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第七章 浮遊霊は考え込む
83.夜長
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「ねえ、英介君、起きてるかしら?」
もう深夜一時を回ったくらいだが胡桃が唐突に話しかけてきた。どうやらまだ眠っていなかったようだ。
今日も僕と千代は胡桃の家にお邪魔している。胡桃達が外で食事をしてから帰ってきたのでいつもより帰宅は遅かったけれど、それでもいつもと同じように入浴と勉強をこなしてから就寝という習慣は変えないらしい。
そのためベッドへ入ったのはつい先ほどだが、すでに胡桃の隣では千代が幸せそうな顔で寝息をたてている。
「う、うん、起きてます。本来、僕達幽霊は眠くなることは無いんです」
「そういえば以前そう言っていたわね。千代ちゃんは特別なのかしら」
「いえ、胡桃さんと一緒に横になるまでは寝たことなかったと言っていました。なので特別なのは胡桃さんだと思います」
「それよ、なんで私に特別な現象が起きているのかしらね」
「それは僕にもわかりません。でもそのおかげでこうやって会話ができたり存在を確認してもらえたりしているので、僕はあの……えっと、嬉しいです」
「あら、ありがとう。私も英介君と知り合うことができて嬉しいわ」
ちょっと待って。胡桃は、僕と知り合うことができて嬉しいと言った。本当は千代を含めた僕達と、のはずだ。こういう言い方をされてしまうと、どうしても心の平静を保つことが難しくなってしまう。現に胡桃を直視することができなくなっている。
「おかしなことかもしれないけど、私に特別な能力があるなんて嬉しいの。これは今まで誰にも言ったことの無いことだけれど、私の周りには何かに秀でた人達が多くて少しだけコンプレックスがあるのよね」
「胡桃さんのような優秀な人でもそんなこと思うんですね。僕なんて何のとりえもないし努力もしてこなかった完全な凡人ですから、そもそも人を羨む権利が無い人間でした」
「私は優秀なんかじゃないわ。勉強は確かにできない方ではないけれど、いつもトップみたいなことは無いしね。演劇には自信があるけれど、それでも部長や草野先輩のように特別な物を持っているわけじゃないわ」
「でも練習中の胡桃さんはすごかったと思います。こう言うと失礼かもしれませんが、本当に……あの……おかしな人に見えました……」
「うふふ、役柄が役柄だしね。奇人に感じて貰えたなら十分演じられているということかしら」
「はい、確かに部長のアリスも凄かったですけど、僕は胡桃さんの帽子屋が一番だと思います」
「あら、お世辞が上手なのね、ありがとう」
「お世辞なんかじゃありません、本当に一番です!」
僕があまりに興奮した口調で言い放ったせいか、胡桃は目を丸くしている。まったくもって僕はバカだ。こんなに強弁する必要なんてないのに何でこんな風に言ってしまったのか。これじゃあからさまに胡桃への想いをぶちまけているようなものではないか。
でも本当に胡桃の帽子屋が一番だと思ったのは確かだ。部長の演技力は素晴らしかったけど、アリスのような少女役ならそれほど特殊な演技ではないだろう。現に、部長不在時に代役をしていた草野孝子の演技も十分凄かった。
しかし胡桃の演じるイカレ帽子屋は普通の人ではなくある意味狂人だ。それを堂々と演じ、まるで本当の狂人のように感じさせるのは簡単な事ではないと思う。
「なんというか、帽子屋のようなおかしな役を演じるのは簡単ではなく、とても演技力が必要なんだと思ったので……」
一瞬の空白の後、僕は自分の前言を補足するよう胡桃へ伝えた。
「まあ確かにそうかもしれないわ。そもそもやりたがる人も少ない役だしね」
「それだけで十分特別だと感じているんですが、それでもコンプレックスがあるなんて周囲の人が凄すぎるんじゃないでしょうか」
「まあ確かにそうね。一緒に住んでいる康子さんは料理人として凄腕だし、真子さんもこんな田舎で小料理屋やってるのはもったいない腕前なのよ?父は猟師なんだけど、やり手だったおじい様に似たのか商売上手だし、母は農業バイオ研究では凄い人みたい」
