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第二章 浮遊霊は動き出す

17.老婆

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 英介と大矢紀夫、そして千代の三人は朝日が昇るのを見ながら橋を渡っていた。目的地は千代がいつもお参りをしているという神社である。おそらくその神社が英介にとっての河川敷、大矢にとっての総合病院と同じ意味を持っているのだろう。

「千代ちゃんはぁ、なんで橋のこっち側まで来たのぉ?」

「そうそう、僕もそれは不思議に思ってたんだ。川を渡るのも結構な距離だしね」

「えっとね、千代はいつもおさんぽしてるの。ゆうがたになるとどてのみちにおにいちゃんみたいなかっこうしたひとがいっぱいとおるから。それでよるになったらじんじゃへかえるんだけどはんたいがわのどてのみちからしろいのがぽわーってなるのがみえたのよ」

「あぁ、僕がぁ多分英ちゃんを起こした時かもしれないねぇ」

「だからはしってもどったんだけどだれもいなかったの。でもしろいのがぽわーってなったところにはだれかいるはずだからよるになったらここにきてたの。そしたらきょうはおにいちゃんたちがいたってわけ」

「そうだったのか。しろいぽわーってやつは良く見かけるの?」

「ずっとずっとずーっとまえはいっぱいみたけどそれからはあんまり。おそらにひこうきがいーっぱいとんできてなにかがふってきてそのあとはたくさんのしろいのがぽわーっていっぱいだったよ」

「それって……」

 僕は千代の説明を聞いてどんな状況かすぐに察した。大矢はうつむき加減で頷いている。きっと同じように理解したに違いない。

 この辺りは辺鄙な田舎町だけど昔は県の第一都市に陸軍の基地があったのだ。当然連合軍の標的だったため空襲を受け、そして周囲の町や村も空襲で随分と焼かれたらしい。

 小学校の高学年になると社会科見学で当時の風景と現在の風景を比べたり、体育館で空襲と戦争の記録ビデオを見せられたりしたもんだ。

「千代、そのときたくさんのぽわーをみてたらおむねがきゅーってなったよ。それでなんだかとてもこわくなってじんじゃのなかにかくれてたの。あとはもうおぼえてないや」

 なんて悲しい体験なんだ。きっと空襲でたくさんの人が亡くなり魂が漂っていたんだ。千代はまだ小さいから何が起こったのか良く分かってなかったのだろう。それでも胸が苦しくなったということはなにか感じるものがあったに違いない。あまり覚えていないならそれはそれでいいことなのかもしれないな。

「じゃ、じゃあ、今度は楽しかった時の事考えようよ」

「そうねぇ、きょうおにいちゃんたちにあえたことかな!」

 千代は元気よく答えた。それを聞いて僕はうれしいやら悲しいやら複雑な気持ちになった。大矢の方を見るとまんざらでもないらしくニコニコしていた。

 そうこうしているうちに僕達は橋を渡り終わり、いつもと反対側の土手の上の遊歩道を歩き始めた。改めて思い返してみてもこちら側を歩いたことは無かったかもしれない。川のこちら側は別の町だし特になにかあるわけではない。栄えているのは川からずっと離れたところにある国道沿い位なはずだ。

 それでも全国チェーンのファミリーレストランやファストフード店、大きなパチンコ屋みたいな、僕には縁のない店が並んでいるくらいだからどちらにせよ用は無い。

「大矢はこっち側に来ることってあった?」

「そうだねぇ、家族で国道沿いのファミレス行くくらいかなぁ」

「そっか、僕は全然来たことないからこの辺のことほとんど知らないや」

「ねえねえふぁみれすってなあに?」

「ん?そうか、千代ちゃんは知らないよなぁ。色々な食べ物が選べる食堂だよ」

「いろいろなたべもの?千代はかまぼこがのってるおうどんがすきー」

「うどんかぁ、うどんのあるファミレスもあったかもね。僕はうどんだときつねうどんが好きだな」

「僕はぁ天ぷらうどんがいいなぁ」

 もうお腹はすかないし食べることもできないけど、こうやって話をしているだけでも楽しいもんだ。うちは両親揃って外食嫌いだからめったに外で食べることは無く、ごくたまに店屋物を取るくらいだった。その時は決まってきつねうどんを頼んでいたくらい好物の一つだ。

