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第八章 浮遊霊の抱える不安

94.疑惑

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 胡桃が喫茶店の支払いをしてから表へ出る。もちろん僕達も一緒だ。

「胡桃さん、あんまり無茶しないでください。もしものことがあったら困ります」

「なんでかしらね、あの山下君を見たらいてもたってもいられなくなってしまったのよ。もしなにか危ない目に合うようなことがあったら英介君、私を助けて頂戴ね」

 助けてと言われても僕にできることは何もない。その場で守ることも助けを呼ぶことさえできないということは胡桃もわかっているはずだ。それでも頼りにされることは嬉しかった。

「くるみおねえちゃんなにかあぶないことしたの? さっきのおにいさんのこと?」

「千代ちゃん、私は大丈夫よ、危なくないしどこにも行ったりしないわ。もしものことって言うくらいもしもの話なのよ」

「それならいいけれど…… くるみおねえちゃんとはなれるのはいやなの」

「心配かけたのね、ごめんなさい、私も離れるのは嫌だからずっと一緒にいましょうね」

「うん! くるみおねえちゃんだいすきだよ」

 そう言って千代は胡桃の足に抱き付いた。本当に仲が良くてまるで実の姉妹のようだ。

 そういえば胡桃は僕の事をカレみたいなものって言ってくれたな。なんだか照れくさいけど嬉しいものだ。

「あら英介君? にやにやしちゃってどうかしたかしら?」

「い、いや、二人を見てると本当の姉妹に見えて微笑ましいなって思ったんです」

「そうね、二人ともずっと仲良くして頂戴ね」

 目標をもってなんでも水準以上にこなしてきたらしいた胡桃だが、長いこと親元を離れており学校でも親友と呼べるほど信頼できる友達がいないと言っていた。表には出さないが実は寂しいと感じていたのだろうか。

 僕に特別なことは何もできないが、わずかでも心の支えになるのならいつまでもそばにいよう。むしろ僕がそばにいたいと願っているのだ。いつまでかわからないができるだけ長く一緒にいたいと思っている。

 もうだいぶ遅くなったので家路を急ぎ三人は歩く。いくら田舎だと言っても大きな街なので、駅周辺は街灯がそれなりにあってそれほど暗くはない。海沿いの道には街灯が並んでいてまだ交通量も多いので危険は少ないだろう。海洋高校のすぐそばを通過して住宅街へ向かうと胡桃のマンションが見えてきた。

 ライトアップされた玄関脇の植え込みが見えると一安心だ。胡桃がオートロックを開き中へ進み、その後を僕と千代がついていく。

 もう当たり前のようになった光景だが、周囲から胡桃しか見えていないというのは不思議なことである。その不思議な現象をもたらしているのはもちろん僕と千代なのだが、こうやって客観的に考えると面白いものだと改めて感じるのだ。

 部屋の前についた胡桃がインターフォンを鳴らすと、康子が扉を開けて出迎えてくれた。

「胡桃さん、お帰りなさい」

「ただいま、ああお腹すいちゃったわ」

 そういえば家を出てから飲み物のみで何も食べていなかった気がする。ちゃんと気使いできなかったはまずかった、そう今更後悔しても仕方がない。次はきちんと頭に入れておかないとダメだ。生きている人間は僕達のように飲まず食わずではいられないのだから。

「すぐ用意できますから、先にお風呂へ入ってね」

「ありがとう、康子さんはいいお嫁さんになれるのに、私みたいな小娘の面倒を見てもらっていてもったいないわ」

「突然どうしたの? 何かあったのかしら?」

「いいえ、なんでもないの、今後の事考えてたらふと思っただけなの。今は順調だけれど、高校卒業後の進路もそろそろ決めておかないといけないわ」

「そうね、真九郎様が仰っているように叔母様のところへは行きませんか?」

「私外国って好きじゃないのよね、住み慣れた日本が一番よ。でも四葉の大学はもはや演者にとっていい環境とは言えないみたいだし、悩むわ」

「四葉女子大は、どちらかというと脚本や演出向けに力を入れているみたいですものね。そうなるとどこか劇団へ応募することになるのかしら」

「今はその可能性が一番高いかもしれないわ。うちの部長みたいにスカウトされたら話は簡単なのだけれど、そんなこと期待して待つわけにもいかないしね」

「ゆっくり考えたらいいと思いますよ。シンガポールへ行くことになったら、私がお供させていただきますから心配いりません」

「それが余計に心配なのよ、康子さんの人生を私が浪費しているみたいになっているでしょう?康子さんが望んでいることが何かあれば、それを最優先で叶えて欲しいのよ」

「ありがとう胡桃さん、でも本当に私は恵まれているし、十分幸せなんですよ」

「それが私にはわからないから心配になるの、わかって?」

「そうですね、理解してもらえるよう努力するわ。さあお風呂へどうぞ、その間に食事用意しますからね」

 胡桃は康子に話をはぐらかされたことに釈然としない様子で部屋へ向かった。

「ね、英介君、おかしいでしょ?絶対私の知らないところで何かあるに違いないのよ」

 壁に向かって座らされた僕は、着替えをしながら憤慨気味の胡桃が言うことを黙って聞いていた。

「この生活が幸せって、そりゃ私としては悪い気分はしないけれど、どう考えてももったいないのよ。自分のレストランを持つわけでもないし、パパとこっそり会っている様子もない。私と一緒にここへ籠って毎日家事をやっているだけの毎日で満足? 恵まれている? 幸せ?そんなことあるわけないわ、そうよ、何かがおかしいのよ」

 胡桃は一人で憤っている。僕はそれに対して何と答えたらいいかわからず、さらには一歩も動くとこができないまま白い壁を見つめていた。

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