「確かに聞いているだけで凄い面々ですね」
「でしょ? まったく参っちゃうわ。この環境で自分に自信を持てと言うのもなかなか難しいのよね」
胡桃の言うことは理解できなくもないが、父がトラックの運転手、母は調理のパートな僕にとっては胡桃を含めた全員が雲の上の存在に感じる。
「胡桃さんの苦悩はわかったんですが、僕達幽霊と意思疎通ができることはそれを覆すほど嬉しいものですか?」
「うーん、正直覆すって程ではないかもしれないけど、自分に特別な能力があるなんて素敵じゃない?ちょっと考え方が子供っぽいかもしれないわね」
「とんでもない! 僕は生きている人とこうやって話すことができるだけでありがたいですし嬉しいです。でも胡桃さんにとってメリットなのかどうかはわかりませんし、もしかしたらこうやって押しかけているのも迷惑になっているのではないかと思うこともあります……」
「迷惑かどうかで言えば迷惑ではないわね。千代ちゃんはかわいいし、英介君は優しいじゃない」
「そ、そんな、僕は何のとりえもない薬にも毒にもならない存在です」
「千代ちゃんを見ていると良くわかるのよ。英介君が千代ちゃんの事をとても大切にしていていつも気遣っているのがね」
「まあ数少ない幽霊仲間ですし、千代ちゃんも慕ってくれてかわいいですからね」
「いいわよね、そういう団結心や信頼関係って。私は普段、学校と家の往復ばかりだけれど、特別仲良い関係なのは身内のみだもの」
「クラスメートや演劇部の方々とはそれほどでもないんですか?」
「そうねぇ、部長や草野先輩とは仲よくしてもらっているけれど、同級生の一部からはあまり良く思われていないかもね。あの学校は演劇を中心に据えた学校でね、生徒全員が演劇部なのよ」
「そんな学校があるんですね」
「ええ、だけど実際に演者として成功できるのはごく一部、だからライバル心みたいなものはあるわね。ギスギスしているというほどではないけれど、信頼できる相手がほとんどいないのは確か。特に来年の部長に私が指名されてしまったので、今の二年生は気に入らないでしょうね」
「今の部長が二年生からではなく胡桃さんを選んだということですか?」
「ええ、希望者がいなかったということもあるのだけれど、今の二年生でこの先も演劇関連へ進もうと考えている人が少ないみたい。それで私が指名されてしまったというわけ」
「上級生含めて纏めていくなんて大変そうですね。反発もありそうですし……」
「そう言うこともあって、少し悩んだり心配していたりしていたタイミングで英介君たちと出会ったわけよ。失礼承知で言えば、いい気分転換になっているわ」
「いえいえ、そんな失礼なんてことはありません。車に轢かれているときにほんの一瞬見かけた胡桃さんとこうやって出会うことができて、探した甲斐があったというものです」
「あのときね、びっくりしたわよ。人がはねられて引き摺られているのに誰も気に留めてないんですもの」
「普通の人には見えませんからね」
「私疲れてるのかなって思ってしまったわ。でもその後、よく私がいるところに現れたわよね」
「話せば長いんですが、色々な偶然が重なったんですよね。人と人との繋がりもあってあの場所にたどり着いて、今に至るというわけです」
「そう考えると切っ掛けは偶然でも出会ったのは必然なのかもしれないわね」
そうか、偶然から始まる必然、そんなかっこいい言い回しもあるのか。やはり胡桃と話していると色々な発見がある。自分に学が無いだけかもしれないが知らない事を知ることは案外面白いものだ。
胡桃とこんなに長々と話をしたのは初めてだが、時間はもう三時になろうかというところだ。明日も早いだろうに大丈夫なのか心配になった。
「ところでこんな遅くまで起きていて明日の学校は大丈夫ですか?」
「何言ってるの、明日は土曜日だからお休みなのよ」
なるほど、そういえば曜日感覚なんてすっかり無くしていて気にもしていなかったな。僕達も明日はのんびりと出かけるとするか。
「また明日も絹原へ行くんでしょう?私もご一緒して構わないかしら?」
