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第十章 浮遊霊の苦悩

115.独白

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 二日ぶりの晴れ間だったがそれでも僕と千代は二人きりで佇んでいた。胡桃のところへ行くつもりだったが千代の様子からすると数日は難しいかもしれない。大矢が復讐の手段を見つけ、その邪な心をあらわにしたのを目の当たりにしたせいで、千代はとても怯えている。

 千代が大矢に対して怯えているのならヤツが立ち去っただけで解消するのだろうが、今千代が感じているのは自分が同じような復讐心を抱いているということ、自分そのものに対する怯えである。

 戦前か戦中かははっきりしないが、どうやら人さらいにあって命を落としたらしい。その無念さは幼い千代にとっても恨めしい出来事として心に刻まれたようだ。

 旧綾瀬邸から神社へ戻り並んで腰かけた二人は、二体のきつねを見ながら無言で足をぶらぶらさせていた。さてこれからどうしたらいいだろうか。

「そうだ、これからうどん屋さんへ行こうか。ずっと行ってなかったでしょ」

「ううん……千代いきたくない……」

 さすがにこんな子供だましの誘いでは無理があったか。しかし僕には他に気の利いた言葉が思い浮かばない。今はただ待つしかないのかもしれない。

◇◇◇

 結局、僕たちが神社から動き出すまでにさらに数日を要した。

「えいにいちゃんごめんなさい。千代、もうへいきだよ」

 唐突に口を開いた千代はこちらを見て笑った。しかしその笑顔は明らかに無理に笑っているように見える。

「本当に大丈夫?無理しなくてもいいんだよ?僕はずっと千代ちゃんのそばにいるって約束したんだから、何があっても一緒にいるからね」

「ありがとう。でもほんとうにへいきなの。おにいちゃんともやくそくしてるから」

「お兄ちゃんとの約束って?」

「あんまりわがままいってみんなをこまらせないこと。おにいちゃんがかえってくるまでここでまってること。かあさまのおてつだいをちゃんとすること」

「そっか、ずっと守ってきたんだ、偉いね」

 千代は何十年もの間、命を落とした後も、自分の兄と約束したことを忘れずに過ごしてきたのだということを聞くと胸が熱くなってくる。

「でもね、ぜんぶはまもれなかったの。こうやってわがままはしてしまったし……」

「そんなことないよ。千代ちゃんはわがままなんてしてないから大丈夫さ」

「それとね、かあさまのおてつだいもできなかった……それと…… それとね、おにいちゃんのかえりをまってることもできなかったの」

 僕は千代が語ることを聞き心がチクチクと痛んだ。母親の手伝いができなかったこと、兄が帰ってくるのを迎えられなかったこと。それは千代のせいではないのにこんなにも気にして抱えてきたのだ。

「でもそれは仕方ないことだよ。約束を守ることは大切だけど、絶対に守れるとは限らないからね」

「千代がやくそくまもれなかったからおにいちゃんかえってこなかったのかな……」

 えっ、帰りをずっと待ってるって言ってたのに帰ってこないことを知っているのか? どういう意味だろう。

「おにいちゃんはね、へいたいさんのがっこうへいったんだけどなつやすみになってもかえってこなかったの。がっこうまでみにいったんだけどいつものがっこうとはちがうところだったんだって」

「そっか、それまで通ってたのは近くの小学校で、そこからどこかの兵隊学校かなにかへ行ったんだね。僕は詳しく知らないけど、どこの中学校へ行ったんだろう」

「千代もわかんない。でももうね、かえってこないってしってるの」

「なんで?帰ってくるのずっと待ってたんでしょ?」

「うん、まってたよ。でももうかえってこないってしってたの。おにいちゃんはいしになってしまったのよ」

「石ってなんの……」

 ここで僕は思い出した。あの石碑に近づいた時に千代がそこから離れたがったことを。

「それってもしかして、前に三人で行った学校の近くの事かな。大きな石のあったところだけど……」

 千代はコクリと小さく頷いた。

 やはりあそこには何かあったんだ。裏に名前が沢山彫ってあることまでは確認していたけど、そこに千代の兄の名が刻まれているということで、しかもそれを千代は知っているのだ。

 千代はそのことを知っていながら帰ってくるはずの無い兄を待ち続け、身内が空襲で焼け死んだ光景を見てもなお、ずっとひとりで過ごしてきたのだ。

「じゃあ千代ちゃんは知ってたんだね。それなのに僕に初めて話しかけてきた時、お兄ちゃんって言ったのはなんで?」

「うーん、そのときはおにいちゃんだとおもったのかな。おにいちゃんがかえってきたらいいなってまいにちおもってたから。でもいまはえいにいちゃんがいるからへいきだよ」

 千代が言ったその言葉で僕は胸がいっぱいになり、またもや千代を抱きしめていた。こんな小さな体で何十年もの間苦しい事実を抱えていたのだと思うと切なくて苦しくなる。

 千代はそんな僕の心を知ってか知らずが、僕にしっかりとしがみついてきた。

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