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第六章 浮遊霊たちは気づいてしまう

77.赤面

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 胡桃の家にお邪魔するのは昨日に続いて二度目となる。同い年の女子の家に行くことなんて小学生のころに数度あったくらいなのでどうしても緊張してしまう。千代はなんとも思っていないようで、まるで自分の家に帰るか如く元気よく玄関に入っていった。

「ただいま、ふぅ今日も疲れたわ」

「胡桃さん、お帰りなさい」

 玄関を開けた胡桃へ康子が歩み寄ってきて声をかけた。親子ほど歳が離れているようには見えず姉妹のような二人だが、話す素振りを見ているとそれもまた違和感がある。

 お嬢様とお目付け役と言う関係というのは現実でもそんなものなのだろうか。英介にはまるで無縁な世界の出来事なので知っている範囲で判断するしかないが、マンガにはしばしば出てくるような関係ではある。まさかそれを目の当たりにしようとは思ってもみなかったが、見ていて面白いというか興味深いというか、少なくとも不快感は感じない。

 洗面所で手洗いとうがいをした胡桃は昨日と同じように部屋へ入った。制服から着替えて風呂に入り夕飯を取る流れだろう。僕は昨晩と同じようにクローゼットへ入れと言われるのを見越して、予め胡桃と相談していた通り部屋の外で待っていた。

 胡桃が着替えている間に康子が夕飯の仕上げを始めているようだ。台所からは何かを焼いている音が聞こえ香ばしい香りが部屋の前まで漂ってきた。ほどなくして部屋の扉が開いて胡桃が出てきたので、僕は入れ替わりに部屋の中へ入った。すれ違いざまに胡桃が僕へつぶやく。

「じゃあご飯食べてくるわ。退屈かもしれないけどいい子で待っていてね」

「は、はい、待ってます」

 僕はいい子呼ばわりされたことに戸惑い自分でも良く分からない返答をしてしまった。

「うふふ、いい子ね」

 胡桃はそんな僕の態度を見てからかうように笑い、そして部屋を出ていった。顔色が変わるならば僕はきっと真っ赤な顔をしているだろう。よくよく考えるといい子で待っていてと言うのは千代へ言っていたのかもしれない。

 まったく僕は恥ずかしいやつだ。部屋の中にいた千代はアニメのDVDをおとなしく見ていて、こちらの方がよっぽどいい子なんじゃないだろうか。千代は真剣な眼差しでDVDプレイヤーの小さな画面を見つめている。よほど気に入っているのだろう。

 千代が見ているのは国民的人気の幼児向けアニメだ。それは当然現代の子供向けに作られた物だが、テレビが普及する前の世代の子供でも夢中になれる物語と言うことが証明されたので作者は誇っていいと思う。

 話の流れは大体同じ昔からよくある勧善懲悪ものなので、ある意味昔話の桃太郎や猿蟹合戦と同じようなものと言えなくもない。少しくらいはピンチになるけれど、最後には正義が勝つというのは安心であるし爽快だ。

 だが千代と一緒にそのアニメを見ているとどうしても自分の事を考えてしまう。果たして僕は正義だろうか。正義でないとしても悪ではないと思っているし、もちろん大矢も同じだ。

 ということはやはり井出達は悪へ属するはずだし、僕達にしたことの報いは受けるべきだろう。復讐なんて大げさな話をしたいわけではなく、起こしてしまったことへの罰と社会的制裁を受けてもらわない事には悔やんでも悔やみきれず死んでも死にきれない。

 でも死にきれてしまったら僕はどうなるのか。その時にはこの世から消えてなくなってしまうのだろうか。だがそれは困る。今の僕は千代や胡桃と一緒にいる時間の方が大切だし、井出の事を考える時間なんてもったいない。

 もしかしたら復讐というか仕返しの機会が来るかもしれないが、そのことを優先的に考えるのはもうやめだ。大矢が帰ってきたらその事を伝え相談してみるとしよう。

 千代の見ているアニメが何度目かの終盤に差し掛かり、主人公が悪者をやっつけた頃に胡桃が部屋へ戻ってきた。

 自分の部屋へ戻ってきた胡桃がドアを閉めてから僕達へ話しかける。

「いい子で待っていられたかしら?」

「うん! 千代おとなしくまっていたよ」

「あ、僕もいい子でした」

 今度はわざと言ってみたので恥ずかしくはないはずだが、ウケ狙いでこんなことを言うのは不慣れなのでどちらにせよ気恥ずかしかった。

「それなら良かったわ。千代ちゃんにはDVD取り換えてあげるわね」

「くるみおねえちゃん、ありがとう」

「英介君にはご褒美としていいこいいこしてあげようかな」

「えっ、そんな、からかうのはやめてください……」

 そう言ったか言わないかのうちに胡桃の手が僕の頭の上に降りてきて優しく撫でてきた。すると千代が言っていたように、確かに胡桃の手の暖かさが伝わってくるような気がする。

 さらに僕は思ってもみない体験をした。ほんの一瞬だったけれど、体が床に振れている箇所にその感触を、体の周囲には大気の存在を感じたのだ。そして一番驚きだったのはわずかに眠気を感じたことだ。

 それは胡桃が二度か三度、僕の頭に手を置いたごくわずかな瞬間の体験だった。

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