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第三章 宿屋経営と街での暮らし
27.売り者
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どれくらい泣いていただろうか。涙が枯れるなんて言葉はあるがそうそう訪れる者ではないらしく、私の涙はまだまだ枯渇することがなく流れ続けていた。
名も知らぬ王族の遣いは困惑しているだろうか。それとも想定の範囲かもしれない。そんなことが頭をよぎったからか、私はふと泣くのをやめることが出来た。なんだかあんなバカ王子に振り回されて泣いていると思われるのが癪だったのだ。
本当の気持ちは誰にもわかってもらえない。たとえ人格が入れ替わったことを打ち明けているグランやクラリスであったとしてもわからないことだろう。かといって無かったことにできるわけではないのでどこかで立ち直らなければならない。
「ごめんなさい、知らない方の前で醜態をさらしてしまったわね。
それでこの件についての返事はいつまでにすればいいのかしら?」
「―― はい、返事をお預かりするよう命じられております。
お持ちした王族紋章のエンボスを入れた便箋をお使いください」
「準備がいいのね、わかったわ。
どちらにせよ拒否権があるわけではないし、素直に従いましょう」
一応温情と言ってもいいのだろうが、貴族としての地位と領地が貰えるらしい。それはあの村を治めていた貴族の代わりである。徴収した税をごまかし王族へ過少申告していた罪は重く相当数が極刑になっただろうし家督も取り潰しになったに違いない。
他にも現金や屋敷に馬や下働きたちにいたる全財産が引き継いで貰えるとのことなので、自分を売りとばした対価としては悪くないと納得することにした。問題は新たな爵位と家名だが男爵では格が下がり過ぎて納得できない。
いくら家柄に執着していないと言っても侯爵家長女の座を明け渡すのだし伯爵の地位くらい貰ってもバチは当たらないだろう。他にも新しい家名を考えないといけないしすぐには決められないことが多い。どうせ任命式で国王と謁見して拝命するのだしそれまでに決めることにする。
ほかにもいくつかの要望をしたため最後には肝心な守秘についても記載した。まあ厄介払いと言うことなのだろうがいっそのこと始末すると考えられるよりは随分とマシだった。
「お待たせ、蝋を貰えるかしら。
――これでよしっと、それじゃこれを預けるわね」
「確かにお預かりいたしました、間違いなくお届けいたします。
随分とお辛い決断であったとお察しいたします。
ご無礼とは存じますが殿下から伺っていたルルリラ様の人物像とは大分印象が異なりまして戸惑っております」
「あら、あのバカ皇子はどんなことを言っていたのかしら。
きっと傍若無人でわがままな箱入り娘だなんて言ってたのでしょうね」
従者は無言でうつむいたままだ。つまり当たらずとも遠からずと言ったところだろう。もちろんそれは以前のルルリラの記憶から考えれば当然の印象だった。
「まあ返事はしないで構わないわ。
私もこの一年遊んで暮らしていたわけじゃないと言うことよ」
「左様でございますか、きっと大変ご苦労なさったのでしょう。
さて、名残惜しいですが私はそろそろ城へ戻ります。
突然の来訪失礼いたしました」
「いいえ、こちらこそ遠くまでありがとう。
暗くなってきましたし帰路お気をつけてくださいね」
こうしてハマルカイトからの使者は王都へ帰っていった。正式な手続きが済んで新たな貴族として名と領地が与えられるまであと少しのルルリラ生活だ。はっきり言ってしまえば名残惜しくもなんともないし、捨てられるなら清々すると言ってもいい。
しかし他人に人生をもみくちゃにされたことに対する怒りや憤りは、今後も抱えたままで生きていくのだろう。この思いを何かにぶつけでもしないととても気が収まらない。帰ったらグランへ愚痴を聞いてもらって慰めてもらうことにしよう。
そんなことを考えながら家路についたのだが途中でふと足を止めた。そうだ、いいことを考え付いてしまった。そうだ、そうしよう。私はなんだか急に面白くなってきて駆け足で帰り道を急いだ。
「ただいまー、お客様と言っても宿泊ではなかったわ。
用事を片付けたてもう帰ってしまわれて今頃はもう国境を越えたころね」
「あらそうなの?
オーナーをご指名だからいい部屋を使ってくれるかと期待したのだけど残念ね」
クラリスはそう言って優しく笑った。その打算や野心なんてみじんも感じられない微笑みはいつも心を落ち着かせてくれる。
「グランはお客様のお部屋かしら?