 千代がふと足を止めた。

「じんじゃみえたよー」

 土手の上をしばらく歩いていたところ、千代が元気よく教えてくれた。千代の指さす方角を見るとそれほど遠くない所に鳥居が見える。空のはしは白んできているけれど日が射してくるまではまだ早いようだ。

「朝のお参りにはまだ少し早いかもしれないね」

「そうねぇ、いつもね、おばあさんがきたらいっしょにおまいりするの。おばあさんはまいにちまいにちおまいりにくるのよ」

 おそらく近所に住んでいる人なんだろう。毎日欠かさずお参りするなんて、とても信心深い人なのかもしれない。

「ずっとずっとまえはおばさんだったんだけどだんだんとおばあさんになっちゃったんだよ。千代はずっとこどものままなのにね」

 やはり千代には死というものがわかっていないようだ。もちろん自分が死んでしまっていること、僕らも死んでいることも。

 そして僕達はようやく神社へと到着した。鳥居の先には狛犬ではなく石でできた狐が鎮座していた。

「ここはお稲荷さんなんだね」

「そうよ、おきつねさまなのよね。千代はおいぬさまはこわいからおきつねさまのほうがすきよ」

「犬はキライなの?」

「だってすぐほえるんだもの。かみつかれそうでこわいでしょ」

「あはは、そうかもしれないね」

 僕と大矢は狐の背中を見ながら砂利の上に腰かけた。千代は石畳をケンケンしながら行ったり来たりしている。神社は土手から下がったところにあるので先ほどより暗く感じる。
周囲が見えない程ではないがまだ薄暗く、少し離れると顔がわからない位だ。

 それでも神社の社から石畳に向かって電灯が灯っており、ケンケンをしている千代はまるで舞台の上にいるように浮かび上がっていた。

「生きてたらきっとおばあちゃんなんだろうね」

「そうだねぇ、あの話ってぇどう考えても戦争の話だったもんねぇ」

「やっぱり気が付いてたか」

「この辺もぉ空襲がすごかったらしいってぇ」

「小学校で習ったよね」

「うんーそうそうー」

 小学生の頃はつまらないと思って聞いていた地域の歴史だけど、こうやって後から知ることでもっと深く考えることもある。そう思うと勉強って無駄な事ばかりじゃないな。こんな事ならもう少し位はちゃんと勉強しておけばよかった。

 英介は、小学校へ上がる前であろう千代を眺めながらそんなことを考えていた。

「英ちゃん、あそこぉ。あれがお参りのおばあさんじゃなぁい?」

 大矢が誰か近づいて来ていることに気が付いた。神社の外側をゆっくりと進んでいる影は確かに老婆のようだ。やがてその姿が表の街灯に照らされると着物を着たおばあさんだとはっきりと分かった。そのおばあさんは鳥居の前でゆっくりとお辞儀をした。

 それを見た千代が同じようにお辞儀をしている。僕達も立ち上がりなんとなく会釈程度のお辞儀をしたが、当然おばあさんには見えているはずもない。

 千代はおばあさんが石畳をゆっくりと進むのに合わせてちょこんちょこんと隣を歩く。僕と大矢はその後ろから、足並みを合わせてゆっくりとついていった。おばあさんは手に持っていた容器から何やら取り出し足元の石の上に置いた。それはまだ湯気が立ち上っている、できたての油揚げだった。

 ついさっききつねうどんの話をしていたのも、ここが稲荷神社だったのも、毎日お参りに来るおばあさんが油揚げをお供えしてるのも何かも縁なのだろうか。それはともかく、油揚げをお供えしたおばあさんが賽銭箱へ小銭を投げパンパンと柏手を打った。それに合わせて僕達も柏手を打つ。

 神社へお参りしたのは初めてだから何をお願いすればいいかわからない。僕は悩みながらも両親がこの先も無事に生きてくれるよう願った。千代はお兄ちゃんが見つかるように、だろうか。大矢は何を願ったのか少し気にはなったが、こういうものはペラペラしゃべるものじゃないかもしれないな。

 気が付くと朝日がほんの少し顔を出して周囲が明るくなり始めていた。今日からあの赤いリボンの女の子を探そう。見つけたからといって何が起こるか、何ができるかはわからないが、藁にもすがるとはこのことか。今はどんなことにでも希望を持ちたい気分なのだ。

 何十年も兄を探す気持ちを忘れていない千代を見ると余計そう感じる英介だった。

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