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第八章 浮遊霊の抱える不安
98.気配
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昨日よりも大分早い出発となった僕たち一行は、同じように荒波海岸駅から各駅停車に乗ってのんびりと流れる車窓の景色を眺めていた。
「昨日も今日も天気が良くて何よりだけど、電車の中は暑いわね」
胡桃はそう言ってからコートを脱いで膝の上に抱えた。僕には気温がわからないが、冬なので当然暖房がかかっているのだろう。昨日とは違って濃紺のジーンズにだぼっとした黒のブラウスを着ている胡桃は、少しだけカジュアルな印象だ。足元は良く見かけるような定番のスニーカーを合わせていた。
「今日はスニーカーなんですね、昨日はやっぱり歩き疲れました?」
「そうね、体力には自信があったのだけれど、それには相応の格好も必要だって感じたわ。だから歩きやすいようにパンツとスニーカーにしたのよ」
僕はその言葉に一瞬ドキリとしたが、女性はズボンの事をパンツというのだと思い出し平静を装う。我ながらファッションに疎すぎて、これじゃ生前モテるモテない以前だったのも当然と言えた。
とはいっても今更どうすることもできない。なんといっても僕は制服のままで着替えることができないのだ。千代はきっと今まで何十年もの間振袖を着たままなのだろう。
「そういえば昨日の山下君? 今後どうするかしらね。何かを感じてくれたらいいのだけれど」
「どうでしょう、あいつは別のクラスだったのでそれほど接点はありませんでしたけど、井出とつるむようになってからは嫌な奴と言う印象しかありません。かといって一人で何かできるような度胸はないと思います」
「そうなのね、でも少し話した感じだと罪の意識は持っているように思えたわ。大矢君の事も知らなかったみたいだし、もしかしたら今頃苦しんでるかもしれない」
「心を入れ替えて反省してくれるならいいんですけど……それよりも胡桃さんの事を逆恨みするようなことがあって万一のことがあったら困ります……」
「確かに軽率だったかもしれないわね、心配かけたならごめんなさい。でも学園には警備員さんが大勢いるし、自宅もわからないだろうから平気よ」
「でも一応警戒と言うか、頭には入れておいた方がいいかもしれません」
「ありがとう、心に留めておくわ。それよりも今日はどこへ案内してくれるのかしら?」
「残念ながら絹川市界隈にそんな大したものはないんですけど、桑無山まで行けば風景は悪くないですよ。小中の遠足では定番なんですけど、それほどきつい山道でもありません」
「あら、それは楽しみだわ。家を出てからは、見る景色と言えばベランダから見える海と学園の周りの山や村落くらいですもの」
胡桃が実家を離れてから約五年、家と学校の往復くらいで大して出かけていないとは聞いている。かといって僕が知っているところで満足させることができるかは自信がなかった。
「とりあえずは総合病院へ行ってからまだ電車で移動しましょう。河川敷と神社は毎日行かなくても平気ですから」
「わかったわ、今日のエスコートはお任せするからよろしくね」
僕は胡桃にそう言われてなんだか照れくさくなり、うつむいて頭をかいた。電車は東絹原を出て間もなく絹原駅へ到着する。車両の中は相変わらずの貸し切り状態である。日曜日だと言うのに観光客らしき乗客もおらず、絹川鉄道の存続が心配になるほどだ。
絹原駅についた僕達はそのまま真っ直ぐに総合病院へ向かった。いつもと同じように玄関を通り救急の入り口の前から中庭へ抜ける。日曜日と言うこともあり、中庭には見舞客らしき人たちが数人たむろしていた。しかし今日もそこに大矢の姿はなかった。
「いったいどうしてしまったんだろう、もう帰ってこないつもりなのかな……」
僕はふとつぶやいてから、そんなことはあってはならないことだということを思い出し、ハッとして千代の方を向いた。
「のりにいちゃんもうかえってこないの?千代、とってもしんぱいだよ」
「そうだね、きっと戻ってくるさ、だから毎日見に来ようね」
「うん……」
がっくりと肩を落とした千代を胡桃が優しく抱き寄せる。周囲から見ると何をしているのかわからないだろうが、そんなことお構いなしに取ってくれている行動が胡桃のやさしさを如実に表していると感じる。
「すいません胡桃さん、今日も空振りでした。せっかくの休みに付き合ってもらったのになんだか申し訳ないです」
「いいのよ、早く帰ってくるといいわね、心配でしょ」
「はい、でも逆に戻ってこないと言うことは、もしかしたら場所にこだわる必要がない可能性もあるんじゃないかと思ってます。だから大矢はきっと無事で、向こうで無事に過ごしていると信じてます」
僕が口にした言葉には根拠なんてなかった。願望が自然と言葉になったようなものだが、今は大矢の無事を願うくらいしかできず、それはとても歯がゆかった。
気を取り直して僕達は病院を出てまた駅へ向かう。千代は少しだけ元気がない様子だが胡桃と手を繋いでの歩みはとぼとぼと言ったほどではないので心配いらなそうだ。