考えてもみなかった胡桃の申し出に僕は断る理由などなく、二度大きく頷きながら返事をした。
もう深夜一時を回ったくらいだが胡桃が唐突に話しかけてきた。どうやらまだ眠っていなかったようだ。
今日も僕と千代は胡桃の家にお邪魔している。胡桃達が外で食事をしてから帰ってきたのでいつもより帰宅は遅かったけれど、それでもいつもと同じように入浴と勉強をこなしてから就寝という習慣は変えないらしい。
そのためベッドへ入ったのはつい先ほどだが、すでに胡桃の隣では千代が幸せそうな顔で寝息をたてている。
「う、うん、起きてます。本来、僕達幽霊は眠くなることは無いんです」
「そういえば以前そう言っていたわね。千代ちゃんは特別なのかしら」
「いえ、胡桃さんと一緒に横になるまでは寝たことなかったと言っていました。なので特別なのは胡桃さんだと思います」
「それよ、なんで私に特別な現象が起きているのかしらね」
「それは僕にもわかりません。でもそのおかげでこうやって会話ができたり存在を確認してもらえたりしているので、僕はあの……えっと、嬉しいです」
「あら、ありがとう。私も英介君と知り合うことができて嬉しいわ」
ちょっと待って。胡桃は、僕と知り合うことができて嬉しいと言った。本当は千代を含めた僕達と、のはずだ。こういう言い方をされてしまうと、どうしても心の平静を保つことが難しくなってしまう。現に胡桃を直視することができなくなっている。
「おかしなことかもしれないけど、私に特別な能力があるなんて嬉しいの。これは今まで誰にも言ったことの無いことだけれど、私の周りには何かに秀でた人達が多くて少しだけコンプレックスがあるのよね」
「胡桃さんのような優秀な人でもそんなこと思うんですね。僕なんて何のとりえもないし努力もしてこなかった完全な凡人ですから、そもそも人を羨む権利が無い人間でした」
「私は優秀なんかじゃないわ。勉強は確かにできない方ではないけれど、いつもトップみたいなことは無いしね。演劇には自信があるけれど、それでも部長や草野先輩のように特別な物を持っているわけじゃないわ」
「でも練習中の胡桃さんはすごかったと思います。こう言うと失礼かもしれませんが、本当に……あの……おかしな人に見えました……」
「うふふ、役柄が役柄だしね。奇人に感じて貰えたなら十分演じられているということかしら」
「はい、確かに部長のアリスも凄かったですけど、僕は胡桃さんの帽子屋が一番だと思います」
「あら、お世辞が上手なのね、ありがとう」
「お世辞なんかじゃありません、本当に一番です!」
僕があまりに興奮した口調で言い放ったせいか、胡桃は目を丸くしている。まったくもって僕はバカだ。こんなに強弁する必要なんてないのに何でこんな風に言ってしまったのか。これじゃあからさまに胡桃への想いをぶちまけているようなものではないか。
でも本当に胡桃の帽子屋が一番だと思ったのは確かだ。部長の演技力は素晴らしかったけど、アリスのような少女役ならそれほど特殊な演技ではないだろう。現に、部長不在時に代役をしていた草野孝子の演技も十分凄かった。
しかし胡桃の演じるイカレ帽子屋は普通の人ではなくある意味狂人だ。それを堂々と演じ、まるで本当の狂人のように感じさせるのは簡単な事ではないと思う。
「なんというか、帽子屋のようなおかしな役を演じるのは簡単ではなく、とても演技力が必要なんだと思ったので……」
一瞬の空白の後、僕は自分の前言を補足するよう胡桃へ伝えた。
「まあ確かにそうかもしれないわ。そもそもやりたがる人も少ない役だしね」
「それだけで十分特別だと感じているんですが、それでもコンプレックスがあるなんて周囲の人が凄すぎるんじゃないでしょうか」
「まあ確かにそうね。一緒に住んでいる康子さんは料理人として凄腕だし、真子さんもこんな田舎で小料理屋やってるのはもったいない腕前なのよ?父は猟師なんだけど、やり手だったおじい様に似たのか商売上手だし、母は農業バイオ研究では凄い人みたい」
「確かに聞いているだけで凄い面々ですね」
「でしょ? まったく参っちゃうわ。この環境で自分に自信を持てと言うのもなかなか難しいのよね」
