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第九章 浮遊霊たちは袂を別つ

108.同類

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 家についてから桃香は部屋に紀夫を招き入れ、先ほどの続きを話しはじめた。

「さっき私に聞いたわよね?なんで死のうと思ったのかって。これからそれを説明するわ。でもその前に紀夫君のことを聞かせてほしいの」

「僕の事を?あんまり良くない、というかかなり嫌な内容だよ?それを聞いたからまた死にたくなるとかそう言うことはない?」

「それは大丈夫よ。それよりももっと生きていたくなるだろうし、生きているのが楽しくなると思うわ」

 紀夫は桃香の言うことの意味が分からないままに自分が受けていたいじめや嫌がらせを語った。そこには英介も知らないようなことが含まれており、万引きの指示や金銭に関わることだけでなく裸の写真を撮られたり、良く知らない女子生徒に告白させられたりという恥辱的なものがあった。

 そこまで話す必要があったかどうかはわからないが、紀夫も誰かに話してしまいたいと思っていたのかもしれない。おそらく、いつも明るく楽しそうに過ごすという育て方をしてきた母が、実は本当の母親ではなかったということを知りタガが外れてしまったのだろう。

 一通り話した後、死んでしまってからこの街にやってきたことも説明した。母に会いに来たことからはじまり、真実を知ったこと、そして自暴自棄になっていつの間にかあの駅で気力を失っていたことだ。

「そうだったの、辛かったわね。話せといっておいて私だけ泣いちゃってごめんなさい」

 そう言って桃香は涙をぬぐった。その目の前にいる紀夫は落ち込んだような表情をしているものの涙を流すことは無い。なぜならば、幽霊から涙は出ないからだ。

「今更後悔してもどうにもならないからね。でも桃香さんはまだ生きてるんだし、なにか悩みとかあるなら聞きたいと思ったんだ。残念ながら僕にしてあげられることはないけど、吐き出すだけで楽になることだけでもいいよ」

「紀夫君って優しいのね。なんだか安心できるのは境遇が似ているからかしら。実は私も嫌がらせを受けているんだけど、ここ数日で他にも嫌なことが重なってしまったの。だから気の迷いみたいなものが出てしまったのかもしれないわ。だって今は死のうなんて気持ちこれっぽっちもないのよ?」

 泣いているのか笑っているのかわからないような桃香の顔、いやその姿はいつの間にか黒い影がすべて消え去っていた。あの黒い影は何だったんだろうかと紀夫は不思議に思ったが、それをあえて桃香には伝えようとしなかった。

「じゃあ次は私の番よ。親にも、誰にも言っていないことだから覚悟して聞いてね。紀夫君が幽霊で他の人へ言うことができないから話す気になってるんだから」

 紀夫は大きくうなずいた。それを見て安心したのか桃香はゆっくりと話しはじめる。


 桃香は高校二年生、つまり去年のことから話しはじめた。桃香はとある大学を目指しており、高校の推薦枠を使って受験しようと考えていた。しかし同級生に同じ大学の推薦を取りたいと考えている生徒がいるらしい。

 その大学への推薦枠は一つ、つまりどちらかが推薦を貰えてどちらかはもらえないということになる。その話が生徒の間に漏れたのか、何となく周囲の態度が変わっていったのだという。

 そしてその日以来、物が無くなったり靴がびしょ濡れにされていたりは当たり前で、授業中に輪ゴムが飛んでくるなんて子供じみたこともあった。

 しかし何よりも堪えたのは性的な噂を流されたことだという。桃香を省いて作っているメッセージグループ内で勝手な噂を流され、それを真に受けた男子から色情的な目で見られたり、朝教室へ入ると、黒板に侮辱的な言葉が書かれていることもあった。

 さすがに耐え切れずたびたび学校を休むようになってしまい、推薦どころか大学進学や場合によっては留年の可能性もあったとのことだ。

 何とか三年生になり転機が訪れる。同じクラスの男子から告白され友達として付き合い始めたのだ。そしてその彼はなにか噂や嫌がらせがあると誰ともわからない犯人に怒り、周囲にはそんなことするなと咎めるよう声をかけてくれた。気が弱くて自分では何もできない桃香にとっては救いの神だったのだ。

 その効果もあって嫌がらせはほとんどなくなっていた。たまに遠巻きにひそひそ話をされることがあっても、心強い味方の支えがある桃香にはあまり気にならなくなっていたのだ。

 こうして夏休みを迎えしっかりと勉強を積み重ねてきた桃香は、たとえ推薦でなくても十分合格できるという模試の結果も出ていた。そのため推薦を受けずにいくつかの国公立と私立を受けることにした。

 そのため桃香は今現在受験勉強の追い込み時期なのだ。方や彼は、早々と私大の推薦で合格を貰い今は余裕の日々とのことだ。

 友達から始まったお付き合いも少しずつ進展し、キスは何度かしているくらいの仲にはなっている。しかしここ最近彼の様子が変わってきたというのが一番の問題であり今回の自殺未遂のきっかけになった出来事だった。


 ここまで話をしたところで桃香の目からは涙がこぼれてきた。ここからが修羅場なのだろうと紀夫にもわかるくらいにはっきりと顔に出ている。

 正直言って女子とキスなんてしたこともないどころかまともに話をしたことすらない紀夫にとって、桃香の話は刺激が強い。しかし性的な噂や侮辱と言うものがどんなものかは想像がついた。

「ごめんなさい、また泣いちゃって。でも辛いだけじゃなくてホッとしているという意味でもあるの。今まで誰にも話さず過ごしてきたのは本当は意味の無い我慢だったのかもしれないって今は思うのよ」

 そう言いながら桃香は握った拳を震わせている。紀夫にはそれを聞いていることしかできないが、本当に大丈夫なのだろうか。

 しかし少しの休憩を挟んで桃香はまた話しはじめた。


 ひと月ほど前から彼はアルバイトを始めた。そのため会う回数が減っていたが、学校で顔は合わせているし桃香も勉強に集中したい時期と言うこともありあまり気にしていなかった。

 そして一週間前くらいに久しぶりのデートをしたとき、彼から体を求められた。そんなことを言い出すような人ではなかったと思っていたし、真面目で考えの古い桃香のことを理解してくれていると思っていた彼の口から切り出される言葉だとは思いたくなかったのだ。

 その日は何とか断って帰ったが、それから毎日夜になるといやらしい内容のメールが来る。そしてとうとう我慢しきれなくなったのか、一昨日の放課後、きちんと話をしようと学校内で二人きりになれる場所で会うことにした。


 ここで桃香が大きくため息をついた。

「ねえ紀夫君、手を握ってくれない?私おかしくなりそうなの。初対面のあなたにこんな事話して恥ずかしいけど、ここで言ってしまいたいって気持ちもあるのよ」

 そう言われて桃香の手元を見ると先ほどよりも激しく震えていた。紀夫は自分の手を差し出し桃香から握るように促し、桃香はその手を握り返した。紀夫の手を痛いくらいに強く握った桃香は、その握る手の強さと同じくらいの覚悟が必要なな話をしようとしているのかもしれない。

 そんな覚悟を受け止めることができるかどうか、紀夫は不安を感じながらも桃香と固く手を繋ぎあっていた。

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