あのマダム達ったら週に二度以上は来てるけど旦那様に叱られないか心配だわ」
「お仕事が忙しい方たちと聞いているし平気なんじゃないかしら。
でもまた殴り込みにでも来られると困っちゃうわね」
「金払いのいい上客だから細く長くお願いしたいわね。
そう言えば後で話があるから夜にでも事務所へ集まってもらえる?
場合によっては人を雇わないといけないかもしれないわ」
「なにか仕事を広げるお話かしら?
働かせすぎだってグランがまた文句言うわよ」
「その時はマダムの相手だけの毎日を覚悟してもらうわ。
私って優しいからちゃんと選ばせてあげるつもりよ」
「あーら怖い怖い、私の役目も気になるわね。
じゃあそれまでにお仕事片付けておくわ」
「そうね、クラリスにも重要な役目があるから後で説明するわ。
きっと気に入ってもらえると思うの」
私はそう言ってニッコリと笑った。しかしその顔はクラリスに不評だったようで下心がありそうないやらしい笑顔だ、なんて言われてしまった。まあそれはその通りなので言い当てられたという気にしかならない。
ゆっくりと話ができるように私も今のうちに仕事を片付けておくことにする。夕飯の支度が始まる前に薪割をしないといけないし、水瓶も一杯にしておかなければ。なんだかんだ言って力仕事は私の役目になっていたのだ。
もちろん宿屋の従業員の中で歳も背丈も一番小さいのが私である。たまにお客様に見られて驚かれることもあり適当にごまかすが、それもまた楽しみの一つになったりするものだ。
だが悲しいかなまだやっと中学生くらいの身体に重労働は酷なのだろう。ほぼ毎日お昼寝の時間が必要だったりするのが玉にキズだ。とは言っても日に一、二時間程度なので迷惑は掛かっていないはず。
だが今日は思いのほか寝入ってしまい夕飯の時間に起こされると言う醜態をさらしてしまった。それでも給仕と配膳の仕事はきちんとこなし本日の仕事は一段落となった。
事務所には仕事を終えた私とクラリスでのんびりとお茶を飲んでいた。グランは常連のマダムに捕まり部屋でお酌をしているはずだ。
さあなんと切り出せば良いだろうか。グランとクラリス、それにクラリスの旦那になった大工のディックスにも相談が必要だ。あとはどれだけ信頼できる人を集められるかどうか。
一人で謀(はかりごと)を頭に浮かべているとまたクラリスからいやらしい笑い方をしていると指摘されてしまった。でもこんなに楽しそうなことなのだから早く話したくて仕方ない。
私は時間が来るのを今か今かと待ちわびるのだった。
名も知らぬ王族の遣いは困惑しているだろうか。それとも想定の範囲かもしれない。そんなことが頭をよぎったからか、私はふと泣くのをやめることが出来た。なんだかあんなバカ王子に振り回されて泣いていると思われるのが癪だったのだ。
本当の気持ちは誰にもわかってもらえない。たとえ人格が入れ替わったことを打ち明けているグランやクラリスであったとしてもわからないことだろう。かといって無かったことにできるわけではないのでどこかで立ち直らなければならない。
「ごめんなさい、知らない方の前で醜態をさらしてしまったわね。
それでこの件についての返事はいつまでにすればいいのかしら?」
「―― はい、返事をお預かりするよう命じられております。
お持ちした王族紋章のエンボスを入れた便箋をお使いください」
「準備がいいのね、わかったわ。
どちらにせよ拒否権があるわけではないし、素直に従いましょう」
一応温情と言ってもいいのだろうが、貴族としての地位と領地が貰えるらしい。それはあの村を治めていた貴族の代わりである。徴収した税をごまかし王族へ過少申告していた罪は重く相当数が極刑になっただろうし家督も取り潰しになったに違いない。
他にも現金や屋敷に馬や下働きたちにいたる全財産が引き継いで貰えるとのことなので、自分を売りとばした対価としては悪くないと納得することにした。問題は新たな爵位と家名だが男爵では格が下がり過ぎて納得できない。
いくら家柄に執着していないと言っても侯爵家長女の座を明け渡すのだし伯爵の地位くらい貰ってもバチは当たらないだろう。他にも新しい家名を考えないといけないしすぐには決められないことが多い。どうせ任命式で国王と謁見して拝命するのだしそれまでに決めることにする。
ほかにもいくつかの要望をしたため最後には肝心な守秘についても記載した。まあ厄介払いと言うことなのだろうがいっそのこと始末すると考えられるよりは随分とマシだった。
「お待たせ、蝋を貰えるかしら。
――これでよしっと、それじゃこれを預けるわね」
「確かにお預かりいたしました、間違いなくお届けいたします。
随分とお辛い決断であったとお察しいたします。
