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第七章 浮遊霊は考え込む

85.断言

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 週末なのに昼の十二時ごろの荒波海岸駅はあまり人が多くなかった。荒波海岸は海水浴場が整備された夏向きの観光地だ。そのため、冬になるとめっきり人出が減ってしまうのだろう。

 寒い時期にだと後は海産物を目当てに来る人たちだろうが、どちらにせよほとんどの人は車や観光バスでやってくる。これは絹川市の観光地もほぼ同じだ。絹川鉄道自体は通勤通学になくてはならない路線だけれど、日中の本数が極端に少ないということは需要が少ないということだ。

 しかし、空いている電車は僕達にとっては都合がいい。なんといっても他にお客さんがいなければ胡桃が独り言を言っているように見えたとしても見ている人がいないのだから。

 しばらく待っているとホームに電車が入ってきた。やってきたのは一両編成の各駅停車だ。急いでいるなら急行を待った方がいいのだが、のんびりとおしゃべりもできそうなので僕達三人は各駅停車へ乗り込んだ。車両の一番先頭に陣取った千代は発車を今か今かと待っている。胡桃は長椅子の一番端に腰を下ろした。

 僕はそのすぐ脇、ドア近くに立って千代の方を見ていた。

「英介君、他に乗客もいない事だし隣にいらっしゃいよ」

 胡桃が自分の隣に座るように促してきたが、僕はためらいと照れが混ざったような心持ちで返事に困ってしまった。

「でも他のお客さんが乗ってきたら困りますし……」

 これは我ながら苦しすぎるいいわけだ。なんといっても、今車両の中には僕達三人しか、それも周囲から見えるのは一人だけなのだから。

「他のお客さんなんていないじゃない。恥ずかしがっていても仕方ないでしょ」

「それはそうなんですけど……」

「見下ろされるのは好きじゃないの。お願いだから座って頂戴」

 どう考えても舌戦で胡桃に勝てるはずもなく、僕は諦めて隣に座った。もちろん混んでいる電車ではないので少し間を開けて、だ。

「私ね、同年代の男の子と話すのが小学生の時以来だから、もしかしたら何か失礼なこと言っていたりするかもしれないわ。気になることがあったら教えて頂戴ね」

 そうか、胡桃は中学校から四つ葉女子へ入学し、親元も離れ康子さんと二人暮らしなのだ。信頼できる友人も少ないようなことを言っていたし、もしかしたら寂しいと思うときもあるのかもしれない。

