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荒野に咲く一輪の花

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 席を立ち鞄を手に取った時、すでに後ろの席に咲の姿はなかった。決して僕がのろのろと片づけをしているわけではないはずだが、授業が終わるといつの間にかいなくなっている。

 だが今そんなことを気にする必要はない。家に帰ればきっとまた咲が待っていてくれるはずだ。

 咲がどこまで知っているのかわからないが、今日からの部活はより一層気を引き締めないといけない。なんといってもあの一年生がマネージャーとして入部したのだ。

 万が一にも間違いを犯すことはないと誓えるが、周囲が勘違いするような言動や行動にも注意を払う必要があるだろう。

 廊下へ出た僕は部室へ向かう。途中で木戸たちと合流して歩いていると他のクラスの女子から声がかかる。

「木戸くーん、今日も練習頑張ってね」
「あとで見に行くわよー」

 そんな声援にこたえるように木戸は手を振り返したりポーズを取ったりしている。ルックスだけではなく、こういうサービス精神が人気の秘訣なのだろう。

「木戸はホントもてるよなあ、マジうらやましすぎる」
「俺なんて試合でかっ飛ばしても大声援が飛んでくることはないし、ファンレターだってもらったことないのによ」

 丸山が恨み節を言っているが、お世辞にもかっこいいと言えないので仕方ない。だがそれを口にするわけにもいかず僕達は笑い飛ばすことくらいしかできなかった。

「でもよマルマン、去年と違って今年はレギュラーだから、公式戦で活躍して目立つチャンスはあると思うぜ」
「ま、そこで打てなきゃだめだし、お前は守備の見せ場がないからバッティングが数少ない見せ場だからな」

「そっか、そうだな、打ちまくればいいんだな」
「まずは今度の練習試合でナナコーに丸山ありと知らしめてやるぜ」

「おう、期待してるぜ」

 木戸はそう言って丸山の肩をパン、と叩いた。それを合図に僕達は足を速め部室へ急いだ。

 部室へつくとすでに扉は開いており、用具が運び出されている途中だった。新学期に入ってからの部室当番は一年生が引き受けてくれている。

「先輩! お疲れ様です!」
「オッス!」

「オーッス、用意ありがとうな」

 今日も外野は陸上部が使っていて打撃練習や外野ノックができない。そのためか木戸や丸山みたいなバッティング練習大好きなやつらは消化不良気味らしい。

「そういや昨日はラーメン屋行ったのか?」

 みんなで着替えている最中にチビベンが木戸へ訊ねた。

「おう、マルマンおすすめの店に行ってきたよ」
「そういやそこスゲえのよ、どんぶりと同じくらいにもやしが盛り上げてあってよ」

「すごかったろ? 味はまあ荒っぽい感じだけどよ」
「ボリュームだけはこの辺のどのラーメン屋よりもすごいと思うぜ」

 そこへ珍しくハカセが口を挟んだ。

「ゴロー系ってやつか、都会では流行ってるらしいよ」
「野菜マシニンニク辛目、とかって注文するんだろ?」

「そうそう、ハカセ良く知ってるな」

「ネット見ると似たような店が結構あるみたいなんだ」
「大喰らいのお前らにはぴったりだな」

「まあそこは否定しないけどよ、油もすごくて帰ってから夕飯あんまり食えなかったよ」

「それでも食ったのかよ! もっと太っちまうぞ」

「だから俺は太ってねーよ! パワフルなだけだっつーの!」

 着替え途中で上半身裸の丸山はそう言いながら両腕に力を込めて腰のあたりに振り下げ、ボディービルダーのようなポーズで筋肉の付き方をアピールした。それを見て木戸も違うポーズで対抗し筋肉比べを始めてしまった。

 この二人のパワーに他の部員は誰一人として敵わないが、それだけでは成り立たないのが野球の面白いところだ。

「あの…… 先輩…… お茶作ってきましたけどどこへ持って行ったらいいですか?」

 開いたままの扉の外で掛川由布がもじもじとしながら話しかけてきた。何人かはまだパンツ一丁だったので慌てて隠したりユニフォームを履いたりする。

 今日から野球部のマネージャーになった掛川由布だが、どうやら恥ずかしがっているようだ。しかし木戸はそんなことお構いなしに上半身裸のままで表に出た。

「おう、マネちゃんありがとよ、一年生誰か教えてやってくれー」
「マネちゃんは名前なんていうんだっけ?

「はい! えっと…… 掛川由布です!」

 元気なのかためらっているのかわからないが、複雑な表情で自身の名を答えた。

「由布ちゃんね、俺は主将の木戸修平だ、後で正式に紹介するからよ」
「これからいろいろと頼むよ、よろしくな」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 そういって迎えに来た嶋谷に連れられてグラウンドへ去って行った。

「カズ、なんかいい子じゃないか、元気良くってさ」

「なんで僕に言うのさ、他の部員がおかしく思うだろ」
「そういうのやめてくれよ」

「かー、相変わらずお堅いな、しかし女子マネはいいね、花があるっつーかさ」

 まったっくこいつは、前時代的なおっさんサラリーマンみたいなことを言っている。きっと親父ギャグ飛び交う居酒屋のお客さんの影響だろう。

「いやいや、汗臭い男たちの中で紅一点って感じでいいじゃんか」
「昼休みはどうなることかと思ったけど、そんなにお騒がせ女子ってこともなさそうじゃね?」

 まったく、丸山も一緒になって能天気なことをいってくれる。こうやって浮ついた気持になるやつが出てくるのを心配しているんだというのに。

 しかし、僕にはもう咲いてくれる花があるのだからこれ以上は不要だ、とはとても言えない。

「まあとにかくさっさと着替えて練習はじめようぜ」

 僕が周りをせかすと着替え終わったものからグラウンドへ走って行く。全員を送り出してから最後に鍵をかけて部室を後にした。

 やれやれ、これからどうなることやら。今まで通りの練習ができるといいんだけどな、と僕は心配をしながら後を追った。
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