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沈黙後の約束

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 向かい合った僕と咲、その間に紅茶の入ったマグが二つ置かれている。淹れたてなので湯気があがり、居間にはいい香りが漂う。

 咲は黙ったまま紅茶を一口二口飲んだ。音は聞こえなかったが紅茶が通って行ったことを示すよう咲の喉が静かに動いて、僕はそれを見るだけでドキリとしてしまうのだった。

 なぜ黙っているのかわからないが、このまま緊張が続いていては頭がおかしくなってしまいそうだ。思わず僕もマグに手を伸ばし勢いよく紅茶を飲んだ。

「アチッ、ふぅ」

 思ったよりもはるかに熱かった紅茶に驚いた僕は思わず声を上げてしまい、それを見た咲はクスッと笑った。

 上目で前を見るとかわいらしく笑う咲の顔が見える。なんだ、こんな無邪気な表情もできるんじゃないか。僕はそんな風に感じたが、よく考えれば同じ年齢なんだし、お互いまだまだ子供だ。

 それでも咲は口を開かない。話をしようと乗り込んできたのは自分なのに、またもや僕の唇を奪ったまま一言もしゃべらないなんてどういうつもりなんだろう。

「ねえ、あのさ、」

「キミね、約束は守れるかしら?」

 まただ。咲は僕が話しかけようとするタイミングを見計らってるかのように遮ってくる。わざとにしてはタイミングが良すぎるし、たまたまにしては回数が多すぎる。

 どちらにせよ僕に主導権は得られなさそうだし、もうこれは深く考えない方が良さそうだ。

「約束って?
 どんな約束だよ」

「聞いたら後には引けないようなことかもしれないわよ?
 それでも聞きたいかしら?」

 なんだか重大な事なのだろうか。それともただの脅し文句なのか。どちらにせよ守るかどうかは僕が決めることだし、破ったからといって天罰が下るなんて大層なことは無いだろう。

「命に係わるとかとんでもないことじゃなけりゃ約束は守るよ、僕は」

「あらそう?
 うふふ、じゃあ二つほど約束してもらおうかしら」

「二つもあるのか。
 しかも一方的に守れって随分身勝手じゃないか」

「これはキミにもメリットがあることなのよ。
 きっと喜んでもらえるわ」

「僕にメリット?
 それはどういうこと?」

「そういえば今日の練習はどうだったかしら?
 思い通りにならなかったりしなかった?」

 なぜだ、確かに今日の練習は良くなかったがなぜその事をを知っているんだろう。それに、またこちらの質問に答えず、質問へ質問を返して自己を押し付けてきた。

「今日はいまいちだったかな。
 それがどうかした?」

 正直かなりショックを受けた今日の出来だったが、それを悟られるのが悔しくて表情に出さないようさらっと流すように言った。すると咲はその答えに対する返答なのかどうか、よくわからないことを言い出した。

「初めてだったものね、無理もないわ。
 キミには悪いことをしたかもしれないわね」

「それはどういう意味?
 僕の調子が悪かったのは、その、階段で、あの、キ、キスしたせいってこと?」

「簡単に言えばそういうこと。
 あの時私が、キミの精気を頂いちゃったのよ」

「精気!?
 それってどういうこと!?」

「まあ力の源って考えれば概ねあっているわ。
 ここから先は約束に関わってくるけど話を続けてもいいかしら?」

 練習で調子が良くなかったことと関係があると言われたら気になるに決まっている。どう考えても聞かずにはいられない僕は慌てて返事を返す。

「う、うん、構わないよ。
 僕は約束は守る男だからね」

「じゃあまず一つ目の約束よ。
 今後、私以外とはキスをしてはいけない、もちろんそれ以上の事もね」

 そ、それ以上…… まだ高校生なのに当たり前だ。そう言いかえしてやりたかったがひとまず最後まで聞いてみることにして、返事は頷くだけにとどめる。

「そして二つ目ね。
 それはキミと私との関係は絶対に秘密にすること。
 口外伝聞あらゆる手段においても他人に知られてはいけないの。
 それと他の子を好きになったりもしないこと」

「ちょっと待ってよ。
 いつの間にか三つに増えてるじゃないか」

「あらそうね、うふふ。
 まあ三つ目のは約束じゃなくてお願いということになるかしらね」

 お願い? 他の子を好きにならないでってことは、僕が咲を好きだということが前提で話が進められているということなのか。それとも僕が咲以外の女子を好きになることは、咲にとって好ましくないということなのだろうか。それってもしかして……

「約束の内容はわかったけど、今日みたいなこと二度としないでくれよ。
 練習には遅れるし内容は散々だしで参ってるんだ」

「それはどうかしら。
 キミはきっと私を求めるようになるし、私もキミを求めるわ」

「そんなことは無いさ。
 今日のは事故みたいなもんだろ」

「あら失礼ね、キミから私のところにやって来たくせに」

「それは……
 たまたま姿が見えたから気になったんだよ。
 なんで上の階へ上がっていくのかなってさ」

「それはキミと二人になりたかったから。
 私の呼びかけにキミが応えてくれてあの場所へ来てくれたんですもの、嬉しかったわ」

 呼び掛けとはどういう意味だろう。別に呼ばれた覚えはないし、現に教室内で一度たりとも言葉を交わしたことは無い。僕は正直にそのことを伝え確認しようとした。

 しかし咲の回答はやっぱり意味不明だった。

「私がね、キミを欲して追いかけてきてほしいと願ったのよ。
 二人きりになれる場所へ来てもらいたくてね」」

「ほっ、欲してってって……」

「ふふ、照れちゃってかわいいわね。
 自分に正直になっていいのよ」

 確かに僕は咲に一目惚れをしたが、咲も僕を好きになったと考えていいのだろうか。そんなうまい話があるとは思えないし、そもそも僕は女子と付き合ったりすることが野球の邪魔になると考えているから否定的なのだ。

「キミが約束を守ってくれるなら、また今日みたいなことをしてあげる。
 どうだったかしら、私とのキスの味は。
 気持ちよさそうだったわよ?」

「そ、そんなこと…… もうゴメンだよ。
 でも約束は守る、僕は口が堅いんだ」

「あらそう?
 でも固いのは口だけかしら?」

 咲のそのおかしな言い回しに僕は再び顔を紅潮させ、それを収めるように冷めた紅茶を一気に飲み干した。いったいこの目の前の女子は、かわいい顔して何を言い出すというのか。

「だってキミったら、あの時すごく緊張してたのか、全身を強張らせてたじゃないの。
 それなのに、唇を合わせてからは、お口をだらしなく開けて私を受け入れていたわよ、うふふふ」

 咲はいたずらっ子のように笑い、少し上目使いで僕の表情をうかがっている。その視線に、一番最初教室で見た時のように心臓が高鳴るのを感じる。

 まったく、何を考えているのかと責められてしかるべきなのは僕の方だった。恥ずかしいやら照れるやらで体が熱くてたまらない。

 目の前の小悪魔は、そんな僕を吸い込んでしまいそうなくらい大きく黒い瞳で見つめながら、口元に静かな笑みを浮かべていた。
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