「学園の先生たちもほとんどが女性だし、警備会社からきている警備員なんて全員女性なのよ。身近な男性は朝日さんくらいかしら」

「そうなんですね、でも僕もクラスメートの女子と話すことはほとんどなかったし、どちらかというとバカにされていたくらいなので……」

「なんで英介君がバカにされるなんてことがあるのよ。照れ屋だけど優しくて、私は英介君の事いい人だと思うわ」

「あ、ありがとうございます。うちの学校は運動部に入っていない生徒はランクが落ちたような扱いなんです」

「なるほどね、そういう校風なのかしら。紀夫君も同じような感じなの?」

「そうです、なので僕と大矢は自然と仲良くなったわけです。あいつも本来は無邪気でいいやつなんですけどね」

「ちょっと幼い感じよね。お母様が溺愛してるって雰囲気が見えて、私はちょっと苦手だわ」

「確かにママっ子かもしれませんね。今、こんな姿になってしまってもわざわざ会いに行くくらいですから」

 少し話し込んでいたらようやく電車が動き出した。千代の方を見ると窓からの風景に合わせて首を左右に行ったり来たりさせていた。

「そういえば紀夫君はどこへ行っているの?」

「場所は知らないんですけど母親の実家で、都心の方だと言ってました」

「結構遠いわね。お父様は別居しているのかしら」

「ええ、大矢が死んだあと母親が実家へ帰ったみたいです。その辺の事情は聞いていませんが、大矢自身も知らないかもしれません」

「そっかぁ、子供を失った親ですものね、きっと辛いのでしょう」

「ちなみに父親は胡桃さんも知っているかもしれませんが、シルクロード編集部の方ですよ」

「えっ!? 女性編集長のところでしょ?私たちが宣伝協力をお願いしたフリーペーパーの?」

「そう、それです。そこからあのゆるキャラのイベントへ繋がって胡桃さんに出会えたというわけなんですよ」

「へぇ、凄い偶然なのね。でも私はシルクロードの編集部へは行っていないのよ?他の学校の子が取材を受けたことがあって、その伝手でお願いしに行ったってわけ」

「そうなんですね。以前とある事情でシルクロードの編集部にいた際、芸術祭の話をしに他の女子生徒が何名か来ていました。でもそこには四つ葉の生徒はいませんでしたね」

「そうね、私達はあまり自由に出歩いたりできないのよ。そもそも学校からどこかへ出かけるのは交通手段もないから難しいわ」

「通いの生徒は全員送迎ですか?」

「そうね、例外は無しで送迎できない家庭の生徒は通学前提の入学はできないの。これは金銭的な話ではなく防犯的な理由でね」

「じゃあ後は寮に入るしかないわけですね」

「ええ、別に監禁されているわけではないけれど、あそこの村落はバス路線も廃線になって交通手段が全くないわ。買い物とか行くときには何人かで事前申請してから学園のマイクロバスで出かけるのよ」

「随分と厳重な管理体制ですね」

「みんな少なからず良家のお嬢様だから何かあっては大事でしょう?だからマイクロバスで出かける時にも警備員が同乗してくれるんですって」

「はぁ、想像もしたことの無い別世界ですよ。あ、ということは胡桃さんもお嬢様ってことですね」

「私は山育ちでお嬢様なんて上品なものではないけれど、両親ともがそれなりの収入があって、おじい様は資産家だったからパパはそこから相続もしているわ」

「でも良家だからとかそういう基準だけで入学が決まる学園なんですか?」

「四つ葉が演劇中心の学園だってことは先日お話ししたわね。だからそう言った関係の娘さんや紹介がまず必要なの。その上で学科の入試試験もあるわよ」

「文武両道ならぬ文芸両道ってところですかね」

「うふふ、そうね。まあ私は半分身内みたいなものなので無条件での入学ですけどね」

「親族の方が経営なさってるということですか?」

「ええ、パパのお姉さま、私の叔母の息子さんの奥様が理事長よ」

「えっと、わかったようなわからないような……あぁ、義理の従妹と言うことになるわけですね」

「ふふ、まぁそんなわけでフリーパスだったわけよ。でも普段から勉強をしっかりやっておかないと補習が待っているから、演劇部の活動が制限されてしまうのよ?」

「それで毎日勉強もしているんですね」

「一日一時間だけだけどね。康子さんが教えてくれた集中方法なの」

「康子さんと言う方は料理だけではなく勉強も優秀なのですか。すごい人ですね」

「料理だけじゃなくて英語と中国語の北京語だったかしら?あとフランス語ができて、海外の大学を卒業しているんですって。料理は三ツ星レストランを任されるくらいの腕前らしいわ」

「はぁ、それはとんでもなくすごいですね」

「でもね、ここだけの話、康子さんはパパの愛人だと思うのよ」

「え、ええ!?」

「だってね、そんな凄い人が二つ返事で私みたいな子供の面倒見るために高級レストランを辞めてお手伝いさんみたいなことしているなんておかしいじゃない?でも、康子さんに聞いても相手にしてくれないし、パパもママも笑い飛ばすだけなのよ。絶対なにかあるに違いないわ、間違いない」

 自説を力説し断言する胡桃の目はキラキラと輝いていて、どう見ても不信感を抱いているようには見えなかった。それはまるで刑事ドラマの主人公が犯人を特定し追い詰めるときのようだ。

 僕と胡桃がそんな会話をしていた時も、千代はご機嫌で車窓を眺め大好きな歌を歌っていた。

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