ってもらえてるみたいで良かったわ」
なんだか慌てているように見えた咲は、普段は真っ白な頬を少しだけ紅色に染めている。覗き見してたのがばれて恥ずかしいのだろうか、まさか怒ってるわけじゃないとは思うけど心配だ。
僕は級にうつむいた咲が愛らしくてたまらず、落ち着いてはいられない。かといって何を言えばいいかわからなくて料理の味を褒めるくらいしかできなかった。
「初めて食べたけど、このザウワーブラーテンってすごく旨いよ!
ソースがまた不思議な味だけど酸味と旨みがすごい強いね。
これなら軽く食べきれちゃうな」
自分でもバカみたいな言い方してると思ったが、とにかく旨いものは旨いとしか表現できない。しかもやけに興奮気味で語ったせいか咲が口を押えて肩を震わせている。どうやら
「あまり食べすぎると動けなくなっちゃうわよ?
それとも今日も泊まっていくかしら?」
今日も! そうだった。昨日は結局床で寝てしまったんだった。しかも咲に抱きしめられたままで……
正直失態だと思うし、高校生にあるまじき行為だっただろう。といっても今更言い訳するつもりはないが、いくらなんでも二日連続でそんなことをするわけにはいかない。
「いやいや、明日は朝のランニングも学校もあるからね。
床で寝落ちするなんて恥ずかしいまねはしないさ」
「別に恥ずかしいことではないでしょ。
キミと一緒にいる時間が長いこと、私は嬉しいわよ」
「そりゃ僕だって嬉しいさ。
でもまずいよ…… やっぱりさ……」
「キミが変なこと考えなければいい話よ。
私は何もしないって約束しないけどね」
約束しないって、そう言えば昨日の夕飯前に僕が裸で寝ていた理由がわからないままだった。しかしそれを確認することは怖くてとてもできない。いったい僕は何をしていたんだろうか。
そんなことを思い出しつい黙りこくってしまった。すると咲が言う。
「色々難しく考えなくてもいいのよ。
キミは私の言うことを聞いてくれたらそれでいいの。
かと言って命令をしているつもりはないわよ」
「そりゃいくら僕が咲の事、あの…… 信頼してるからって奴隷じゃないんだからね。
自分の行動くらい自分で決めるさ」
「ええ、それでいいのよ。
だから寝るときはせめて床で寝ないでね。
さ、食事の続きしましょう。
もう冷めてきちゃったわよ」
確かにせっかくの料理が冷めてしまって味が落ちたらもったいない。こうしてまた食べ始めたが、少し冷めてしまった料理は味が落ちているなんて全く感じずに、結局すべて平らげてしまった。
僕が最後の一切れを食べるころ、すでに咲は食べ終わってこっちを眺めていた。見られながら食べるなんてめったにないことだから恥ずかしさはあったが、こんな状況も幸せの一つと考えれば悪くない。さっきは目を逸らしたように感じたけど、たまたま視線を逸らすタイミングだったのだろうか。
結局食べる前に心配していた通り完全に食べ過ぎで動くのが難しいくらいだが、そうさせたのは咲の料理がおいしいせいだ。でもこの週末、何となく感じていた疲労感が大分軽くなってきた気がする。
金曜までは調子よく過ごして来たのに昨日のあの出来事から一気に疲れてしまった。本気の勝負はやっぱり疲れるからなのか、それともストーカーまがいのことをされたからなのかはわからない。
食べ終わって動けずにいる僕へ咲が悪魔のささやきをしてきた。
「無理しないでソファへ行ったら?
動けないなら手を貸すわよ?」
いやこれは咲の罠だ。今ソファへもたれかかったらそのまま寝てしまうだろう。時間は八時過ぎ、そのまま朝まで寝てしまってもおかしくはない。
「いや、ひと休みしたらそろそろ帰らないといけないからさ。
明日の準備もしないと朝練に遅刻したら大変だしね」
「でも凄く苦しそう。
まさか全部食べ切るなんて思わなかったわよ。
寝ないように一緒にいてあげるから少し楽にしたほうがいいわ」
どうやら咲は本気で心配してくれているのか。それを変な見方をしてしまいなんだか悪いことをした気持ちになる。
それでも渋っている僕の前に歩いてきた咲は優しく抱きしめてくれる。ああ、この柔らかさはまずい。非常にまずい……
「今ハーブティー淹れてきてあげる。
お腹にやさしいから楽になると思うわ」
「うん、ありがとう。
やっぱり食べ過ぎたみたいだ。
これも、咲の料理が旨すぎるからだよ」
「うふふ、お上手ね。
じゃあソファへかけて待っていてね」
そう言うと食べ終わった食器を乗せたワゴンとともにキッチンへ行ってしまった。ここまで尽くしてくれたら断れない。僕はゆっくりとソファへ向かい、その柔らかさへ体を預けた。
気を抜くとうとうとしてしまうのが自分でもよくわかる。気をしっかり持たなければいけない。そう考えれば考えるほど眠くなってくるのが困りものだ。
何とか目を開けたままでいる間に咲が戻ってきて、淹れたての紅茶を目の前のテーブルへ置いた。
「淹れたてで熱いけど飲めるかしら?
一口でも飲むと落ち着くかもしれないわよ」
そう言いながら僕の隣へ腰かける。少し体を起こして紅茶を一口すすった僕は思わず熱いと声に出してしまった。熱いって今言われたばかりなのに何をしてるんだ、子供か、僕は。
おいしいものをたらふく食べて、紅茶を淹れてもらってゆっくりと過ごし、隣には好きな子が座っている。なんて幸せな場面なんだろうか。
今度は慎重にほんの少しだけ紅茶を口にする。確かにさっぱりとして楽になっていくような気がする。というかなんでも咲の言う通りにするといい具合に物事が進むような気がするけど、これは精神的な効果でそうなってるのかもしれない。
いつもならこの後は…… でも咲に期待するような動きはない。カップを置いた後咲の方を向くと咲もカップをテーブルへ戻した。
そして僕の首の後ろへ手を回すと、僕の顔を自分の胸に押し付けるように引き寄せてくる。僕はその腕に抗うことができずされるがまま、咲のその柔らかい部分へうずもれていた。
「気持ちいい?
でも寝てしまわないようにね」
そう言いながら僕の頭を小さな子供の様になでてくる。完全に子ども扱いだけど、これってどこかで見た様な光景だ。
「うん、大丈夫だよ。
起きてる起きてる……」
ああ、これって父さんが酔っぱらって帰ってきて母さんに怒られた後、甘えてるときと同じ光景なんだと思い出した。でも僕はそんな情けない姿は見せないぞ。しっかり記憶もあるし、ちょっと眠いだけで別に酔っぱらってるわけじゃないんだから。
「そうね、いい子よ」
うん、そうだよ。咲と同い年だから別に子供なわけじゃないけど、悪い子じゃないのは確かだ。
ただ少し疲れてるから目を閉じたいだけさ・・・・・・
「好きだ……
咲・・・・・・ 大好きだよ……」
「ふふ、いい子ね。
疲れてるんだから甘えていいのよ。
愛しいキミ」
咲はいつもこうやって優しい言葉をかけてくれる、いつも…… それなのに今日は結局一度もキスをしてくれなかった。
なんだかとても苦しいや。なんでだろう。そう考えながら僕は柔らかな誘惑に負けてしまったのだった。
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