駅の近くまで来た時に胡桃が飲み物を買うと言ってコンビニエンスストアへ入って行った。僕と千代はその表で待つことにする。そう言えばこのコンビニは、父親の会社に閉じ込められていた大矢を発見したところだ。その時と同じように表の目立つ場所に芸術祭のポスターが貼ってある。
飲み物を買って出てきた胡桃が僕に話しかけてきた。
「何を見ているのかと思ったらこのポスターだったのね。芸術祭まであとひと月を切ったことだし、練習をしっかりやらないといけない気持ちになってくるわ」
「そうか、もう三週間後なんですね。当日も楽しみですけど、日々の練習を見るのも楽しいです」
「千代はね、じょおうさまがこわいの、ほかのひとたちはたのしくてすきなんだけど……」
「確かにハートの女王は怖い人よね、でも本当にいるわけではないから大丈夫よ。もしも本当に怖い人がいても英介君がやっつけてくれるわ」
「そうね、えいにいちゃんがついているからしんぱいないね」
二人にそう言われると、何もできない僕でも気を引き締める気になってしまう。人間なんて単純なものだ。
さて駅に向かうかと言うところで、僕は何の気なしに振り返って視線を上げた。まさか大矢がまた閉じ込められているわけではないだろうが、それはなんとなくの行動だった。
その見上げた先、シルクロード編集部がある部屋の窓には人影はなかったが、その窓からは電気がついているのがみえた。日曜日なのに仕事をしているのだろうか。
「英介君どうしたの? なにか見えた?」
「いえ、あそこのビルの二階が大矢の父親が働いているシルクロード編集部なんです。電気がついているようなので日曜でも仕事しているみたいですね」
「ちょっと行ってみましょう、紀夫君のお父様がいるかもしれないわ。別に危ないことはないでしょうし、寄り道になるけど少しだけだからいいかしら?」
どんなことかはわからないが、胡桃の興味を惹く何かがあることはわかる。その表情は興味を持つものを見つけたというものだった。
「時間とかは問題ないでしょうけど、何か危ないことに繋がるような気が……あまり踏み入れないようにしてくださいね」
「ええ、大丈夫よ、もし紀夫君のお父様がいたらお話してみたいだけなの」
そう言いながら僕達は絹川日報新聞社のあるビルへ向かった。しかし玄関にはセキュリティのしっかりした扉が行く手を阻む。
「誰でも入れるわけがないのも当然よね、残念だけど入れそうにないわ。寄り道してしまってごめんなさい、次の場所へ行きましょう」
僕は残念がっている胡桃を見ながらどこかホッとしていた。それと同時にこないだ見かけた、僕の父さんと大矢の父親が一緒にいたことを思い出し、知らないところで何かが動いているような予感を抱いていた
「昨日も今日も天気が良くて何よりだけど、電車の中は暑いわね」
胡桃はそう言ってからコートを脱いで膝の上に抱えた。僕には気温がわからないが、冬なので当然暖房がかかっているのだろう。昨日とは違って濃紺のジーンズにだぼっとした黒のブラウスを着ている胡桃は、少しだけカジュアルな印象だ。足元は良く見かけるような定番のスニーカーを合わせていた。
「今日はスニーカーなんですね、昨日はやっぱり歩き疲れました?」
「そうね、体力には自信があったのだけれど、それには相応の格好も必要だって感じたわ。だから歩きやすいようにパンツとスニーカーにしたのよ」
僕はその言葉に一瞬ドキリとしたが、女性はズボンの事をパンツというのだと思い出し平静を装う。我ながらファッションに疎すぎて、これじゃ生前モテるモテない以前だったのも当然と言えた。
とはいっても今更どうすることもできない。なんといっても僕は制服のままで着替えることができないのだ。千代はきっと今まで何十年もの間振袖を着たままなのだろう。
「そういえば昨日の山下君? 今後どうするかしらね。何かを感じてくれたらいいのだけれど」
「どうでしょう、あいつは別のクラスだったのでそれほど接点はありませんでしたけど、井出とつるむようになってからは嫌な奴と言う印象しかありません。かといって一人で何かできるような度胸はないと思います」
「そうなのね、でも少し話した感じだと罪の意識は持っているように思えたわ。大矢君の事も知らなかったみたいだし、もしかしたら今頃苦しんでるかもしれない」
「心を入れ替えて反省してくれるならいいんですけど……それよりも胡桃さんの事を逆恨みするようなことがあって万一のことがあったら困ります……」
「確かに軽率だったかもしれないわね、心配かけたならごめんなさい。でも学園には警備員さんが大勢いるし、自宅もわからないだろうから平気よ」
「でも一応警戒と言うか、頭には入れておいた方がいいかもしれません」
「ありがとう、心に留めておくわ。それよりも今日はどこへ案内してくれるのかしら?」
「残念ながら絹川市界隈にそんな大したものはないんですけど、桑無山まで行けば風景は悪くないですよ。小中の遠足では定番なんですけど、それほどきつい山道でもありません」
「あら、それは楽しみだわ。家を出てからは、見る景色と言えばベランダから見える海と学園の周りの山や村落くらいですもの」
