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鈍い鈍いと言われても

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 目を覚ますと天井が視界に入った。どれくらいかわからないがどうやら寝てしまっていたようだ。

「起きた? もう苦しくないかしら?、お腹や他のところも、ね」

「う、うん…… また寝ちゃったのか…… ごめんよ」

「なんで謝ることがあるのよ、それだけくつろげているということでしょう?」
「キミのかわいい寝顔を見ながら今日の復習をしていたから退屈はしなかったわ」

「さっきの続き、お話のね、その前にこの辺りを教えてほしいのよ」
「日本語の表現でわからないところがあるの」

 咲がそう言ってからテーブルを離れ、ノート片手に近づいてくる。僕は体を起こしてソファへ座りなおした。

 会話では不自由のない咲も、教科書に載っているような固い文体だと意味がわからなくなってしまうことがあるらしく、蛍光ペンでいくつものマーカーがつけてあった。

 僕はそれをざっと見てわかる範囲で説明した。あまり自信はないけど現国ならおそらくは大丈夫だろう。

「ありがとう、今日やったところでわからなかったのはこのくらいかしらね」
「ほぼ全部の授業で寝ている割には意外にわかるのね、日本語だからかしら」

「ま、まあね、逆に言うと国語くらいしかまともに分からないんだけどさ」
「英語も苦手だけど、理系もさっぱりだよ」

「私も理系は苦手ね、理屈より感覚を大切にしたいって言い訳していたわ」
「どちらかと言うと語学は得意なの、これって文系ってやつかしら?」

「そういうことになるのかな? 僕はどっちも苦手な体育会系だから何とも言えないけど」

「そうだったわね、私は得意なことを頑張るのっていいことだと思うの」
「苦手なことに取り組まないといけなくなった時には、得意なことがあると言うことが自信につながるんじゃないかしら」

「確かにそれはあるかもしれないね」
「僕らみたいな運動バカは、気合と根性と体力でなんでも解決しようとするからなあ」

「うふふ、それで解決できるならいいんじゃないかしら」
「その根性? でお話の続き、頑張ってちょうだい」

 そうだ、僕は得意な体育会系根性論で女子が苦手なことを克服して、咲をデートに誘わないといけないんだ。

「うん、実はね、父さんの同僚夫婦が行くはずだったプロ野球観戦のチケットがあるんだ」
「急な出張で行かれなくなったからって僕にくれたんだよ」
「土曜のデイゲーム、昼間にやる試合の事なんだけど、一緒に行かないかい?」

「プロ野球って見たことないしルールもよくわからないわ」
「一緒に行ってもつまらない思いさせるかもしれないけど、それでも良くて?」

「大丈夫さ、僕がちゃんと説明するからさ」
「それで、あの…… その後ご飯でも食べに行ってくれるかな?」

「どうしようかしら、土曜日に用事があるわけじゃないけどお料理の練習でもしようと思っていたのよ」
「でも食べさせる相手がいないなら練習しても仕方ないかもね」

「それって僕に食べさせるために練習するって意味?」

「キミのそういうところ、かわいいけど腹立たしく感じるわね」
「こういうの鈍いっていうのよ」

 咲は少しだけ頬を膨らませている。でも表情自体は笑っていて機嫌を害したわけじゃなさそうだ。でも僕には咲の言っている言葉の意味が分からない。

「鈍いって言うことは、咲が言いたいことを僕が理解できてないってことだと思うんだけど、ホントにわからないんだよ」

「わからなくてもいいの、そこがかわいいのよ」
「でもあまりにわからない相手を見ていると腹も立つってこと、ただそれだけだから気にしないで」

 咲の言い分はわかったようなわからないような、結局はぐらかされたような感じだ。でも深追いして本気で怒られたらたまらない。

「わからなくてもいいならそのままでいるよ」
「でもいつかちゃんと理解できるように頑張るからさ」

「うふふ、おかしな人ね」

 これまた何がおかしな人なのかわからないが、何となく文学的な表現に思えたので何かしらの比喩なのだろう。

「それでさ、土曜日一緒に遊びに行ってくれる?、場所は矢島の県民球場なんだ」
「矢島駅の周辺はここらよりだいぶ栄えていて、遊ぶところもご飯食べるところもたくさんあるよ」

「遊びって繁華街でってことよね? 私そういうの経験ないわよ」
「日本では毎日夜遅くまでお店が開いているのも驚いたわ」

「ドイツは違うの?」

「向こうは日曜日や休日に開いているお店はほとんどないし、他の日も二十一時くらいには閉店なの」
「だからお休みの日は家でゆっくりしたり、散歩するくらいかしらね」

「そっか、日本の休日とはだいぶ違うのかな、たとえばゲームセンターとかカラオケとか行かないの?」
「ほかだとなんだろう、ショッピングとかはするでしょ?」

「そうね、私は田舎の育ちだからゲームセンターとかの娯楽施設はなくて、誰かの家に集まってゲームやってる子はいたわね」
「後は美術館へ行ったり、そうそう、蚤の市は頻繁にやっていてよく行ったわ」

「なるほどね、じゃあこの辺りで遊ぶのとそんなに変わらないかもしれないな」
「フリーマーケットは見たことないけど、家でDVD見たりゲームしたりするのは同じかもね」

「DVDって映画とかよね? 映画館はあるのかしら?」
「特に見たいものがあるわけじゃないけど、劇場の雰囲気って好きなのよね」

「僕は映画よりもメジャーリーグのを良く見るかな、ゲームも少しやるけど野球ゲームかパズルくらいの短い時間でできるやつくらいだね」

「わかったわ、キミのお誘い受けてあげる、その代り野球観戦の後は私の希望を聞いてちょうだいね」

「オッケー、やっぱり映画がいいのかな?」

「ううん、見終わったら帰ってきてキミをいただくわ」

「えっ!? それってどういうこと?」

「うふふ、さあね、ちゃんと満足させてあげるから楽しみにしていて」

 僕は一寝入りしてせっかく収まっていた気持ちが、また自分で制御できないくらいに盛り上がってくるように感じた。

 なにか深い意味があるのかもしれないが、鈍い僕にはそれが何を示しているのか理解できず、思考はおかしな方向へと進んでいたのだった。
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