ご無礼とは存じますが殿下から伺っていたルルリラ様の人物像とは大分印象が異なりまして戸惑っております」
「あら、あのバカ皇子はどんなことを言っていたのかしら。
きっと傍若無人でわがままな箱入り娘だなんて言ってたのでしょうね」
従者は無言でうつむいたままだ。つまり当たらずとも遠からずと言ったところだろう。もちろんそれは以前のルルリラの記憶から考えれば当然の印象だった。
「まあ返事はしないで構わないわ。
私もこの一年遊んで暮らしていたわけじゃないと言うことよ」
「左様でございますか、きっと大変ご苦労なさったのでしょう。
さて、名残惜しいですが私はそろそろ城へ戻ります。
突然の来訪失礼いたしました」
「いいえ、こちらこそ遠くまでありがとう。
暗くなってきましたし帰路お気をつけてくださいね」
こうしてハマルカイトからの使者は王都へ帰っていった。正式な手続きが済んで新たな貴族として名と領地が与えられるまであと少しのルルリラ生活だ。はっきり言ってしまえば名残惜しくもなんともないし、捨てられるなら清々すると言ってもいい。
しかし他人に人生をもみくちゃにされたことに対する怒りや憤りは、今後も抱えたままで生きていくのだろう。この思いを何かにぶつけでもしないととても気が収まらない。帰ったらグランへ愚痴を聞いてもらって慰めてもらうことにしよう。
そんなことを考えながら家路についたのだが途中でふと足を止めた。そうだ、いいことを考え付いてしまった。そうだ、そうしよう。私はなんだか急に面白くなってきて駆け足で帰り道を急いだ。
「ただいまー、お客様と言っても宿泊ではなかったわ。
用事を片付けたてもう帰ってしまわれて今頃はもう国境を越えたころね」
「あらそうなの?
オーナーをご指名だからいい部屋を使ってくれるかと期待したのだけど残念ね」
クラリスはそう言って優しく笑った。その打算や野心なんてみじんも感じられない微笑みはいつも心を落ち着かせてくれる。
「グランはお客様のお部屋かしら?
あのマダム達ったら週に二度以上は来てるけど旦那様に叱られないか心配だわ」
「お仕事が忙しい方たちと聞いているし平気なんじゃないかしら。
でもまた殴り込みにでも来られると困っちゃうわね」
「金払いのいい上客だから細く長くお願いしたいわね。
そう言えば後で話があるから夜にでも事務所へ集まってもらえる?
場合によっては人を雇わないといけないかもしれないわ」
「なにか仕事を広げるお話かしら?
働かせすぎだってグランがまた文句言うわよ」
「その時はマダムの相手だけの毎日を覚悟してもらうわ。
私って優しいからちゃんと選ばせてあげるつもりよ」
「あーら怖い怖い、私の役目も気になるわね。
じゃあそれまでにお仕事片付けておくわ」
「そうね、クラリスにも重要な役目があるから後で説明するわ。
きっと気に入ってもらえると思うの」
私はそう言ってニッコリと笑った。しかしその顔はクラリスに不評だったようで下心がありそうないやらしい笑顔だ、なんて言われてしまった。まあそれはその通りなので言い当てられたという気にしかならない。
ゆっくりと話ができるように私も今のうちに仕事を片付けておくことにする。夕飯の支度が始まる前に薪割をしないといけないし、水瓶も一杯にしておかなければ。なんだかんだ言って力仕事は私の役目になっていたのだ。
もちろん宿屋の従業員の中で歳も背丈も一番小さいのが私である。たまにお客様に見られて驚かれることもあり適当にごまかすが、それもまた楽しみの一つになったりするものだ。
だが悲しいかなまだやっと中学生くらいの身体に重労働は酷なのだろう。ほぼ毎日お昼寝の時間が必要だったりするのが玉にキズだ。とは言っても日に一、二時間程度なので迷惑は掛かっていないはず。
だが今日は思いのほか寝入ってしまい夕飯の時間に起こされると言う醜態をさらしてしまった。それでも給仕と配膳の仕事はきちんとこなし本日の仕事は一段落となった。
事務所には仕事を終えた私とクラリスでのんびりとお茶を飲んでいた。グランは常連のマダムに捕まり部屋でお酌をしているはずだ。
さあなんと切り出せば良いだろうか。グランとクラリス、それにクラリスの旦那になった大工のディックスにも相談が必要だ。あとはどれだけ信頼できる人を集められるかどうか。
一人で謀(はかりごと)を頭に浮かべているとまたクラリスからいやらしい笑い方をしていると指摘されてしまった。でもこんなに楽しそうなことなのだから早く話したくて仕方ない。
私は時間が来るのを今か今かと待ちわびるのだった。
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