胡桃が実家を離れてから約五年、家と学校の往復くらいで大して出かけていないとは聞いている。かといって僕が知っているところで満足させることができるかは自信がなかった。
「とりあえずは総合病院へ行ってからまだ電車で移動しましょう。河川敷と神社は毎日行かなくても平気ですから」
「わかったわ、今日のエスコートはお任せするからよろしくね」
僕は胡桃にそう言われてなんだか照れくさくなり、うつむいて頭をかいた。電車は東絹原を出て間もなく絹原駅へ到着する。車両の中は相変わらずの貸し切り状態である。日曜日だと言うのに観光客らしき乗客もおらず、絹川鉄道の存続が心配になるほどだ。
絹原駅についた僕達はそのまま真っ直ぐに総合病院へ向かった。いつもと同じように玄関を通り救急の入り口の前から中庭へ抜ける。日曜日と言うこともあり、中庭には見舞客らしき人たちが数人たむろしていた。しかし今日もそこに大矢の姿はなかった。
「いったいどうしてしまったんだろう、もう帰ってこないつもりなのかな……」
僕はふとつぶやいてから、そんなことはあってはならないことだということを思い出し、ハッとして千代の方を向いた。
「のりにいちゃんもうかえってこないの?千代、とってもしんぱいだよ」
「そうだね、きっと戻ってくるさ、だから毎日見に来ようね」
「うん……」
がっくりと肩を落とした千代を胡桃が優しく抱き寄せる。周囲から見ると何をしているのかわからないだろうが、そんなことお構いなしに取ってくれている行動が胡桃のやさしさを如実に表していると感じる。
「すいません胡桃さん、今日も空振りでした。せっかくの休みに付き合ってもらったのになんだか申し訳ないです」
「いいのよ、早く帰ってくるといいわね、心配でしょ」
「はい、でも逆に戻ってこないと言うことは、もしかしたら場所にこだわる必要がない可能性もあるんじゃないかと思ってます。だから大矢はきっと無事で、向こうで無事に過ごしていると信じてます」
僕が口にした言葉には根拠なんてなかった。願望が自然と言葉になったようなものだが、今は大矢の無事を願うくらいしかできず、それはとても歯がゆかった。
気を取り直して僕達は病院を出てまた駅へ向かう。千代は少しだけ元気がない様子だが胡桃と手を繋いでの歩みはとぼとぼと言ったほどではないので心配いらなそうだ。
駅の近くまで来た時に胡桃が飲み物を買うと言ってコンビニエンスストアへ入って行った。僕と千代はその表で待つことにする。そう言えばこのコンビニは、父親の会社に閉じ込められていた大矢を発見したところだ。その時と同じように表の目立つ場所に芸術祭のポスターが貼ってある。
飲み物を買って出てきた胡桃が僕に話しかけてきた。
「何を見ているのかと思ったらこのポスターだったのね。芸術祭まであとひと月を切ったことだし、練習をしっかりやらないといけない気持ちになってくるわ」
「そうか、もう三週間後なんですね。当日も楽しみですけど、日々の練習を見るのも楽しいです」
「千代はね、じょおうさまがこわいの、ほかのひとたちはたのしくてすきなんだけど……」
「確かにハートの女王は怖い人よね、でも本当にいるわけではないから大丈夫よ。もしも本当に怖い人がいても英介君がやっつけてくれるわ」
「そうね、えいにいちゃんがついているからしんぱいないね」
二人にそう言われると、何もできない僕でも気を引き締める気になってしまう。人間なんて単純なものだ。
さて駅に向かうかと言うところで、僕は何の気なしに振り返って視線を上げた。まさか大矢がまた閉じ込められているわけではないだろうが、それはなんとなくの行動だった。
その見上げた先、シルクロード編集部がある部屋の窓には人影はなかったが、その窓からは電気がついているのがみえた。日曜日なのに仕事をしているのだろうか。
「英介君どうしたの? なにか見えた?」
「いえ、あそこのビルの二階が大矢の父親が働いているシルクロード編集部なんです。電気がついているようなので日曜でも仕事しているみたいですね」
「ちょっと行ってみましょう、紀夫君のお父様がいるかもしれないわ。別に危ないことはないでしょうし、寄り道になるけど少しだけだからいいかしら?」
どんなことかはわからないが、胡桃の興味を惹く何かがあることはわかる。その表情は興味を持つものを見つけたというものだった。
「時間とかは問題ないでしょうけど、何か危ないことに繋がるような気が……あまり踏み入れないようにしてくださいね」
「ええ、大丈夫よ、もし紀夫君のお父様がいたらお話してみたいだけなの」
そう言いながら僕達は絹川日報新聞社のあるビルへ向かった。しかし玄関にはセキュリティのしっかりした扉が行く手を阻む。
「誰でも入れるわけがないのも当然よね、残念だけど入れそうにないわ。寄り道してしまってごめんなさい、次の場所へ行きましょう」
僕は残念がっている胡桃を見ながらどこかホッとしていた。それと同時にこないだ見かけた、僕の父さんと大矢の父親が一緒にいたことを思い出し、知らないところで何かが動いているような予感を抱いていた
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