胡桃の言うことは理解できなくもないが、父がトラックの運転手、母は調理のパートな僕にとっては胡桃を含めた全員が雲の上の存在に感じる。
「胡桃さんの苦悩はわかったんですが、僕達幽霊と意思疎通ができることはそれを覆すほど嬉しいものですか?」
「うーん、正直覆すって程ではないかもしれないけど、自分に特別な能力があるなんて素敵じゃない?ちょっと考え方が子供っぽいかもしれないわね」
「とんでもない! 僕は生きている人とこうやって話すことができるだけでありがたいですし嬉しいです。でも胡桃さんにとってメリットなのかどうかはわかりませんし、もしかしたらこうやって押しかけているのも迷惑になっているのではないかと思うこともあります……」
「迷惑かどうかで言えば迷惑ではないわね。千代ちゃんはかわいいし、英介君は優しいじゃない」
「そ、そんな、僕は何のとりえもない薬にも毒にもならない存在です」
「千代ちゃんを見ていると良くわかるのよ。英介君が千代ちゃんの事をとても大切にしていていつも気遣っているのがね」
「まあ数少ない幽霊仲間ですし、千代ちゃんも慕ってくれてかわいいですからね」
「いいわよね、そういう団結心や信頼関係って。私は普段、学校と家の往復ばかりだけれど、特別仲良い関係なのは身内のみだもの」
「クラスメートや演劇部の方々とはそれほどでもないんですか?」
「そうねぇ、部長や草野先輩とは仲よくしてもらっているけれど、同級生の一部からはあまり良く思われていないかもね。あの学校は演劇を中心に据えた学校でね、生徒全員が演劇部なのよ」
「そんな学校があるんですね」
「ええ、だけど実際に演者として成功できるのはごく一部、だからライバル心みたいなものはあるわね。ギスギスしているというほどではないけれど、信頼できる相手がほとんどいないのは確か。特に来年の部長に私が指名されてしまったので、今の二年生は気に入らないでしょうね」
「今の部長が二年生からではなく胡桃さんを選んだということですか?」
「ええ、希望者がいなかったということもあるのだけれど、今の二年生でこの先も演劇関連へ進もうと考えている人が少ないみたい。それで私が指名されてしまったというわけ」
「上級生含めて纏めていくなんて大変そうですね。反発もありそうですし……」
「そう言うこともあって、少し悩んだり心配していたりしていたタイミングで英介君たちと出会ったわけよ。失礼承知で言えば、いい気分転換になっているわ」
「いえいえ、そんな失礼なんてことはありません。車に轢かれているときにほんの一瞬見かけた胡桃さんとこうやって出会うことができて、探した甲斐があったというものです」
「あのときね、びっくりしたわよ。人がはねられて引き摺られているのに誰も気に留めてないんですもの」
「普通の人には見えませんからね」
「私疲れてるのかなって思ってしまったわ。でもその後、よく私がいるところに現れたわよね」
「話せば長いんですが、色々な偶然が重なったんですよね。人と人との繋がりもあってあの場所にたどり着いて、今に至るというわけです」
「そう考えると切っ掛けは偶然でも出会ったのは必然なのかもしれないわね」
そうか、偶然から始まる必然、そんなかっこいい言い回しもあるのか。やはり胡桃と話していると色々な発見がある。自分に学が無いだけかもしれないが知らない事を知ることは案外面白いものだ。
胡桃とこんなに長々と話をしたのは初めてだが、時間はもう三時になろうかというところだ。明日も早いだろうに大丈夫なのか心配になった。
「ところでこんな遅くまで起きていて明日の学校は大丈夫ですか?」
「何言ってるの、明日は土曜日だからお休みなのよ」
なるほど、そういえば曜日感覚なんてすっかり無くしていて気にもしていなかったな。僕達も明日はのんびりと出かけるとするか。
「また明日も絹原へ行くんでしょう?私もご一緒して構わないかしら?」
考えてもみなかった胡桃の申し出に僕は断る理由などなく、二度大きく頷きながら返事をした。
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