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第七章 浮遊霊は考え込む

87.道程

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 病院の中庭は数名の人が出入りしている。自動販売機が置いてあるので買いに来る人もいるし、おそらく入院している人と思われる寝巻き姿の人もいる。夜にはひと気の無いこの場所も、昼間は見舞い客も立ち寄るためそれなりに賑わいのある場所だ。

 しかしそこに大矢の姿はなかった。

「のりにいちゃんいないね」

「うん、まだ帰ってきていないようだね」

「一定期間この場所へ帰ってこないと宜しくないのよね?」

「はい、僕達の存続にかかわることになるはずです。それは本当かどうかは確かめていませんが、僕は他で聞いていた大矢に教えてもらったことなので、あいつがわかっていないわけは無いんですけどね」

「なるほどね、そんなに重大な事に繋がるなら確かに心配してしまうわね」

「まったくあいつは何してるんだろう・・・・・・」

 正直言って一週間も留守にするとは思っていなかった。このまま戻ってこなかったとしたら・・・・・・ 

 いやいや、そんなこと考えたくも無い。いくらなんでも大矢だってそんなに馬鹿じゃないはずだ。今はひたすら無事に帰ってくるのを待つしか無いだろう。

「帰ってきていないなら仕方ない。いつもだとこの後四つ葉まで歩いていくんです」

「歩きで行けるなんてすごいわね。ここからだと相当な距離あるでしょ」

「まあ歩こうが走ろうが僕達は疲れることが無いので出来ることですけどね。運動は得意じゃなかったので嫌っていたけど、走ってみると心地よさもあって意外なことを知ることができました」

「そうね、私は運動苦手じゃないけど好きでもない。でも毎日少しでもトレーニングはしているから、英介君の感じた心地よさってわかる気がするわ」

「演劇って体力必要そうですもんね。毎日トレーニングしているんですか?」

「そうよ、それほど負荷の高いものでは無いけれど、ストレッチと心肺機能を高めるようなものが主ね」

「勉強もあるのに毎日大変そうですが、目指すものがあるというのはいいですね。僕はそういうのまったくなかったので今更ながら後悔しています」

「あら、今からだって何かに取り組むことは出来るんじゃないかしら?千代ちゃんだって新しいお歌覚えたんだし、ねぇ千代ちゃん」

 突然話題を振られた千代がきょとんとしてこちらを見ている。でも確かにそうかもしれない。何も出来ないと決め付けているのはいつだって自分なのだ。

 とは言うものの何か出来ることはあるのだろうか。まずはそこを考えていく必要があるだろう。大矢の様に危険を顧みず行動することも悪くないし、なにかを覚えるのも良さそうだ。今すぐでなくてもいい。胡桃たちと行動しているうちになにか思いつくかもしれない。

「さて、どうしましょうか。河川敷と神社はどちらが近いのかしら」

「ここからだと河川敷が近いといえば近いですが、どちらもそこそこの距離です。電車で隣の物流倉庫駅まで行ってからだと少しは近くなりますけどどうしますか?」

「じゃあ駅まで戻りましょう、それでいいかしら?」

「はい、歩いていて疲れたら遠慮なく言ってください」

「ありがとう、疲れないって便利ね。その分、他に不便が沢山だろうけど少しだけ羨ましいわ」

「そうですね、幽霊になって得た数少ない良いところの一つかもしれません」

「なんだかごめんなさいね、英介君たちへの気遣いが足りていないような発現だったわ。我ながら配慮が足りなくてこういうところが嫌になるのよね」

 確かに僕達幽霊のメリットなんて生きていることに比べたらホンのちっぽけなものだ。生きていることは何にも代えがたく、命を落としてから得たものなんて大した価値は無い。胡桃に羨ましいと言われたがそれは本心なのだろうし、その後わざわざ謝ってくれたこと自体で気遣いは十分だ。

 そもそもその程度で気分を害するほど僕の心は狭くない。これは胡桃のことなら何でも許容してしまう、というわけでもなく、元来僕はあまり細かいことにこだわらないからだ。

 さて次の目的地は、一旦絹原駅に戻って各駅停車に乗り一駅の道のりだ。物流倉庫まではそう遠くは無いので電車さえ来てくれれば時間はさほどかからない。僕達三人は電車が来るのを十五分ほど待って物流倉庫駅へ向かい、十分程電車に揺られ到着した。

 相変わらず駅前は寂れており、胡桃に見せるのが恥ずかしいくらいだ。ここら辺は本当に何も無い。駅前から伸びている道を南へ向かい始めたところで胡桃が口を開いた。

「この駅には見覚えがあるわ。女子学園へ行ったときに通ったし、この道って初めて英介君を見かけた道でしょう?」

「そうですね、例のはねられた時の道です」

「面白いものね、ホンの一瞬見かけただけなのに色々な偶然と縁が重なって今はこうして一緒にいるなんて。なんだか犯人は現場に戻ってくる、みたいな気分よ」

 胡桃はまた変わった比喩を持ち出してきた。別にはねたのは胡桃でもないし朝日さんでも無いのにおかしなことを言う。

「胡桃さんって、もしかして刑事ドラマとか好きですか?」

「なによ、ずいぶん唐突ね。どちらかと言うと好きなほうだわね」

 胡桃は一瞬驚いたような目をした後、僕の質問に答えた。

「いやあ、なんとなくそう感じただけで他意はないです」

「もしこの先、場所は問わず演技で食べていくことになったら、一度は女刑事か推理物の主人公をやりたいわ。犯人をあぶりだしていく途中、煮詰まったのに何かの拍子で閃いて解決に導くのって素敵よ。ドラマでそういうシーン見ると、まるでわからなかった問題が突然解けるみたいに感じるの。テストの時にはあまり閃かないのが珠に瑕ね」

 胡桃はやや興奮したように矢継ぎ早に言葉を繋ぐ。本当に好きなのだということが伝わってくるのと同時に、また胡桃の意外な一面を知れたようで僕は嬉しくなった。

 こんなホンの少しの幸せ感を持てることがあるなんて今まで考えたこともなかった僕は、誰かに興味を持ち、そして同じように興味をもたれるというのも悪くないなと感じていた。

 千代は胡桃と手を繋いでまた歌いながら歩いている。僕はそれを後ろから見ながらついていき、河川敷への道のりを歩いていった。

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